別府クルージング
2002/09/15-10/05

 今春に予定していた九州一周クルージングは、様々なトラブルに見舞われて余儀なく中止した。しかし、九州への思いは強く、鬼子父神帆船倶楽部は期間を縮小して、別府クルージングを敢行することにした。長期予報では天候も安定しているとのこと。台風も発生していない様子だ。

意気揚々の出港

9月15日(日) 小豆島琴塚港泊

08:15 薄曇りの新西宮ヨットハーバーを出港。東北東の風5m、波高0.3m程度か。今回の参加は港屋、大田、金田、栗本の4名で、「今度こそ九州まで」という強い意志に応えるようにエンジンも快調そのものだ。メインのみの機帆走にて明石海峡大橋を目指す。

11:05 明石海峡大橋通過。進路を270度にとり、本日の目的地、小豆島の吉田へバウを向けた。

11:45 ジブも展開し、7ノットで快走。この調子なら予定より早く到着できるだろう。

16:30 吉田に到着。きれいな港で空いており、驚くほど近くにダムが迫っている。港とダムの中間あたりにある『小豆島オートビレッジ』で、風呂にも入れることはKAZIの記事で確認してあった。しかし、スターンからアンカーを打っていると若い漁師が現れて、問答無用の追い出しにかかってきた。きちんと話しても全く会話が成り立たない。馬鹿馬鹿しいので転進し、行きなれた琴塚に向かうことにしたが、近くに他の泊地がなければ夜航海を余儀なくされるところだった。

17:30 琴塚着。本日の航程は58マイル。夕食を終えてくつろいでいると、エビを捕ったからと持ってきて下さった方があり、有り難くいただいて塩ゆでに。

  昼食 : クルミパン・バナナ
  夕食 : おでん・お茶漬け

小豆島琴塚港
係 留 ★★★★ 岸壁鼻着けだがアンカーを打たなくてもよい仕掛けがある。そばに水道があり、給油も可能。差し板も使える。
入 浴 ★★★☆☆ クラブハウス内のメンバー専用風呂が空いていれば頼んで使える。
食 事 ★★☆☆☆ ある程度の食材は近くで買えるが、食堂はない。
トイレ ★★★★ 近くの墓地にある水洗便所が何時でも使える。
人 情 ★★★★★ 岡崎造船の基地なのでヨット乗りには快適。


9月16日(月) 小豆島琴塚港泊

 朝から北東の風が強く、もう少し様子を見ようということになった。あいた時間を利用して大田、金田は付近探索、栗本は写真撮影、港屋は情報収集にと散っていく。急ぐ旅でもなし・・・と、結局、出港を見合わせ、運良く手配できた車で、海岸線を西進し『道の駅 大阪城残石記念公園』に行ってみた。
 ここには桟橋もあって海からのアクセスも可能となっている。大阪城の石垣に使用する岩石を切り出し、また、運ぶについての様々な道具が展示されており、なかなか見応えがある。続いて土庄を見に行くことにし、途中のうどん屋『えびすや』で、ちょっと早いが昼食をとることにした。なかなか美味しく、港屋、大田、金田、は2杯ずつたいらげたが、栗本は運転中に眠くなることをおそれて1杯で我慢。せっかく車があるので買い物もしたい。店で聞くとここから一本道で大きなスーパーがあるとのこと。さっそく行ってみると大きなショッピングセンター『マルナカ』で、必要なものは全部そろった。

 今度は436号線を東進し、『二十四の瞳映画村』を目指す。ところで、この頃になると、あれほど強かった風もかなり治まり、空も晴れ渡って上天気になっていた。
 映画村に行く途中で、本当の小学校校舎があり、材木をふんだんに使った内部のたたずまいは、それだけで心が豊かになる気がした。ここでは映画村込みの入場券を売っていて、別々に買うより少し安くなるようだ。映画村はちょっと寂しいかなという感じではあったが、それでも海辺に建つ小学校のセットやボンネットバスなどが雰囲気を造っている。

