生まれてはみたけれど


                        1932年/松竹蒲田/モノクロ

 いろいろなスタイルの映画があっていいとは思うが、それにしても最近の日本映画は少々台詞の量が多すぎやしないだろうか。それが邦画界の低迷の原因の一つに思えてならない。かつて評価の高かった監督たちでさえ、テレビドラマの影響なのか、俳優たちにやたらと声高な演技を要求する。心象風景を題材にしたいわゆる佳作と呼ばれる小品でさえ、くどくどと状況を説明する台詞が多い。
 僕らは、わざわざなにがしかのお金を払って映画館というあの暗い空間に身を置いているわけで、ちょっと大げさにいえば、感性を磨ぎ澄ませて映像と同化しようとしているのだ。隣でなにかささやかれただけでも気になるというのに、台詞自体があまりに雄弁だと一変に興をそがれてしまう。そういった特異な場としての映画館の状況をいちばん理解しているはずの映画人が、いとも簡単に過ちをおかしてしまう。結果として、映画はきわめて薄っぺらな内容しか与えてくれない。
   もちろん最近の作品の中にも良いものがないわけではないが、今回はあえて映画の原点に立ち戻り、日本無声映画の金字塔とも云われる小津安二郎監督「生まれてはみたけれど」(32 松竹蒲田) を紹介しようと思う。
 無声映画だから当然台詞はない。フィルムは白黒だし、ところどころ傷んでいて画像がとんでいるところもある。カメラの移動や画面の切り替えも控えめだし、役者たちにも誇張された演技や強い調子の台詞がない。事件らしいものは後半も終わり近くに、父と子の間に起こるちょっとしたいさかいだけで、それ以外はこれといった見せ場もない。ないないづくしのこの映画が、それでも限りなく豊かに思えるのは何故なのだろうか・・・。

 <東京の郊外の住宅地に父母と二人の息子の一家が引っ越してくる。新しく越してきたばかりの小学生の兄弟は、近所の子供達にとってはよそ者のため、すぐには仲間に入れてもらえない。この二人がガキ大将にいじめられながらも、いろいろと策を弄し、苦労しながらついに前のガキ大将にかわって覇権を握る過程が、前半を過ぎるあたりまでユーモラスに描かれる。そこには無論、深刻な社会問題も何もあるわけがなく、観客はただ、ストーリーの語り口の巧妙さとギャグの秀逸さを笑っていればよい。
 しかし、ちょっと注意深く見てみれば、そんな他愛ない展開のなかにも、後半に繰り広げられる父と子供達のいさかいの伏線が実にさりげなく散りばめられていることに誰もが気付くはずだ。
 例えば、ガキ大将の子分の中に兄弟の父親が勤めている会社の専務の息子がいて、(実は父親はこの専務にオベッカを使うためにこの土地に引っ越してきたのだが)兄の良一が酒屋の小僧を味方にひき入れて貧乏人の子であるガキ大将を殴らせた後、ついでにあの子も殴ってくれと言うと、「あれはお得意様じゃねえか、おまえの家より何でも沢山買うぞ」と言って相手にしないシーンがある。全体の三分の一を経過したところのこの台詞あたりで、初めて、階級問題がひょっこりと顔を出す。
 また、子供の世界では力の強いものが最も偉いという単純な仕組みを、大将が「エイッ」と気合い術の真似をしたら、子分はその場でひっくり返らなければならないというギャグで示してみせたり、二人の兄弟が学校をさぼって野原で書いた習字に<甲>と書いて母親をごまかすシーンで、帰ってきた父親にそれがばれて二人が神妙にお説教を聞く姿から、父親の威厳を何気なく感じさせたり、コミカルな中にも当時の子供たちの純真さがうかがえるほほえましい情景描写が続く。
 その他にも、父の給料日に嬉々とする母の姿や、父親自慢に興じる子供たちのユーモラスなエピソードなどを交えながら、後半、映画は有名な“映写会の場面”へと移行していく。
 ある夜子供たちが、専務の子の家のホーム・ムービーの会におしかけて行く。そこでは専務が、会社の部下たちに映写機を操作させて、自分が会社や街頭で撮った小型映画を得意気に家族に見せている。むろん、兄弟の父親もそこにいて、しきりに専務の機嫌をとっている。その映画の中に突然、兄弟の父親が、専務にオベッカを使ってしきりと道化たポーズを撮るショットが入ってくる。
 日頃父親のそんなポーズを見たことのない兄弟はびっくりする。ことに、自分たちが今や子分のように扱っている友達の父親にペコペコしているのだからプライドを傷つけられることはなはだしい。憤慨した兄弟は、専務の家を飛び出して家へ帰り、遅れて帰宅した父親に執拗な抗議を開始する。
兄「お父ちゃんは僕たちに偉くなれ偉くなれといっている癖にちっとも偉くないんだね・・・。どういうわけで太郎ちゃんのお父ちゃんに、あんなに頭を下げるの?」
父「太郎ちゃんのお父さんは重役だからだよ」
兄「お父ちゃんだって重役になればいいじゃないか」
父「そう簡単にはゆかんよ、お父ちゃんは岩崎さんの会社の社員だからね・・・つまり、太郎ちゃんのお父さんから月給をもらっているんだよ」
兄「月給なんか貰わなければいいじゃないか」
弟「そうだそうだ、そんなもの貰うからいけないんだ」
父「お父さんが貰わなかったら、お前たちは学校へ行くこともご飯を食べることもできないよ」
兄「どうして太郎ちゃんのお父ちゃんだけ重役で、うちのお父ちゃんは重役でないの?」
父「太郎ちゃんとこはお金持ちだからだよ」
兄「お金があるから偉いの?」
父「世の中にはお金がなくても偉い人もある」
兄「お父ちゃんはどっちなのさ」
 そんな会話が続くのだが、兄は父親の説明に容易に納得しない。会話の間じゅう憤然としてひっくり反ったり、父親が渡そうとするお土産のお菓子を拒否したり、足をバタつかせて抗議のデモンストレーションをしたりする。そして、弟は兄のすることをいちいち真似して滑稽なしぐさを見せる。
 脚本はこのシーンで子供たちの思いを一段と強調するとともに、彼らをなだめすかす親たちの情けなさをきわだたせている。最初から全体の四分の三までテーマを正面に出さなかったかわり、いったんあふれでたテーマはここで徹底的に追求され、とどまるところをしらない。
 最初は穏やかに語りかけていた父親も、最後はとうとう子供たちの威勢に負けて、兄を抱えて尻に平手打ちをくわせる。激しく泣き出す兄。それまで訳もわからず追随していた弟も、それを見て自分も本当に悔しくなってきて大声で泣き出す。
 襖を締め切り、父親はやりきれない気持ちで酒を口にする。それまで思いがけない子供たちの反抗にただとまどうばかりだった母親が、「もっと穏やかに分からせる方法もあったのでは・・・」と控えめにつぶやく。沈黙する父の顔をカメラがめずらしくアップでとらえる。そのあと、父と母が襖をあけていつのまにか寝入ってしまった子供たちの姿を考え深げに眺める姿で暗転・・・。
 翌朝、子供たちは庭の手製のブランコに腰掛けながら、朝食を口にしないことで無言の抗議を続けている。父親がおにぎりを持ってそこへ歩み寄る。弟が空腹に耐えられず、まずそれに手を出し、兄も渋々それに続く。
 字幕、「家の中のほうが落ち着くよ」。
 居間では母親が父に連れられて戻ってくる子供たちをほっとした表情で待っている。お膳に伏せられた子供たちのお碗の下には、特別サービスの卵がそっとしのばせてある・ ・・。
 友達が迎えにきて、またいつものような毎日が始まる。父と息子たちは一緒に家を出る。途中、専務の車に出会い三人は立ち止まる。昨日のことがあるため父は専務の姿を見ても自然に挨拶ができない。ためらっている父に兄が屈託なく話しかける。
「お父ちゃん、専務さんだよ。挨拶しなくちゃだめじゃないか」・・・・・。>

