Middle-aged Women in MN

The Middle-aged Women in the US

 2000年9月の新学期が始まった当初は、「どうしてアメリカに来たのか」という質問をよく受けた。夫と息子を置いて(left them behind)なぜにミネソタくんだりまで?それもボランティア・ジョブのために?というわけである。
「日本の主婦生活に飽きたから」
と答えると、
「えっ、主婦だったの?働いてなかったの?」
「日本では、40過ぎたおばさんに仕事なんかないの。」
「げげっ、何それ?」
というふうに会話は続く。相手は40代、50代の働くアメリカ中年おばさんたちである。

 写真はKennedy高校のカフェテリアで、秘書や司書、事務の人たち。→
 この国では、いくつになっても働くのが当たり前。好況のためもあり、仕事を見つけるのはそう難しいことではない。レジュメに記載できる一通りの資格・能力があれば、採用において年齢や性別や人種で差別されることはない。差別は違法なのだ。表向きは、という含みがなくはないが、40代以上のおばさんが当然のように門前払いされる日本とは違い、能力を生かす分野の仕事を見つけることがある程度は可能である、いくつになっても。
 何パーセントかは、辞めることなく仕事を続ける。乳幼児を育てている間は仕事を離れた人も、子どもの成長に伴って、職場に復帰するか新たに仕事を見つける。社会が女性の労働力を必要としているし、女性が働くための環境が整っているのだろう。

 こちらは、P家に集まったStitch and Bitchの面々。→
 子育てグループが進化し、縫い物、編み物などを持ち寄って(stitch)おしゃべりする50代主婦連となった。bitchは「悪態おばさん」とか「意地悪女」という意味? もちろん、全員が仕事を持っている。

 old friends? と尋ねたら、young friends だと答えたのが、このDとM。→
子どもを持つ以前からの知り合いだという。二人とも二度の結婚をしている。難しい時期を助け合ってきたのだろう。see アメリカの家族

 アメリカ人と話しながら気づくのは、彼女たちがそれぞれに確固たる自信のようなものを持っていることだ。これは仕事を持ち、家庭以外の場所で自己確認ができることと無関係ではないだろう。彼女たちに、日本のおばさんの遠慮がちな曖昧さはない。

When I Am an Old Woman, I Shall Wear Purple
If I had my life to live over, I would pick more daisies
最近のベストセラー2冊。(邦訳が出ているかどうか、よくわからない。)

『年老いたら、わたしは紫を着るだろう』
『もう一度人生をやり直せたら、わたしはもっとたくさんのデイジーを摘もう』
aging 年齢を重ねることの意味、それに対する決意、有名・無名の、前向きでユーモラスな詩とエッセイが収められた2冊だ。

 「来年は一年間仕事を休んで、のんびり何か勉強するつもり。」
と知り合いが言う。一方、彼女の友だちは30年勤めた保険会社を退職し、かねてからの予定通り、先生になるのだそうだ。教師資格は、大学の夜間コースに3年間通って取得した。ライセンスがあれば年齢に関係なく教員に応募できるし、実際の仕事もすぐ見つかったそうだ。これは他の業種でも同様だ。
 このように自由に社会と関わっていくことなど、日本ではとうてい無理なのではないか。朝日新聞のサイトで「女性に多様な働き方提言」という記事を読んだが、さあてそんな日はいつやって来るのだろう。「保育所の整備」や「年金の第3号被保険者制度見直し」だけでなく、社会構造が大きく変わらなければ、実現は不可能だろう。それにはまず、「家にいるのはよいこと」と長い間思い込んできた、私たち主婦の意識そのものが変わらなければいけないのだけど。

以下続く、予定。

notes:

2001年


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