• (02/07/31)久保裕子さん・ガラス工芸
     〜山口県、柳井市在住のkさんからのメイルの要点を無断掲載する〜


     東京で開かれる、久保裕子さんのガラス器展示会のご案内をさせていただきます。彼女のおじいちゃんは山口県大島郡東和町の生まれで、裕子ちゃんは東京大田区に生まれで、武蔵野美術大学を出て、今は、富山にある県立芸術学校で、ガラスの勉強をしている工芸作家です。
     わたしは裕子ちゃんが中学生のころから知っているのですが、とてもセンスがよくて、やさしくて、温かみのある作品を作ります。わたしも手元にタンブラーをふたつばかり持っているのですが、毎日使っています。使えば使うほどに味があって、手にすっぽりとおさまる、スグレモノです。家宝にしています。

     その彼女が8月6日から11日まで、東京青山で、はじめての個展を開くことになりました。わたしは遠くて行けないのですが、東京在住の皆様には、機会があったら、是非訪ねてほしく、メールいたした次第です。


  • 場所は、渋谷区神宮前5−46−13
  • ツインエスビル(旧ミズマギャラリー)
  • 「GALLERYES」
  • TEL 03−3407−1234
    (最寄の駅は、地下鉄の表参道です。B2の出口から徒歩7分。スーパー紀伊国屋のならびに「無印良品」があるのですが、その角を入って、しばらく行った右手です)
  • 8月6日(火)〜11日(日)
  • 11:00〜19:00まで。(最終日は18:00)

    裕子さんの作品は、きっと、みなさんの心を豊かにすることでしょう。

  • (02/07/24)車山・霧ヶ峰高原・ニッコウキスゲ満開

     月曜日、盛りを過ぎたのではなかろうかと思っていた、ニッコウキスゲを見にいったが、まだ満開の状態が続いており、大勢の見物客で賑わっていた。夏休みということと、ビーナスラインがタダになったということで、去年の同時期に比べて人が多い気がする。
     今年は、もう一週間は花見が楽しめだろうと思う。
     駐車場は満杯となるから、早朝から動くことが肝要である
     
    【蓼科・縄文文化人】

    (02/07/24)長野知事選・頑張れ田中康夫

     長野在の縄文文化人として、一言ダムに関して申し上げたい。
    新聞などでよく目にする建設予定のダムに加えて、北八つの麓、蓼科にもダムは予定されて、すでに工事は始まり、湯の道街道、側の河沿いに山を削り、土肌を露出させている現場が目撃できた。田中氏が知事となる前、工事も盛んで、ダンプが道路を煩雑に行き来していたものである。
     そのダンプのための工事用専用道路が新設されていた。道路の要所には、『この道路は、ダム工事専用です・建設所』と書かれた看板が立ち、交通標識といったものは一切立てられていなかった。さらに看板には『この道路での事故は一切責任を持ちません』とお上の通達が加えられておるのであるから、私はお上、長野県の見識を疑い底意地の悪さを感じた。ここまで、下々を馬鹿にしている県は無いぞと思ったのである。
     この道は湯の道街道と平行して田圃の中を走り、眼前に北八つの連山が展開するので、車は山に突っ込むような感覚で走る、絶好のドライブラインとなっている。その絶景の中で、いつも、お上の「本来、お前らごときが走る道ではないんだぞ」という声が聞こえていたので、“楽しさも中ぐらいなり、おらが里”といった気分だった。そもそも、この道路を作るだけでいくら費用がかかっているのだ。
     それが、田中知事が当選して、脱ダム宣言。この道路の標識に変化が生じた。看板から、生きるも死ぬもお前らの勝手だよというお上の宣言が消されたのである。私は豹変するお上の姿勢に驚かされたものである。まさにこの地はダム様々だったのである。
     そうこう書いて二三日たち、その道路を走ってみると、田中知事が失職したのと同じタイミングでチープを貼ることによって隠されていた、不穏当な文句が剥がれ表れ始めていた。これは建設所が自然に見せかけて衣の下の鎧をちらりちらりと見せようとしているのかも知れない、底意地ますます悪い。
     テレビでは長野地域放送で、失職一週間の動きというのをまとめてやっていたけれども、この県の議員どもの程度の低さには呆れる。県人の皆様に長野県の顔を人を選んで欲しい、その人を応援するとほざく。呆れはててしまう。
    【蓼科・縄文文化人】

  •  (02/07/15)L.A通信・開設

     ロスアンジェルスでの日々の暮らしで、
     気づいたことを細かに考察する単身赴任青年の報告開始。
     スーパーでの買い物
     野茂体験など
     ※リンクのロス通信からどうぞ

    (02/06/03)うなぎ・岡谷・『水門』

     諏訪市出身の考古学者、藤森栄一さんの本『古道』を読んでいると、幼少のころ諏訪には松本ぶりと呼ばれる塩ぶりを行商人が運び、彼のお婆さんは発酵の進んだそれを食味し、買う買わないを決めたそうで、同じものを松本では飛騨ぶり、飛騨では富山ぶり、富山では氷見ぶりと呼んでいたという。昔、鮮魚なるものはすべて淡水魚であったということで、車で在来の走っていると川魚の店をよく見る。先日は店の水槽に金魚を泳がせているのを見かけ、金魚を食べるとは悪い趣味だなと考えたが、これは観賞用に売っているのだろう。
     茅野については知らないが、諏訪湖のほとり諏訪市、岡谷市などはうなぎの町、うなぎのウマイ町とされているのだそうだ。諏訪湖畔では食したこと過去2回あるが、うなるほどのものではなかった。
     http://www.bol.ucla.edu/~tky/ところが、過日八ヶ岳南麓でイランのカーペットを奇天烈な店で買ったおり、その店は本来ギャラリーであるが、経営者がイランに赴き大量のカーペットを買い付け、木と木に渡したロープに何点も展示し、倉庫の中に無造作に積み上げて展示して气wーべーあたり5万円で売るという、まさに通りすがりの客狙いといった趣がある変な店である。そこの店員の娯楽の一つの食べ歩きとして、岡谷にうなぎ・『水門』なる店のあることを知り、心はやったのであるが、ゴールデンウイーク盛りのことであり、混雑と渋滞が予感され、時を置いて遠征しようということとあいなった。
     諏訪盆地が静寂を取り戻した頃、時が参った次第である。その店は諏訪湖の北、釜口水門・岡谷南高の近くにある。十分な駐車場を持ち、土曜日11時開店と同時に先客があって、私どもに遅れて2、3の家族連れが現れたので結構名の知られた店であることが了解できる。店は新築されて間もなく、老舗の黒光りするどっしりとした雰囲気とは正反対だが、明るくて清潔感があり、店員それぞれ、てきぱきとしていて感じが良い。
     鰻重、極上・3500、特上・2500。他に安い鰻丼もあるが、極と特が狙い目で、特で十分の食べ応えがあると聞かされていたから、2500円を頼んで、大振り急須一杯のほうじ茶を啜りながら待つのである。先客の男の二人組は黒い陶器の鰻丼を食べておった。話からすると高校野球を観に行ったのだが悪天候で中止で帰ってきたそうだ。地元の高校の先生と推察する。
     程良いところで鰻重が運ばれて来たのだが、重箱のたけが高い。以前食べた上諏訪の鰻重はうなぎが二重になっておった。つまりご飯に中にもうなぎが眠っておったので、満足感はあったけれども、今回もそれかと思ったのだが、違った。重箱が二段になっており、上の段には蒲焼きが二切れ、下にはご飯の上に二切れ乗っていたのである。うなぎまるまる一匹分が出されたということになる。
     食べる順番は如何になっておるのか、作法はどのようにすればよろしいのか。そこはたかがうなぎのことであるから、だれも文句は言わないだろうと、鰻重からつつくことにする。重厚なうなぎが黒光りしておる。キリッとしていてダラリ・ノンベリとしていないところが普段の奴とは違うところだ。箸で切ろうとしても切れない。歯で食いちぎるしかないのである。この店は関西風だそうだ、蒸さずそのまま焼くのだ。うなぎを食する文化の中心点・諏訪地方にあって関西風・関東風と称することは無意味だあろうと思えるが、大勢に従い、関西風と了解することにしよう。
     これがウマイ。肉厚のうなぎを噛んだとき、焦げ目から備長炭の臭いがジワリと口中に立ち上がり、甘さと拮抗する山椒が全体のうまみを倍加する。箸でちぎれないうなぎとご飯をどうやって同時に食べたのか今仔細には説明出来ない、普段の関東とは違う食べ方をしておったということであろう、次回は、己を観察することにしたい。塩気の強い肝吸いが、うなぎのたれの甘さとの強いコントラストを果たし、添え物的役割から、確実に引き立て役を果たしているところに店独自のポリシーを感じさせる。
     別皿の蒲焼きまで箸をつけなくても十分満足なのだが、せっかくなので無理して食べていると。隣りの家族連れのオジサンが店員からパックをもらい、テークアウト用に詰めているのを観て私も追従する。「車では、陽のあたるところには置かないで下さい」ということであったが、車内に忘れていたのを、次の朝食べると、美味さはさして変わらないところが凄い。腐ってもタイなのである。
     この店、時間によっては座れないこともあるといい、平日は1時を過ぎた頃、休日は12時までに来店すると、余裕を持って食すことが出来るとのことだった。
     ところで、座敷に座った家族が、鰻重にたれかけないでと言っていた。店員は平然としていたが、これには私は驚いた。長老の婆さんとその孫らしき二人そう頼むのである。人の趣味嗜好は何でもありといえども、ちょっと頭をひねらざるをえない。それと、勘定を済ませて店の外から見えたうなぎを焼くアンチャンが異様に若い。これにも頭をひねった。
     【蓼科・縄文文化人】

