▲侘 寂 萌 インデックス



千葉ニュータウン 竹中研究所,みずほ銀行千葉事務センター 気晴らし或いは気休め

 たたみに寝転がって電気サックスを吹く。
 ヤマハの、いわゆるウィンドシンセというやつ。
 もう10年以上も前に買って、まったく使わずに放っておいたのを、テレビもない今の部屋でヒマを潰すのに、実家の押入から引っ張り出して持ってきた。
 夕飯を食べて、酒を飲んで、ほどよく酔いが回って体がだるくなってきたところで、風の通る座敷に寝転がって吹いて遊ぶ。

 これがなかなか面白い。
 MIDI音源に用意された楽器の音色も豊富で、息の強さとリードを噛む力に応じて音色がうまい具合に変化して、デタラメに吹くだけでも遊べる。
 まずは運指の練習に「ドレミの歌」からはじめて、「聖者の行進」や「枯葉」あたりを適当に吹き、このところバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を練習してる。

 バッハという男はなんと偉大かと思う。
 日が沈んで、流れる雲が夕日に染まるのを眺めながら、三連符の連なる、あまりにも美しいメロディをつっかえつっかえ吹きつつ、つくづくと思う。

 キリストの思想には大して興味もないが、バッハという男を創造に駆り立てたという一点においてだけでも、結果的に、存在価値はあったかと思える。



手賀沼公園のポプラ あじー

 朝飯に冷たい揖保の糸を食べて、クーラーも扇風機もなく、1ドアの冷蔵庫ではアイスの買いおきもできず、冷房装置(?)といえば団扇が二本きりの家の中で一番涼しい座敷で居眠りをしていたら案外過ごしやすかったので、気象庁の観測データを見れば今日はまだ12時時点で36.1度しかない。道理で涼しいわけだ。
 谷岡ヤスジのマンガみたいに、あじーあじーと叫きつつ、だらだらとネットサーフィンをして、業界・市場の動向を探ってみるうち、ひとつ悟ったことがある。

 エロ(ゲ)は暑っ苦しい。
 そりゃあやっぱり、萌えってくらいだから。
 涼しいエロはないものか。



手賀沼 ハスの大群落 無駄

 戴き物のメロンを切って食べた。

 うお、う、うまい!
 冷蔵庫で冷やしたメロンのなんと瑞々しく甘く美味なることか!
 ふうわりと水分をたっぷり含んだ絶妙な食感!
 タネにからまったワタを丁寧により分けて一片も無駄にせず食べ、皿に溜まった汁も残さず飲み干す。
 奇跡的な美味さ、自然の驚異、神の祝福を受けた果実、表現する言葉もない!

 でも、変なことをいうようだけど、こんなにうまい必要ないと思う。おいしすぎる。
 たかがメロンごとき、もっと適当な具合だって誰も文句をつけやしない。

 とにかく日本産の果物はうますぎる。
 無駄に、うまい。
 桃に、イチゴに、デコポンに、さくらんぼ――傷ひとつ、虫食いの跡ひとつなく、大きさ、重さ、形、完璧に粒のそろった、恐ろしくうまい果物が、ただし本当にうまいものは目の玉の飛び出るような値段で売られている。

 それに反して、今ひとつ美味くないのが野菜。
 一番の不満は大根。
 これが全然辛くない。
 大根をおろして食べても、子供の頃に感じた辛みが少しもないので、歳を取って味覚が変わったのかと思ったらそうではなかった。
 近所の農家で作った大根をもらって下ろして食べたら、これが辛い。
 辛いというか、苦い。頭痛がするほどの辛み、苦み。いや、美味かった。
 肥料や栽培技術の違いもあるが、そもそも品種が違うのだそうだ。
 昔のような辛い大根は市場で人気がないので、もう作られないのだという。

 あと、不味いのがトマト。
 トマトなんか別段好きでもないが、なんだか健康に良さそうなので、スーパーで安売りしていればたまに買って食べたりするが、生臭くて(というのも変な表現だが)ひとつもうまくない。
 で、生のトマトは食えたもんじゃないと懲りたので、もっぱら加工されたものを食べることにした。
 秋刀魚は目黒、トマトは缶詰とケチャップに限る。



