わたわたのマニアック三国志旅行


この旅は三国志マニア級の3人(時には4人)で行ってきた。今回はお互いのマニアックを追求した結果、このメンバーでしかできない旅ができたと思う。この前のチベット旅行とはまた違った旅…。とりあえずメンバーを紹介しよう。

1.三国志があったから今ここにいる!三国志なくして今の俺は語れん!→わたわた
2.この旅の参謀役。日本から墓を見るためにこの旅を企画・参加。三国志はもちろん中国全史を網羅する究極の男!→墓マニアン
3.好きなのは三国志ではなく甘寧だぁ!究極の甘寧おたく。→サル甘寧
4.邯鄲へはこの男も共に。三国志のゲーム、漫画はなんでもこい!→ダルミン



<ギョウ城遺跡>=河北省・邯鄲

ギョウ城遺跡とは?→魏王・曹操が本拠知を置いていたのが、ここギョウと呼ばれるところ。曹操の息子・曹ヒが洛陽に遷都するまで都として栄えた。城内には銅雀台もあった。
いろいろな都合で邯鄲滞在期間は限られている。わずか2日で北京→邯鄲→北京と移動しなければならん。出発が決まったのが前日夜11時。この日に墓マニアンが北京に到着して、夜から4人で作戦会議となったわけ。
わたわた、サル甘寧は前日旅行から帰ってきたばかり。疲れがみえてるかも。逆に今から始まる旅行に闘志を燃やす墓マニアン、ダルミン。特に墓マニアンのやる気はものすごい!日本でこれだけの文献を調べられるのかってくらい、いろんな資料を持ってきている。(司馬イ墓、王允墓など超マニア級の資料)この時点でのやる気はものすごいものがあったけど、実はちゃんと邯鄲に行けるかが心配なのだ。切符無し。しかもタイミングがいい列車は1本だけ。これを逃すとこの計画は御破算になってしまう。
翌日、明らかにサル甘寧が遅刻。でもなんとか4人で出発。
この時点でのわたわたの心中:”このペースではやられる!あっ、でも、まいっかぁ。疲れてるから行けなくなったら北京で寝てよっと。”
おそらくサル甘寧も同じだったに違いない。いやそうに決まってるさ!この俺が弱音を吐くくらいなんだから。
出発20分前に駅に到着。切符売り場に並ぶ。もう無理だ!でも運が良かった(悪かった)4人。なんと切符をゲットできた!しかも指定席。ギリギリで火車に乗り込んだ。ここから邯鄲まで5時間あまり…。なんて俺達は無謀なんだ!
邯鄲着1時過ぎにして、今からギョウ城陥落をねらわねばならない。はっきり言って行くことはできても、ここまで帰ってくることは無理そうな時間だった。
わたわたの心中:”無理だぁ!旅慣れしてるサルは別として他の2人は帰ってこれなくなるかもしれんことは頭にないだろう。でも、まいっか。わざと何も言わないで野宿でもすっかな。”
なんとか近くの街まで行くバスを見つけた。と言ってもすごい渋滞でなかなか進まない。
ギョウ城への最終中継点に着いたのは4時過ぎ。ここからはオート三輪、別名”ボリボリタクシー”に乗らなければならない。この手の乗り物はまず80%はぼってくるから要注意。いざ、出陣!ギョウ城へ!と思ったらオート野郎はなんと逆方向へ走り出すではないか!
ここで一早くこの事態に気付いた墓マニアンの忠告で、車を止めることになった。
でもオート野郎は走る、走る…。ひたすら…。なんとか止めてもとの場所に戻ってきたのはいいけど、案の定今の分の金を払えと言いやがる。そこで登場、わたわた&サル甘寧。とにかく二人でキレまくった。もちろんそんな金は払わないあげくにさっき乗ってきたバスの車掌が何故かこやつに渡した金までもぎとろうとする二人…。
さすがにこれには失敗したけど、とりあえず車を換えて行くことに。ギョウ城へ、再出発よ!
走り始めて数分。道がすんごく悪い。もう6時近くだし、俺達は何をやってるんだか…。そこへ出現ギョウ城!夕日に映えるギョウ城遺跡。
すばらしい!美しい!と言っても崩れかかったもり土の土台にちょっと建物があるだけだけど。
しかし我々4人にとってはこれだけで十分。まずトンネルのような地下通路を通って台の上へ。
”ここに銅雀台があったのかぁ。曹操の都…。今はド田舎なのに。”
上には曹操に関する展示物があった。結構マニアック物。そして横の敷地には三国志の主要人物の塑像コーナー。満足、満足。帰りは急がねば。旅と言うのは帰って来るまで気を抜いてはならん!これが鉄則だと思う。
オートでバスを降りたところまで戻ってきたけどもうまっくらだし、バスは見当たらない。仕方なく回送車らしきバスに乗ることに。
途中”この車は今日は邯鄲まで帰らんぞぉ!”とか脅されてあせった場面もあったけど、車を乗り換えてなんとか到着。ふぅ、それにしてもかなりの強行軍だったぜ。