 そこから今度は、昨日の目的地、吉田へ行ってみることにした。クルージングの初っぱなから嫌な思い出が出来た場所だが、どうしても吉田にある小豆島オートビレッジ』の風呂に入りたかったのだ。開場より少し早かったが、管理人さんは気持ちよく入れて下さり、嫌な思い出もきれいさっぱり流してしまった。入浴料は300円。

  朝食 : フランスパン
  昼食 : うどん(外食)
  夕食 : 焼き鳥・湯豆腐






9月17日(火) 内海フィッシャリーナ泊

06:30 琴塚出港。風はあまりなく天候は雨。進路278度。5.6ノットで機走。昨日、ガソリンスタンドで購入した軽油を補給してある。

07:30 雨が更に強くなってきたが、前線の通過とともに一気に上がってしまい、その後は晴れ上がってしまった。

11:20 瀬戸大橋(下津井の瀬戸)を通過。風が強く雲が多い。不安定な天候だが雨の心配はなさそうだ。

16:00 阿伏兎の瀬戸を通過して、内海フィッシャリーナに到着。残念ながら今日は定休日でシャワーは使えないが、トイレだけは見つかった。浮き桟橋には水道も電気も用意されている(コンセントが合わなかったが)。付近に店はなく、食材を買うことが出来ない。本日の航程50.1マイル。

  朝食 : おにぎり
  昼食 : おにぎり
  夕食 : ちらし寿司

内海フィッシャリーナ
係 留 ★★★★★ 完全なマリーナ仕様。電気・水道完備。給油も可能。
入 浴 ★★★☆☆ シャワーがあるが、定休日は使用出来ない。
食 事 ☆☆☆ 食材は調達不可。食事どころがあると書いてある記事もあるが、近所では見あたらなかった。(見落としたか・・・?)
トイレ ★★★★ 整備ヤード裏にある水洗便所が何時でも使える。
人 情 ★★★☆☆ マリーナの外は不明


9月18日(水) 大三島宮浦港泊

09:00 フィッシャリーナの支払いを済ませて出港。天候は晴。内海大橋を通過し、因島大橋を目指す。ここは過去のクルージングで通過しているが、今回は逆進なのでちょっと雰囲気がつかみずらかった。

09:30 あまりに暑いのでオーニングをして機走。進路250度。速度5.5ノット。

10:30 布刈瀬戸通過。この先の、毒ガス資料館がある大久野島を過ぎれば宮浦港は目と鼻の先である。

13:15 大三島、宮浦港に到着。第一桟橋の北側に係留したが、本来は第二桟橋に係留するのだそうだ。本日の航程、25.4マイル。
 とりあえず町で昼食をとり、金田は行ったことがないので大山祇(おおやまづみ)神社を見学に。その他は食材や氷を購入に行き、軽油は配達して貰って補給した。さて、楽しみにしていた『マーレ・グラッシア』での入浴だが、本日は定休日だという。本当に運が悪い。仕方がないので、タクシーに乗って島の反対側にある多々羅温泉へ行くことになった。

16:20 多々羅温泉到着。昨夜は入浴できなかったので、最高に気持ちよかった。今夜は豪勢に外食と決めている。宮浦まで戻って神社前の『喜船』という料理屋へ。4,000円コースを頼んだが、次々に料理が出てきて食べきれないほどだった。幸せ・・・。

  朝食 : お茶漬け
  昼食 : お好み焼き・焼きそば(外食)
  夕食 : あさひ蟹・しゃこ・刺身・煮魚他多数(外食)

大三島宮浦港第一桟橋
係 留 ★★☆☆☆ かなり理想的だが、プレジャーボートは第二桟橋に置くよう言われた。給油は桟橋まで配達可能。
入 浴 ★★★★ 施設の整った入浴施設があるが、少し遠い。ただ、途中に大きなスーパーがあるので、買い出しもでき、苦にはならない。
食 事 ★★★★ 食材や酒、氷も調達出来る。美味しい店もある。
トイレ ★★★★ タクシー会社の前に立派で綺麗な公衆便所があり、何時でも使える。
人 情 ★★★★ 総じて良いようだ。