    (02/05/10)平山郁夫・特別展(〜5月26日) 

    4月28日、しまなみ海道を走る
    尾道で山陽道を下りて、橋を渡り、今治へ着いたと同時に引き返す、道中の景色は靄がかかり遠望がきかず、絶景とまではいかないが、空を飛んでいるような感覚は異常な体験である。生口島で時計回りで瀬戸田へと向かう。
     耕三寺と平山郁夫美術館見学が目的。大形連休の前半とあって、駐車場確保に手こずるがベルカントホールの前に止めて、耕三寺から参拝。一個人が時間を金をかけて作った寺だが、聖地としての要素に決定的に欠けるところがあってつまらない。入場量は1000円。
     平山郁夫美術館はここに来て始めて、5周年記念として特別展を開催していることを知った。私は平山郁夫という人の作品はスケッチ程度でしか見たことがなかった。ところがこの展覧会にはよその美術館から運ばれた作品も含め渾身の力を込めた大作が並べてあった。壁面に三つも四つも並べられた作品を離れたところから同時に眺めると、これが圧巻である。その感動というものが瞬時にわき起こるから、美術の力というものはすごいものだなと実感できたことが収穫であり、同行した父母が来て良かったと何度も言ったことで親孝行ができたことが嬉しい。900円の入場料。
     耕三寺と平山郁夫美術館は宗教という根底を同じくするものだが、俗と聖とのコントラストが激しい。私は平山郁夫美術館で心が洗われた。なお、客引きオバサンの勧めで昼ご飯を食べた食堂での、たこ飯1200円の水準の悪さには呆れる。たこをご飯に混ぜただけの醤油飯。母の頼んだたこテンプラは練り物にたこの断片を混ぜて揚げただけのものであった。観光瀬戸田が泣く。高くてまずくても通るといった時代じゃないだろう。気分を害した。まじめに調理を研究しないと神罰があたると言いたい。
     
    【淡々通信編集長】

  • (02/05/01)屋久島便り “無許可掲載”

    屋久杉自然館・館長の日下田さんからいただいたメイルを掲載する。

    ▲▲▲ 屋久島は雨の連休入りです。
    今日は山や森を訪ねることあきらめた方も多いようです。
    それでも、雨に濡れる照葉樹林の新緑が迫力ある程に見事です。

    お知らせです。
    山と渓谷社から「屋久島 自然観察ガイド」(\900)を刊行しました。
    そろそろ、書店に出ている頃です。
    きれいで、楽しげな本を心がけました。
    ちょっと覗いていただければと思います。
    屋久島に行ってみたい気持ちになってもらえたら大成功です。
    よろしくお願いいたします。

    2002 4/28日下田 紀三  

    屋久町立屋久杉自然館 
    891-4311 鹿児島県熊毛郡屋久町安房2739-343 
    tel 09974-6-3113 fax 09974-6-3168 
    屋久杉自然館 yakumuse@airos.ocn.ne.jp 
    http://www5.ocn.ne.jp/~yakumuse/
    【淡々通信編集長】

  • (02/04/12)桜がこない “無許可掲載”
     
    桜前線とともに北上の旅を続けていた友から。最近届いたメイルを無断で掲載する。55歳にしてご隠居といううらやましい境遇である。

    ★★ 桜は仙台から一週間以上が過ぎてもなかなか北上しません。東北でも仙台のみが非常に早く、ここもヒートアイランドの影響ではないでしょうか。四日滞在しましたが、後三日は待たねばということと女房のお袋が入院したので帰路につくこととしました。
     温泉と言えば、旅につきものですが、どうも納得がいかない。東北北海道では300−500円で入浴できます。銭湯は水と燃料を自前で購入して300円程度で頑張っているにもかかわらず・・・この価格なのです。このあたりでは500円の入浴料だと極端に客足が落ちるようです。ところが、首都圏の日帰り圏内は最低が500円、1000円も常態化しています。一方で地域交流施設として公営の日帰り入浴施設が続々と建設されています。こちらは割安価格と設備が新しいことから常に満員という盛況振りです。さらにトラック対象の全国チェーンスタンドは大部分が風呂付となっています。こちらは満タンにすれば無料ですから温泉旅館がこのような値段をつければ、脱落するのではないでしょうか゜。バブル後既に四割の温泉旅館が廃業しているのですから。【自遊人】

  • (02/04/16)高遠の桜 
     
    13日の土曜日高遠に桜を観に行く。人出と駐車場の混乱を予測し、朝明けて、日の出とともに茅野の山腹を出発。道中『高遠の桜散り始め』という看板を見る。目的地近く、高遠城こちらという矢印で左折して、臨時駐車場に入る。ここは中学校の校庭。先生生徒が誘導し無料。ここより上の駐車場はすでに一杯になっているだろうと言われて車を止めて、ダラダラ坂を歩いて城山を登る。民家の庭先や、土手に水仙が咲いているのが印象的。
     高遠城に着く。公園の入場料は500円である。それが高いか安いかは自由だ。予想に反して大勢の人が公園内を行き来している。1日が始まったばかりというのに、随分な人間達だ。シートを広げ、ビール一升瓶でもう調子をあげている人たちがおり、おにぎりをほおばるお婆さんがいるが、ちょうど朝ご飯をしているのであろう。
     城跡一面に植えられた桜から花びらが散る。見事な光景である。公園内は一枚の券で出入り自由であり、近くの美術館も歴史館も入場可となっている。その道すがらに、土産物、特産品の出店が出て、年に一度の商戦を繰り広げている。先日、明野村の産直店で買ったシュン欄一鉢200円だったがここでは600円、3倍の値をつけるとはあんまりじゃ。同行者は縁日の社会学的分析をひけらかそうとしていた。説教したがるのが悪い癖だ。
     歴史館では武田家と城との関係が分かり、出て、芝居を見て罪に問われた江戸時代の大奥の何とかという女性が幽閉されていたという瀟洒な家を見る。冬は寒いだろうなと口に出したら、よそのオジサンもそのように言っているのが聞こえる。おいら考えることが平凡で情けない。出て公園口に戻り、写真を一枚とって中学校に下る。着いた時には無かったけれども、PTAがしつらえた出店では動員された中学生が漬け物、イナゴの佃煮などが並べて売り、お母さんたちが無料で桜茶を振る舞っていたので2杯もいただいた。町総ぐるみで花見客を整理し、且つもてなす体制を作っているとみた。
     帰り道、石焼きパンという看板があったので、立ち寄り、茅野を目指してもと来た道を走ると何台もの観光バスとすれ違った。本日の高遠城はこれからますます人だらけとなり、歩くすき間もなくなることだろう。500円×何人でいくらの金が町に落ちるのか知りたい。【蓼科・縄文文化人】