<エグエグ度はそこにたどり着くまでどれだけ苦労したかを表す。100で難緯度は最大。ちなみに「歩き方」に載ってるような普通の観光地(例えば成都の武侯祠)に行く場合を10としてみた。
電流はたどり着いた時の感動の度合を表す。これも100でマックス感動。>


エグエグ度:73
電流:76V



<趙城遺跡>=河北省・邯鄲

趙城遺跡とは?→戦国時代7つの強国のうちの1つが趙。その都は邯鄲に置かれていた。つまりここに当時の都の跡があるというわけだ。ちなみに”邯鄲”というのはかなり有名な地名で、例えば”邯鄲の歩み”(ある地方の少年が邯鄲人の歩き方がとても優雅だと言うことを聞いて自分も邯鄲に行ってまねしようとしたが、帰ってきた時には普通の歩き方もできなくなっていたという故事。)の故事もここに由来する。

北京に帰る日の午前に、これまた強行軍で行くことに。
市内にあって地図にも載ってるから楽勝!のはずだったけど、辺り一面は畑、畑…。肝心の碑が見つからない。運良く地元民の案内で発見。ここははっきり言って碑があるだけであんまりね…。


エグエグ度:25
電流:3V



ダルミン離脱。ここからはダルミン以外の3人の旅…

<春秋楼>=河南省・許昌

春秋楼とは?→関羽が曹操軍に降った時にこの地に住んでいたと言われている。中には関羽が春秋左氏伝を読んでいる像が二つあり、最近つくられたばかりのものはかなり巨大な像である。

日本のクラスメート(全部で6人)と大同旅行に行って帰ってきた日にそのまま3人は出発。北京駅着で北京西駅出発。前もって切符を買っておいたからできる芸当というわけ。
許昌までは北京→鄭州(火車)、鄭州→許昌(バス)と順調に到着。
今回行く場所はすべてあまりにもマイナーなために資料がほとんど無い。望みを市内博物館に托してまず情報集め。なんとなくのいいかげんな地図で大体の検討はたてることはできたけど。春秋楼は許昌の火車駅から歩いて行ける。まぁいわゆる普通の観光地。ここで特筆すべき事ははっきり言ってない。


エグエグ度:6
電流:42V



<漢献帝・イクシュウ台>=河南省・許昌

漢献帝・イクシュウ台とは?→曹操がギョウに都を置く前の本拠知が許昌。曹操は献帝をかかえていたわけで、このイクシュウ台は献帝が天に向かって祈った場所である。今では道教に関する建物も兼ねているらしい。イクシュウ台は許昌の張藩というところにある。

張藩まではどうやって行こう?というところへ、いかにもボリ系というおっさんが出現。
こいつは人目で絶対やられることがわかるくらいの超ド級だ!まぁ、ふっかけられてもそれをうち破れば損はしないわけだけど、何分多大な労力を必用とするしね。
やはりここはバスでGO!のはずだったけど、乗ってから5分で着いたとかぬかしやがってきた!やられた…。もちろん乗る前に何度もちゃんと行くか確認したけどダメだった。張藩に至る交差点で降ろされた。しかもやられたのが公共のバス(私営ではない。)というのも納得いかん。結局タクシーで行く羽目に。
張藩の村からイクシュウ台までは歩いて30分ほど。結構高台にあるからわかりやすかった。でも台自体に三国事態の面影を見つけることは難しい。


