わたわたの中国大冒険
〜第三部:歴史の旅編〜
任務:前漢飛将軍・李広の墓参り!
8月6日 [→天水(甘粛省)]
この火車の移動は地獄のラサ行きバスとはまた違った苦しみを味わえたよ。これでまた大きくなれたわけだ。
天水…この街についての情報はほとんどない。なのにメインの街と火車駅周辺の街が別れていて更に大変。
とりあえず午前中はホテルで寝ることに。
今回の旅の目的の一つである李広の墓参り。これは今日やらねば。しかしこれまた苦戦。天水=李広墓のはずが地元民もよく知らんとは!”人民よ!よく聞け!前漢飛将軍李広の名を知らんとは!この俺が許さん!”李広墓付近で人民に尋ねる。
わたわた:李広墓どこ?
おじいちゃん人民:よくわかんないけど戻らんとあかんのぉ。
(後でわかったんだけど、実はこのおじいちゃん人民、李広墓に通じる道の入り口に座っていたのだ。)
そのせいで遠回り。民家を潜りぬけてやっとたどり着いた。墓は中学校の中に有ってわかりにくい。
以前黄忠墓(黄忠:字は漢升。三国時代・蜀の劉備の配下にして五虎将軍の一人。中国で”黄忠”と言えば老いても盛んな人のことを指す。黄忠墓:四川省成都市内にある、っていうかあったらしい。文革で破壊されたと聞く。)で迷った時と同じだ。(結局あの時は見つからなかった。)
ま、とりあえず今回はたどり着けたからよしとしよう。そして今日の収穫はまだある!なんと天水から64Km、甘谷という所に姜維墓(姜維:三国・蜀の大将軍。諸葛亮の弟子であり武勇と知略に優れた武将。諸葛亮の意志を受け継いで北伐(魏討伐)を続けるが失敗。逆に魏軍のトウ艾、ショウ会に攻められ蜀は滅びる。蜀滅亡時、姜維はショウ会と蜀の入り口・剣門関で交戦中だった。)があることを地図で発見!天水滞在を1日延期しようではないか!
エグエグ度:101
ワクワク度:92
バス(1元+1元)
鉄路飯店(10元)
午飯:快餐(6元)
晩飯:包子(3.5元)
コーラ(3元+3.5元)
ジュース(2.5元+3元)
地図:4元
計:37.5元
8月7日[天水(甘粛省)]
中国四大石窟(他の三つは敦煌・莫高窟/大同・雲崗窟/洛陽・龍門窟)の一つ麦積山石窟。朝7:00に起きて勇んで向かった。はっきり言ってすごい。今回の旅行の観光名所の中ではポタラ宮をしのいで一番いい場所といえる。1つの岩山がそのまま仏教石窟になっている麦積山は下から見上げても、実際上ってみても迫力が有る。
観光ができるように足場が組まれてるんだけど、これがまさしく空中回廊。階段の隙間から向こうの山が見渡せる。
仏像は敦煌・莫高窟、洛陽・龍門窟のよりは小さいけど、この崖とも言える山によくつくったものだと感心。とにかく一見の価値有りの麦積山だった。
今日の観光はこれだけ。天水は名所が一つ一つ離れた所に有るから身動きが取りにくい。明日は甘谷・姜維墓だぁ!
エグエグ度:45
ワクワク度:91
天水→広元:硬座火車学生票(18元)
バス(5元+5元)
鉄路飯店(10元)
午飯:快餐(6元)
晩飯:牛肉面(2元)
コーラ(3元)
ジュース(2元)
麦積山入山(10元+保険費1元)
麦積山(25元)
荷物預け(2元)
計:89元8月8日
[天水(甘粛省)]
今日はまず天水・秦城(地名。天水で最も栄えてるところ。)にある諸葛軍塁を見に行った。これに関する説明は何もないからよくわからんけど、おそらく諸葛亮が北伐した時に築いた軍塁なのだろう。といっても信憑性はほとんどないと思う。説明や碑がまったくなく土がもってあるだけ。果してどこまで本物なのかな?
