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奄美日記


奄美日記(2)


 奄美をくまなくまわり、決して他者には撮り得ない写真(『奄美―太古のささやき』毎日新聞社刊他)を上奏している地元写真家、濱田康作がさっそくソクーロフを案内する。濱田さんは島言葉も話す島人。

 島の巫女であるノロの墓。聖なる巨大樹木ガジュマルの樹冠の周辺は聖なるミクロコスモス。墓はガジュマルに抱かれる。その根は南国の太陽と水を浴び、思うままに成育する。節くれだち四方にくねって延びる根。それは押し付けがましい愛情の表現とも、抑えがたい怨念の象徴とも受け取れる。そして根は遂にノロの石墓を砕く。砕かれた墓の薄暗い奥にはノロの骸骨が垣間見える。そこだけ微かな明かりに照らされたように練り絹の色と光を放つ。生と死の凝縮された象徴。ソクーロフは目を凝らす。「ここは必ず撮ろう」と弦く。

 島を巡っていると、島は海に浮かぶ舞台のように思えてくる。ここに生きる人々は自分の人生を生きていると同時に、天に対して、海にたいして演じているのではないか。目に見えない観客に向かって…

 島の植物相は沖縄とかなり重なる。デェイゴ、ガジュマル、ハイビスカス、ブーゲンビリヤ… だが心なしか、ここの植物は沖縄に比べ湿り気を帯びている。濃厚な緑にも湿気が感じられる。海岸沿いに走ると、岸辺の水がとても澄んでいることがある。海の水とは考えられない。不思議に思って濱田さんに尋ねると、湧き水だと言う。
"奄美"の語源と思われる意味は、一つに"雨水"二つに"美しい天"とのことだ。「雨が降っている光景が最も奄美らしいのですよ、意外でしょう」と濱田さん。「それでは奄美の色調は、濱田調でもあるソクーロフ調ですね」と私たちは笑う。6月に私が下見に島を訪ねた折に、濱田さんに奥さんの定子さんが、「あんた、暗い雨降り風景ではなく海辺にかっと太陽が照って、水着のきれいな女の子を撮った方が受けるわよ」と勧めたことが私たちの脳裡にある。濱田さんと私が「ちがう、ちがう、それは誰でも撮れる、濱田調はソクーロフ調で芸術なのだ」とむきになると、彼女は「宏子さんが、そう言ってくれるのは嬉しいわ。なかなか分かってもらえないのよ」と善良な笑みを浮かべた。やはり康作さんを愛し理解している。今やソクーロフが傍らにいるので濱田夫妻は百万の援軍を得た気分のようだ。

 濱田さんは、初めソクーロフを愛する島に徹底して案内しようと意気込んでおられた。だがソクーロフが到着した瞬間から、島について熟知しているような眼差しを注ぎ、鋭い考察を披露するので、彼までも驚かされている。そして、「ソクーロフさんはすでに島を発見していますねjと言い、ご自分が案内するよりは、ソクーロフの心の赴くままに従うという姿勢をとられた。言葉を介さない、そのお二人の内面の交流に私は胸を打たれるばかりだった…

児島宏子

Team at work

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