エグエグ度:48
電流:38V



<張飛廟>=河南省・許昌

張飛廟とは?→これも張藩にある。元は三兄弟が曹操の世話になっていた時に暮らしていた場所といわれる。そこに三義廟を建てたわけだが、大風で他の二人のは壊れてしまい張飛廟と名前も変わったという。

場所は同じく張藩。だけど早くも情報が混乱しだした。
地図とジモティーの情報がまったく違う!一番ひどい人民になると、このまま進めば良かったところで振り出しに戻された。歩いて歩いて、聞いて聞いて…。遂にパトロンを見つけたぞ!というわけでその人に連れていってもらった。
張飛廟発見!この感動は今でも忘れん!墓マニアンの”あったぞ〜!”の声に思わず50m全力(その時のね。)ダッシュ。
中は壊れかけていてみすぼらしかったけど満足。張飛の像も実はちゃちだけどそれでもいい!

エグエグ度:79
電流:73



<華佗墓>=河南省・許昌

華佗墓とは?→三国時代だけではなく中国史上最高の名医として名高いのが華佗。彼は最後には曹操に殺されたわけであるが、彼の墓が許昌の街の北にある。いまだに地元民の尊敬を集める華佗。地元でも有名な墓ではあるが…。

華佗墓をおとす!そして一気に馬騰墓も!その日の内に2つの墓を制覇することが最低目標。(朝出発の時点。)今日は機動力を重視してレンタチャリで出動。できたら王允(後漢の忠臣。連環の計を用いて董卓と呂布の仲を裂く事に成功。)墓、夏侯淵(曹操軍の名将。しかし最期は蜀の黄忠に定軍山で斬られる。)墓もまわる予定だ。
いざ出陣3人のチャリの調子は最悪に近い。2時間ほど乗って早くも休憩することに。とりあえずジュースでも買おうとチャリを止める墓マニアン。そこでチャリがバタリ…。わたわた&サル甘寧がジュースを選んでるその冷蔵庫に倒れた。
なぜかジュース売りのおばちゃんがマジギレを始めるではないか。なに?思った瞬間、おばちゃんの一人猛攻。聞き取りにくい中国語を聞いたところどうやらおばちゃん自慢の冷蔵庫に傷がついたから弁償しろといってるようだ。100元も!
そこですぐさま逃げることを提案したわたわた。しかし二人を説得してる間にタイミング逸してしまった。もうだめだ!おばちゃんの猛攻がどんどんすさまじくなっていく。そこ強引に逃亡を図るわたわた。
なに?おばちゃんがチャリをガッチリキャッチして離さない!させるか!強引にりきろうとするがおばちゃんは相当のデブでびくともしない。硬着状態が続きこれを打破するためにサル甘寧が公安を呼びに行くことに。
公安登場。あれ?あんたほんとに公安の人?ってくらい普通の田舎のあんちゃんがやって来た。私服だし。でもいい奴だ。我々3人が外人とわかると、”弁償は俺に任せろ。”と言ってくれるではないか。やっぱりこんなとこまで来る外人はいないから珍しいらしい。こうしてなんとかおばちゃん地獄を脱出。ここら辺で雨が降ってきた。本当にたどり着けるか心配だし。
遂に最悪の事態が発生。ぬかるみを強引に渡ろうとした墓マニアンが転倒。泥まみれに。最初悲鳴を聞いた時、これは間違いなく運動神経ゼロのサル甘寧がやっちまったに違いないと思ったが…。
更についてないことに道を間違えたことが判明。この時点で馬騰墓制覇はあきらめる3人…。とにかく戻って人に聞きまくる。一応皆の情報は一致してる。本来なら楽勝のはずだけど、ぬかるみでチャリがなかなか前に進まない。ドロドロになりながらチャリをひたすらひく…。もうずぶぬれだ。遂に情報通りの場所に到着。え?なにこれ?まったく観光地とはかけ離れた工場のような建物があるだけだ。しかも門は3mくらいの柵でガードされてる。30分以上も周りを捜索したけど他に何もない。
仕方なく協議の上サル甘寧が塀を乗り越えて中に偵察に行くことに。待つこと3分…。ドドドッ!ハァハァッ!サル甘寧のが猛ダッシュで戻ってきた!やばい!何者かに見つかったに違いない!よし!とりあえず俺達(わたわた&墓マニアン)は逃げるぞ!と思ったらサル甘寧の叫びが!”華佗墓発見!”どうやらあまりの感動状態のために精神が破壊されたらしい。
とにかく二人も中に入ることに。中はどう見ても墓があるとは思えないような場所だ。でもあった!華佗墓が!二人も感動を抑えることはできない!三人ともずぶぬれでちょっと前までは本当に士気がゼロだったのが嘘のようだ。すごい雨の上、なぜか閉まってる華佗墓。間違いなく今回の旅で一番エグかった…。
ちなみに帰りに捜索した夏侯淵墓は地元民さえ一人も知らなかった。やはり幻だったのか…?