印旛村 廃屋 廃屋

 廃屋好き、である。

 これが分からない。
 分からないとは、なぜ廃屋に惹かれるのか、その自分の心理というものが今ひとつ分析しきれていない。

 自分の長所らしきものをひとつあげるなら、客観的、ということであろうかと思う。
 自分の行動や考えについて、大抵の場合冷静に把握できているものと、錯覚かもしれないが思っている。
 だが廃屋については、これがさっぱり分からないのである。

 廃屋好きではあるが、かといってそれを目的に出かけるということも特別ない。
 離島行きの旅の計画をいくつか立てているが、例えば長崎の軍艦島に行きたいとも格別思わない。

 旅の途中、思いがけず荒廃した家屋や集落に遭遇すると、暫し足を留め、静かな空気に佇み、そして満足を得る。

 人が住んではいても、いかにも貧しげな家々が打ち捨てられたように吹き溜まった集落がある。
 交通の便の悪い、例えば半島の先端などに多い。本州の北端、津軽半島や北上半島の海岸沿いには、そんな集落が入り江の陰にひっそりと隠棲植物のように存在している。

 真夏に訪れても冬の厳しさがありありと感じられるような、そんな色あせた集落の空気を、何もかもが新しく、清潔なショッピングセンターの雑踏の中でふと、咽の渇きを覚えるように、思い出す。



佐倉ふるさと広場 オランダ風車 シュガー

 ――て、ウェディング・ベルじゃなくて、ソフ倫の佐藤さんが大変だそうで。

 しかしエロゲ村の浦島太郎たるおれは状況がサッパリ分からず、2ちゃんで情報収集を試みるもノイズ・レベル高過ぎでとんとつかめず。
 筑紫さん、たしかにあんたのいう通り便所の落書きだわw

 まあ、ヤクザの抗争みたいなものですから。
 雨降って地固まるですよ。血の雨が降ってね。血糖値の高い。

 毛沢東じゃないので、池に落ちた犬は叩きませんが。
 ただ、本気(マジ)なことを言えば、ソフ倫の最大の過ちは「倫理」を掲げた点だね。
 「倫理」、つまり「正しい」ということでしょう?
 「正しい・正しくない」の論理。これが違う。
 ソフ倫ばかりじゃない、テレビ屋にブン屋も同じ過ちを犯しているし、戦後民主主義教育の最大の悪行、罪業がこの「正しい・正しくない」の論理だ。

 違う。この世に「正しいこと」も「正しくないこと」もない。
 すべては「好き」か「嫌い」かなのだ。
 お前(テレビ文化人、竹村健一とかは除く)の言ってることは「正しいこと」なんかじゃない、単に自分の「好きなこと」なんだよ、と。もっといえば、カネになること。
 植草センセは好きで女子高生のパンツ覗いたんだよ。おっと、これは余計。

 11年前、初めてエロゲがパクられた時、いまは亡き雑誌テクノポリスのアンケートに各社が答えて曰く。
「ウチのゲームは(摘発されたゲームとは違い)猥褻なものではない」
 少数の例外を除き、その回答の趣旨(真意)はこうであった。
「えっ、そうなん!?」 おれは驚愕した。
 猥褻でなかろうが(「正しい」)、猥褻だろうが(「正しくない」)、等しく表現、発表の機会を制限、差別されない。これが表現の自由の精神だろう。
 表現の自由とは、「正しい・正しくない」などということは誰も軽々しく判断してはいけない、ということだ。

 猥褻なものなら摘発されてもいい、といった当時の有力会社がその直後、ソフ倫を創設し、倫理を語る。
 表現の自由など必要ない、と認めた人々が倫理を強要する。

 エロゲ屋風情が倫理を標榜したのは、取り返しのつかない大失策だね。
 「正しいエロゲ」なんて、笑い話にもならない。
 おれたちゃ好きでエロやってんだよ、と。炉利だろうが、妹萌えだろうが、つべこべ言うな。
 だから世界に通用するんじゃねえか。「好き」だから、有無をいわせずオタクを熱狂させるのだ。「正しい」なんぞクソくらえ。
 そういう意味で、宮崎駿はヒゲなんか生やしてる場合じゃなくて、再び、えっちなアニメを作る義務がある。それが東映動画の先達と、すべてのオタクへの恩返しだ。