  • (02/04/08)桜前線・花巻 “無許可掲載”
     
    友人が広島から桜前線とともに北上の旅を続けている。最近届いたメイルを無断で掲載する。この御仁は自動車会社を早期退職。55歳にしてご隠居といううらやましい境遇である。

    ★ 三陸から北上盆地に入ったものですから、花巻の温泉に投宿して北上を待っています。まだ五日程度かかりますから、山菜摘みや川魚の釣りパソコンをしたり書き物をして過ごしています。ここは湯治湯で時間にまかせて自炊をしています。同じ自炊といえば、オートキャンプもありますが、それと比べると大きな違いがあります。雨風に強く面倒なテントの設営と撤収がありません。電気があるので、テレビ、暖房、冷蔵庫など電化製品も使えます。温泉はもちろん無料です。これほど快適なのに今回の宿泊料は1600円でオートキャンプの4−5000円と比べれば雲泥の差があります。日本人は古来伝統の素晴らしい湯治湯を捨ててオートキャンプに走りましたが、バブル後その経営は大きな岐路を迎えています。夏の北海道は無料の海岸がテントで一杯になります。この素晴らしい湯治湯が見直されてもいい時期ではないかと思っています。また桜便りを送ります。【自遊人】

  • (02/04/09)柳井市の劇団関連・メイルより掲載
      お願いがあってメールしました。
    伊陸の「ikachi国際舞台芸術実行委員会」というのがあって、そこから例の演劇等が発進されてきたのですが、今回その主催で日本カナダ打樂ダンスプロジェクトという企画があって、トロント、モントリオール、東京、そして伊陸と開催されます。
     その東京公演の宣伝を、同窓会の仲間に送信してほしいのです。内容は現代ダンスとインドやカナダ、アイルランドの打楽器、それに日本の笙も加わって、開場では特性パオ型テントで遊牧民になった気分でなされるそうです。ちなみに伊陸では神社の境内で行われます。トロントでは教会で行われたそうです。ユニークな企画なので、一見の価値がありそう。

    日時は5月5日(日)が19:00、6日(祝)が17:00開演です。
    開場は天王洲のスフィアメックス品川区東品川2−2−8
    (03−5460−8511)
    前売り2800円、当日3000円です。
    チケットはCNプレイガイ  
    03−5802−9999KENオフィス/
    けんもつ  03−3480−4458、090−9979−3251
    問い合わせ先DANCE-LABO KARADAKARATel/Fax03-3819-7019
    携帯090−6027−7948
    メイル arai-lab@d5.dion.ne.jpURL http://www.h3.dion.ne.jp〜hideo-a/
    【柳井市在住・jさん】

  • (02/04/08)清春の桜
      山里の桜も今年は早い。清春美術館を囲む桜の大木は先週土曜日(4/06)満開を迎えた。普段は美術館900円の入館料だが、この日は入園料も含めて1000円だった。それが安いか高いか。私は桜の大木ごしに南アルプスを存分に眺めて満足した。桜の暖気と山の冷気が混在する不思議な景色だった。美術館には入らなかったけれどももったいないとは決して思わなかった。また来れば良いことと二度と体験できないことがある。この日は『冬青庵』というところで昼食を食べた。近くに有名な蕎麦の『翁』がある。すぐ下には趣味のいい器、織物を集めた『ブラリ』がある。立ち寄ることをお忘れなく。【蓼科・縄文文化人】

  • (02/03/13)柳井の芝居・『蛇口』の朗読02/03/05
      『豪勢堂』という小劇場で活躍しているアーティストたちのユニットが企画した柳井市・伊陸の『劇団ポップシアター・ヤー』の作家・自由下僕さんが書いた柳井弁を使った芝居『蛇口』のリーディングを見てきた。神楽坂の古びた町の中の『ディ プラッツ』という小さな劇場に東京の俳優さんの語る柳井ことばが流れる不思議。桜岡あつこさんが母、白神直子さんが娘、ト書きを読む役が堀江光さん。俳優は座ったままだから、状況を伝えるためにはト書きも読み上げるということになる。演出は長谷基弘さんである。
     落ち着いて、戯曲の節々が強調されながら進んで行く。ト書きが語られるのでそう感じられるのだろうが、芝居が演出者によって綿密に分析されて観客に提出されているのが特に感じられた。結果、静かで落ち着いた雰囲気に仕上がる。それはそれで楽しめたし、『蛇口』を取り上げるという意表をついた企画に対して敬意を払いたい。
     ただ、かの地方に生まれ育ち、その風土と人間を知っている者が感じることとしては、山口、特に周東地方で感じる、人をおちょくった物言いと、自虐的な雰囲気を存分に込めた対話を戯曲にしのばせることに欠けていたと思う。強い日差しの中をざらざらの花崗岩の砂ぼこりが漂う瀬戸内の一画で深くものを考えようとしない人間たちがいるということを思い出させてくれることが私にとってこの芝居の良さなのだが、(劇作家協会の選評で横内徹は、人は皆冠婚葬祭の準備のために生きている。そこを描いたこの劇は傑作だと語ったけれども、へーそういう見方があるのかと思ったが賛同できない)今回は全国の演劇人共通に考えられるやりとりに還元されているような気がする。おとなしく理性的な劇として終始したのではないだろうか。この芝居の個性を光らせるためには、理屈に沿って分析した感情の流れに任せるだけでは十分ではないのだろう。
     舞台を見に来ていた柳井高校同窓生の“I”さんは、「俳優さんがしっかりしていて面白かったよ」言っていた。それは全国区になっていくことを喜ぶ、東京後援会長(私が勝手に命名)の心情なのだろう。【淡々通信編集長】
     

  • (02/03/01-09)時々自動『ライトロジー』
      俳優のスピードと音楽が衝撃的。私は歯がずきずきしているのをこらえてみていたら、しまいにはついに頭の中まで痛みが達した。そこまで圧倒される舞台だったから、頭の調子の良いときにもう一度見にいくことにする。国広和毅はエレキギターや太鼓を叩き、ビルの屋上から飛び降りる演技を繰り返していた。
     と書いた時から日が経ち、楽日の前の9日までに4回も見に行ってしまった。見るたびに印象が違うという訳ではなく、印象は同じなのだが、舞台の層が厚く、見るべきことが多い。演奏見てたらダンスが見えない。セリフ聞いていたら映像が見えない、111人を見ていたら舞台が見えない。視点を目まぐるしく変えなければならないので、その都度新しい発見がある。モンゴルの旅行体験のナレーションの語り手が盲目の人へのインタビューでるということを聞かされたりすると、突然シーンの広がるが出る。梯子を登り中空から遠くを眺めあれが川だの木だのというセリフがジワリと全体を包みそうな感覚が生まれる。格闘技ダンスも終盤冴えてくる。国広和毅のギターも最初は遠慮しながら弾いていたが、終盤は凄みを感じさせるほど吠えに吠えた。
     今年度最高の祝祭的で蕩尽する舞台が、この10日間で跡形も無く消えてしまっていいのだろうか。【淡々通信編集長】

