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富士と武田信玄

  1. 前段
      私が富士山で思い出すのは、今から11年前のNHK大河ドラマ『武田信玄』の1シーンであります。 それは、ある場所に武田晴信、今川義元と北条氏康の三者が会して三国同盟するところで、 そこから見える富士山についての会話が印象に残っておりました。あれはどこだったんだろう?と改めて確認してみたところ 出張地・沼津に程近い富士市にあった善徳寺と分かりました。そこで、あのドラマで見ていたような場所から富士山を写真に撮ろうと 休日に出かけたのですが・・・。

  2. 歴史
      三国同盟が行われたときの状況は、1553(天文22)年に義元が三河へ出陣中、すきを狙って東隣の北条氏康が駿河に 入り、吉原・蒲原に陣を布いた。そこで義元は姻戚関係にある北隣の武田晴信に応援を乞い、晴信もこれに応じて軍を南下させ北条氏と対戦した。 こんな状況で却ってこれを奇貨として同盟ということに思い至って、これを主導して実際締結した義元の力量はなまなかな武将ではなかったことが窺われる。
      1554(天文23)年3月、相模の北条氏康(当時40歳)、駿河の今川義元(当時36歳)、甲斐の武田晴信(当時34歳) の3氏が駿河・善徳寺に集まり講和を結ぶ。
      これを仲介したのが、当時臨済寺住持であった太原崇孚(たいげんすうふ)(別号・雪斎。義元の軍師。当時59歳で翌年没) であった。 2年前に義元の娘が武田義信に嫁いでいたことで、講和条件としては北条氏康の娘が今川氏真(17歳)に嫁ぎ、 武田晴信の娘(12歳。後の黄梅院)が北条氏政(17歳)に嫁ぐことで、 甲斐・相模・駿河三国同盟が成立することとなった。
    (※専門家によると出典史料が不確かなことなどから、このような形での三者の会見があったかは疑問視されているようである。 しかし、講和条件とされていることが実際実行され、その後も長く同盟が保たれたところから、 この年三国同盟が成ったことは事実とされている。)
      これ以後のことを簡単に触れると、
      ・1560(永禄3)年、今川義元戦死(享年42歳)
      ・1565(永禄8)年8月、信玄(45歳)嫡子義信(28歳)(2年後自殺)を幽閉
                11月、信玄の4男勝頼(20歳)に信長(32歳)の養女を迎える
      ・1568(永禄11)年末、信玄(48歳)、駿河を占領して氏真を遠江へ追い、同盟破れる
                      織田信長、足利義昭を奉じて入京
      ・1569(永禄12)年2月、信玄(49歳)によって善徳寺が燃やされる
                 10月、信玄、伊豆・小田原へ来襲
      ・1571(元亀2)年、北条氏康死す(中風。享年57歳)
      ・1573(天正1)年、武田信玄、胃癌(又は肺炎)で死す(享年53歳)

  3. NHK大河ドラマ『武田信玄』(1988年)((C) 1998 NHKソフトウェア)より
    脚本/田向正健、原作/新田次郎、出演/中井貴一(武田晴信)、中村勘九郎(今川義元)、杉良太郎(北条氏康)
    −善徳寺−
    (北条) いやいや、こうして三人揃うて出会えるとは夢にも思わなんだ。
    (今川) 誠に、誠に。今まで我ら三人出会わなんだが不思議と云えば不思議でござるのう。
         おおぅ、ほぅ、今日の富士はまた一段と美しいのう。

         (ここで寺の中から見た富士山が映り、三人外を見る)

         ここから見る富士が正面にござります。
    (北条) なかなかに良いお姿じゃ。
    (今川) 他国からはこうは見えません。
    (北条) まさに、霊峰富士の威厳じゃ。ただ、・・・。
         (言いながら富士を拝むしぐさ)