姜維墓。こういった名勝古跡はたいてい見つからない。一般に観光地化されていない名勝古跡は地元民さえ知らない場合がある。
今回は”甘谷というところの東南にある。”ということしかわかっていない。
天水・秦城→甘谷64Kmを2時間もかけてやっと到着。その後はひたすら東南に向かって歩く歩く。歩き始めて2時間。何も変わった場所はない。人に聞くと既に通過したとのこと…。バスに乗せてもらって姜維墓に至る道(なんてものはないけど。)の前で降ろしてもらった。
やっぱり”こりゃ、わかんねえだろ!”というところにあった…。
そして期待の墓は、実は墓ではなく(姜維は天水出身であって実際の墓は剣門関にあることは知ってたけど…。)姜維故里の碑があるだけ。しかも今改修中であるらしく雰囲気が出てへん!更に最悪なことに”写真はだめ!”だと工事のおっちゃんがしきりに止めにかかる。俺は写真残り一枚を姜維に捧げるためにここに来たのだぞ!何時間もかけて!
いったん帰るそぶりを見せて裏山に上り、そこから降りてくる途中に隠し撮り成功!伯約(姜維の字)制覇!天水制覇!
というわけで急いで帰ることにした。帰りは火車で。これまた火車駅まで遠すぎる。そして路線バスが走ってない。タクシー。そんなものはもちろんない。地名わからん。地元民の言葉はなまりが強くよくわからん。要するに最悪パターン。
駅は北にあるということだけは知ってるわたわたは北に向かってひたすら歩く。脱水症状に陥りながら今日は計4時間歩いた。
疲れた…と思いながら火車に乗ってるとここで大事件が!隣にキレイな女の人2人が座っているなぁ…と気になっていたところ、急にその1人が悲鳴をあげた!すぐそっちを見ると窓から手だけが見えるじゃないの!なに!?と思った瞬間手が消えた!一瞬何が起きたかわからんかったけど、その女の人いわく、バックを盗られて、そのぬすっとジョージは火車から飛び降りたのだ!バックパッカーに各国の話を聞いて中国は安全というイメージが定着していたけど、やはり気をつけねばと思う一件だった。
エグエグ度:167
ワクワク度:156
甘谷→天水:硬座火車票(5.5元)
天水→甘谷:バス(6元)
バス(1元+1元)
鉄路賓館(10元)
晩飯:快餐(6元)
ジュース(2元+2.5元+2.5元)
アイス(2元)
計:38.5元
8月9日 [天水(甘粛省)→広元(四川省)]
[広元]:発展度C−/四川省への入り口。言葉のなまりがすごい。
午後16:44から始まる火車硬座地獄(天水→広元)に備えて昼間では安らぎの一時。そしてまた火車硬座(無座)。
席は確保できたけどやっぱり夜を越すのはきついぞ!
エグエグ度:134
ワクワク度:45
午飯:牛肉面(2元)
シャオビン(ピザの下地だけみたいなの)(1元)
コーラ(3元)
計:6元
8月10日 [→広元(四川省)]
午前6:50広元着。所要約14時間。やはり蜀は蒸し暑い。
このくらいの小さな街になると外人が泊まれない招待所が目立って、ホテル探しが難しくなる。午前中はおなじみ朝寝。
午後は剣門関(姜維とショウ会が対侍した場所。)行きツアーに申し込もうとしたけど、係りの人がなかなか来ない。それまでの交渉で普通話が通じず、久しぶりの筆談によってプライドがズタズタになっていたわたわたは一計を案じるのであった。
そうだ!剣門関まで(約60Km)走ろうではないか!こんなツアーに参加することなんてないのさ!決まったからには明日に向けて体力を。ということで晩ご飯をたっぷり食べようと街を歩いていると、剣閣(剣閣に行く途中に剣門関がある。)行きバスを発見。
これにて”走って蜀の桟道を突破!”計画はもろくも御破算。明日は”極楽バス”で剣門関を攻める!