  • (02/03/01)柳井の芝居『蛇口』をリーディングで
      GSD企画というところが、下記の柳井市・伊陸の劇団の作家・自由下僕の『蛇口』を取り上げるという情報を入手。詳しくはこちら↓で調べて、柳井弁の演劇が全国区となるとどう変容するのか興味を持って見ませんか。
    http://www.gosaydo.co.jp/gsdp.htm【淡々通信編集長】

  • (02/02/26)2.26事件の日
     渋谷公会堂の裏手に2.26事件の慰霊像がある。その記念碑の前に黒っぽい背広に身をまとった高齢者の一団、中に和服を着た高齢の女性が1人、が10時半、道路脇に止めた黒い四駆車に備え付けた拡声器の合図で黙祷を始めた。その“昭和維新に殉じた英霊”を追悼する人たちの姿は付近の風景と馴染まない。語り次がれ、歴史に記される事件の兵士を記念する場所が、ほんの道路沿いの一片の地でしかなく、追悼者は歩道上で黙祷することを余儀なくされているのだ。英霊を地霊として祀るための受け口としては貧相なことが寂しい。
    【淡々通信・編集長】

  • (02/02/06)山口県柳井市・伊陸の劇団
     アゴラ劇場「冬のサミット」に参加した、柳井市の劇団「ポップシアター ヤー」の芝居を昨夜見に行った。前作の「蛇口」は全編方言を使った舞台だったが、今回は新鋭・土田英生の書いた脚本を忠実に守った芝居だった。
     前回は山口県の山間部に住む母娘の法事の準備の間の会話のあれこれだった、そこには、ローカル的思考があり、その局所的に成立しているはずの場面場面がシャアシャアと首都圏で発信されることのおかしみを感じた。私はその劇成立の特別なスタイルを確認することができて、ここに観劇しているというスリルを感じたものだが、今回の漫才姉妹のラストライブに至るまでのあれこれの会話は、別に土地に限定した話でもなく、登場人物のキャラクターも鮮明に描かれているわけでもないから、観劇後語るべきことは何もない。
     この劇団には地方で、あくまで、柳井で起きる事件、あるいは人と人との繋がりを一幕、もちろん多幕でも良いのだけれども、劇として見せるまで実力を貯えて欲しいと思う。それでこそこの劇団をヒイキする由縁があるのだと思う。
    【淡々通信・編集長】

  • (01/11/20)山梨・明野村・流星
     19日未明の流星を見に山梨・明野村に行った。明野は日本一日照時間が長いということなのでこの地は関東地方でもとりわけ条件が良いと思ったのと、里に邸宅を構えるHさんのお誘いがあったからでもある。
     宴会の部の夜空は曇り、早々にダウン。2時まで寝て窓外を見ると溢れんばかりの星が輝いていたので騒ぎながら外に出るとすでに次ぎ次ぎに星が流れている。空を見上げること1時間。多いときは1秒間に3つもの星が三方に流れるという豪華なショウが続いた。車から寝袋を出して入り、寝転がって空を眺めるという異常行為をやってみたがなかなかよろしい。観察団の中で最後まで粘ったものである。明るい光芒、暗い光芒様々だったが、こんな大量の流れ星を一気に眺めることは生涯もうないだろう。不意打ちな出会でなく、来るべくして来るものなあ。
     しかし、我が蓼科に比べると明野は暖かい。蓼科で見ていると凍え死にそうになっただろう。標高1000メートルの差は大きい。
    【蓼科・縄文文化人】

    (01/10/09)紅葉・蓼科
     白駒池は紅葉のまっただ中にある。ツツジ・ハゼ・ツタが色づき、白樺の葉が黄色のなりかけている。ボートで水面から水に映る葉を眺めるのが良い。30分で700円である。駐車場は満車となるから朝早くから行動を起こすこと。山での暮らしは早起きは3紋の得を私は実践している。
     一方、奥蓼科への湯道街道は、ヘリポートの上の山が見頃となり始めた。渋辰野館の前の登山道で八方台に登りながら、紅葉を楽しむのがこの期の効率の良い紅葉観賞だ。湿地帯のススキを眺め、カラ松が金色に変わりつつあるのを見るのも今が最高となった。
     【蓼科・縄文文化人】

  • (01/10/09)紅葉を求めて日本をさすらう
     今年も恒例の落葉広葉樹林の紅葉散策に出かけます。落葉広葉樹林帯は全山が紅葉に染まり、絵にも言われぬ美しさをかもしだします。
     さて落葉広葉樹林はこの地球で北半球の東アジア、北アメリカ東岸、ヨーロッパ西岸の限られた地域にしか存在しません。中でも日本の落葉広葉樹林は「奇跡の森」と呼ばれています。氷河の侵食を受けなかっために、植生が大陸の数倍も豊かなのです。さらに日本は四季の変化(寒暖の差が大きい)が富んでいるために、紅葉がとりわけ美しくなります。英語ではfallという言葉で表現することからも、その事実が推察されます。白神山地が世界遺産に登録された理由はそこにあります。
     海外の旅も素敵ですが、国内にも素晴らしい自然があるのですから、見直してみたいものです。
     しばらく南東北か越後に滞在します。【自遊人】

    注、この方は自動車会社を自主退職後、山口、広島を本拠に悠々自適の生活を実践しているうらやましい人で、春は桜前線とともに北上したが、今回は紅葉前線とともに南下するつもりだとみえる。 【淡々通信編集長】

  • (01/10/02)紅葉情報・鳥・蓼科
     標高1700の世界にあっても紅葉には早いが、ハゼは紅くなり、樹にからまっているツタが色づいて単品観賞には耐える。だがやはり全山紅葉の見頃は十月下旬であると縄文文化人は予報する。
     ところで朝、朝日新聞を買いに下りて、山を登る途中、キジが道を横切り車の前をとことこと走る。これはイカンとブレーキを踏んだが思うように車は止まらない。オスのキジの長いしっぽを右前輪が踏むなと思ったのだが、キジは間一髪脱出し、右側の林の中へと隠れ去り、事なきを得た。この地でキジを見るのは良くあることだが、カラスのように悠然としている態度を見せつけられたのは初めてだ。カラスはぎりぎりの瞬間に飛んで危難を避けるけれども、キジの態度は終いまでさあ殺せといわんばかりのマイペースであったところに違いがある。
     鳥類の生態としては、小鳥は空を飛ぶものとか、枝から枝を渡るものと思っていたが、山の林を歩くと下草の中で餌を探すのか戯れているのかうろうろしている小鳥を良くみる。地上の生き物としての小鳥を見るのは新鮮だ。とにかくここでは、鹿、カモシカ、ウサギの他にも鳥類に気をつけて車を走らせければならないのだ。立て看板を書き換えていただきたい。
     その前日には1800の八方台から降りてくる山の小径でモグラが死んでいるのを発見。連れの縄文女は死を忌み嫌い、顔を空に向けたままモグラを跨いだ。その態度には大いに不満を感じたことである。こんな寒地にも縄文時代に人は住み、今もモグラが生息しているという生の営みには実に頭が下がる。
    【蓼科縄文文化人】