 繰り返すが、これは無声映画である。したがって、いま紹介した台詞は全て字幕スーパーの形で観客に伝えられる。それなのに、見ている僕たちはあたかも映画の中の人々が直接話しているようで何の違和感も感じない。そのことは取りも直さず、この映画が音や色彩の枠を越えて僕たちの五感に鋭く迫っていることの証しに他ならない。無声映画でもまさしく声は聞こえるのである。

 芸術があえて自らに制約を課すことによって、より一層その輝きを増す例は、何も映画に限ったことではないが、昭和七年という、社会的にも様々な制約があったこの時代に、日本サイレント映画の白眉と評されるこの作品が誕生したことは、このことと決して無縁ではあるまい。
 この後、映画はトーキーの時代を迎え、さらにカラーフィルムの登場でその可能性を大きく広げていくことになる。そして今や様々なカラーテクニック、ステレオドルビーサウンド、SFXを駆使した映画作りが常識となりつつある。しかし、そんな時代だからこそ、もう一度、原点に戻って、豊かな叙情をたたえたこんな無声映画の名品に触れてみるのもまた一興かと思う。
 監督小津安二郎を語る時、決まって話題になるのがその厳格とも云える様式美だが、この映画は、彼がその様式を初めて意識した記念すべき作品といわれている。この後、三十年余りにもわたって、彼はかたくなに自分の製作スタイルを守り通した。名作「東京物語」(53 ) をはじめ、「晩春」(49)、「麦秋」(51)、「秋刀魚の味」(62)など、親と子の関係を軸に、きわめて身近な題材を扱った彼の作風は、遠くパリで、ニューヨークで、そしてようやくいま日本でも、再び新たなブームを呼んでいる。
 ローアングルに固定されたカメラワークや、巧みに意図された構図の美しさなど、興味は尽きないが、そんな面倒なことは抜きにしても十分楽しめる作品群である。この機会に是非ご鑑賞いただきたい。

 なお、多くの小津研究書の中から、今回は、佐藤忠男氏著「小津安二郎芸術」(朝日選書1978)から多く引用させていただいた。                                      *


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