▲侘 寂 萌 インデックス



「帰りなん、いざ」

 志水辰夫著。
 朝から読みはじめ夕食の準備前に読了。実にいい。

 戴き物の土鍋で初めてご飯を炊いてみた。
 米の一粒一粒が立ってる!
 納豆と生卵を投入してかっこむ、かっこむ。餓えた野良犬のように喰らう。うまい。
 山やツーリングで、小型ガスバーナーとチタン鍋で炊いた飯もうまいのだが、しかしこれはシチュエーションという調味料がだいぶ利いているお陰でもある。標高やチタンの特性上どうしてもべたついた炊きあがりだ。
 しかし土鍋では、しっかりと芯まで炊けているのに、米がしゃっきりとした歯ごたえを残している。水分が少ないので、いつもと同じ1合なのに、量が少ないように思え、物足りない。もっと食べたい。なんで宮沢賢治が1日に4合も食ってたのか分かった。
 最近のIH炊飯器などは知らないが、いま家にある安い炊飯器ではどうしても水分多めの炊きあがりとなり、そのせいかすぐに満腹となる。
 米消費量減少の理由のひとつには、こんなこともあるのではないか。



朝日新聞の勧誘員が

 いま来て勝手に洗剤を置いていったので、朝日新聞に抗議のメールを送ってやった。ヒマだし。ちょいと酒飲んでいい気分だし。

 面白けりゃ取るンだよ、新聞も。いくらでもな。
 ヤンキー風の勧誘員がやけにしつこいから「つまんないから取らないんだよ」と言ってやったら、「そりゃないっスよ〜。つき合いってものがあるじゃないスかぁ」とか甘えたことを言う。「何度でも来ますよ」と言うので「来ても取らねーぞ」と言い置いて玄関にほっぽらかしてやった。

 冗談じゃねえ。俺の心血注いだゲームは3000本しか売れなかったんだぜ。
 泣き落としでオタクがあと2,3千も買ってくれんのか。
 俺の友人は貧乏で死んでるンだぜ。

 「3ヶ月だけお願いしますよ〜」じゃねえ。面白けりゃあ、言われるまでもなく10年でも20年でも取るンだよ。
 つまらないから取らないのよ。朝日に限らんけどな。朝日取るくらいなら、むしろ赤旗取るね、俺ぁ。
 論調があまりにも古いンだよ。現実と乖離してるのよ。広い意味での科学的視点に欠ける。こりゃ致命的だ。生の情報だけ提供してりゃぁそれでいいのよ。

 まあ、古いメディアはとっとと勝手に死んでくれ。
 エロゲ屋も静かに死につつあるけどなw

 なんだっけ、綿矢たえだか、里谷りさだかって、例の芥川賞の。
 こんな娘より、氷室冴子を紙面で大きく取り上げたら、3ヶ月くらいは取ってやってもいいけどな。
 本が売れない時代、とかじゃねえべ。お前ら(ブン屋)こそ読んでないぢゃん、みたいな。氷室冴子読まずに、なに読むんだか。「なぎさボーイ」「多恵子ガール」あたりでも読んでみれば、バーチャ援交気分で、美少女?作家一面に持ってくる前に、なにを記事にすればいいか分かろうってもんだ。

 あと、ついでにダイソーで売ってる、「つらいぜ!ボクちゃん」(全6巻)もな。
 この世紀の大傑作が1冊100円で売られているのを見るたびに俺は本当に胸が痛くなる。
 これが100円なら、ロクでもない俺のものなんぞに、いくらの価値があるんだか。
 朝日も。



ゲーム屋ケンちゃん

 大坂のカタキを東京で討つ!

 大坂夏の陣で豊臣家の嫡流が途絶えて四百年
 しかしたった一筋、密かに残された血を引く者がいた
 関ヶ原も、大坂の陣も、長い戦いの緒戦 
 いまだ家康の死霊が支配するけがれた地――穢土えど・東京で、
 いま「東京夏の陣」が始まる!
 豊臣か、徳川か、 
 不老不死の〈マガタマ〉を手にするのはどちらか――


 ――というような物語を作っている。
 一応ゲームの企画書という体裁でまとめて、どこかへ持ち込もうかと考えている。
 が、しかし、これは商品化は無理である。最初からそう承知しつつ、手を入れている。
 〈マガタマ〉とあるように三種神器モノである。
 物語の都合上、現在、皇居・賢所にある勾玉を偽物としたり、万世一系の皇統を守る天皇家の目的は不老不死の血の獲得である、といった設定を織り込まざるをえない。無難が求められる娯楽商品としては、やはり難しいであろう。
 なんとか日の目を見るよう計らってあげたいと思いつつ、どうしたら良いかは、いま分からない。