エグエグ度:67
ワクワク度:69
四連酒店(20元)
午飯:砂鍋排骨、米飯(8元)
晩飯:タンタン面(2元)
コーラ(4元)
アイスクリーム(1元)
地図(3元)
計:38元
8月11日 [広元(四川省)→漢中(陜西省)]
[漢中]:発展度C/とにかく見所多し。三国志ファンは絶対行くべし。
剣門関。噂通り険しい山だった。ここでの最大の目的は蜀漢大将軍・姜維の墓参り。情報は剣門関の側にあることだけ。道を歩いてかろうじて碑らしきものが見えた。墓参り無事達成!
帰りにどこからどう見ても関羽にしか見えない像を見て(説明では両脇の像は王平と廖化と言っていたけど、これも関平と周倉に見える。
王平、廖化は姜維の北伐時に活躍した武将。商いの神様・関羽の像の両脇には必ずと言っていいほど養子・関平と腹心・周倉の像もある。)
剣門関も制覇!帰りのバスでは車酔いで地元民の女の子が吐いていた。おそるべし!蜀門道!次の目的地は今回最後の地となる漢中。
火車は日に1本で21:00発、深夜2:00着。これに乗るわけにはいかない。バスを探してバス停を回る。人に尋ねると”心悪く”教えてくれた。漢中行きのバスはないと…。(本当はあるに決まってるけどね。)
この”心悪く”に、つまり態度の悪さにマジギレしたわたわたは火車で行くことを決意。深夜2:00に着いて駅宿だぁ!現在、火車の中…。
エグエグ度:82
ワクワク度:92
広元→漢中:硬座火車票(27元)
バス(8元+8元)
四連飯店(20元)
午飯:牛肉刀削面(2元)
晩飯:排骨面(3.5元)
クッキー(2.5元)
コーラ(3.5元)
ジュース(1.5元)
計:76元
8月12日[→漢中(陜西省)]
駅前野宿を覚悟していたわたわたは火車が遅れることを期待したけど、こういう時に限って予定よりも早く着いてしまった。
深夜に初めての街に着くというのは考えただけでも”やっちまったぜ!”という感じだけど、この時は妙に落ち着いていたような気がする。そのくせして駅前には数秒たりとも立ちどまらず、ちょくで賓館のネオンに吸い込まれていく…。決めたことを実行できないなんて例えそれが危険なことであっても情けない気がする。言い訳させてもらえば駅前は今工事中で丁度いい”ベッド”がなかったから。
深夜2:30にチェックイン。天水以来同屋無しだったけど、部屋に2人もいた。しかも中国人!なぜか内心”やったぜ!”(ガッツポーズを決める。)中国人に誤りながら消灯…。
朝7:30起床。2人の中国人もまだ寝ているこの時間に、これで最後となるはずの北京行きの切符を買いに行く。
3日前。朝7:30から並ぶ!完璧!またまたでたぜ!わたわた、非の打ちどころのないパーフェクトプランが!
わたわた:15日、北京行き、硬臥、1枚!(久しぶりの北京を頭に描きながらワクワク!)
切符売り:没有!
わ:な…に…?!