  • (01/10/02)横浜ボートシアターとオノ・ヨーコ
     09/27=ボートシアターの新装鉄鋼艀公演を見てきた。重量級の長時間作品である。宿命としての死と、父と夫の死に対峙する女の心情を描くマハーバーラタの一節である。夫と妻の愛の会話が私には少し長いという気がする、情感を深くしすぎとも言えるのだろうけれども、だがこのような芝居を作れるのは遠藤啄郎しかいない。あの遠藤啄郎は健在であった。チョンドロビラ(見れば分かる)が大変に面白かった。さらに空想的なお話にリアルさを与える衣装がすばらしい。音楽も簡素でたくらみの少ないところが良い。でもそこに不満も感じた(バックグランド音楽だということ)。しかしそこは強調しないことにする。
     会場は簡単にはたどりつけないので注意すること。桜木町からトリュエンナーレ会場の赤レンガ公園をめざして歩く。海側の海上保安庁の施設の傍の埠頭にふねは係留されている。30分前までに行くと良い席で見ることが出来る。最良は2時間くらい前に行きいったん整理券をもらい、付近をぶらぶらすると良い。席は風と音の問題を考えると階段席の前から2番目あたりが良いと思う。
     ごく近くにはオノ・ヨーコの作品・貨物車が展示してある。昨日は観客が少なく、ひっそりとしてあったが、夜になると貨物車に撃たれた銃弾の穴から明かりが外にこぼれ、テープから鳥の鳴き声が流れ、屋根からは一条の光が天を突き刺しているのである。芝居前後(後の方が良い)の特別観賞をお勧めする。 【淡々通信編集長】

  • (01/09/26)ダた・寄り合いの緊張に期待
    明日からのパフォムニバスでダた他は寄り合いの緊張を演奏する。この曲は国籍不明な男がどこかの国を彷徨う感覚が漂っている。一つだけ確かなことは作者は宮本常一が対馬で体験した寄り合いについての文章から啓示を受けているはずなのだが、それがどのように無国籍化されたのか読みとれないところが謎のままで放り出されるそこが面白いと思っている。これは名作でめったに聴ける機会はない。 【淡々通信編集長】

  • (01/09/26)紅葉情報・蓼科
     1846長野県メルヘン街道沿いの白駒池の駐車場の管理人のオジサン(佐久林業組合が経営する・この季節の休日は満車に近い)が語ったところによると、「昨夜は思いもよらない霜が降りて、霜柱も立った。今年の冷え込みは早いかもしれない。寒暖の差によって葉が紅くなるから、こんなに急激に冷えると、紅くなる前に葉を振るってしまうかもしれないけれども、そうでなければ、来週の週末から色づくかもしれないね。去年と一昨年は遅かったけれどもな。今年は早いだろうね」
     奥蓼科の我が縄文住居では、夜はすでに零度を記録する。快晴が続き、星が満天にギラギラと輝く夜は強烈に冷え込むということである。
     余談ながら、蓼科来訪のおりは去年新装なった尖石(とがりいし)縄文博物館に行ってみると良い。国宝・縄文のビーナスもあるし、新たに発見された仮面土偶もあるので、かなり見応えがあるよ。入館したT博士がここは学芸員がしっかりしていると感心していたことから立証される。        【八ヶ岳縄文人】

    (01/09/25)ダた・梅島ライブは演奏としては満足のいくものだったが、せっかくロックをやったのに関わらず観客人数最低だった。もう少し注目を集めても良いはずなのだが。横浜後援会としては期待はずれに終わることが慣れっこになってしまっているが、こんなぬかるみがいつまで続くのだろうかと思うと情けなくなる。心ある人のダた体験を切に願う。しかし、この国の業界は旗振りが重要だから、めげずに応援は続けることにする。
    【ダた・横浜後援会長】

    (01/08/22)ダた・盆コンサート
    爺婆の動員には失敗したのが残念だった。忙しいのか頭が固いのか、奇特な一名を除いて誰も来なかった。伝道師の困難をしみじみと味わっている。しかし、今回の構成はパートがはっきりしていて、持てる形式をすべてを吐き出して見せて、実力は確認できたのがいつのどおりの収穫。   【淡々通信編集部】

  • (01/08/22)アジアの布ー2
    その後【きすげ】でせっせとアジアの布を購入し、それなりに満足していたが、その報告はしないことにする。なぜなら山姥がタイ山岳部に足を運び、少数民族が商品として提出している、彼(女)たちの日常使った布を手にして、罪悪感を感じたと報告したからである。同時に私もこの夏の山小屋読書でポスト・コロニアリズムという言葉を覚えたのも理由にある。   【蓼科縄文文化人】

  • (01/07/18)
    アジアの布ー1
     女神湖と聞くと、どれだけ美しいかと思わせる湖であるが、行ってみるとそこは大きな用水池にしか過ぎない。そこらの高原の別荘地の中心にあるということで、その畔にはレストランや観光客相手の土産物家さんが数十軒並んでいる。そのはずれに『きすげ』がある。アジア家具小物と布とコーヒーの店。夫婦でさして多くない客の相手をしている。この店にやって来たのは、蓼科三井の森に自作の家具を展示している山梨の西さんという工芸作家の仮出店を覗いたおり、椅子にかけてあった布が眼にとまり、聞くと女神湖の布屋から預かっているもので、店主は冬になると、家をたたみラオス奥地に住み込み土地古来の布を漁っている男である。是非行ってみるとよいとイラスト入りの葉書をくれた。それが初夏のころである。山で言えば初春のことだ。
     
     6月中旬、山口・柳井高校の同級生の建築家と蓼科に来て朝はヤマメを釣ろうとして釣れず、昼はレンゲツツジ満開の霧島湿原を歩いて体力を使い果たしたが、それでも、せっかく来たのだからついでだと白樺湖から女神湖へと車を走らせ商店街でこの『きすげ』を見つけた。店主は不細工な男二人を見て、にこりともしなかっし、いらっしゃいも無かった。ごつくて無愛想な男なんだなと思った。

     かくかくしかじか、工芸作家から聞いてやって来た旨を告げると男は急に能弁になった。「ここの冬が寒いからタイ方面に逃げ出すことにしているのですよ。その時にこんな物を買い付けているのですが・・・・」。店にはアジア各国の工芸品、大小の手織の布。ベストなどが並んでいた。建築家は派手なチョッキを試着のおよんで、「良いなあ」と言っていたが、山の神様の許しがないと買い物はできないことになっておるとかなんとか理由をつけて購入には至らなかった。

     店主は「今、カミさんが近所に出かけているから、布の置いてある二階を案内できない。いつお客さんが来るとも限らないから」と残念そうだった。一階の店を一通り眺めただけのワシらはそれだけで分かったつもりになってしまった。その間来た客は二人のオバサンだけで、何も買っては行かなかった。ワシらは、次ぎは山姥連れてくるから、今日はひやかすようで申し訳ないと言って引き揚げた。日の沈みかかる頃であり、道中購入したビールを山小屋で飲みその日は終わった。

     ワシは次の日9時のアズサに乗り、新国立劇場で芝居を見たのだが、山での見聞の重量感に比して芝居の軽佻さ、得ることのできる快感の質的差異は一体なんだと考え続けるオノレ自身の変化に愕然とし、頭が混乱した記憶がある。