9月19日(木) 上関港泊

06:30 出港。天候は快晴だが無風。機走にて上関へ向かう。

10:05 10時の方向、10マイル先に松山港を望む。風速7〜10m。波高1〜1.5m。

15:15 上関到着。本日の航程54.8マイル。町営の桟橋は空いていたが、小さな浮き桟橋で、混んでいれば停泊は難しいだろう。さっそく町を探索してみたが、風呂はなく、上関唯一の食堂『めばえ食堂』は定休日(もう嫌だ)。しかし町外れに活魚を食べられるところがあったので一安心した。ところで、上関の人たちは気さくな方が多く、連絡船の船長さんが話しかけてきてくださった。対岸(室津)のホテルで1,000円以上の食事をすると入浴が出来るという。結局、対岸には行かなかったが、不安な時、親切に色々と教えていただけるのは本当に有り難いものだ。
 少し時間をつぶしてから全員でぞろぞろと食事に出かけたが、昼間は開業していた店が、6時過ぎにはもう閉まっていて冷や汗が流れた。中に入って頼んでみると、おかみは快く店『磯千鳥』を開けてくださった。きれいに片づいた店や、奥でくつろいでいた板さん、若おかみのことを思うと申し訳なかったが、心のこもったもてなしを受けることが出来て嬉しい宴となった。初めて食べた穴子の刺身も忘れられない。

  朝食 : フランスパン・リンゴ・バナナ
  昼食 : 麻婆丼
  夕食 : 刺身・その他(外食)


上関港
係 留 ★★★☆☆ 桟橋の片側は定期船専用だし、あまり大きな桟橋でもないので混んでいると係留は無理かも。
入 浴 ☆☆☆☆ 対岸のホテルで食事をすれば無料で入れるそうだが、上関側に風呂はない。
食 事 ★★★☆☆ 食材の入手は困難。活け魚を食べるなら良い店があるが、早く閉まるので予約をしたほうがよい。他は小さな食堂が一軒。
トイレ ★★★★ 観光案内所にトイレがある。
人 情 ★★★★★ みんな気さくで親切。ヨットに理解がある。


9月20日(金) 別府北浜ヨットハーバー泊 

06:20 出港。天候は曇天で、ほとんど無風。見通しはあまり良くない。海上が穏やかなうちに携行缶から軽油を補給。宇和島を右手に通過すると、もう別府まで島影はない。所々に漁網のブイが見受けられるが、中央突破すれば問題はない。左手に微かに見えるのは佐多岬だ。大分空港を右手に見ると、いよいよ九州だという実感がわいてきた。国東半島は意外に大きく、ここから別府まではまだ20マイルほどもあるのだ。やがて左に大分市の工場群が見えてきた頃、靄の中から別府が姿を現した。
13:45 別府北浜ヨットハーバー到着。狭い防波ブロックの間をしずしず入ると、ボートのオーナーさんが色々と係留の方法を教えてくださった。とりあえずビールで乾杯。本日の航程46.6マイル。トータル234.8マイル。

  朝食 : パン・キュウリ・バナナ
  昼食 : 炊き込みご飯
  夕食 : 外食





別府北浜ヨットハーバー
係 留 ★★★☆☆ 岸壁鼻づけだが、アンカーを打たなくて良い仕掛けがある。近くに水道があるが、給油はできない。岸壁との行き来はちょっとしづらいかも。
入 浴 ★★★★★ 近くに竹瓦温泉。他にも色々。湯の町別府です。
食 事 ★★★★★ スーパー、コンビニ、デパートもある。食事どころは沢山ある。
トイレ ★★★☆☆ 少し歩くと公衆便所があるがイマイチ。近所のホテルで拝借するもよし。
人 情 ★★★★★ みんな気さくで親切。