 って、ちと司馬遼太郎風に書いてみたり。
 太郎は太郎でも、俺は山田風太郎が好きだが。



このごろ毎日食べるもの

 胡麻に、玉葱、生わかめ
 コーヒー、黒糖、柿の種
 ワイン、煮干しに、つぶあんぱん
 炊きたてご飯に、生にんにく

 ゴマ、うまい。
 なにより炊きたてのご飯が好きなおれだけど、同じくらい毎日よくゴマを食べてる。
 納豆にゴマ。生卵にゴマ。大根おろしにゴマ。カレーにゴマ。浅漬けにゴマ。焼き肉や麻婆豆腐にゴマ。イシイのハンバーグにゴマ。蕎麦やうどんにもゴマ。
 蕎麦・うどんの場合は、わかめと一緒に茹でた麺に、湯切りの時に湯通しした玉葱とツナをのせて、めんつゆをかけて、たっぷりゴマをトッピング。あぶら麩があれば麺と一緒に茹でて、大根があれば2cmぶんくらいおろして、かき混ぜて食べる。うめー!
 夕飯に食べたゴマが歯の間に詰まっているのを、寝転がって本を読んでるうちにでも気づいて、それを舌先でつついて落として前歯でプチっと噛んだときに口中に広がる、あのゴマの風味。まさに醍醐味。



みのー、みのー

 って、いい加減うぜえ。ていうか最初っから。

 一連の年金未納騒ぎを見ていて思うのは、こんど戦争をやったら、またしても確実に負けるってこと。

 冗談じゃねえ。
 せっかく全国のオタク一同、人生なげうって2次元エロ追究して(最近は3Dなの?)、「世界萌え萌え計画」を着々と進め、馬鹿な米人の奴らを骨抜きにして大東亜戦争の復讐を遂げんとしてるってのに、台無しじゃねえか!
 「未納」を含むニュースを全部透明あぼーんにしたいところだが、2ちゃんじゃねえから、ラジオやWebのニュースだとそうもいかねえ。

 馬鹿なのか? ブン屋にテレビ屋ってのは。
 いま「未納」と騒いでいることと、戦時中「非国民」と吊し上げたことと、それがまったく同じ愚かな行為だということになぜ気づかぬ。
 ま、馬鹿だからか。筑紫哲也とか。いや、これには笑った。したり顔で未納議員に散々苦言呈したお人が自分も未納ときたもんだ。
 しかし、こんなことやってちゃ戦争にゃ勝てないんだよ。60年前みたいにな。
 やっぱりこういう連中(ブン屋にテレビ屋、リベラル市民)から殺さないとダメなんだよね。3万人の自殺者の代わりに。

 とにかくすべての元凶はくだらん「平等」思想だわな。
 「自由・平等・博愛」とかさ、そういうくだんない、西洋で最近(近代)できたオサレ思想。
 だいたいが、差別したくてウズウズしてる連中に限って、平等とか平和とかエコとか子供の権利条約批准とか言うわな。(いいかげん俺もしつこいね)
 で、差別できないフラストレーションがたまって、その捌け口として、年金未納議員とか、ペパーダイン古賀さんとか、北朝鮮とか、かつての森総理とかを徹底的に「差別」するわけだ。ことさら「平等」とかいうヒトは。
 笑いが止まらないのは、年金かすめて私腹肥やしてる社会保険庁の役人連中。

 そもそも「平等」の意味が分からんのだが、まあそれは置いておいて、「平等」が正しいってことにしましょう。

 しかし、1億年後も「平等」とか言ってるつもりなのかね?
 「厳密に平等」だったら進化しねーぞ。
 どうやって生命が進化してきたのか、学校で習っただろうに。
 人間とチンパンジーは、つい最近(たったの500万年前)まで、30億年以上もずっと同類だったのに、いまじゃ全然違う。人間の方が、カッコイイし(男)、可愛いし(女)、チンチンもでかいし(男)、オッパイも大きくて(女)萌える(俺含め大部分の男は)。
 これは容赦のない差別、つまり「間接的な殺し合い」の結果ですよ。
 「平等」みたいな、中学生のポエムじみたウブな思想を信奉することで、もう進化は打ち止めってことでいいのか。1億年後も、現状維持のホモ・サピエンスで、それで通用すると思うのか?
 そんな甘いもんじゃなかろう。いくらこの世界をお創りになった神様が慈悲深いったって、そんな生ぬるい戦略は許しちゃくれんだろ。1億年もこのままだったら、知性化したゴキブリのペットにでもされちまうぞ。