     うちの“山姥”を『こすげ』にお連れしたのは、6月下旬のことことである。→以下続く。
    【蓼科縄文文化人】
     

  • (01/06/25)ラグビー
    ロンドンで暮らす男に会った。私の顔を見て「その日焼けは何故だ」と聞く。山歩きでもないし、思い当たる節はラグビー観戦にあるとして、ついでに
    ウエールズ対サントリー戦について聞いてみた。「日本で負けたということは何かイギリスで報道があったの」。それは、秩父の宮で隣りのアベックの男が連れのの女に「こりゃあ、イギリスでは大々的に報道されるよ」と知った風なことを囁いていたので、事実を確かめようとしたのである。答えは、「そんな馬鹿な屈辱的なことはありえないから、無視してますよ。誰も知らないですよ」「第一、本気でやってないでしょう。大したことない人たちが日本に来たんでしょう。観光だとみんな思っているんじゃないのかな。テストマッチでは勝負にならなったじゃないですか。強さがちがうよ」
     そりゃそうだ。
    「だけど、日本だって体格が良くて、必死で訓練した選手を集めて、国を代表して戦わせているのに、どうしてここまで違いが出てくるのですかな」と本来はラグビー協会に聞くべきことを市井の談義にしてしまったのだが馬鹿だが、ロンドンオジサンはこう答えた。「それは、基礎体力が違うからだよ」。これについては、日本人に基礎体力が無いとはっきり言えることではないから納得できない。「イギリス人にとってはラグビーは特別なスポーツなんです。頭の良い人たちがラグビーやることを選んで、必死で訓練するのですよ。尊敬され、英雄となって、社会的に良い位置を占めていますよ。だから頑張る」。
    「貴族的なスポーツということなんですか」
    「貴族的というより」
    「エリートのスポーツということなの」
    「そう言えるかな、サッカーと違って、頭のいい人がラグビーやるのがイギリスなんですよ」。
     頭のいい悪いまでいくと、階級的な話になりそうだが、これは、ラグビーというスポーツが受け入れられる土俵の違いを言っているだけではないのだろうか。日本だってラグビーが人気スポーツになれば、選手も出てくる、強くなる。ただそれだけのことで、ラグビーを愛する国とそうでない国とにはおのずと差があるというだけの話だと思う。
     以上は、市井の談義にしか過ぎない。
     しかし、日本の国技が相撲と巨人いうのはちょとおかしいなあ。
    【ラグビーファン】


     
  • (01/06/21)霧島湿原
     霧島湿原は今レンゲツツジの花が満開である。車山肩に車を止めて散歩コースに入り花を見ながら歩く、時に霧が走って遠望がきかなくなるが、白く分厚い大気が肺を洗浄してくれるようで気持ちが良い。赤い花弁のツツジを手前に、遠くの草原に一本の木がひっそりと立っているのを眺める。それは贅沢なものだが、その贅沢を満喫しているのは中高年のハイカーだけで、若年層にはただ1人として出会わなかった。歳を取らないと山歩きの趣味は生まれないのか、暇ができないのか、ワラビを摘もうとも、山ウドを捕ろうとも思わないのか。八島湿原に出て、坂を登って歩き始めた場所に帰ると3時間も経っていた。きつかったけれども、去年見たニッコウキスゲが開花する時にはまた歩くことにしよう。
     次ぎの日は新国立劇場の野田秀樹「贋作・桜の森の満開の下」を観に行った。アプローチも入り口から劇場への長い通路も歩きごたえがなく宙を舞っているようだった。満席だが、中高年層は五指にも満たない。若オジンオバンの世界だった。山人との落差が大きい、この空気は吸えないと身と肺を縮めて開演を待った。こちらは最後に桜の花びらが盛大に降り、主人公が鬼を刺し殺して終わった。鬼どもが桜の森の下を行進して行く。劇は面白かった。
     だが、私は、すでに舞台の光景、そこで展開することを注視するより、草原に立つ一本の木を見て感動するような山爺になってしまっているような気がする。
    【蓼科・縄文文化人】

  •  (01/03/20)
     淡々通信主宰が書いた本、「
    主婦とジェンダー〜現代的主婦像の解明と展望」尚学社より出版。“主婦と呼ばれ、自らをそう規定せざるを余儀なくされることによる閉塞感をどうすれば払拭できるか”主宰はテレビ番組の制作過程、神奈川ネット運動などの参与観察を通して、微細な考察、分析を行い、このほどその成果を発表した。・・・キレイな装丁だという評が飛び込んで来たが、内容に関しての評はまだない。定価税込み5238円。淡々通信社でも取り扱いを開始。購買希望者は連絡されたい。                     
    【淡々通信編集長】

  • (01/05/24)
    最近は山口県柳井高校の同窓会の準備のために、同学年がよく集まる。そこで上関原発が話題となる。柳井高校の生徒の実家はほとんどが原発危険地域にある。過日、国から建設を認められた上関原発だが、上関町出身の同学年の発言は思ったほど激しくない、人情話になってしまうので、非常に拍子抜けをする。Sさんはこう語る。「私は反対ですが、親戚がゼネコン関係で、この田舎で生き延びていくためにはそれしかない。東京に出ていていい生活しておる者が勝手なことを言ってはいけないと言われる。それに対して何を言うこともできない。言えばケンカになりそうだし」。Kさんは「祝島に帰ると、議員をしている兄は推進派、家を反対派に取り囲まれることもあるし、反対派の姉の家を訪ねるには、夜暗くなって行かなければならない。それほどまでに対立は激しいのだが」と言う。上関町出身都市生活者の二人とも賛成、反対を明言しない。土地の人たちの雰囲気を語るだけなのが、灯の消えた田舎暮らしを感じさせて、悲しい。近所の市町村出身の男女はあんなものを作らせるのは馬鹿だ。絶対反対と吠えるだけ、吠える。この構図も悲しい。そうこうしているうちに賛成した父母の世代が死んでいくことも悲しい。サザンセト(瀬戸の南という意味)の暮らしは悲しいことだらけである。


  • 【淡々通信編集長】(01/05/13)
     アトリオスイミングスクールに通ってはや2年半になろうとしている。この間エグザス、セントラルのプールでも泳いで、車で15分の横浜国際プールでもしばしば泳いだけれど、先週の平日に行った横浜国際プールは数えるほどしか人がいないで、50メートルのコースを1人で占拠し、悠然と泳ぐことを楽しめた。ただ底が移動式になっていて、浅くしてあることが快感指数を下げる。
     飛び込みプールもスイムコース同様に開放してあるので、ここで泳いでみたが、えも言われぬ快感を得た。水深が深く、透明度の高い水で、向こうの壁まで間近に見える。すぐに手が届くかと思えるほどに近い感じがする。海と違い、一掻き、一蹴りで水中どこまでも潜って行けそうな気がする。水底には自分の蔭がキレイに移る。泳いでいるうちに水の精霊になったのではないかと思えてきたほどに気持ちまでも浄化される。水の行の道場としても機能する。こんな風にプールに感心したことは初めてで、とても、横浜市が作ったものとは思えないのである。。
     このプールは700円で公営プールとしては高いと悪評だが、とんでもない。なんとも、良い気分にさせてくれる設備であり、劇場でいえば新国立劇場以上である。大舞台は踏んでみるものだ。快感は3日経っても冷めることがない。
     滝壺で泳ぐとこんな気持ちになるのだろうか。この夏はそれを試してみることにしたい。 【アトリオスイミングスクール生徒】