別府 Day & Night

9月20日(金) 別府北浜ヨットハーバー泊

 別府ではゆっくり風呂に入り、夕食は外食、そしてちょっぴり夜の街も・・・。別府は母親が住んでいたこともあり、栗本が詳しい。我々はさっそく彼の案内で竹瓦温泉へと向かった。歴史を感じる立派な浴場で、入浴料は驚きの100円! 浴室は素朴なもので、体を洗うためのカランなども無いが、開放感は満点だ。ビールを飲みたいが、グッとこらえて、まずはコインランドリーへ。着まわしても6日分の洗濯物はそこそこの量だ。
 洗濯は栗本に任せて、他の3人は関西汽船の切符を買いに行った。実は、艇を残して明日のサンフラワーでいったん大阪へ帰るのだ。ところが、切符売り場まで行ったのに、コンピュータを落としたから予約切符は販売できないとのこと。わずか5分ほどの差で買いそびれてしまった。長い道中をご苦労さんである。何とか洗濯も終わり、いよいよ繁華街へ。

 何でも食べられる炉端が良かろうということになり、『伸永』を目指したが、栗本はしきりに「はな金だから」と心配していた。幸い、空いていて、カウンターに陣取る。後はビール、日本酒、焼酎と飲み干し、馬刺、関あじ、何でもござれで満腹となった。腹をさすりながら店を出ると、栗本が「若い女性がいて安い店と熟女がいて高い店・・・、さあどっち?」と聞いてきた。安いのも魅力だが、楽しい会話なら熟女だろう。しかし高いのか・・・。一瞬ためらったが、「熟女」と答えると、彼はスタスタ歩き出した。
 そこは『伸永』から歩いてすぐの『リビア』という店で、別府にしては内部の造作が高級だ。混んでいなかったので、一人一人に女性がつく。話し込んでる者、歌ってる者、踊ってる者、それぞれが存分に楽しんでいる。11時を過ぎると港屋はそわそわしだした。潮位の関係であまり遅くなるとヨットに乗り込むのが難しくなるからだ。栗本に「そろそろ」なんて信号を送っているが、どうも誰も席を立とうとしない。結局それから30分ほどしてお開き。何とか無事に艇までたどり着けて良かった。


9月21日(土)

 本日の予定は、どこかで朝食をとり、関西汽船の切符を買い、レンタカーで観光し、19時のサンフラワーで帰ることだ。ファミリーレストランで朝食後、トヨタレンタリースの営業所へ。インターネットで入手したクーポン券で1,000円の割引き。借りた車で関西汽船の乗り場へ行き、これまたインターネットで入手した株主優待券で切符を購入。3人だと1等(4人部屋)を独占できる。いよいよ観光。まずは500号線を上って、湯布院を見下ろす狭霧台へ。ポピュラーな場所だが、天気が良く、間近に迫る由布岳の姿も見事だった。
 そこを下って金鱗湖に車を置き、付近を散策。狭い路地道を歩けば、コスモスが咲き、アバウトに積まれた石垣や土手が心を和ませてくれる。湯布院を後にして水分峠から『やまなみハイウェイ』をたどり、長者原を抜け、442号線を左折すると『あざみ台』がある。ここからの眺めは最高で、久住の山並みが連綿と折り重なる姿は何とも言えない雄大さだ。展望所には土産物屋や食堂がある。我々は2階の食堂で眺望を肴に美味しい牛乳を飲み、昼食をとった。大田が臼杵の石仏を見たいというので、カーナビにセット。石仏観光後は高速道路で帰ったので、乗船までまだ時間があった。
 最後の温泉を北浜の近代的な温泉施設『テルマス』で楽しみ、満タンにして車を返したが、最終的に1,050円がトヨタレンタリース別府営業所から返却された。港屋、大田、金田は大阪へ。栗本は残って艇のおもり。この次は10月1日に合流し、2日に別府を出港することとなった。

行きはヨイヨイ、帰りは・・・ハヤイ!