 というか、そういう人たちは本気で、進化の必要を感じないのだろう。
 なぜなら、自分が永遠に生きるつもり、だから。
 クローン技術で不老不死まであと一歩とか錯覚してるんだろうが、気ぃ早すぎ。到底無理だって。鉄の塊と設計図だけ渡されて、さあ、この通り自動車を組み立てろってなもんだ。しかもF1とWRCで優勝しろみたいなね、不老不死ってのは。

 でもとにかく、「アタシは永遠に生きる」ってつもりのヒトは「平等」と主張したがる。
 でもその「平等」は「アタシが平等に扱われる」ってことなんだよね。他人がどうなろうが「アタシだけは『平等』よ!」って。
 なにしろ永遠に生きるつもりなんだから、絶対に「平等」に扱われなけりゃいけないわけだ、アタシだけは。「差別される」ことは「間接的に殺される」ことだから。

 恐ろしい危険思想だわな、こりゃ。なにが平等なんだか。



良いパクリ、悪いパクリ

 テレビないし、新聞取ってないし、金ないから雑誌も買わないしで、すっかり世捨て人と化しているので、ベストセラー記録を更新したって「世界の中心で、愛をさけぶ」って小説の存在を知ったのが、つい先週末。

 タイトルからしてパクリのパクリ。

 この作者(おっと、調べたら「犯人」は編集者だそーだ)がパクったのはエヴァなのだろうが、そのエヴァ(監督、庵野秀明)がパクった、大元のオリジナルは、ハーラン・エリスンの短編集「世界の中心で愛を叫んだけもの」(早川文庫SF)。これは有名な話。

 だいたい最近(というか70年代以降)のSFは、SFに興味のないカタギの人間にはまったくつまらない代物だと思うが、これは誰が読んでも面白い、万人にお勧めできる大傑作。
 エヴァの元ネタとしての存在としては、まあ相当有名になったのだろうが、しかしこっちはベストセラーにはほど遠い売れ行きだろう。

 ところで、nyの47氏が逮捕されたわけだが、大義のため(?)容疑者となった47氏と、この日本一のベストセラー作家を比べて、どちらが悪党かといえばこれはもう議論の余地ないわけだ。

 ひとくちにパクリというが、「良いパクリ」と「悪いパクリ」の区別が出来るわけで、私はパクリはすべてNGという考えではなく、別にパクってもいいじゃないかという考えだ。「良いパクリ」なら。

 じゃあ「良いパクリ」とはなんなのか?
 条件が二つある。

 ひとつは、パクリ元(「オリジナル」とは限らない、今回の例のように)の作品・作者に対し、じゅうぶん敬意を払うということ。

 「世界の中心で、愛をさけぶ」というフレーズ(の利用の仕方、つまり売り方)には微塵もパクリ元への尊敬が感じられない。
 一方エヴァ最終話のタイトル「世界の中心でアイを叫んだけもの」に敬意がこめられているかというと極めてアレだが、少なくとも「だから最初っから全部パクリなんだって」というやけっぱちな(ある種清々しいまでの)気分がそこはかとなく感じられるので、まあよかろう、という気にはなる。

 さて、「良いパクリ」の残る条件は、パクリ元の面白さをそのままパクるのではない、ということ。
 やや分かりづらいが、つまりパクるにしても、パクリ元のネタの面白さをそのまま自分の作品にコピペするのではなく、ひとつのヒントやきっかけとして、そこから自分の作品のなかで独自に面白みを出す材料として使う――ということであればよろしいのではないか、とこういうことである。

 宮崎アニメで他の作品からの引用ぶりが気になるのは(私自身はパクリとは思わない、つまり「良いパクリ」だと思っているが)、パクリ元の作品のアイデアをそのまま、その作品中における面白みごと持ってきてしまっている、その手際があまりにも鮮やかであるからだ。
 でも宮崎アニメは面白いからね。皮肉でも逆説でもなく、面白いということが最高の正義なんだよね。

