法学セミナー(日本評論社)1990年7月号より
マリファナ解禁と大麻取締法
丸井英弘弁護士
 一 はじめに
 一九七七年九月に起きた井上陽水事件や最近(一九八〇年一月)のポール・マッカートニー事件によって、マスコミがマリファナ問題を取り上げるまでは、マリファナが「麻Lラあさリ」であり「大麻」が麻の一種であることを知らなかった人も多かったのではないだろうか。またマリファナ=「大麻」=麻薬=暴力団の資金源という偏見もまだまだ世間には存在していると思われる。このような偏見はアメリカにおける一九三〇年代に行われた反マリファナキャンペーンと同じである。アメリカでは近年マリファナに関する科学的な研究がなされ、マリファナ有害論が神話として批判されており、政府もそれをとりあげて解禁の方向に向っているが、一九三〇年代には連邦麻薬局が強力な反マリファナキャンペーンを展開し、マリファナについて大いなる誤解と偏見を広めたのである。現在の日本の状況(特に捜査当局や裁判所の姿勢)は、マリファナをヘロイン等と同様に危険視し、またマリファナが有害でなくても法律がある以上、それに違反するのは「悪」であるという悪しき法律万能主義に陥って、魔女狩り的にマリファナ愛好者を取締っている別表にみられる様に大麻取締法違反で逮捕される人の数は年々増加し、年間一〇〇〇名を超えているのである。
 しかし、法律があるというのならば、日本には大麻取締法の上位法として憲法があるのだから、憲法上大麻取締法が有効かどうかの議論をすべきである。憲法は、個人の幸福追及権や思想・表現の自由等の人権保障を第一義的な基本理念としており、特に裁判所には、少数者や国家権力に対立する者の人権を守るべき、いわゆる憲法の番人たる役割が課せられているのである。
 さらに、民主主義社会においては、人民が主人公であり、法律は人民の幸福のためにのみ奉仕すべきものであって、法律が主人公では決してない。現在の国家秩序を絶対のものとして、それに盲目的に従う態度は、民主主義社会における自立した市民のあり方ではない。いかなる権威にもとらわれず、自主的判断に従って行動する人間こそが目標とされるべきである。
 マリファナ問題とそれを規制している大麻取締法をいかにとらえるかということは、我国における民主主義の成熟度を計るバロメーターであろう。
 二 マリファナとは何か
 マリファナとは、日本名でいえば、麻Lラあさリのことであり、植物学上はくわ科カンナビス属の植物である。そしてカンナビスには種Lラしゅリとして、少なくともカンナビス・サティバ・エル、カンナビス・インディカ・ラム、カンナビス・ルーディラリス・ジャニの三種類があることが植物学的に明らかになっている(各名称の最後にあるエルとかラムとかジャニというのはその種を発見、命名した学者の名前の略称であり、サティバは一七五三年に、インディカは一七八三年に、ルーディラリスは一九二四年に発見、命名された)。
 マリファナは、日本では通常「大麻」と呼ばれるが、大麻取締法ではその一条で、「大麻」の定義として、「大麻草(カンナビス・サティバ・エル)及びその製品」と規定しており、現行大麻取締法で規制されているマリファナはカンナビス・サティバ・エルと呼ばれる種Lラしゅリのみである。
 マリファナは、紀元前数世紀より、アジア、アフリカを中心として、繊維用、医薬用、宗教用、娯楽用などに用いられてきた。国連統計によれば、一九五〇年段階で、約二億人が日常的にマリファナを使用していたとのことである。マリファナ(麻)は、日本社会には非常になじみの深い植物である。万葉集にも麻にちなんだ歌がみられるし、地名でも、東京の麻布や、徳島県の麻殖郡(おえぐん)とか、人名でも麻生、麻田というように麻に関係のある名前が多いし、さらに大麻神社、大麻比古神社なども存在している。
 日本でも繊維用ばかりでなく、医薬品として用いられてきた。
 日本薬局方でも一八八六年に公布されて以来、一九五一年の第五改正薬局方までマリファナが「印度大麻草」、「印度大麻草エキス」、「印度大麻チンキ」という製品名で収載され、鎮痛剤、鎮静剤、催眠剤などとして用いられてきた。
