ゆっくりと振り返ってみよう…
時は1997年の2月。
「大好きなREのために何かアクションを起こしたい…」
私が衝動に駆られて
RX−7を手に入れたあの時から今、
早くも3年という月日が過ぎようとしている。
無風、いや逆風に思えて仕方のなかった、
当時のRotary
Engineを取り巻く状況を鑑みれば、
その間、じつに大きな変化が訪れたといえるだろう。
1997年の10月、
RE生誕30周年を記念した限定モデル、
RX−7「タイプRS−R」が発売された。
そして、1998年の12月には、
登場から7年が経過したクルマとしては異例の
きわめて大掛かりなマイナーチェンジが施された。
一線級の速さにさらに磨きをかけると同時に、
より多くのユーザーにREを味わってもらえるよう、
グレード構成と車両価格も見直された。
RX−7が再び自動車雑誌等のメディアに
大きく取り上げられたことは記憶に新しい。
そして、忘れもしない
1999年10月の東京モーターショー。
マツダのマーチン・R・リーチ常務の予告通り、
次世代REを搭載したコンセプトカー
「RX−EVOLV」が華々しく出展された。
この衝撃の事実はRE愛好家のみならず、
世界の自動車ファンの注目を集めるに至った。
こうしたREに関するPositiveな動きを、
私達はしっかりとリアルタイムで感じ取ることができた。
車検を控えたシルバーのマイFDがここにいる。
初めて手に入れたあの感動の瞬間から、
私の「REへの思い」を乗せて
文句ひとつ言わずに様々なイベントに出向き、
そして、全国各地のサーキットを激走してくれた。
6万キロを走破してひどく痛んだボディ…
思えば密度の濃い3年間だった。
…もう酷使するのは偲びなくなった。
でも、私はまだサーキットを去りたくはなかった。
まだまだREの速さをアピールしたいし、
もっともっとRX−7と深く対話していきたいと思った。
2000年1月。
最新のRX−7は、いつしかその名を
アンフィニRX−7からマツダRX−7に替えていた。
あれから3年たった今もなお、このクルマは
世界唯一のRE車という看板を背負ったままだ。
しかし、リフレッシュした外観とモア・パワー、
さらに冷却性能の飛躍的改善がADDされている。
RX−7が一番活き活きする「サーキット」。
そのサーキットユーザーのリクエストを正面から受け止め、
一線級の運動性能をさらに研ぎ澄ませていた。
このマシンが私にとっては唯一、かつ
最高の選択肢であることは疑いの余地がない。
でも、そのことよりも
あの日のイベントで私が抱いた期待通りに、
史上最強のREマシンをこの世に送り出してくれた
RX−7の開発陣にしっかりと応えたいと思った。
そう、このクルマは
多くのREファン&RX−7ファンの
アツイ思いが詰め込まれた結晶なのだから!
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シルバーのセブンはもういない。
しかし、3年という短い間にも
数え切れないくらいの楽しい思い出と、
大勢の友人・同志を私に残してくれた。
本当にありがとう…。
そして
新しいレッドの相棒を見つめていると、
これから訪れるであろう未知の出来事に
私の期待は自ずと膨らむのであった!
WE LOVE ROTARY ENGINE
−第7話 おわり−