10月1日(火) 別府北浜ヨットハーバー泊

 港屋、大田、金田がサンフラワーで戻ってきた。北浜ヨットクラブの会長さんに一言お礼を、ということで『ホテル好楽』を訪ねる。会長の小出さんはそこの社長さんだが、驚くほど気さくな方で、わざわざ自分の車を出し、軽油と氷を買うのに付き合ってくださった。水と燃料をヨットに補給し、食料も調達。竹瓦温泉で入浴後は『とよ常』で刺身などを頬張りながら別府最後の夜を楽しんだ。


10月2日(水) 長浜港泊

07:25 快晴の別府北浜ヨットハーバーを出港。穏やかな湾内を6.4ノットの機走で遠ざかりながら、メンバーは惜しむように街の写真を撮っていた。

12:20 流していたケンケンにシーラがヒット! あまり美味しい料理法も無いのでリリースしたが、今回の航海で唯一釣れた魚であった。

16:00 長浜港到着。本日の航程、54.1マイル。どこへ係留しようかと迷っていたら漁船の船長さんが、わざわざ自分の船を横にずらして場所を空けてくださった。ここの人たちは全体に親切な人が多いようで嬉しくなってしまう。港からは予讃線伊予長浜駅が近く、そこのトイレが使えるし、商店街を抜けたところには『長浜町保険センター』があって、入浴(250円)もできる。ずいぶんと立派な風呂(3階)で、そこからの眺めも最高だ。


  朝食 : パン・バナナ
  昼食 : 鮭おにぎり
  夕食 : おでん

長浜港
係 留 ★★☆☆☆ 岸壁鼻づけ。近くに水道なし。給油はスタンド利用か。
入 浴 ★★★★ 良い公共浴場があるが少し歩かなければならない。
食 事 ★★★★ スーパーや魚屋もある。閉店は早い。食事どころも少しある。
トイレ ★★★ 近所の長浜駅に綺麗な公衆便所がある。
人 情 ★★★★★ みんな気さくで親切。


10月3日(木) 大三島宮浦港泊

05:50 長浜港出港。進路を43度にとり、6.5ノットで機走。波は穏やかだが、見通しは3マイルほどか。

06:12 風速5m程の風がアビームから吹いているのでジブを展開したが、不安定な風になってしまい、しばらくしてからジブを下ろした。

08:45 松山港を右に見て高浜の瀬戸へ進入。妙にのどかな雰囲気で、小説『ぼっちゃん』を思い出しながら通過した。ところで、今日の泊まりは豊(ゆたか)海の駅と決めていたが、電話をしてみると木曜なのに桟橋は満杯だという。ちょっと信じられなかったが、仕方がないので往路で寄った大三島へ向かうことにした。

14:30 大三島宮浦第二桟橋到着。本日の航程、47.3マイル。軽油を配達して貰ってから『マーレ・グラッシア』へ向かう。港から歩くと少し距離があるが、途中にスーパーもあるので便利だ。ゆったりとお湯につかり、食材や氷、ビールなどを買って帰った。

  朝食 : バナナ(その後バターサンドとブドウ)
  昼食 : 鮭おにぎり
  夕食 : イカ刺し・キムチ鍋(最後にうどんを入れた)

大三島宮浦港第二桟橋
係 留 ★★★☆☆ 問題のない浮桟橋だが、水道はない。給油は桟橋まで配達可能。
入 浴 ★★★★ 施設の整った入浴施設があるが、少し遠い。ただ、途中に大きなスーパーがあるので、買い出しもでき、苦にはならない。
食 事 ★★★★ 食材や酒、氷も調達出来る。美味しい店もある。
トイレ ★★★★ タクシー会社の前に立派で綺麗な公衆便所があり、何時でも使えるが少し距離がある。
人 情 ★★★★ 総じて良いようだ。


10月4日(金) 高松ヨットハーバー泊

06:40 薄明の中を出港。やがて潮に押されて、艇速は9.2ノットまで上がってきた。

08:15 北東の風が吹き出したのでメインセールを展開したが、やはり不安定な風であまり効かない。波は穏やかで快晴だ。

09:00 アサリの酒蒸しを作って一杯やりながら往路と同じ航跡をたどる。

12:00 備讃瀬戸南航路を進路60度で高松に向けて航行。相変わらずの良い天気だが無風。

12:50 瀬戸大橋通過。

14:40 高松ヨットハーバー到着。本日の航程、63.1マイル。浮き桟橋に係留しようとしたが、うねりが強くて船体が桟橋に打ち付けられそうになる。困っていると、たまたま先に係留していたヨット(ゆうなぎ)の船長さんが手を貸してくださり、自分の艇と同じ側に置かせてくださった。細川さんとおっしゃるのだが、定年後はヨット三昧で、ほとんどシングルハンドとのこと。準備が出来たら壱岐・対馬に行かれるそうだ。しばし情報交換がてらの歓談をして、我々は風呂屋『宝温泉』へ出発。

