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マラムレシュ書評 読書人

  2000年3月17日

東欧イメージをただす

ひたむきな恋の足跡
土地の魅力をますとこうまく伝える

沼野恭子


ひとことで言えば、これは、長年にわたるひたむきな「恋」の足跡を吐露した、みやこうせい氏の切実な告白の書だ、と要約することができるかもしれない。ただし、その「恋」の相手とはマラムレシュというルーマニア北部の一地方である。

著者は、この土地に文字どおり惚れこみ、足繁くかよって、村人ちの生活や風習、知恵や美徳をつぶさに観察し、複雑な歴史と錯綜する民族の関係をおさえた上で、それらを生き生きと描写している。 「マラムレシュには野の叫びがあり、人間の心からなる声が生きている」
「青い静脈が見えるか見えぬかに肌に浮き出ているが、黒ベースとしてくっきりと同形の花模穣が連続しているビーズ刺繍を首に巻くと、思わずため思が出る」

マラムレシュを神聖な地と見なす著者の熱い思いが、こうした文章のはしばしからわってくる。それにしても、なぜマダガスカルでもフィリピンでもく、「ヨーロッパの地の果て」と呼ばれる地域なのか。それには著者自身がいくつか答えを用意しているが、しょせん恋に理由などいらないではないか。微に入細に入る描写読みゆくち、いしか読者まで、一度も足を踏み入れたことのない当地に、ほのかな羨望と憧れを抱くようになっていること、請け合いだ。

 表情豊かな村人たちの写真が、ふんだんに用いられているのもいい。著者自身の手になるこれらの写真は、文章から受ける印象をさらに膨らませ活気づかせるのにほどよく役立っている。

 しかし、なんといっても圧巻は、本書の後半、不慮の事故で死んだ若者を村人が総出で弔う様子が克明に記されているところだう。悲しい弔いの儀式は、やがて未婚の死者の架空の結婚式へと転化する。著者はそれを「日常と非日常が交叉して、悲しみながら、ある希望を人々に持たせることにもなったドラマ」だと述懐する。民俗学者でもなかなか遭遇建できないというこの稀有の通過儀礼に立ち会えたという事実は、著者が村人たちに身内として受け入れられていること、つまり著者の思い入れがけっして「片思いないことを物語っていよう。

 もっとも著者は、手放しにマラムレュを礼賛しているのでも、薄っぺらなノスタルジーに浸っているのでもない。人々が大事に守ってきた伝統的な歌や踊りが、悪名高いチャウシェスク政権の時代に、民族主義高揚の手段として利用されたことも見落としていないし、かつてこの辺りに住んでいたユダヤ人の迫害に、ハンガリー人やルーマニア人が直接・間接に手を下したことも把握している。

「マラムレシュの墓地のまん中に立っていると、亡くなった(ユダヤ)人の声がわき起こって来て、体のまわりが囲まれる錯覚をもつに至る」

 日頃、およそ具体的な情報の伝わってこないルーマニア。本書は、往古のヨーロッパの息吹をそのままに残すマラムレシュの魅力をあますところなく伝えて、私たちの狭隘で偏った「東欧」イメージを、小気味よくただしてくれる。
(ぬまの・きょうこ氏=ロシア文学者)

マラムレシュ表紙
みや こうせい著
マラムレシュ
ルーマニア山村のフォークロア
46判 270頁 2200円
未知谷
4-89642-005-5

★みや・こうせい氏は写真家、エッセイスト。著書に「森のかなたのミューズ達」など。一九三七(昭和12)年生。



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