エグエグ度:99
電流:99V



<馬騰墓>=河南省・許昌

馬騰墓とは?→後漢時代西涼に勢力を築いたのが馬騰。蜀漢五虎将軍の馬超の父である。馬騰は曹操におびき出されて殺された。この地に墓があるのは納得ではあるのだが…。

今日は格を上げてタクシーで行動。インターネットの情報では馬騰墓は恐ろしく難緯度が高いらしい。やっぱりタクシーの運ちゃんは地元民だし、どんな方言でも対応できる。
出発前に彼は知り会いに電話して情報収集。マニアック旅行能力はかなり高い。そしてタバコをゲット。これは道行く人にタバコをあげてから聞くと皆快く教えてくれるということを知ってるからだ。さすがジモティ。
いざ出陣!基本の道は昨日の華佗墓と同じ。やはり速い。昨日の冷蔵庫危険地帯も通過。そろそろ近くなってきたところで聞き込み開始。あっと言う間にタバコがなくなる。そしてあっと言う間に到着。目の前にいきなり”馬騰墓”の碑が!あまりにもあっけなさすぎたけど三人とも大感激。地元民も俺達を珍しがっておそらく村人口の50%と思える数が集合。インターネット情報では最も難しいうちの一つ、馬騰墓。はっきり言って楽勝であった。でももしチャリで行ったら地獄を見ていたかもしれない…。
ちなみにその後チャレンジしたカク(曹操軍の参謀。)墓は村の老人一人だけがなんとか知っていた状態。その老爺の話では”わしが若い頃はあったが、今はなくなってしもうた。”とのこと。でもこの情報を得られたことだけでも三人は満足。初めからカク墓が存在する可能性は極めて少ないと思っていたからだ。
そしてもう一つ、八龍塚。これはあのジュンイクやジュンユウ(二人とも曹操軍の名参謀。二人は叔父と甥の関係。)で有名なジュン氏一族八人の墓がある場所。でも二人の先祖の墓であり二人の墓はない。ここも帰りに寄ってもらうつもりが、発音の関係で別の場所に連れていかされそうになった。その次に行った覇陵橋という有名な観光地と発音が結構似てるもんだから、運ちゃんはそっちと勘違いしたわけね。結局これも行くことができなかった。残念。


エグエグ度:15
電流:78V



<覇陵橋>=河南省・許昌

覇陵橋とは?→関羽が劉備と再会するために曹操軍のもとを立ち去る時に曹操から送り物をもらった場所。中には関帝廟もある。

ここもいわゆる観光地。市内にあり交通の便もわりといいから迷うことはない。ただここを観光中にサル甘寧の腹の調子が最悪に…。
”トイレはどこだぁ!”とキレまくりながら尋ねていた。中にあるものは再整備されたものばかりで昔の面影はまったくないと言っていい。でも三国志関連の地というだけで満足だけどさ。
またまたその後にチャレンジした王允墓は失敗。サル甘寧が脱落して二人でチャリで捜索に向かったが、地元民は誰一人として知らない…。やはり馬騰墓の時のように運ちゃんがいないと結構情報収集能力に限界がある。


