South Dakota
South Dakota and Wyoming Oct '01

 アイオワには何もない、ダコタにはもっと何もない、と聞いていた。が、ランチルームで「10月の連休にシカゴへ行こうかな」と言うと、「ラシュモア山のほうが絶対に面白い」とL先生が力説する。それなら行ってみようか。10時間を超えるドライブが不安だったが、出かけてみれば大したことはありませんでした。
World's Only Corn Palace (Mitchel, South Dakota) コーン・パレス


 「何が悲しくて」という陳腐な表現が頭に浮かぶ。これはアメリカ的で、途方もなく無意味なとうもろこし御殿である。世界で唯一の、と形容されているが、一つあれば十分というものでしょう。建物の壁面が全て、乾燥トウモロコシで作られているのだ。
 揶揄するような書き方をしたが、このホールでは1年に150試合のバスケットボール・ゲームが行われる。秋の収穫を待って毎年新たに作られる壁画も、よく見れば興味深い。10月の中旬はちょうど壁画作成の時期だった。屋根用の紙材に書かれた下絵の上に、11色のコーンが並べられ壁画になる。最初の宮殿が創られたのは1892年、1905年と1921年に改築があり、現在の宮殿になった。壁画作成には毎年3カ月の時間と約1,000万の費用がかかる、とパンフレットに説明があった。

Wall Drug (Wall, South Dakota) ウォール・ドラッグ

「世界最大の」ドラッグストア、ウォールドラッグ。

 お前はなぜそこにいる? 別館の片隅にいるT-REXは、30分に一度眼をむいて咆哮する。グオーッ。
 インターステート90号線でミネソタからサウスダコタに入ると、イヤでも目に付くのが Wall Drug ウォール・ドラッグの看板だ。実は1枚目の看板はミネソタ州内にある。そこから500キロ先のWallまで、知り合いによると100数枚の看板が並んでいるそうだ。「ウォール・ドラッグ 水は無料」「ウォール・ドラッグ コーヒー5セント」「ウォール・ドラッグでドーナッツを」、、、100回も見せられれば、旅人は皆その気になるだろう。フラフラと小さなWallの町に入って行くことになる。

 広い店内にはカントリー・グッズ屋、ネイティブ・アメリカン・グッズ屋、ダコタ・ゴールドの宝石店などが並び、なかなか楽しそうだ。ところが別館でT-REXを眺めているうちに、鍵をかけられ閉じこめられそうになった。6時半に閉店だと言う。いやはや、ダコタの夜は早いのだ。

Badland National Park バッドランド国立公園

 およそ3,700万年間の浸食によって、この不思議な峡谷が形づくられた。ここを訪れたダコタ族のインディアンも、18世紀のフランス毛皮商人も、それぞれの言葉でこの土地を「悪い土地」と呼んだ。
 嘘偽りなく、これは正真正銘のバッド・ランドである。切り立った崖、乾ききった岩、ループになった道路をゆっくりドライブしていると、娘が
「おかあさん、地球って広いねえ」
と言った。
 いくつもの景観ポイントの中で私が気に入ったのは、 Prairie Wind Overlookという茶色の大草原。そこでは何百年も、風がただ茫々と吹いているのだ。

Black Hills National Forest ブラックヒルズ・ナショナル・フォレスト

Mount Rushmore ラシュモア山

 山に彫られた大統領は、ジョージ・ワシントン、トマス・ジェファソン、セオドア・ルーズベルトとリンカーン。顔は額からあごまで18メートルあるそうだ。併設のミュージアムは改築されたばかりで、美しく機能的。この彫刻がどんなふうに造られたかの歴史を知ることができる。完成は1941年。秋のPresidential Trailは空気が澄んで、心地よかった。


Crazy Horse クレージー・ホース

 彫刻家 Korczak Ziolkowski がブラック・ヒルズのインディアン居住区へ到着したのは、1947年のこと。この岩山に偉大な Crazy Horse の像を彫るよう、インディアンの長Standing Bear が招待したのだ。以来、この仕事はゾルコウスキとその家族のものとなった。資金をかき集めては彫り、また集めては彫る。50年たち、コジャックの没後も子供たち10人が仕事を受け継いでいるが、形ができたのはまだ顔だけ。完成までにあと50年かかると言う。
 敷地内のインディアン・ミュージアムには実物の1/34のモデルが置かれている。

Custer State Park カスター州立公園

 ラシュモア山の東南にある野生動物の保護地区。18マイル(約30キロ)のwildlife loop road が作られ、車で公園内を巡ることができる。
 バッファロー(アメリカ・バイソン)の群れに感動していると、後ろから不気味な車がついてくる。思い切って停車し、「何でしょうか?」と聞いてみた。相手は公園の管理人、入り口ブースで料金を払わなかった私を追いかけてきたのだと言う。それは失礼いたしました。無人だったため、無料と思いこんでいたのだ。10ドルを支払い、車のフロントに貼るシール(1週間有効)をもらった。

Wyoming ワイオミング

The Devil's Tower デヴィルズ・タワー
 デヴィルズ・タワーはどうしてできたか。(official map and guideから)

  1. 6,000万年前、地面の中でマグマが吹き上がり、地表を押し上げた。
  2. これが冷やされ、円柱状の岩を形作った。
  3. 回りの砂や土が浸食によって流され、円柱だけが残った。
 なるほど、海抜1,558メートル、円柱そのものの高さは260メートルの悪魔塔は、こうしてできたのだな。入り口からカーブを曲がると、プレーリー・ドックの繁殖地があった。動きが愛らしいこの動物をしばらく眺めた。
 ポ・ピ・パ・ポ・ピー〜 娘に「未知との遭遇*」のメロディを指導しながら、ふもとのビジター・センターまで車で進む。真下から眺めるタワーはやはり圧巻だ。セオドア・ルーズベルトは、これを最初のナショナル・モニュメント(国立記念物)に指定した。この指定により、タワーは商業的な開発を免れ、保全されることになった。
 周囲に作られた遊歩道 tower trail(約2キロ)を歩く。見上げると、2、3人がロック・クライミングをしていた。親指ほどの大きさで岩にへばりついている。
 このデヴィルズ・タワーには、ネイティヴ・アメリカンの伝説がいくつもあると言う。
 タワーを見て1カ月後、娘もケーブルテレビで、ここで撮影されたスピルバーグの映画*を見ることができた。

notes:
Crazy Horse (1842-1877) クレージー・ホース:
 サウス・ダコタのラピッド・シティで、medicine man (healer) まじない師の子として生まれた。幼い頃から勇ましく、10才になるとバッファローを殺したり、野生の馬を手なずけたりした。12〜14才で vision quest の旅に出かける。長い髪に、小さい石の耳飾り、稲妻を頬に描き、体にはヒョウの入れ墨。
 1850年頃から、ネイティヴ・アメリカンと白人の間にはしばしば争いが生じるようになった。60-70年代は最も激しい戦いの時期である。クレージー・ホースは白人が土地を与えると約束したので降伏したが、約束は守られなかった。拘束を解いて帰るところを追跡され、捕らわれて、殺された。スー族(ダコタ族とも呼ぶ)の偉大な warrior 勇者。

CRAZY HORSE: Oglala Sioux Chief などに資料



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