17:00 『泉屋』にて讃岐の手打ちうどん(ざるうどん)を食べる。しっかり腰の効いた冷たいうどんが、風呂で暖まった胃袋に気持ちよく入っていく。その後、活け魚料理『あきやま』で刺身大皿盛りなどをとって酒を飲んだ。

  朝食 : トースト・りんご
  昼食 : 鳥飯
  夕食 : 外食



高松ヨットハーバー
係 留 ★★★★ 広い浮桟橋である。水道はあるが電気はない。
入 浴 ★★★☆☆ 良い銭湯があるが、少し遠い。
食 事 ★★★★ 割合近くにコンビニや食事どころがある。
トイレ ★★★☆☆ 近くに施設の公衆便所がある。
人 情 ★★★★ 総じて良いようだ。


10月5日(土)

05:35 薄明の中を高松ヨットハーバー出港。波穏やかで無風。小豆島の南側を淡々とたどる頃には、退屈しのぎに競馬で一儲けを企んだのだが・・・。

13:30 薄もやの中に明石海峡大橋が見えてきた。播磨灘は順潮で艇速は時折10ノットを超えるが、この付近には三角波が立っていた。

14:00 明石海峡大橋通過。

17:00 新西宮ヨットハーバー到着。本日の航程、71.0マイル。総航程、471.1マイル。なんと、帰りは予想もしなかった3泊4日で走りきったことになる。

  朝食 : フランスパン・リンゴ
  昼食 : スパゲティ(たらこ、ベーコン入り)


航海を終えて

 別府クルージング顛末記 ・・・ 港屋
別府へクルージングに行くのはもう何十年も前から人から聞かされいたが現実に自分の事としてやっと行く事が出来て満足している。
 
想い返せばクルーザーに乗り始めた頃瀬戸内海にで西へ行くのが讃岐の高松迄、毎年秋にNORC内海支部主催高松レースがありレース終了後は庵治の「黒乃屋」でドンちゃん騒ぎ、その頃に名艇「ミネルバ」に遭ってすっかり木造艇の虜になってしまい、艇長貴伝名のおやじさんにお願いしてクルー見習の末端に加えてもらい何度かクルージングに参加させてもらった頃にさんざん別府の話を聞かされて以来ずっとその機会を待っていた。
 
今回の往路で偶然小豆島の琴塚で上架されている「ミネルバ」に何十年ぶりで再会し懐かしさに胸が熱くなる思いをした。貴伝名のおやじさんは亡くなられているが、幸いにもご子息が「ミネルバ」を引き継がれていて、かってのおやじさんにそっくりの風貌で懐かしくお目にかかることが出来た。こんな巡り合わせてあるんですな、
 
内海を東の端から西の端へのクルージングはいかに潮の動きを読みコースを決めるかに頭を悩ませることに尽きる。馬力のある補助機関を積んでいてそんなことは問題にしない艇についてはこの際省くとして、小馬力の補助機関の艇にはこの潮から逃れることが出来ない。
我々が計画した時期は秋の大潮にあたり明石海峡から始る各地の瀬戸は逆潮に出くわすと難渋するが順潮に乗るとこれほど力強く味方になってくれるものはない。又それは天地の波動に沿った理に適う行動でとても気分のよい嬉しい快感を感ずることが出来る。
 