  • (01/05/03)
     山は大雪。気象情報は東京を中心とした関東地方は低気圧が通過中で気温が低くて雨、山間部は雪。その山間部に蓼科一帯も含まれているらしい。
     北八ヶ岳1700メートルの山小屋で朝、目を覚した5時過ぎには、ぼたぼたと雪が降っていた。降り止む気配は全くない。山間部は雪と一言で片づけないでもう少し詳しい予報を教えて欲しいものだと思っている間にすでに20センチ以上の積雪となった。車のタイヤはノーマル、このままでは里へ下るのは難しいのではないだろうか。県道までの200メートルの私道をどう乗り切るかが問題だと考えながら、他に困ることは起きないだろうかと考える。水道のヒーターを入れてないから、水が凍ってしまっているということはないだろうか。石油の備蓄は大丈夫か。雪の重みでしなっている木は折れないだろうか。やっぱり、一番の問題はタイヤだ。昨日、保科館の若女将は「佐久では昨日は雪だったそうですよ。ここでは連休まではスタッドレスが必要なんですよ」あれを冗談だと思い、笑ったことへの天罰がこれだ。山間部の気象は平地人の常識を超えている。ま、最悪は車を置いてバスで茅野駅に下ればよろしいと考えてお茶を飲みながら、降る雪を眺めていると、メリメリと音がする。何事かと見れば、雪の重みでしなっていた赤松が折れて先の方は電線に引っかかり本体が天に戻ろうとしているところだった。ぶら下がった松の枝は想像するに100キロ以上。人間二人が電線にぶら下がったことになる。とんでもないお荷物をぶら下げて、電線どうしがくっついて弓を引き絞ったようになって、揺れている。電線が切れるのは時間の問題だと思える。切れると私の居る小屋の電気はどうなるのだろう。
     電気は県道から直角に引かれ前に立つ電信柱から小屋に先ず配線されている。そこから分岐された奥の小屋用の送電線に大枝はぶら下がった状態であるから、この線は私の小屋から先に家への送電線だ。これが切れても私の小屋の電気は変わりなく来るのか、それとも安全装置かなんかがあり、ここら一体の配電が止まってしまうのか。止まると電気を使うストーブは動かなくなる。寒くて凍え上がってしまう。切れる前に修復工事をしてもらわないとならない。9時になったので中部電力に電話で話すと、今日は同じような通報が沢山入り、すでに電気の止まっているところもあるので、そちらに状態ではすぐには行けないけれども、早めに行くことにします。ありがとうという返事だった。
     長靴を履いて県道に出てみるとこの道はキレイに除雪されて、その素早さは真冬と同じで、連休中でも出動する除雪隊の対応と土地の人の雪に対する構えの厳重さにほとほと感服した次第である。道ばたに、神戸ナンバーのランドクルーザーの親子連れがいて時ならぬ雪をバックに記念写真を撮っていたので、タイヤはと聞くとノーマルだと答え、「なんとか走りますよ。それにしても、まさか雪になるとは思いませんものね」と若い父ちゃんは笑っておりました。
     では、私もと思い、小屋に帰り、四駆の低速を使って県道まで出ましたが意外や意外、春の雪は半ば水のようなもので、地面までタイヤが食い込んでいくという感覚で無事県道まで脱出したものだが、これが普通の車では絶対無理だなと思いましたね。
     走れると分かったので、そこらのニワカ雪景色を楽しむ余裕が出て、近隣各所を物見遊山して1日を費やし、山道では中部電力のクレーン車が電線にもたられかかっている木を取り除いているのを見たが、家の帰り着くと私の小屋前の枝はまだ取り除かれてはおりませんでした。この程度は甘いのだと思われたのでしょう。
     次ぎの日、松本空港でお客さんを迎えて安曇野に行き、穂高神社に参り、海の民である安曇族がいたことを何かの本で読んだことを思い出し、小屋に帰ると、枝は除かれておった。車も入ることのできない林の中にどうやって足場を作って枝をおとしたのか。このことは人智を超えていて、私はその作業を目撃することができなかったことが悔やまれてならない。
     山の暮らしは分からないことだらけだ。【八ヶ岳ニワカ縄文人】


    (01/04/24)上関原発について。新聞の全国版に載っていたから、御存知だと思うけれども、山口県知事が建設計画の条件付きの同意書を提出した。こういったやり方はいさぎよくない。条件をつけるのなら反対を表明すればいい。知事としての意見を鮮明にしないで、これからまだ高まる反原発の声の流れを静観し、結果を住民運動任せにしようというものと思える。ということは、反対派は住民運動をこれからも続けなければならないということなのだ。このご時世で結局原発はできないという結果になると私には思える。住民にまわりくどい苦労をかける、こんないい加減な知事はリコール運動を起こして首をすげ替えてしまえ。第3の田中さんはどこかにいるだろう。【淡々通信編集長】

  • (01/04/23)周防大島に行く。二度雨が落ちたが、ほぼ快晴。上関原発は、誘致派、反対派がともに知事に訴えを提出しているのをテレビが写していたが、県知事は何を考えているのか、よく分からない表情の持ち主であるという印象。バランスを取っているらしいポーズが好感持てない感じで、山口県人は気の毒である。またテレビはキララ博まで、後、何日と囃していたけれども、地方自治体主催の博覧会はことごとく失敗するというのに、どうやって人間を動員するつもりなのだろうか。
     そんなことより、島の過疎化と柳井市の中心部の空洞化には驚く。いにしえの商都柳井、現在は白壁の連なる商店街が観光の目玉となり、柳井駅までの道路街の商店はずらりと大正洋風建築に装いを変えて、かっての銀天街は全て取り壊して、更地になっていたけれども、再生した旧中心街に誰が足を運ぶのだろうか。郊外の量販店に大負けしてしまった今は通行人はごく僅かで、物を買う人の姿を見つけることも難しい。島から連絡船で柳井高校に通ったころからは考えられないほどのゴーストタウンとなってしまった。再生は誕生と同じで大変難しいのではなかろうか。【淡々通信編集長】

    (01/04/02)
    「放課後の国のアリス」を31/01と観る。演劇の骨格は大人、縁者は子ども、その取り合わせがおもしろい。この作品はほとんどワークショップで作りあげたという。演出の大岡淳さんのこどもたちをそこまで引っ張った手腕には敬服するものがある。アリスが日常に戻り、登場人物の最後のパワーが炸裂するあたりでは大感動した。予算的に苦しいと聞くが、来年もぜひ観たい。今回の公演を企画した多摩市民館の皆さんの姿勢と実行力に敬服。
                           【「ダた」横浜シニア後援会長】

    (01/03/25)ラグビー全早明戦を観に行く。大らかでお祭りムードが漂っていた。だが、担架で運ばれる負傷者も出たので気の毒なことである。今回はメインスタンドの上段に座った。その上の段に陣取った女性も含んだ高齢者集団の会話を聞いているのが楽しかった。
     階段を上るだけで足がつってしまった、2段とびで来たわけではないけれども。/東京に出てくるのは今年初めてよ、オーストラリア、アメリカ、あとはずっと浦和にいるからね。/私は何と言ってもスイカを囓っただけでも歯が欠けるくらいの人間だから。/きょうは何とかちゃん(選手)の母ちゃんきてるかな。/もみ合いになるといつでも明治がボールを取るのね。/馬鹿!ペナルティーゴールなんか狙うな。しょうがないよ、キャプテンが決めるんさから。/あっつ、今泉が出てきたよ、太ったねぇ、100キロはあるよ。狙ったよ、あの人蹴れるの、(1234とバックする姿を見て)思い出した、おおおお、あの人だった。/この審判良くないよ笛が早いよ、いつも試合を中断するよ。もうちょっと試合の流れを作らなくてはね。/などのにぎやかな会話から、明るい老後を感じたのね。不思議なことに早大OBのラガー数人を従えており、その中にはサントリーの現役選手らしき青年も居て、これが○○選手の引退試合になるなどと、話していたが、誰もが老人たちに頭が上がらない様子だった。背後集団の顔や姿をまじまじと見た訳ではないけれども、なんだか、とても偉い人たちのように思えた。婆さんの声で、「私、いつも殺せとか、勝手に言っているけれども、やると観るのでは大違いでしょう」と青年に言えば、「ええ、まあ聞こえていませんから」という問答もあった。前列右には子連れで明治の旗を持った親子と、静かな中年アベック。こちらは明治が点取るたびに大喜びしているので好対照だった。
     ハーフタイムにチェアガールが出て来たのにはひどく驚いた。明治数人、早稲田は30人。人数もテクニックも圧倒的に早稲田の勝ち。この試合はやっぱりお祭りだったのだ。試合は明治が勝った。
     桜も開いたことで、天気が良ければ、まだいい気分になれただろうに残念。入場料はバックスタンドで1500円也。
     追加、次ぎの日の朝のニュースで分かったのだが、今泉選手がこれをもって引退したとのことであった。            【ニワカ・早稲田ラグビーファン】

