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Audrey Hepburn Audrey Hepburn Renoir Vermeer the Beatles
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Guitar my love_1 Guitar my love_2 Guitar my love_3 Guitar my love_4 暁に翔ぶ
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Mr.Hoya vienna_modern 幻影の山河 MontSaint-Michel 飛翔する魂
棚田夕景 Lace pattern musical note Exotic pattern 1 Exotic pattern 2
三番倉庫 Butterfy cat & butterfly cat & chair cat & piano
森と湖 mandala 1 mandala 2 mandala 3 孔雀

シマエナガ

嶋田忠 写真展 「野生の瞬間 華麗なる鳥の世界」より

Guitar & bottle

Juan Gris1920 より

触れる切り絵

レース模様

Mr.cat

写楽・歌麿

赤薔薇・黒薔薇 autumn leaf ゆうけい dream autumn leaves
Audrey Hepburn Audrey Hepburn 鹿と森 レース模様 Clint Eastwood
Audrey Hepburn Audrey Hepburn Audrey Hepburn Audrey Hepburn Olivia Hussey
高倉健 Beethoven Bill Evans Bill Evans
godfather godfather Marilin Monroe Marilin Monroe Marilin Monroe
Marilin Monroe Michael Jackson terminator John.Lennon Yoda
ana cat&violin 風神雷神 風神雷神 エルザ
風船と子供たち 燕子花図屏風 Marilin Monroe 紫陽花と少女 向日葵と少女
森と湖 太陽がいっぱい 花と少女 月の砂漠 サウンド・オブ・ミュージック
椿

【切り絵】コラム

「人形と切り絵」  2020年1月20日 記
 

 結婚後、間もなくして両親と同居することになった。私は30歳の駆け出しの歯科医、家内は23歳だった。親の意向に反して私が東京に留まったために、親が半ば折れる形で故郷を離れることにしたのだった。若くして夫の親と暮らすことになった家内は随分と不安があったと思う。盆暮れなどに実家から帰るときなどは、よく車の中で涙ぐんでいた。彼女が持ち帰った荷物の中に、一体の人形があった。「しんちゃん」という名のやや大きめな男の子の抱き人形は、家内が小さい頃から大事にしていたものらしい。きっと義母と嫌なことがあったときなどに、その子はそっと家内を癒してくれていたのだろうと思う。

 それから40年近くの月日が流れた。すでにお互いの両親も亡くなり、いまはリタイアした私との穏やかな日々となった。数年前の引っ越しの際に、さすがに邪魔になったこの人形を処分しようとしたことがある。家庭ゴミというわけにもいかず、「人形供養」をしてくれるというお寺に依頼することにした。綺麗な布に包んで預けてきた後に、家内は一人ぼっちで置かれていた姿が忘れられず、次の日に再び寺に出向き、その子を持ち帰ってきた。以来人形はますます古びて、服は黄ばみ、顔や手に拭っても取れない汚れが染み付いているが、そんな経過を知ってかしらずか、その子はいまも家内の部屋に静かに鎮座している。

 さて、切り絵である。リタイア後に手慰みに始めた自己流の切り絵に、すっかりハマってしまい、いまや数十点を超えるまでになった。興味のない人からしたら、まさにゴミである。私の亡き後に、この子(作品)たちはどうなってしまうのだろう。いまのところ、我が子供たちはほとんど興味を示さないから、きっと、「処分に困るんだろうなあ」と思ってしまう。願わくば、家内のあの人形のように、いつまでも手元に置いて欲しいと思うのだが・・・。

「蹉駝のとき」  2020年1月20日 記
 

 無心で紙を切っているときに気づいたことがある。無心だから何も考えていないかというと、実はそうではないということだ。ぼんやりとではあるが、何か考えている。なかでも不思議に亡くなった人のことをよく思い出す。それも長年共に暮らした父母のことではなく、昔一緒に遊んだ仲間や、仕事でお世話になったメーカーの人、そして一番頻繁なのは、若くして逝った歌の好きな妹のことだ。毎朝仏壇に手を合わせる時よりもかえって「死」を思うことが多い。
 振り返れば多忙な毎日だった。歯科医として40年、仕事と家庭のために懸命に働いた。立ち止まって人生を考えるなどという余裕はなかったし、そんな気も起こらなかった。リタイアして生活が一転し、終日何をする予定もなくただ「切り絵」を切っている時間を、当時と比較して空しく感じることもある。

