子供を持って考える事

Feb. 7, 2000
By K. Shimoura

子供を持って考える事は、彼らのために何をしてやれるか?という事である。私が不本意に苦しめられた事などはできれば、彼らには味合わせたく無い。その不幸が現在の社会システムによるものであるなら、それを変える努力をする事は私の義務である。私の場合、不幸の源泉は組織や経済システムに関することであり、情報技術により状況は改善し得ると信じている。本当に学びたいことを学び、有意義な仕事を成し遂げ、よい友人や伴侶にめぐり合える社会が私の望みである。これらの点で現在のシステムには改良の余地があると思っている。

彼らは化石燃料の高騰、枯渇問題に直面するだろう。それは近い将来、悲劇を伴ってやってくるに違い無い。破局を乗り越えて新しい文明を築く可能性は技術開発にしかない。電力に立脚した都市文明を築く必要がある。現状では特に輸送や農業生産などの点で余りに液体燃料に依存しており、枯渇問題に対応できていない。原子力船も復活させる必要がある。ただ将来、人類がインターネットを手放す可能性は低いのではないか?我々の子供達は、もっと慎ましやかな生活をおくる事になるかも知れないし、場合によっては身分制度が復活する可能性さえある。

人類はその人生における限られた持ち時間を、より有意義に使おうとするだろう。無意味な資料作成に神経をすり減らすことは止めるべきである。生活の糧さえ得られるなら、あとは神への祈りなり、家族や社会への奉仕なり、意義ある創造的活動なりに時間を使うべきである。社内的な地位より、社会的な貢献を求めるべきである。各自の身の回りを整えることから社会は改善されていくはずである。

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