  • (01/03/25)広島が震源地の地震。郷里周防大島のボロ家は倒れてはいないだろうかと気になり電話をかけるのだが、誰も出てこない。野良作業に出ているのか、家屋の下敷きにでもなって入るのかどちらかだと思い、一時経ってまた電話をすると、今度は「その方面の電話は込み合っております」というアナウンスが流れる。過疎地大島の被害状況をテレビでは知ることができず、両親の安否が気遣われる。そんなことで、肉親との連絡がとれないままに夜更けになる。電話は非常時には、頼りにならないものとなることを、よく覚えておこう。つんぼ桟敷におかれたその地方の関係者としては、「ま、親は大丈夫だろう」と思い込むことにして、無理矢理寝てしまった。【瀬戸内海の老人島からの出稼ぎさまよえる都市生活者】
  • (01/03/14) チューインガム過激弾の練習を少し見せてもらった。水準の高さに驚く。全員川崎市多摩区の中高生である。達者で伸びやかな若者たちがいるものだ。言葉、踊り、歌など総合して画期的な少女、少年ミュージカルになることは間違いない。だが、世間の注目度は低い。この憂うべき業界追従宣伝批評家体質を変えるために、質的に高いものを独自に探して、誰かに正確に伝えようとする回路を作らなければならない。               【ダた・神奈川シニア応援団長】
  • (01/03/11) 腰がおかしい、屈んで体を戻す瞬間ぎっくり腰の前触れのような痛みがビッツと走る。何かの拍子に本物となる予告編のような気がする。原因はカエルとバッタに違いない。クロールに専念しておけばいいものを、欲を出したあげくの転ばぬ先の杖としてカバ(略してそうだが、バカとだけは間違っても言わないようにしたい)は手抜きでいくことにしよう。
     昨日は年輩だが熱心にプールに通う男性が話しかけてきた。「私は週三回が限度ですね。それ以上来ると体に疲れが残って、肩も痛いし、足も痛い、こうなったのは3年くらい前からです。それまでは多摩プラーザ(東急スイミングスクール)に通っていて、ここ(
    アトリオあざみ野スイミングスクール)ができると同時に移ったので、かれこれ10年も続けていることになりますか。いやあ、歳を如実に感じますね。まだやれると思ってもこれが現実で、だましだまし泳いでいるのですよ。痛みを押さえてね」。この先輩はキレイなフォームで泳げるくせに、いつもフリーコースでゆっくりと泳いでいるのを不思議に思っていた。水泳は生涯スポーツとはなり得ないのなら、淋しいことである。老後の楽しみに数えることができないとは。【素人・バッタ】
  • (01/03/09)その気になってタフな車を観察していると、下記のフォードのエクスプローラーという車を横浜・あざみ野地方区で、昨日、今日と1台づつ発見。タイヤはファイアーストーンがついていた。次ぎの4WDを何にしようかと迷っている矢先、1つ選択肢が増えた。フォードに乗って、適切なタイヤ空気圧を保てばどこまで走っても安全とするなら、アメリカの人気車にってみるのも一案である。フォルクスワーゲンの場合は1%のローンが可能だから、フォードもそうであるだろう。こうなると、どの車を選べば良いのだろうか。また迷路に入った。【車検寸前パジェロオーナー】
  • (1/03/05)昨夜のNHKスペシャルのアメリカ自動車事故のフォードとタイヤ会社の責任問題に関する番組を見て、タイヤをおろそかにしてはいけないと痛烈に思う。ノーマルタイヤでそうならスタッドレスタイヤをなおさら過信してはいけない。茅野の山では降る雪積もる雪の中で、つづら折れの下り道をエンジンブレーキを使って走った。何の不安も感じることなく里に降りて、道が平らになったと思うと、速度を上げて鼻歌混じりで走る。赤信号が目に入りごく自然にブレーキを踏む。ところがこれが止まらない。交差点 に一気に滑り込む。車輪にスキーでも付けた感じ。車は滑空しておる。左から車が交差点に向かってきているのが目に入る。この調子で運転していると何時衝突事故が起きても不思議ではない。そう思っている間も車は止まってくれないのだから怖い。原村あたりの出来事であった。これが台風が来たとするなら、その中を泳ぐ馬鹿、散策する阿呆はいないということは、瀬戸内育ちの身として、十分理解しているのだが。【車検寸前パジェロオーナー】
    (01/03/04)クロスカントリースキーならず。//長野県茅野市・湯道街道を登り切った奥蓼科・老舗旅館マ渋・辰野館を訪ねた。雪中の白樺林に在る。信玄の薬湯(こらは元来冷泉であったことを今回初めて知る)に浸かり、明日こそ初体験と心はやれど、夜明けとともに降る雪。気象情報は全国的に雪雨で大荒れ、山間部は70センチもの雪さらに大寒波が日本を通ると伝えているから、これたまらぬと山から逃げなんとす。車の方角も分からぬほどの雪降りしきる。轍なき道を走る心細さよ。加えて中央道は諏訪から小淵沢まで事故で不通との掲示あり。20号線を韮崎まで走り中央道に乗る。以降は雨→曇り横浜方面に至れば→陽がさしておる。テレビでは大雨のはずだが。拍子抜けする。
     スキー散歩とならなかった悔いは残るけれども。実は、昨夜寝ていると右足大腿部の筋肉が突然けいれんを始め、跳び起きて懸命にマッサージをし、痛みと引きつけをおさえた。苦手なばた足のやりすぎで筋肉が疲弊しているのだろうと自己診断するが、予告もなく突然身体のパーツは劣化するものだろうか。呪いをかけられる、金縛りにあうというのはこのようなことをいうのだろう。怪異である。そんなことで、此度の気象変化はおとなしくせよという、天からの啓示だと思えばあきらめがつく。【素人・バッタ】

  • (01/03/03)昨日、パジェロが9万キロを突破した。ディーゼルで黒煙を吐くのが非常に気が引ける。この車は作秋突然ブレーキがきかなくなり、低速運転でようやく家に着くという怖い思いをした。ブレーキの部品が消耗していたという修理工場の判断であるが。こんなことは映画のシーンでしかないはず。以来この車との信頼関係は断たれた。だが、せめて10万キロにまでは乗らなければならないと思い我慢している。これはケチなのか、物を大切にするということで誉められることなのか。
  • (01/03/01)イルカへの道//アトリオ・スイミングスクールのレッスンでバタフライの腕とキックの時間差を教わる。同時だと、水と衝突して潜れなく、スムーズに進めないということになる。25m4本がせいぜいで50m2本はできないそうだ。このことは多分平泳ぎにも当てはまるのだと私は思う。手、頭を水面にぶつけて潜っておき、やおらキックにはいるという感覚。ここらあたりがすこし分かった気がする。
  • (01/02/25)ラグビー日本選手権//サントリー・神戸精鋼を見に行く。年末から通い続けたのだが、最後に良い試合を観て満足。しかし、大形スクリーンに某放送局の女子アナが出て旗を振り赤勝て黄勝てといったオチャラケには困惑する。囃せばよろしいというものではないだろう。さらに、この試合の観客は2/11の秩父宮より少ないのが納得できない。
  • (01/02/18)ラグビー//サントリー・トヨタを見に行く。サントリー強し。
  • (01/02/12)『脳みそがアフロ2』、倍音sの自由な演奏に自由な精神を感じさせたことが良い。対する『ダたロック』は2/3のライブの方が衝撃的であった思う。
  • (01/02/11)ラグビー//慶応・神戸精鋼を見に行く。慶応無惨。大学ラグビーに人気が偏り、社会人ラグビーを差別する日本のラグビー文化はいびつだ。