9月の半ばから10月にかけては台風がやってくる時期にあたりコースに遭遇すれば逃げる道を常に頭においておかなければならない難しい時期にあたるが、台風がなければ夏の余波が残ってはいるがあの暑苦しさはなく朝夕の涼しさは心地よく疲れた身体の芯を癒してくれる。
特に夜明けから日の出にかけての時間帯、又夕日が沈み行く頃の海面を染める色が時時刻刻と変化する様子はその時その場でしか見ることの出来ない光景で得がたい空間を領有できる幸を感じる。
 
瀬戸内のクルージングで近代科学の蒸気機関が登場する以前はまさしく帆だけの航海術で古の昔から往来していたことを想像してみる場合、どのような技術を持って航海していたのか興味が沸く。瀬戸内独特の航海術が何代にも渉って受け継がれ江戸時代末期まで活きていたと想像出来るなら今日これらの航海術は文献として残されているのだろうかと考えてみる。そしてもし残っているのなら是非拝見し出来れば再現したいものである。
 
クルージングでの楽しみの一つは寄港する場所で美味い物を探し出し緊張感から開放されてじっくりお酒と一緒に味遭うことである。近場にそれなりの店がある場合はそれでもよし、なければだれぞが手間隙架けて下手な賄いでもそれなりの味があり嬉しいものである。漁船の新入りはまず賄いから教え込まれ役に立つ漁師に育って行くと聴く。長期航海を望むならどんなに揺れてる船の中でも賄いが出来る技量を身に付けておきたいものである。
 
海に出掛けることは日常生活から離れてサバイバルで過酷な状況の中に身を置くことを意味する。そこには一切妥協がない、手心がない、時間観念もない、あるのは冷徹な現実だけである。日は常に東から昇り西へ沈む、風は何時噴出し何時やむか予測は難しい、潮の干満は我々の都合で変更してくれない、海に出掛ければ我々のご都合では生きては行けない自然の掟を理解し学びたいと思う。
 
今回の別府クルージングで皆無事に帰って来れたのは幸運に恵まれただけである。


 別府クルージングを終えて ・・・ 大田
 本年4月に九州一週を企図して出航し、予期せぬ事態で中止の羽目に陥り、
その鬱憤を孕んでの今回の別府クルージングは、リターン・マッチのような
雰囲気でしたが、往路・帰路共に天候に恵まれ初秋のクルージングの良さを
満喫する結果となりました。

 特に、帰路の快走は、機走で5.5ノットしか予定できない艇であっても潮
を合わせ適切な寄港地を選択すれば、別府・西宮間を4日で走破できるとの
確証を得たのは大きな収穫でした。

 今後、九州一周や日本海側へのクルージングを計画する際に、別府はベース
キャンプとして枢要な地理的条件にあると考えられますので、ここへアクセス
するための経過地での体験は大きな糧となりました。
小豆島琴塚西方の大阪城石公園の泊地、大三島宮浦のお好み焼き屋のおばさん、
上関の磯千鳥さん、四国長浜の町営風呂等々。

 秋風に吹かれてのクルージングの雰囲気を伝えるために、多々,写した写真の
中から1枚だけ選んで紹介します。
 これは、クルージングの最終日・高松を出航して西宮までの10時間の航程に
取り付いた冒頭で、四国志度沖辺りで日の出を仰いだときの情景です。
 洋上からの各地の日の出を蒐集して廻るのも一興かと談笑しました。

     14年10月19日           鬼子父神  大田外之


 別府クルージングを振り返って ・・・ 栗本
 今から10年以上も昔の事だが、関西汽船の別府航路を走るサンフラワーのデッキから、月光に照らされてぬめるように光る海を眺めつつ、「いつかこの海をヨットで別府まで走る日が来るのだろうか・・・」と思っていた事を思い出す。ヨットには20代の頃から憧れがあったが、それは自分に関係のないはかない夢の世界だと思っていた。それが、KAZIの募集欄で鬼子父神帆船倶楽部の事を知り、やっと長年の夢が叶った事をまず第一に喜びたい。