    (今川) 何か?
         (北条、今川をにらむ。)
    (今川) あ、いや・・・。
    (北条) ただ、少々間近過ぎるような気がしてならぬ。今少し遠くに見えた方が、ありがたく拝める ようじゃ。(ふふふ。)遠い富士を見て暮らす者のひがみかもしれぬが・・・。
    (今川) やはり、霊峰富士は仰ぎ見て拝むもの。あんまり遠くては霊験もあらたかではござらん。
    (北条) 誠に、誠にその通りじゃ。
    (今川) (信玄に目をやって)
         武田殿、甲斐から見る裏富士もまた別の味わいでござろうのう。

    (武田) お言葉ではござりまするが、甲斐では誰一人、裏富士などとは申しませぬ。
    (今川) これは無礼なことを。御免そうらえ。
    (武田) いやいや、お気にめさるな。古来、この霊峰富士の正面とは、手前に小山重なり、 その後ろに裾野隠して聳え立つ姿を申すそうじゃ。
    (今川) ほおぅ、それは初耳じゃ。
    (武田) 霊峰富士は霊験あらたかにして拝む山にござりますれば、下(しも)は隠してこそ正面、 尻丸出しの姿では霊験も消えてしまうというものだそうな。
    (北条・今川、二人して笑い出す)
    (北条) ハハハ・・・
    (今川) ホホホ・・・
    (北条) なるほど。山国には山国の暮らし振りありというものじゃ。 この富士が”尻丸出し”とは・・・。ハハハ(大笑い)。
    (今川) 甲斐は山国なれば見渡す限り山だらけ。まさに味わいのあるお暮らし振りじゃ。 あの富士が”尻丸出し”とは・・・。ホホホ(笑い続ける)。
    (武田) (笑い続ける今川から北条に目を移して)
         さて、北条殿。

    (北条) ん?
    (武田) 和睦の件でござるが。
    (北条) うん。
    (武田) (今川に目を戻し)
         今川殿、そろそろよろしゅうござりますか?

    (今川) (笑いながら)
         はい、いや、尻丸出しとは・・・、(ホホホ・・・)(二人の視線を感じ)我が嫡男氏真には北条殿より姫もらおう。

    (北条) 承知致した。・・・では、我が嫡男氏政には武田殿より姫を頂くことに致す。
    (武田) 我が娘、梅を差し上げます。
    (北条) うん。
    (武田) して、我が武田家と今川家の間では先年嫡男義信に今川家よりおつね殿輿入れありました故、 これにて三国の間は新たなる縁で結ばれたことになりまする。御異議御座りますか?
    (北条) いや、めでたい限りじゃ。
    (今川) わしも異議を唱えることは無しじゃ。
    (武田) では、今決まりし和睦の条件、文字に致し、それをもって誓いと致します。
    (今川) 承知致した。
    (北条) わしもじゃ。
         (今川を見て)娘差し上げる上は、軍勢、国境(くにざかい)迄引き上げるしかあるまい・・・。娘をよしなに。

    (今川) (武田を見て)改めておつねをよしなに。
    (武田) 重々承知しておりまする。
         (北条を見て)では、それがしからも、梅をよしなに。

    (北条) うん。

  4. 風景
    (1999.3.22にデジカメにて撮影)
    案内板入口 公園(左)公園(右) 説明

  5. 後段
      以上で分かる通りTVの脚本と現実は全く違っておりました。昔の眺めがどうだったかは 分かりませんが、今はこの場所から富士山は全く見えず、かなり期待があっただけに”やっぱりドラマだな” ということを思わされました。善徳寺があった場所が今は歴代僧の墓所を含んだ公園になっている訳ですが、 そこはかなり急な斜面にあり富士山方向には鬱蒼とした高い木立があったため、当時もここから見えたか? は疑問です(位置的には確かに真正面ですが)。おまけにこの場所が今は家屋と団地に囲まれたかなり小さな場所で、 道路からも全く見えず探すのにかなり苦労しただけに一層落胆致しました。
      それはそうと、当時信玄は実際に富士山に登ったようですが詳細は不明

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