豊かさの時代

Feb. 9, 2000

By KAZUHIRO SHIMOURA

 

日本人が、その豊かさに気づき始めたのは最近のことである。それまでは、ただひたすらにキャッチアップ過程にあった。ごく普通の大学生やOLが気軽に海外に行けるようになった。これは日本以外の大部分の国々では考えにくい状況である。若者達は就職を強制されず、衣食よりも携帯電話やパソコンなどの情報通信にお金をつかっている。ここ数年顕著となった現象である。日本の多くの若者達は平安時代の貴族のように働かなくても生活できる状況にあるのだ。平成の源氏物語がいくつか誕生しても不思議ではない。

 

その一方で寿命が延び、60歳を過ぎてもまだまだ働く事を望む世代がある。経済的な必要性には迫られていなくとも、である。彼らにはそのライフスタイルが身に染みついているし仕事を通した生き甲斐を求めている。何よりも彼らの子供達の教育費を工面し、養わねばならない場合も多いのだ。

 

工学部は廃止すべきかもしれない。それは時代遅れとなり不幸な人間を量産しているからである。工業社会に最適化された教育システムは、これからの知識社会に対応出来ていない。高度成長を支えた偉大な先輩達により作られた過密なカリキュラム、極端に不均衡な男女比率、時代遅れの教育内容、等々である。卒業してからも国際競争時代の過酷なコスト競争の中で、金融業等と比べて安月給で、スケジュールに追われる製品開発ノルマと、歳をとればリストラが待っている。日本社会で技術系出身者が社長になれる可能性は高くない。

 

ただ理数系に強かった、という理由だけで日本ではこのような数々の人生の不幸に見舞われるのである。人々はかつて3種の神器と呼ばれた工業製品よりも、優れたソフト、サービスにお金をつかう豊かな社会となったのである。

RETURN