競争と協調の論理(外形標準課税について)

by  KAZUHIRO SHIMOURA

Feb. 27, 2000

 

東京都の石原知事が、都市銀行に外形標準課税を適用するという話が議論を呼んでいる。政府や自治体の機能とは、突き詰めればその構成員からお金を集めて、適切な場所に再配分するシステムと言えるから、そこに構成員の意志や価値観を正確に反映させる事こそが民主主義の根幹であると言える。お金の流れが社会の形を規定しているのである。

 

我々の社会には、競争にさらされる仕事とそうでない仕事がある。前者の代表は製造業や小売店であり、後者の代表が公務員や銀行員であった。後者の業務は社会を維持するのに不可欠である場合が多く、その従事者には安定性と引き替えに公僕としての規律が要求される。最近の社会問題はこの規律が崩れつつあることに起因している。

 

人間というのは、他人より少しでも優れていると思いこみたいものである。特に孤立した組織内では、そのようなエリート意識が伝染病のように醸成されやすい。過酷な残業など続けば洗脳はいっそう加速される。結果、大蔵省や日銀、都市銀行はエリート化し、世間一般から遊離した価値観と年収を持つに至った。従業員やその家族までもが特権意識を持つようになったのである。

 

本来、非競争的職種は構成員の総意によって安定性を保証されているわけであるから、報酬について透明である事は当然として、起業家精神を維持するには、社会の大部分を占める競争的職種の期待報酬額よりも高くなることは間違っている。 これが金融システム保護という政府の後ろ盾のもとに曖昧にされてきた事が、勤労モラルを破壊し、起業家精神を衰退させ、景気低迷、経済活動の非効率化、ひいては社会の閉塞感をもたらす元凶となってきた。

 

非競争的職種では利益よりも効率的な業務処理が求められるから、利益をベースとする税制には馴染まない。電力、ガス、保険など公益性の高い業種は既に外形標準課税となっている。一方、社会維持に不可欠の業務であるから税金を支払う必要はない、という考え方もある。その場合は公務員と同じ倫理規定と報酬が適用されることになるだろう。特権階級でもない限り、身分と報酬の両方を保障する訳にはいかないのである。

 

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