 今回の航海で一番感じたのは、先人の偉大さだったろうか。正確なチャート、コンパス、潮流・潮汐表を持たなくとも、エンジンが無く、いつ転覆してもおかしくないような船で、彼らはこの海を自在に行き来していたのだ。それを思えば、風が無いからといって機走し、ラジオで天気予報も聞ける航海は文明の力に頼ったお遊びの領域なのかも知れない。今回は、天候に恵まれて何の危険も感じない航海だったが、この先、一歩でも先人に近づけるようなセーラーに成りたいものだと思う。

 また、行く先々で情報を下さったり、親切にしてくださった方々にこの場を借りてお礼申し上げ、いつか私も、他のセーラーに力を貸せるような自分になりたいと思った次第です。

 
 別府クルージング雑感 ・・・ 金田
「海は陸と陸とを隔てるのではなく 遠くはなれた陸と陸とを結びつけるもの・・」
というニュージーランドの言葉があるが 海へ出ると世界との精神的距離が一気に
縮まるような気がする。着艇地での文化・歴史や人々との触れ合い 仲間との取り留
めのない会話や酒肴が入ったあとのこだわりの議論 そして海という大自然相手の
行為ゆえに生ずる諸々の発見・・・1990年5月13日今津で進水した鬼子父神
(幼名 テルナ)クルーに加わった時の感慨と期待は大きかった。
勤務先の名古屋から新幹線で駆けつけたのであったが 爾来予期に反してリタイア
に至るまで名古屋からの「遠距離通艇」が続き 出席率は芳しくなかった。唯一
貴重な体験となったのが1991年5月連休を利用した「四国一周クルージング」
だった・・・結局この10余年 どうしてもゲスト感覚が抜け切らず 感が戻らな
いまま推移してしまった。
 
「・・・人生80年 さしあたり五月晴れの九州洋上でこれからの人生航(行)路
を見極めたいと思います。・・」今春37年間のサラリーマン生活に終止符を打ち
それまでお世話になった方々への挨拶状の中で 斯く大見得を切って颯爽と船出を
したのは去る4月27日の黎明 そして明石海峡での痛恨の頓挫・・・エンジンを
宥めながら西宮へ帰港する道中の心境(うわぁ皆にどない云おか?今年中にメンバー
の万障繰合わせて再出発できるやろか?等々)いかばかり!!
 
で・・今回の別府行きは私にとっては 上記文面への釈明とクルージングの感を取り
戻すチャンスであり メンバー全員にとっては捲土重来への布石となることが期待
されていた。そして航海は 無事Good Luck裡に終わった。これからは西宮在住と
いう地の利を生かして操船機会を増やし 楽しみながらシーマンシップの涵養をは
かりたい。
 
ちょっと気になること 
・寄港地について 往路の初日 小豆島吉田港で不愉快な思いをしたが ほかでは
         非常に親切で居心地のよい所もあり有難かった。ただ全般的に
         インフラという点ではまだまだ不便で神経を使わされる。不便
         を楽しむ野性味もよいが 現下プレジャーボートは正式のハー
         バー以外は漁港に迷惑が掛からないように係留させて頂くとい
         うスタンス そこで精々ヨットマン同志が情報交換しあったり
         専門紙誌情報に頼ることになる そこで情報が誤っていたら・・
         海外の事情には不案内だが日本の後進性は明白。次世代レジャー
         を先取りしたファンドでも立上げられないか・・・?!
 
・機帆走について 明石沖頓挫のアフターメンテナンスがうまくいって エンジン
         快調 潮の干満・流にも助けられ 機走中心で滑走・・予定より
         早くフィニッシュ・・・。出入港 無微風 そして予定もあるの
         でどうしても機走に頼ってしまう・・。ヨットは本来 帆で走る
         もの 7月20日に亡くなったクルージングの先達野本謙作さん
         の気概を偲びつつ 少し考えてみたい。
 
・瀬戸内海・・・ 何年か前 中国長江を船で下ったことがあるが その雄大さは
         筆舌に尽くし難いものがあった。ただ水は泥土で濁っており
         雨天が多い。瀬戸内は海空の明るさと大小多様な形態をみせる
         島嶼群 複雑な瀬の潮流etc. あと歴史記念物を整備し 沿岸
         の工場群を撤去すれば 長江にも匹敵しうるだろう。