 三 マリファナは有害か
 1 マリファナの作用
 マリファナは通常は麻の葉を乾燥させて、タバコのようにして吸ったり、麻の樹脂から作った製品(ハッシシと呼ばれる)をタバコに混ぜて吸ったりする。
 マリファナを現在多くの人が愛好しているのは、その向精神作用にある(その主成分は麻に含まれるT・H・Cという物質であるといわれている)。
 マリファナを摂取した場合にあらわれる精神作用は、摂取する時の環境と摂取する人の期待感などに影響されるのであるが、通常は次のような作用があらわれるとされている。
 通常の使用量では、時間がゆったりと感じられ、空間の拡大感が生じる。聴覚、触覚、味覚、視覚などが敏感になる。気苦労のない解放感を感じる。空腹感が生じたり、甘いものが食べたくなったりする。
 マリファナの身体的効果については、マリファナ研究について最も権威のある報告書とされるマリファナ及び薬物乱用に関する全米委員会(以下全米委員会という)の一九七二年報告では次のように述べている。
 身体機能の障害についての決定的証拠はなく、極めて多量のマリファナであってもそれだけで人体に対する致死量があるとは立証されていない(ちなみにアルコールの場合には泥酔状態が致死量に近いといわれている「「筆者注)。また、マリファナが人体に遺伝的欠陥を生み出すことを示す信頼できる証拠は存在しない。マリファナが暴力的ないし攻撃的行動の原因になることを示す証拠もない。
 マリファナ摂取による身体機能の変化は、次のような一時的なわずかの変化である。脈膊が増加し、最低血圧がわずかに上昇し、最高血圧が低下する。眼が充血し、涙の分泌が少なくなり、瞳孔がわずかに狭くなり、眼の液圧が低下する。
 そして、結論として通常の摂取量ではマリファナの毒性はほとんど無視してよいといっている。
 また、全米委員会の一九七三年報告でも、マリファナ使用と犯罪との関係について、「マリファナの使用は、暴力的であれ、非暴力的であれ、犯罪の源ともならないし、犯罪と関係することもない。」と結論している。
 2 マリファナ有害論批判
 取締当局等は、マリファナ吸飲によって、離人感、人格喪失、有前の意識のくもりなどが生じたり、視覚、触覚、味覚、聴覚などの感覚が鋭敏になることをもって有害としているので、この点に関し反論したい。
 離人感とか人格喪失、直前の意識のくもりと表現されるものは、果たして本当に有害なものであろうか。同様の現象が例えばヨガや禅では悟りといわれるものである。つまり、無の境地といわれるものは何ものにもとらわれない状態のことであり、その状態が離脱感、人格喪失とも表現されているのである。また、現在の状態に意識が集中している場合には直前の意識がくもるのであって、直前の意識のくもりと現在への意識の集中は同じ状態をさすものである。離人缶、人格喪失、直前の意識のくもりなどという表現はマリファナを吸飲した状態を正確に表わしたものではない。
 人格喪失という点については、人格という概念に誤解がある。通常心理学において、人間の意識、行動を規定しているのは潜在意識といわれており、人格といわれるものもこの潜在意識に規定されているものである。そして、本当の人格というものは潜在意識にあるものであって、表面に現れた意識や行動にみられる人格というものは真の人格ではないのである。したがって、真の人格を見つけるには表面的な人格を喪失させることが必要になるのであってそれが仏教やヨガでいう無の境地である。
 また視覚、触覚、味覚、聴覚などの感覚が鋭敏になることは何ら害のあることではなくむしろ有益である。そもそも現代人は科学技術の発達、管理社会化によるストレスの増大によって人間の本来もっていた感受性が歪められもしくは鈍感になっているといわれているのである。感覚が鋭敏になるということは本来の自然な豊かな人間性をとり戻すことであり、心身の反応が自然=正常という意味つまり健康ということなのである。
