研究だもん、若くなくっちゃ

by KAZUHIRO SHIMOURA

May. 1, 2000

 

「研究だもん、若くなくっちゃ」、この言葉は現在山形大学工学部の教授をされている中川清司氏が、山形大学でおこなわれた電子情報通信学会光通信研究会の懇親会で私に答えられた言葉である。中川教授は、NTT横須賀の研究所で光通信部門の研究を指導してこられ、「光増幅器とその応用」という光通信技術に関する先駆的な本も書かれている。ようするに現在の情報化社会を導いた立て役者の一人である。

 

NTTでは、どんなに業績を挙げた研究者でも50歳を越えると会社を出ていくことになるようで、雪深い米沢にある山形大学に単身赴任されたのである。私は気の毒に思えて「大変ですね」と言ったのであるが、その時に返された言葉が先程のものであった。私は潔いと思うと同時に、NTTの研究開発に対する執念は恐ろしいものだと思った。

 

大企業においては、一般に権限を持つのは50歳になってからである。特に電力会社では50歳代の取締役など若手に分類される。一方、米国では40歳代のCEOが大活躍している。この年齢差が最近の情報化に伴う激動期において日米の柔軟性やスピード、パフォーマンスの差として現れていることは否定できない事実である。

 

現在の大企業の年功序列、定年制、さらに初任給の一律賃金などは、情報時代の組織を考えた場合、まったく時代遅れのものとなっている。実際、歳を経て決裁権限や議決権を得た時には、下から上がってくる資料に印を押すことしかできない。したがって過大な裏付け資料を下へ要求することとなり、組織全体が資料作成に追われることになるのである。

 

先日娘の雛飾りを並べていて思ったのであるが、日本もかつては年功序列では無かったし、定年制でも無かった。トップに座っている、お内裏様とお雛様は老人ではないし、その下に並んでいる右大臣、左大臣、5人囃子なども老若とりまぜて、それぞれの役割を果たしている。これは一つの組織のあり方を示しているように思う。

 

世界に伍してやっていくには日本でも、もっと若手が活躍する必要がある。歳を取ると人間というのはどうしても保守的になってしまうようであるから。

 

http://www.ohmsha.co.jp/data/books/contents/4-274-03392-9.htm

 

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