 佐藤さん(だけじゃないけど)は分かってるかなあ。
 何十億ものカネを巻き上げたことよりも、建前にせよ「倫理」なんてものを押し出したことの罪の重さが。



サイタ サイタ

 アサガオ サイタ
 アカ アオ ムラサキ
 キレイニ サイタ

 やあ、なんてスッキリと爽やかな姿なんだろう。
 一日だけ美しくひらく、繊細な、あまりにも繊細な花弁。
 五月にまいた種が、毎朝水やりを続けただけで、こんなにもきれいに咲いた。
 陽のよくあたるベランダの鉢と、庭の日陰に置いていた鉢では、葉の量が倍も違う。
 当たり前なんだろうけど、とても不思議だ。

 つまりこれがゲーム性ということなんだろうな。
 ゲームの要素のすべてが、朝顔の栽培につまっている。

 でも、こんなゲームがあるかといえば、それはやっぱりどこにもない。

 ――みたいなトーンの文章とか。
 いや、全然違うな。

 ほら、エロゲの文章って、すごくキレイぢゃないですか。
 ポエムな感じだし、カッコいい感じの漢字とかバシバシ使って、死と夢と奇跡が交錯して、なんか哲学っぽくて、綾波コンパチのヒロインが必ず出てきて。
 おれもそういう商品性の高い文章を書こうかしらん、とか全然思ってない――の反対の反対の23乗。(by 行木君)



自業自得

 新庄は本当に神だね。
 オールスターでホームスチール。

 新庄は本当に神だね。
 何億だろうが年俸をもらう確かな権利があるし、もし「ゲノム・バンク」みたいなものを作って、優れた人類の遺伝子を残すとしたら、アインシュタインよりも前に新庄のゲノムを残すべきだ。川島和津実なんかとともに。

 新庄みたいな天才の前では、生半可な理屈だの思想だのは、裸の王様の如く、いかに空疎なものであるか簡単に暴かれてしまう。

 プロ野球の合併問題。
 要するにこれはすべて自業自得であろう。
 ファンの自業自得、マスコミの自業自得、選手の自業自得、球団経営当事者の自業自得。
 議論の必要などひとつもなくて、とっとと合併すればいいし、1リーグに移行するべきなのだ。
 古田ももう少し現実的かと思ったら、まるで活動家みたいな主張に、「祈りのミサンガ」ときた。ポエム少女か。それとも今は大石内蔵助式に阿呆を装っているだけなのか。
 感傷的なことを言っていた人間も、今日の新庄のプレイで目が覚めて、なにか感得するものがあったのではないだろうか。ぜひ、そうであって欲しい。

 自業自得――。
 この世のすべての苦しみは誰のせいでもない、自業自得である。
 日本が原爆を落とされたのも自業自得なら(日本人の)、イラクで子供たちが死んでいくのも自業自得だし(イラク人の)、心優しく(死者に花を手向けた)、頭のいい(脳容量は現代人よりも大きい)ネアンデルタール人が、馬鹿で下品で野暮天のホモ・サピエンスに滅ぼされたのも自業自得だ。

 そして差別というものも、やはりこれは自業自得なのだ。
 この人生というもの(つまりは宇宙というもの)に対する姿勢としては、そう考えるべきなのだ。

 差別されている、ということすら問題にされず、あからさまに差別されているオタク(狭義の)というもの。
 彼らの美点、唯一の美点は、この厳粛な事実を無意識にせよ自覚し、真っ当な社会からの逃避であるにせよ、そして錯覚であるにせよ、安寧を求めて自ら道を切り開き、自分のための新しい世界を作ってきたという点である。
 ホンモノ、だから「オタク」(その文化)は世界で通用する。
 J-POPは世界で通用しない。アジアでなら通用する。それは経済大国たる日本のものとして売れているに過ぎない。つまりJ-POPの本質は音楽ではない、と言える。それは米国産コンテンポラリー音楽も同様だ。
 オタク文化は違う。アニメ、マンガ、ゲームが受けるのは「日本の」だからではない。純粋にANIMEとして、MANGAとして、Nintendoとして、HENTAIとして、その商品性が理屈抜きで世界に通用し、売れているのである。