 四 各国におけるマリファナ使用と規制の状況
 1 アメリカの状況
 @刑事制裁の状況 一九七〇年から一九七七年までにマリファナに関連して二八八万七七八九人が逮捕された。一九七七年には、四五万一六〇〇人が逮捕された。一九七六年には、四四万一一〇〇人が逮捕された。薬物使用に関連する逮捕者の七割がマリファナ使用によるものである。(FBIの一九七七年度の刑事に関するレポート)。
 Aマリファナの使用状況(アメリカ国立薬物乱用委員会の一九七七年における全国調査) 四三〇〇万人のアメリカ人(成人の二五パーセント)が少なくとも一度はマリファナを使用したことがある。一六〇〇万人のアメリカ人(成人の一〇パーセント)が日常的にマリファナを使用している。一八歳〜二五歳では六〇パーセントの人がマリファナを経験したことがあり、二七パーセントの人は日常的な使用者である。大学生のうち五四パーセントがマリファナの経験者で、二二パーセントが日常的な使用者である。
 B現在少量のマリファナ所持を刑事罰にしていない州(交通反則金的な少額の過料にしている)は、オレゴン、アラスカ、メイン、コロラド、カリフォルニア、オハイオ、ミネソタ、ミシシッピー、ニューヨーク、ノースカロライナ、ネバラスカの一一州で、総人口の三分の一である(一九七八年六月段階)。しかし、このような非犯罪化の結果、マリファナの使用人口はほとんど増えていない。
 例えば、オレゴン州では一九三三年に非犯罪化がなされたが、一九七四年の統計によれば、マリファナ使用人口は一パーセントしか増えていない。(薬物乱用会議の報告)。
 また、カリフォルニア州では、一九七六年一月から非犯罪化され、一九七一年前半における逮捕者の数が前年の同時期に比べ、四七パーセント減少したのにかかわらず、成人におけるマリファナ使用人口は三パーセント以下の増大しかしていない(カリフォルニア厚生省の調査)。
 C裁判所の動向 マリファナ使用に対する刑事処罰を憲法違反とした裁判所が何件かすでに存在している。
 特に重要なのはアラスカ州最高裁判所の判例である。アラスカ州最高裁判所は、一九七五年に全員一致でもって、成人は自宅でもってマリファナを所持したり使用したりする憲法上保障された権利を持っていると判断した。したがって、現在アラスカ州では個人で自由にマリファナの栽培、使用ができるのである。
 また、ワシントン、イリノイ、ミシガンの各州の最高裁判所は、マリファナを他の麻酔作用のある危険な薬物と同視してマリファナ使用に刑事罰を加えるのは憲法上の人権保障に反すると判断している。
 Dカーター大統領の方針 カーター大統領は一九七七年の連邦議会に対する大統領教書の中で、マリファナ規制についての非犯罪化を提案し、次のように言っている。
「薬物の所持・使用に対する処罰はその薬物使用が個人に与えるよりも大きな害を与えてはならない。」
 2 イギリスの状況
 毎年約一万人が有罪とされており、そのうちの九〇パーセントは単純な所持罪であり、その九〇パーセントは三〇グラム未満の所持である。
 そして有罪宣告によって、就職や教育、旅行の機会が奪われている。
 また、一九七五年の統計によれば、年に八三三人が拘束刑に処せられている。イギリスでは五〇〇万人以上が過去五〇年間に刑事制裁を受けている。逮捕者の多くは若者、黒人そしてたまたまマリファナをすった者である。
 3 西独の状況
 人口の約二〜三パーセント、二〇〇万人近い人が、マリファナを使用するかもしくは経験があるといわれている。
 4 イタリアの状況
 イタリアでは少量(通常数グラム)のマリファナの所持は合法的で逮捕もされないのであるが、大量のマリファナを持っていたり売ったりすると処罰(懲役と罰金)される。IRP(The Italian Radical Party この政党は、イタリアの前回の総選挙で三・五パーセントの支持率を獲得して国会で一八の議席を持っている。)の事務所では、市民としての不服従を表わすために政党の本部事務所でマリファナの栽培をしている。最近ではIRPが一万人の集会を組織して、マリファナの全面的合法化を要求するなどの運動をしており、また、IRPの働きかけによって社会党や共産党もマリファナの解禁を支持するようになってきている。
