エピローグ

Web製作舞台裏雑感               2004年2月29日


                                     小原信利

俳画Webページの構成をさせて戴く為、日本語俳句作者とロシア語翻訳者間の連絡係りをしていると、文化の違いなどで、時々「目から鱗」の体験をすることがありました。

2002年12月の日本語俳句がその一例です。
ザグレベルニーさんから、「クリスマス」とペディキュアの組み合わせはどうしても考え難い、というお話がありました。単語を入れ替え、「クリスマス」は「新年」としたい、という訳者のご依頼でした。結局、ロシア語訳は違う内容になっています。他の句でも、翻訳が難しいというお答えはあったのですが、訳語を変えさせていただきたい、というこのご依頼にはびっくり。原作者にご了承を戴いた上で、別訳ロシア語を載せてあります。
クリスマスとペディキュアの並列に何も感じることなく拝読読していたのでした。1000年来キリスト教文化の中で暮らす方々と我々とでは、物の見方に大きく違うところがあるようです。
宗教と言えば、昔インドに出張した時、あちらの方々と食卓を囲んで談話していたところ、「仏教というのはヒンズー教の分派ですからね。日本仏教の神々の大半はヒンズー教からの輸入ですよ」とどなたかが言うと、全員が頷いたのを思い出します。仏教はヒンズー教を土台に、釈迦を開祖として生まれた宗教で、日本仏教は聖徳太子によって基礎を据えられたといわれますが、あの時インドの方々に、日本仏教をまるで子供をあやすように扱われたと感じたのはひがみでしょうか?
ジェームス・ミッチェナーという多くの長編を書いた作家の作品に「ソース」という本があります。イスラエルでの古蹟発掘を通して、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の発生を描いた大作です。三大宗教、全て同じ地域から生まれていたことは失念しがちです。ロシア古代もそうですが、この本も、やはり八百万の神々が信じられていたところから話は始まります。非常に興味深く読める名作でも、こちらの意識、太古の八百万の神々時代のままであることを意識させられました。善し悪しでなく、そういう違いではあるまいかと思います。

2003年5月の鯉幟の句では「鯉のぼり」の材料が問題になりました。
最初のロシア語翻訳は「紙の鯉」でしたが、やはり大きな鯉のぼりが翩翻と翻っていないといけないのではと思えたのです。紙の鯉のぼりが翻っているのは想像できかね、原作者にお伺いしました。やはり繊維製品の鯉幟でした。ロシアには鯉のぼりはありません。何故紙だったのか翻訳者ご本人には確認しておりませんが、日本のWebを検索すると紙製鯉のぼりページもヒットします。鯉幟とそのまま訳しても、見たことのないロシアの人々にはまるで想像がつかないでしょう。また、単に「鯉」だけでは形にもならないということで、「空の」という形容詞を補ったロシア語最終訳になっています。

「所変われば、品も、見方も変わる」ことが分かるのは興味深いもので、その驚きを楽しみに、お手伝いさせていただいたような気がしています。