 そんな時、「徒然草」の解説本(中野孝次、講談社文庫)で、以下の一節に出会った。
「世俗の黙しがたきに随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心のいとま暇もなく、一生は、雑事の小節にさへられて空しく暮れなん。・・・日暮れみち途遠し。吾がしょう生すでにさだ蹉駝たり。諸縁を放下すべき時なり」
(世間の習慣、価値観、決り事を無視できないで、いちいち守ろうとしたら、やらずに済ませられることなど何一つない。が、万事そんなふうにしていたら、こうあれかしという願い事も多くなる。したくないこともせねばならず、身も苦しくなる。心の安らかな折とてもない。そして、そんなふうに生きていたら、一生はつまらぬ小さな事どもにかまけ、妨げられているうちに空しく暮れてしまうのだ。・・・はや日は暮れかけたのに道は遠い。わが人生は、すでにケリがつき、これだけのものとわかった。今こそ世間との諸々の縁を断ち切るべき時だ。・・・)

 もし、いまの状況が兼好のいう「蹉駝のとき」であれば、「切り絵」は、僕にとってあながち無為の作業ではないのかもしれない。「日暮れ、途遠し」・・・。きっとだからこそ、無意識に「死」を思ってしまうのだろう。歌好きな仲間とリサイタルまでやって、人生を大いに楽しんでいた妹は、あの時すでに「蹉駝のとき」を悟っていたのだろうか。そうだとしても、30歳で出家遁世してから40年近くも生きた兼好と比較して、妹の死がいかにも早すぎたように思えてならない。

「ギター」    2020年1月30日 記

 切り絵に興味を持ってから、最初に切りたいと思ったのは「ギター」だった。矢継ぎ早に数点を切って飽きることがなかった。それだけ、ギターは僕にとって重要なアイテムなのだ。
 僕の大学時代は、まさにフォーク全盛、「ヨースイ」「コーセツ」「タクロー」と、アーティストたちをあたかも兄貴のように呼んで、黙々と練習していた同級生も多かった。歌うのも楽しかったが、何よりギターを弾けると女子にモテた。そんな不純な動機も手伝って、僕も当時人気だったモーリスの安いギターを買い込み、サークルの合宿などに行くと、最低限のコードで伴奏しては女の子たちと一緒に流行りのフォークソングを歌った。
 あれから40年。リタイア後に何をやろうかと迷っていた僕は、テレビから流れてきた古いスペインのギター曲に心を動かされ、物置で眠っていたヤマハのガットギターを引っ張り出してきた。それなりに練習してみたが、どうもうまくいかない。要は「運指」(fingering)が難しすぎるのだ。かといって今さら古いフォークソングなどを歌っても、誰も聴いてくれないし、一人では全然楽しくない。半分諦めかけた頃に、隣駅の大塚に「フォーク・バー」なるものがあることを知った。もしかしたら、誰かと一緒に歌えるかもしれないノ。意を決しておずおずと店の扉を開けた。
 最初に驚いたのは、常連客のいかにも楽しそうな歌声だった。しかも、ギターが上手い。カラオケは機械に歌わされている感じだが、ここでは自分の歌に合わせて楽器が鳴っている。それもしゃれたジャズボーカルなどではなく、(お酒も手伝って)ある意味「はちゃめちゃ」な演奏でもOKだ。思いおもいに巧みにギターを弾きこなしながら、自分の唄を歌っている客たちに、僕の目は釘付けになった。「この人たちのようになりたい」ノ。以来、この店の常連になった。
 家で練習しては店で披露し、うまく行ったり行かなかったりノ。友だちもできて、それまで知らなかった曲にも出会った。それはとても新鮮な経験だった。友人たちの名演に憧れて、あれもこれもと手当たり次第に歌っていたある日、テレビで作詞家のなかにし礼の一言に、思わずハッとした。「人生で歌える歌は1曲でいいい。ノそれが自分にとっての魂の歌だ」。そういえば、常連たちは、いつもほぼ同じ歌を歌っている。それが、上手くて味がある。オリジナルも多い。
 それからの僕は、自分の唄を数曲決めて、それをもっぱら練習することにした。作詞・作曲にも挑戦した。気がつけば、初めてこの店のドアを開けてから6年、未だこの一曲という歌が見つかっていない。僕は「魂の歌」を求めて、いまもさまよっている。
 ともあれ、新しく買ったギターや店で知り合った仲間たちは、僕にとってかけがえのない財産になっていることだけは確かだ。