OPEN SOCIETY

by KAZUHIRO SHIMOURA
Aug. 18, 1998 original text
Aug. 22, 1998 last revised

 最近、SOHOと称して自宅のパソコンをインターネットにつないで仕事をする人が増えている。ホームページ制作、デザイナー、翻訳家など、クリエイティブかつ締め切りに追われる仕事が多く、神経を使う割に収入は安定しない。そもそもインターネットを金儲けに使う、という考え方が間違っているのである。ビル・ゲイツはこの点を認識していないと思う。

 もちろん、パソコンやインターネットを自由に使いこなしたい、という需要はあらゆる世代に渡って強く、そこに巨大なビジネスチャンスのあることも事実である。しかし人々がパソコンを学ぶ目的は仕事よりもそれを使って人生を拡げようとする点にあるのだ。

 この世の全ての始まりは人と人との出会いから生ずる。そしてインターネットは出会いの可能性を大幅に広げる機能を持っている。インターネットを出会いのインフラとして整備し、最大限機能させる事こそ21世紀の技術者に課せられたの最も重要かつ崇高な仕事である。

 現代社会において、かつて人々の間にあった絆は断ち切られた。サラリーマン中心の社会においては、会社との絆さえ確かであれば一応生きていける。しかし会社は資本主義競争の中にあり、決して将来にわたり家族を含めた生活全般、精神的豊かさを支え得るものでは無い。

 孤立化社会の弊害はあらゆる世代、場所に現れてきている。小学校の学級崩壊、青少年非行、未婚率の増加、少子化、高齢者介護の問題、等々である。さらに環境問題や最近の金融危機なども、企業、業界の孤立化に起因するものであろう。そして孤立化した社会の脆さは、災害などの緊急時や時代の変化とともに露呈する。

 問題解決には社会の絆を回復せねばならない。それには社会の全体構造を知らなければならない。我々の社会がどのように成り立っているのか、誰が我々の生活を支えているのか、それを知ることこそ教育の本質である。それによって初めて問題の本質を直視し、解決にむけて歩き出すことができるのだ。

 この世のほとんどの非効率、不正義、モラル低下、等々は閉ざされた空間で生じる事が多い。ある特殊な価値観が空間を支配し、思考の停止が生ずるのだ。ナチスやソ連の虐殺も、会社における過労死も、小学校のいじめも、すべてこのような状況で生じている。すべてをオープンにしようとする時、果たして我々の社会は成立し得ないのだろうか?

 ある意味でこれは村社会の復活でもある。外部の目によって自らを規制するのであるから。しかし地球規模での村社会(Global Village)が成立する時、それは新たな可能性をもたらす。インターネットを介して、研究者、学生、主婦、NGO等、草の根的ネットワークは着実に育ってきている。我々は個人としても組織としても孤立化しては生きられないのだから、この技術をうまく使いこなそうではないか。

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