和紙の起源と麻および忌部氏との関係

「和紙の里」林正巳著 東書選書より

21〜22頁
 以上のように、中国・朝鮮に始源を求める流れをみてきたが、これに対して、日本にも古くから紙があったとする考え方がある。
 忌部氏の祖、天日鷲命を祖神としているところが各地にある。なかでも注目されるのは、徳島県麻植郡山川町に残る伝承である。この郡名となっている「麻植」には重要な意味がある。これは文字どおり麻を栽培することであって、大和から阿波の地に派遣され、国土開発の命をうけた天日鷲命が、この地に麻が豊富に自生していることに目をつけて、麻を栽培する適地としたからであろう。
 この忌部氏は国家の祭祀を担当してきた氏族で、その職責にともなって神前にささげる幣をつくっていた。この幣の原料として麻が使用されていたため、その原料確保がひとつの職責であったわけである。
 この幣は、後には紙でつくられるようになったが、上代においてはこれを木綿ゆうと称して麻のせんいからつくられたといわれている。これは日本に独特なもので、紙の原始形を示すものであると考えられる。もちろん、これらは書写用には不通ではあったが、大陸との交渉がはじまり、「紙なるもの」に接するようになって改良されていったであろう。このように、先進文化のなかで「紙」を知った日本人の祖先は「紙とは糸でてきたなめらかなもの」という意味と知り、さらにそれが神そのものと考えたのか、「紙」を日本流でよむとき「かみ」と訓よみにしたと考えられる。このような日本人的発想は、新しく珍しいものはすべて「神からの授かりもの」「神そのもの」とする意識が根底にあったがゆえであろう。
 かかる紙は、日本においては、たんに神事に使用するものとしてのみつくられていた。しかし、この日本固有の紙が、その後、渡来人の技法を加えて混然一体となり、今日の和紙が形成されていったと考えることもできるであろう。


235〜237頁
 天日鷲命、あまのひわしのみことこの神は、開運・開拓・殖産の神として崇められている。神話で知られているのは天照大神が天之岩戸に入られたとき岩戸の前で神々の踊りがはじまり、この神が弦楽器を奏でると弦のさきに鷲が止まった。多くの神々が、これは世の中を明るくする吉祥をあらわす鳥といってよろこばれ、この神の名として鷲の字を加えて、天日鷲命とされた。この命は、忌部氏の祖として、阿波の開発・殖産に功のあった神で、今日、徳島県麻植郡山川町に残る伝承に、紙の祖神として山川町高越山に高越神社としてまつられている。この神は、東日本にあってはいまも紙の祖神となっている。茨城・栃木面県境にある鷲子山上神社として鎮座しているのが有名である。これは忌部氏が関東開発の命をうけて、四国阿波の国から関東に上陸し、その拠点としてここに天日鷲命をおまつりしたという由緒をもっている。この信仰は茨城・栃木県下はもちろん、東北地方にもおよび、白石市の遠藤忠雄氏の作業場にもまつられているのをみた。さらに、この天日鷲命は東京の下町に鷲おおとり神社としてまつられている。すなわち、台東区千束三丁目に鎮座する鷲神社である。江戸時代、江戸では浅草紙という庶民のためのちり紙などが大量に消費された。このため隅田川流域を中心に多くの紙すき業が大発展した。その業者たちが紙業の発展を祈って、この神社を自分たちの守護神としていた。明治に入り東京の紙業は近代工業の成立発展とともにほとんど消失したが、その後も開運・開拓・商売繁目の神としてまつられ、江戸時代より酉の祭りとして知られている商業の神として、混雑する市衝地に鎮座している。以上のほか、全国有地の紙すきの里に天目鷲命がまつられている。山梨県市川大門町の弓削神社の境内にまつられている摂社として白紙社がある。これは祭神として天目鷲命と、その子津咋見命つくいみのみことが合祀されている。また、市川大門町には神明社でも天日鷲命をまつっている。山口県本郷村の楮祖神社に、天日鷲命がまつられている。松江市乃白町の野白神社の摂社として穀木かじき神社があり、天目鷲命をまつっている。


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