▲侘 寂 萌 インデックス



STILL life (walking)

 どうせ働かなくてもひと月は金が入るので(6掛だけど)、口入れ屋からの連絡にシカトして毎日ぶらぶらしてる。
 自転車で図書館行って、隣の市(八千代)に新しくできたショッピングセンターのユニクロでクールマックスのTシャツとか290円のスウェットパーカーなんかを買って、花見川のサイクリングコースを戻ってくる。

 大和田水門から花島観音あたりにかけての道がまた気持ちよくてね。
 川の両側が高くなって木が茂っていて、ジャリ道と白い柵以外には人工物がなにも見えなくて、すごく遠くのどこか山奥に来たような気分。誰も人がいないと気味が悪いほど。でもこれがまたとてもいい感じだ。

 先月の雲取山でも二泊三日の間ほとんど人に行き会わなかった。
 残雪と落ち葉に覆われた登山道は踏み跡も薄く、聞こえるのは鳥のさえずりと、いまだ冬枯れのままの森を吹き渡る風の音のみ。延々、歩いても歩いても誰もいない。道に迷ったような気がしてきて、さすがにちょっと焦った。

 一泊目は無人の山小屋の脇で幕営。
 夕日に染まる意外なほど大きな富士山と(奥多摩・奥秩父で見る富士山はいつも予想より大きい)、下界の東京の灯りが綺麗だった。翌日は桶にたまった水がカチンカチンに凍りついて、5cmくらいの霜柱が立った。

 二泊目は避難小屋。
 奥多摩あたりの避難小屋には怪しい人間の噂も多いので、避難小屋泊まりは避けたかったが幕営地がないのでしかたがない。
 しかし先客は穏和そうなインテリっぽいお爺さんで安心した。
 電気のない山の夜は早い。二人とも6時過ぎにはもうシュラフにもぐり込んで横になった。
 久しぶりの山歩きでヘトヘトだ。真新しい快適な避難小屋でぐっすり眠れて良かった――とウトウトしかけたところ、いびきが始まった。
 まあ、いびきくらいはどうということもないのだが、続いて寝言がはじまる。
「2年――」と、明瞭で、かなりの大声の寝言。
「あと2年、生きたい!」
 このお爺さん、持病でもあるんだろうか――と思ったらすぐに、今度は逆に「早く死にたい!」と、呻るように声を絞り出す。
 奥多摩にヤヴァイ奴多しの噂はやっぱり本当だった。これでもう眠れなくなっちまった。人里離れた山奥の小屋で二人きり、「死にたい!」と叫ぶ爺さんを気にすることなく熟睡できるほど俺は豪傑じゃない。
 これだから避難小屋泊まりは気が進まなかったんだ。いまからでもテントを張りたい気分だよ。
「1億5千万円!」 なにかブツブツ言っていたお爺さんが突然叫んだ。
 1億5千万って、な、なんだよう……。いったいどういう文脈での金額なんだか。
 そのうち「俺は人を殺してきたんだ!」とか、知ってはならないことを告白しはじめるんじゃないかと怖くなった。

 お爺さんはその後も「死にたい」「生きたい」「1億5千万」を繰り返す。
 俺は初夜の花嫁のように体を固く縮こまらせたまま一晩中まんじりともせずに朝を迎えた。

 翌朝、出発の準備をしていると、お爺さんも起きだして「コーヒーでもどうですか?」とニコニコと話しかけてくる。当然ながら、自分の寝言のことなどこれぽっちも覚えていないご様子。
「インスタントなんかじゃない、ちゃんとペーパードリップで淹れるんですよ」
 なにか変なものでも入ってやしねえかな(変な薬とか、あるいはオシッコとかw)と一瞬疑ったが、すでに二人分のお湯を沸かしはじめていたのでご馳走になることにした。
 変な味がすることもなく、豆はなんとブルマンですごくうまかった。

 お爺さんはこの奥多摩近辺の避難小屋をしょっちゅう泊まり歩いていて、真冬の2月頃にも雪山に入り避難小屋で寝泊まりするのだという。
 子供や孫もあるだろうに、この年になって、いかなる心境で厳冬期の避難小屋泊まりを続けているのか、俺には想像もつかなかった。

 コーヒーのお礼を言って避難小屋を出て、冷たい朝の空気の中、山道を登りながら、1億5千万円というのは生命保険の給付金だろうかと気づいた。





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