 女性にしろ、日本と韓国の関係にしろ、果たしてそこに差別というものが存在するのか、当事者はよく考えてみる必要があろうと思うが、考えないだろうね。
 カネにならないから。当面。
 もうひとつオタクを褒めれば、誰もがカネになるなどとはこれっぽっちも思わずに、それでも脇目も振らずその道を進んできたことだ。

 ――で、日経なんかで「世界を席巻オタク文化」とか紹介された時点で、オタク文化の死は決定したわけだ。
 で、心優しいオタクは、馬鹿で下品で野暮天の文系商売人に滅ぼされる運命というわけだ。
 ネアンデルタール人みたいに。



酒とエロの日々

 ここのところね、酒を飲まずにいられないンですよ。毎日。
 といっても、ワイン1本を1週間であけるくらいのペースですがね。
 もともと体質的に飲めませんから。遺伝的にね。アルコールを分解する酵素だか遺伝子だかがないンでしょう。
 それでも毎日飲んでる。
 テレビがないせいもあるンですかね。酒でも飲まなくっちゃあ、ヒマでしょうがない。

 まあ、だいたい毎日午前の10時頃から仕事を始めてね、遊び遊び――インターネットの掲示板で「氏ね」とか書いたりしながら(笑)――シナリオいじって、夕方の4時頃には切り上げちまう。
 まあ、この「仕事時間」以外も、いちんちじゅうあれこれと構成をヒネっちゃいるンですがね、もちろん。

 でまあ、夕方4時からは夕飯の支度ですよ。酒飲みながらね。ラジオで「荒川強啓デイ・キャッチ!」聞きながら、湯飲みでワインを飲みながら。
 ホントは日本酒が一番好きなんですよ、あたしは。
 車で日本3.5周くらいしてますから。あちこちの地酒をだいぶ飲みましたね。
 港に車をとめてね、海に沈む夕日をみながら、酒飲んでそのまま眠る。真冬の東北とかでもね。凍死しそうになりながら。警官の職質受けたりしてね。たまたま自殺の名所のそばで寝てたりするとね(笑)
 なにが面白くて、そんな馬鹿なことをやってたンだか。

 ただまあ、値段やら選択肢の豊富さやなんかを勘案すると、ワインが一番安いですから。なかば仕方なしに――ってわけでもないけどね、飲むのはワインですよ。
 1本300円くらいのは飲めたもんじゃないけどね、500円クラスになると、案外うまいですよ。
 それくらいの値段ならね、やっぱり日本のやつがうまい。ファンタ・グレープみたいな飲み口でね、あたしなんかにはちょうどよろしい。

 学生時代の同居人や、一時いついていた居候が、毎日酒を飲んでいましてねえ。
 なにが面白くて飲んだくれてやがるのかと、その頃は思っていましたが……酒と〜涙とお〜男とお女あ〜じゃあないけど、ようやく連中の気持ちが分かるようになりましたかねえ。
 飲んだくれてるとうるさいからね、その頃はだいぶ蹴っ飛ばしたり、追い出したりしましたが。いまで言えば、DVみたいなもんで(笑)

 文章を 億劫がらずに 書かなきゃね

 てことで、まあ限りなく無職に近いシナリオライターというわけですが――。
 圧倒的にね、文章を書く量が少ないンですよ、あたしは。自分でも思うけれども。
 文章書くの嫌いだから。自分の商売を嫌いってのもどうかと思うけどね(笑)
 一度書いた文章をね、手直しするのは好きなンですよ。これは楽しい。
 まあ、こんな日記(?)でもね、書いていたおかげで案外実益に役だったかもしらんと、こう思った次第で。





▲侘 寂 萌 インデックス