 ところで、エヴァのパクリは「まあよかろう」と書いたが、すべてが「良いパクリ」というわけではない。
 たとえば、綾波のマンションを訪れたシンジの前で、綾波がブラジャーをつけるという名(?)場面。あのブラジャーのつけかた。
 「オリジナル」を知らなければ「すごい(リアルな)演出」となるだろうが(エロイし)、あのシーンとまったく同じ、寸分違わぬ描写が他でもない、ハーラン・エリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」中の一遍でなされている。
 エヴァでなければ、こういうのが「悪いパクリ」の典型というべきか。

 ていうか、まあしかしパクリもクソもないわな。面白いもん勝ち。あと、売れたもん。



種をまく意図

 今日は、朝顔のタネをまきました。ひまわりのタネもまきました。
 朝顔のタネをまくのは、小学校の2年生以来です。
 どんな花が咲くのかなと、いまからすごく楽しみです。
 でも、ちゃんと芽が出て、スクスクと育ってくれるかなと、ぼくは少し心配です。
 もう芽が出てるかなと、何度も何度も庭に出て、花壇と植木鉢を確かめてしまいました。今日植えたばかりで芽が出てるはずないのに、どうしてか確かめたくなってしまうのです。そういう人間の心理というのは、とても面白いと思います。

 ぼくは観葉植物も育てています。そんなにたくさん買ったつもりはないのに、この四ヶ月の間に10鉢にも増えてしまいました。
 春になり日照時間も気温も上昇して、朝見たときには針の先ほどだった小さな芽が、夜仕事から疲れて帰って来てみると大きく葉を開いていたりすると、ぼくはとてもうれしいです。
 畳と女房は新しいほうがいい、なんて言いますけど、観葉植物もそうかもしれません。
 古いやつは(といっても買って数ヶ月ですけど)どうしても部分的に葉っぱが枯れてしまったり、枝が不格好に伸びたりして、古女房同様初々しくありません。
 新しい奴は、つやつやと若々しい葉の緑もうっとりするほど鮮やかで美しく、見ていて飽きません。こと観葉植物に限っては、ぼくは炉利かもしれません。

 でも古女房は古女房で、あんがい可愛いところもあるんです。
 冬の間にすっかり葉が枯れ落ちてしまい、もう死んだものと思ったパキラが、先日小さな芽が出始めたなと思ったら、まさに見る見るうちにという勢いで一気に葉をつけました。とても嬉しかったです。

 ていうか、子供電話相談室はいつ聞いても面白いと思いました。
 永ちゃん、最高。YAZAWAもいいけど、六輔のほうね。
 永ちゃんみたいに「ちゃんとしたこと」で、かつ「インチキじゃなく」て、かつ「本当のこと」を言う人はテレビではあんまり見られません。
 二年前だったか、永さんの奥さんが亡くなった直後の生放送は、こういう言い方はなんだけどとても面白かったです。

 ていうか今度は400kmペダルを漕いでくるつもりが、雨の予報でくじけてしまいました。
 ひと月沖縄に行くつもりなら雨でも出かけるべきだったけど、雨のなかテントをたたむだろうことを思うと、とても出かける気にはなりませんでした。
 雨中の撤収は辛い。本当に辛い。届きそうで届かぬ恋と同じくらい、辛い。



いつもポケットにコルトレーン

「とにかくモーツァルトだけは分からんな」
 そう言うなり奴さん、グラスのジンフィズを飲み干したね。
 ところがそのグラスときたら僕が頼んだ飲み物なんだぜ。この野郎ときたらいつもこうなんだよ。そういう「ちょっとした乱暴」がデキる男のたしなみだとかなんとか勘違いしてやがるのさ。
「とにかく、モーツァルトだけは皆目分からんね」
 バーテンに空のグラスを見せてから、もう一度奴は繰り返した。よくよくそのセリフが気に入ったんだな。
「モーツァルトなんかを聴く奴の気がしれないよ。知ってるか? ベートーベンとモーツァルトはウィーンで一度会ったことがあるんだが、モーツァルトの印象を人に聞かれたベートーベンがなんて答えたか」
 たっぷり五秒間も間をおいて奴はこう続けたね。
「『あの人も終わったね』と、こうだぜ? 当時の大スターのモーツァルトをだぜ、十六歳のひよっ子が、終わったねとバッサリなんだからな!」

 ――とかなんとか、リア工の頃はよくクラブの日誌をライ麦畑の文体真似て書いたりしたけど、ホールデン・コールフィールドが主人公のエロゲ(ギャルゲー)ってアリなんだろうか――なんてことを考えるほどヒマ……でもないのだが、こんな事で気を紛らわさないと居ても立ってもいられない夜ではあったり。





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