エグエグ度:7
電流:41



<龍亭>=河南省・開封

龍亭とは?→北宋の都が開封。北宋時代に宮殿のあった場所で今は大きい公園になっている。当時の宮廷の様子をロウ人形で再現している。ここは三国志関係ではない。

以前から開封は落ち着いた感じでいいところだと聞いていたけどまさにそのとおり。西安の城壁には及ばないが一応崩れかかった城壁が街を囲む。そしてこの龍亭。周りの雰囲気が良い。


エグエグ度:5
電流:18V



<張良墓>=河南省・開封

張良墓とは?→張良は前漢創始者劉邦の名参謀。彼の墓は中国に二つある。しかしこちらの方が信憑性はあるそうだ。

まず地図で正確な位置関係を調べる。こういう時は墓マニアンがその威力を発揮してくれる。調査の結果すごくマイナーな駅の裏にあることが判明。というわけで火車で行く事に。
がしかし!最新時刻表に乗っている列車なのに今は走ってないとのこと。さすが日に1本停まるか?程度の駅。まぁ、仕方ない。
結局バスで出発。運ちゃんもよくわからんという地名で見当をつけて途中下車。後はひたすら歩く。そして聞く…。くり返しだ。そして発見!張良墓!割と大きい。
三国時代の人物じゃないけど、張良はかなり好きだ。感動は大きかった。


エグエグ度:62
電流:68



<官渡古戦場>=河南省・開封と鄭州の間

中牟県官渡古戦場とは?→官渡は曹操とエン紹の決戦の地として有名。曹操はこの戦いで勝って中原を支配する事になる。今は観光地化されて”ハイテク人形館”と言ったところ。

張良墓を見終わってその足で鄭州行きのバスをゲット。またまた途中下車。そこからまたひたすら歩く。観光地化されてるはずなのに観光者は我々以外には一人もいない。中の人形もハイテクとは言いがたい。はっきりってはずしだ。唯一良かったのは外の曹操像。黒くて大きい像。これだけでも来た価値はあったかな。


エグエグ度:54
電流:36



<紀信墓>=河南省・鄭州

紀信墓とは?→紀信も劉邦配下の有能な武将。劉邦が項羽から逃げる時に身代りとなって投降した。怒った項羽に殺される。

彼の墓がある村の名前はその名もズバリ”紀公廟村。紀信墓までは協議の結果タクシーで行く事に決定。乗って行き先を告げた瞬間ボッてきた。やはり鄭州、恐ろしいところだ。何度来てもここは一味違うと感じる。
交渉の結果少し多めに払うことで話がついた。きちんとした数字は告げずに。降りる時やはり来た!俺らが払った50元では足りんとかぬかしてる。ちょっと文句言ってそのまま降りたら向こうもあきらめて去って行った。
紀信墓。発見まではそこから1分。そして張良と変わらぬしっかりとした墓だ。墓の周りを一周した時になんと地下通路を発見!早速懐中電灯の明かりを頼りに攻撃開始。中はひどくカビ臭いけど、棺桶らしきものが置いてある。そして結構広い。この空間は何なのだ?観光地化はまったくされてないから、中は荒れている。でもこれこそ墓だ!紀信墓。今まで行った墓の中で一番楽しかった。必見ぞ!