 5 全体的に言えば、一九六一年の国際条約がマリファナをアヘン、ヘロインと同列に規制しているため、それを受けて、世界各国の法制度はマリファナ使用を刑事罰でもって規制している。
 しかし、アメリカやジャマイカ以外で少量のマリファナ所持が合法化、もしくは事実上取締りの対象になっていない国は、ヨーロッパではオランダ、デンマーク、イタリアである。イギリスや西独も何百万人の人がマリファナを使用しており、いちいち取締ることは不可能な状況である。
 なお、インドを初めアジア、アフリカの諸国はジャマイカと同様に何百年、何千年も前から日常的にマリファナを使用している。
 五 日本におけるマリファナ規制と問題点
 1 制定過程における問題点
 わが国におけるマリファナ規制は、一九三〇(昭和五)年、第二アヘン条約の批准に伴い、国内法令としての「麻薬取締規制」が制定された時に始まる。しかし、その規制内容は「印度大麻草、その樹脂、及びそれらを含有するもの」の輸出入が内務大臣の許可事項とされていたにすぎない。国産の麻Lラあさリについては古くから繊維や採油用等のため広く栽培されており、特に戦争中はパラシュート等に使うため、麻Lラあさリの栽培が大いに奨励されていたほどであった。
 ところが、第二次大戦後日本に進駐した占領米軍は、当時のアメリカにおけるマリファナについての偏見をもとにして全面的なマリファナ規制を日本政府当局に迫り、その結果として現行の大麻取締法が一九四八(昭和二三)年に制定されたのである。占領米軍の立法意図は、黒人兵などのマリファナ吸飲を防ぐということにあったようだが、最も肝心なマリファナ吸飲の有害性に関する科学的な検討はまったくなされなかった。法案を審議した国会議事録を調べてみても、保健、衛生上の観点からするマリファナの作用についての議論はまったくなされていない。国会での審議は、麻Lラあさリの規制によって、当時各地で麻Lラあさリを栽培していた農家に打撃を与えるか否かという点のみだったのである。
 このような大麻取締法の制定過程を概観するだけでも、この法律が、市民社会において妥当性を有する方法で制定されたものでは決してなく、極めてずさんな法律であるといえる。
 2「大麻」の定義から生ずる問題点
 すでに述べたように、現行の大麻取締法で規制しているマリファナとは、麻Lラあさリのうちカンナビス・サティバと呼ばれる種Lラしゅリのみであり、さらに向精神作用を有するT・H・Cという物質そのものは規制していない。したがって、捜査当局は、ある植物が「大麻」であるというためには、それが麻Lラあさリのうち、カンナビス・サティバと呼ばれる種Lラしゅリであり、またT・H・Cを含有する物質もカンナビス・サティバから抽出されたものであることを立証しなければならないのである。
「同じマリファナな名前が少し違ってもいいのではないか」という議論は通用しない。なぜならば大麻取締法は市民に刑罰を加える刑事法規であるから、憲法三一条の適正手続が罪刑法定主義の原則を持ち出すまでもなく厳格に行われなければならず、類推解釈・拡張解釈は許されないからである。もちろん前述のように、カンナビス属の三つの種Lラしゅリが発見、命名されたのは、大麻取締法が制定された一九四八年以前のことである。
 この植物分類学上の問題はアメリカではすでに法定でとりあげられている。そのひとつが、「コリアー事件」であり、一九七四年三月一九日、コロンビア州最高高裁で次のような判決が出された。
「刑事制裁における立法の不備は立法府によってのみ修正されなければならず、裁判所は拡張解釈をしてはいけない。マリファナ所持を規制したコロンビア州の法律は、カンナビス・サティバ・エルのみに適用されるのであるから、国は押収したマリファナの種Lラしゅリが合理的な疑いを越えて、カンナビス・サティバ・エルであることを立証しなければならない。本件において、検察官は合理的疑いを越えて、右事実を立証できなかった。」
