【切り絵】コラム --------------------------------------

「猫と切り絵」   2020年3月 記
 

 現在我が家には7匹の猫がいる。外猫も含めると9匹になる。そのすべてがノラあがりだ。捨て猫、もらい猫を引き受けて、いつの間にか増えてしまった。もともと、家内が無類の動物好きで・・・mmm・・・、実はこれは厳密には正しくなく、「哀れな猫ちゃんたちを見るに忍びず」家に入れてしまった感じだ。それでも足りず?家内は何かのついでに、時々池袋西武のペット売り場に僕を誘う。そこには我が家の猫とは別物の毛並みが良く、お目々ぱっちりで、あどけなさこの上ない仔猫が鎮座している。お値段、なんと十数万円。一度でいいからそんなブランド猫を飼ってみたいと思ったりもするのだが、そんな時、グッと思いとどまって、我が駄猫の来歴を思い起こしてみる。

 一番の衝撃は、10年前の「5匹の捨て猫」だった。同居していた猫嫌いの母が老人ケア施設に入ってまもなく、それを待っていたかのように、お隣のマンションの管理人が5匹のみすぼらしい子猫を家に連れてきた。たまたま家内がその母猫を長い間外で飼っていたのが来訪の理由だった。家で猫を飼うことに積極的ではなかった僕に遠慮して、家内はさっそく里親探しに奔走した。家内の強力なネットワークのせいか、可愛い子猫だったせいか、里親は思いの外早く見つかった。それもみんな良い人たちで、一時はほっと胸をなでおろしたものだ。
 ところが2週間ほど経ち、次々と家から子猫がいなくなると、なんとも言えない寂しさが我が家を襲った。それでも2匹目までは耐えることができたのだが、3匹目になるとさすがに気持ちが沈んだ。この3匹目の女の子が一番下の子のようで、お兄ちゃんやお姉ちゃんたちに殊の外可愛がられていたのだ。じゃれ合う子猫の姿に僕は完全に魂を抜かれた。世の中にこんなかわいい動物がいたのか・・・。当初から家で飼うことにしていた黒猫をヨーダと名付けたのに合わせ、レイアと呼んでいたこの子も明日いなくなる・・・。その晩は悲しくてほとんど眠れなかった。
 翌日、レイアがいなくなった我が家はほぼ火が消えたような状態となった。さらに4匹目のブチのチャーリーがもらわれていったあとは、寂しさを通り越してほぼペットロスのような状態となった。一人残されたヨーダは寂しいのかご飯も口にしない。前の日まではチャーリーとあんなに元気よくはしゃぎまわっていたのに・・・。
 とうとう家内はお詫びの菓子折りを持って里親宅へ出向き、チャーリーを取り返してきた。それでも僕はレイアのことが忘れられず、相変わらず落ち込んでいた。そんな時長女が言ったひと言を今も忘れない。「ドナドナじゃないんだから、元気出しなよ」。「・・・そうか。レイアは屠殺場に連れて行かれたわけじゃないんだ。優しいお豆腐屋さんの飼い主のところで幸せに過ごしてるんだ・・・」。その後、子猫たちの動画や写真アルバムを作ることで、私はようやく立ち直ることができた。家の壁という壁が、子猫たちの爪痕でボロボロにされるのと引き換えに。

 そんな物語があって、いま我が家には黒猫のヨーダとブチのチャーリーが居着いている。他の猫たちにもそれぞれに物語があり、これまで家内の膝の上で看取った猫は数匹、去勢・避妊手術をした野良の数は数え切れない。猫好きもここまでくるとほぼ道楽の世界だ。
 いま我が家で一番の年寄りはすでに24歳を超えた。ほぼ同年齢のメス猫がもう一匹いて、少しボケが入ってきた2匹を家内はバーチャンズと呼んでいる。バーチャンズには専用の老人食を別の場所で与えなければならない。食べるものとスピードがみんな違うから、食事の世話とシモの世話で家内の毎日は多忙を極めている。一泊旅行もままならない状況だ。老後はゆっくり温泉でも・・・などと願っている僕としては、まったく困った問題なのだが、でも可愛い。もともと野良だから、デパートの猫には到底かなわないが、それぞれに可愛い。

 一度この愛猫たちを「切り絵」にしたことがある。これが思いの外難しい。問題は「毛描き」だ。もともと切り絵は形を単純化して切っていくのだが、ウチの猫たちは子猫でもなく、これといった特徴もないからどうしても毛並みに頼ってしまう。切り絵で1本1本の毛を切っていくのは至難の技だ。その後も何度か挑戦して、未だ満足な作品が切れていない。