エグエグ度:32
電流:78



<漢覇二王城>=河南省・鄭州

漢覇二王城とは?→項羽と劉邦がここに陣を敷いたと言われている。

すぐ裏は黄河。黄河遊覧区の敷地内にある。紀信墓制覇の後わたわたは漢覇二王城まで歩くことを提案。二人はとりあえず承諾。辛い戦いが予想されたから出発時に水分を取る。
12時。いざ出陣!とにかくひたすら歩く…。漢覇二王城までは10kmはある。途中補給が必要なわけだが、田舎すぎて補給基地がまったくない!墓マニアンがさびれた売店でアイスを買うがあまりにもまずくて補給どころではなかった。
半死の状態でようやく到着。まっさきにコーラをゲット。危なかったぜ。
そして到着と思ったこの地から目的地まで実はまだ3Kmある事が判明。ここで更に歩くことを提案したわたわただが、二人の反対にあう。とりあえずそこに停まっていたオート三輪に乗ることに。交渉で往復10元という事になった。オート三輪でこの値段ははっきり言って安い。
オート運ちゃん、名付けて”ボリボリ夫”いわく”学生割引で10元!”とのこと。とりあえずオートで目的地着。漢覇二王城はおいといて裏の黄河はすごい!あの迫力は何回見てもパワーを感じる。これぞ中国だ。
見終わってもとの地点まで戻る途中、ボリボリ夫は攻撃を仕掛けてきやがった!”往復で60元ね。
”サル甘寧:”なんかほざいてるぜ。
”わたわた”フハハッ!やはり来おったか!”
そして墓マニアンも余裕の表情。そう、うちらはこの攻撃を予測していたのだ!早速降りてから取るべき行動について協議する事に。
とりあえず初めから10元以上払う気がないわたわたは”ダッシュ逃亡の計”を提案。こういう時いつも交渉して相手を説き伏せようとするサル甘寧も承諾。はっきり言って逃げるのが一番手っ取り速い。
わたわたが10元をボリボリ夫に手渡した瞬間ダッシュの準備。ここでボリ夫はようやくこの事態に気付いたらしい。マジであせった顔して”これじゃだめなんだよぉ〜!”顔が青ざめている。そして冷蔵庫おばちゃんの時の教訓をいかしてダッシュ!振り向きざま”謝謝〜!”を連発するわたわた。決まったぁ〜!ただ補給一回きりで体力が限界に達していた3人にはダッシュは辛い。
しかし安心するのはまだ速かった!なんとボリ夫は自分のオートを巧みに操り追いかけてくるではないか!逃げた道は結構きついカーブだったから敵の姿はそこから見えなかったけど、この音は間違なくあのオートだ!
”やばい!来るぞ!”ひたすらダ〜ッシュ!あと少しでボリ夫の目に我々三人の姿が入るところで草むらにうずくまった!
でもまだ安心なできない。とりあえず敵の出方をうかがう事に。ものすごい田舎の一本道でもう姿が見えないという事にやはりおかしいと気付いたボリ夫はそこでエンジンを止めて捜索を開始した!
やばいっ!この体力でうずくまったところを発見されたら間違いなく上からやられる!しかも青いバンダナをしている俺は目立ちすぎだぁ!
発見されるのも時間の問題!ということは?さらにダッシュ!ホフク前進から立ちあがりざまにダッシュ!はっきり言ってこれは辛かった。しかもサンダルが壊れてるわたわたはしんがり。最初に食われるのは俺か?させるかぁ!というわけでひたすらダッシュしたわけ。
ようやく安全地帯に達した三人。これから行く予定だった三国志で有名な戦場・虎牢関はこれで御破算。しかも戻ることはできんから道なき道を行くはめに。
作戦としては、ひたすら東に歩いて国道に出てバスをひろうというもの。とりあえず夜9時発の北京行きにはまにあわせなければならない。またまたひたすら歩く。今度はまずいアイスさえない。ほんに最悪だ…。
途中土手を登って偵察に行ったわたわたが目の前の光景を見て歓喜の声をあげた!
”街だぁ〜!街が見えるぞっ!”
サル甘寧&墓マニアン”なにぃ〜!”二人もダッシュして土手に登る…。
”何が街だぁ!なめんなよ!”とはサル甘寧。
どうやらわたわたが見たのは開発中のテーマパークだったらしい。万里の長城とか他の御寺のミニチュアがたくさんある。視力0.1以下で裸眼のわたわたには判別がつかなかったというわけだ。
そしてまたひたすら歩く。もうだめだぁ…。という時にやっと補給基地を発見。しかも本物のコーラがあるではないか!今までパッケージがまったく一緒で超まずい偽コーラに何度もはまっていた三人は感動の嵐!そしてまた歩く歩く。午後6時半遂に国道着…。
最後を締めくくるにふさわしい旅だったね。


エグエグ度:123
電流:32



というわけでこのマニアック三国志旅行も本当に意義あるものだったと思う。
うちら三人でなきゃできなかった旅…。今回はそういう旅ができたと思う。特に人の親切さが身にしみたという場面は少なかったけど、スリルにあふれててとっても楽しかった。こういう旅ももうできないのかなぁって思うと少し悲しくなってくるけど、旅のスタイルはいろいろあるわけで、またこういう体験をしてみたい!




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