 また、一九七四年一一月には、ウィスコンシン州西部地区裁判所も、同様の判決を出している。
 3 保護法益が不明確で罰則のみが過酷
 大麻取締法は、「大麻」の栽培、輸出入については懲役七年以下、所持、譲渡については懲役五年以下という重罪が規定されている。ちなみに未成年者略取・誘拐罪は三月以上五年以下の懲役であり、「大麻」の所持、譲渡が未成年者を略取したり、誘拐した場合と同様の悪質な犯罪とされているのである。なお、当初の大麻取締法では罰金刑が選択できるようになっていたが、一九六三年にヘロイン乱用対策のため麻薬取締法の罰則が強化されたのに便乗して罰則が強化され罰金刑が廃止されてしまった。したがって現行法では仮りに刑の執行が猶予されても、公務員などは身分上の欠格事由があるために自動的に失職してしまうという極めて過酷な刑罰となっている。
 ところが、果たして「大麻」の吸飲に右のような重罰を科すほどの実害があるのか否かが問題である。
 いうまでもなく、刑事罰、特に懲役刑は人の身体、行動の自由に対する重大な制約であり(もちろん捜査過程における逮捕、拘留も同様に重大なる規制である)、人権保障の観点からしてその制約は必要最小限のものでなければならない。したがって大麻取締法が憲法一三条(幸福追及権)や、三一条(適正手続)に適合するためには、その保護法益が具体的に明確なものであり、かつ量刑も適正なものでなければならない。
 ところで、大麻取締法の保護法益は毒物及び劇物取締法一条や麻薬取締法一条のような目的規定がないために法文上は不明確であるが、通常右各法と同様に国民の保健衛生といわれている。しかし、近代市民社会においては、人は原則として自由に考え、行動することができ、そのような自由の制限は例外であり、特に刑罰を科するには、具体的な社会的被害が明確になっていなければならないのであって、国民の保健衛生という抽象的な概念が保護法益とされていること自体が問題である。
 例えば、酒、タバコが「大麻」の吸飲以上に保健衛生上害のあることは明白でありそれらとの比較において何故「大麻」の吸飲がより強く規制されなければならないのかという点はまったく不明確である。この意味で大麻取締法は憲法一四条違反の疑いもある。
 そもそも犯罪とは、倫理や価値観の侵害ではなく、具体的に他人の生命、財産を侵害するところに成立するものである。刑法的な表現を使えば法益の侵害危険のないところに犯罪はないのであり、犯罪とは法益の侵害危険に尽きるということになる。
 マリファナ吸飲が人体にも社会的にも有害であることが立証されていない以上、大麻取締法は保護法益なき法律であり、被害なき犯罪を生みだす悪法の典型であるといわざるをえない。
 結局、大麻取締法違反事件における被害とは、マリファナ使用による害ではなく、逮捕・勾留・起訴された市民やその家族の被る人権侵害のみである、といって差しつかえない。

マリファナが、実質的に人体や社会にとって有害でない以上、マリファナがもたらす意識の変化・拡大は、音楽・文学・絵画等の文化・芸術活動や宗教等がもたらす情動の変化と同様の意味づけがなされてしかるべきであろう。
 マリファナによる意識の変化は、自己喪失や妄想とは別に峻別されるべきであり、自己認識をより明確にし、人と人を豊かに結びつける契機を与えるものである。この意味で「ジョイント」=平和の草とも呼ばれる。
 このような作用をもつマリファナ吸飲を刑罰で規制することは、人の精神の自由を抑圧し、創造的に生き方を否定するものといわざるをえない。
(まるい・ひでひろ)



「マリファナ解禁と大麻取締法」は、
法学セミナー(日本評論社)1980年7月号30〜35頁からの引用です。



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