ないはずがねぇだろ!窓口を換えて再チャレンジ。でも本当にない。
考えてみたところ、旅行会社がほとんどの切符を事前に買い占めていると思う。ホテルの手配代理所では2日まえまでO.K!と書いてあったから。手数料をその旅行社と国鉄で分けるんだろう。
ここでまたキレたわたわた。待ち合い室の椅子を殴る。この瞬間決定。北京までの道のりを2つに分けて硬座で帰る。
ジョウハンまで12時間。ジョウハン→北京:18時間。最後くらい硬臥に乗りたかったけどしかたないかな。
というわけで明日出発になったからには急いで観光へ。
漢中(正式には漢中の西約40Kmの勉県)での目的地はざっと5つ。武侯墓(諸葛亮の墓)、定軍山(黄忠が夏侯淵=魏の曹操の有力な武将を斬ったところ。)、馬超廟(墓)(蜀の五虎将軍の一人馬超の墓。四川にも墓がある。)、武侯祠(全武侯祠の中で最も早く建てられた。三国時代に建立。)、諸葛読書台(北伐時諸葛亮が読書をしたといわれてる場所。)の5つだ。
勉県まで1時間半のバス。ここからはすべて歩くことを決意する。全部まわると約25Km。
まず武侯墓。諸葛亮の墓はやっぱり今回見たどの人物の墓より大きい。(と言っても一国の丞相の墓としては小さいと見るべきか。)ここの物売りのおばちゃんも親切だし。満足度:83点。
定軍山は歩きまわったけど、別の山まで行ってしまった。時間がなくなったから山の麓にある碑は見ずに遠くから山だけ眺めた。満足度:14点。
馬超廟は今回たどり着けないかも…と思ってたけど、標識がデカデカと出ていたため簡単に制覇!廟の裏にある墓(田んぼの真ん中にある。)も見れてよかったよ!満足度:92点。
武侯祠。馬超廟のすぐそこにあるからこれも余裕。この武侯は三国時代全国で一番早く建てられたもので歴史は感じたけど、個人的には武侯墓の方がよかったかな。満足度:68点。
ここまで来て相当疲れていたわたわた。諸葛読書台は探したけど、途中棄権。満足度:0点。
今日はかなり疲れたぁ…。5時間歩いて靴ずれ(サンダルずれ)もできてしまった…。
”ホテルに帰って中国人と談笑だぜ!”と思い気やもう2人とも去っていた…。また1人…。最終地・ジョウハンにかける!
エグエグ度:138
ワクワク度:98
漢中→ジョウハン:硬座火車学生票(20.5元)
漢中−勉県:往復バス(4.7元+4.7元)
駅前賓館(27.5元+27.5元)(深夜チェックインしたため。)
晩飯:面条(2元)
コーラ(4元)
ジュース(2元+2元)
武侯墓(5元)
学割武侯祠(5元)
学割馬超廟(1元)
地図(3元)
計:108.9元
8月13日[漢中(陜西省)→ジョウハン(湖北省)]
[ジョウハン]:発展度B/夏は蒸し暑い。ここら辺もよく雨が降ったらしい。
火車恐怖症…。こういう病気があるとしたらまさしく今の俺のような奴を言うんだろう。人民と共に検票開始と同時に突撃。例え席が決まっていてもひたすら走る。この国では指定席なんてあってないようなもの。
今日の火車は所要12時間。”もう慣れてんだろ!”と自分をごまかしながら、なんとかジョウハンに到着。
昼夜あわせてクッキー5,6枚とソーセジ1本、水という食事で結構やられたいたわたわたは即ホテルを探しておいしいご飯でも食べようと考えていた。
到着は10:00だったから急がねば。そこへ今回の旅行初めてのホテルの客引きが!やったぜ!外人も泊まれることを確認してGO!七四〇一部隊招待所。一番安いのは1人5元。
がしかし…。やはり外人はだめだと別の奴が言い出す。そこでおなじみマジギレわたわた。
”だましおったな!うそつき!(漢語)”
客引きの彼女いわく”俺の様子(内モンゴルでモンゴル相撲をした時にズボンが少し裂けて、今はズタズタ。後3日もつか?っていうかもうもっていないという状態。)を見て”金がないだろうと思ってかわいそうだったから。”と。
まぁ、悪気はなかったからよしとしよう。ちょっと言いすぎたかもと反省。
結局諸亮の号からとった臥龍飯店に泊まることに。
またまた1人…。今日は久しぶりに疲れた…。
エグエグ度:78
ワクワク度:45
臥龍飯店(30元)
ソーセージ(1.2元+1.2元+1.2元+1.2元)
計:34.8元
8月14日 [ジョウハン(湖北省)]
昨日はそんなに長い時間火車に乗ってた訳じゃないけど、窓側でものすごい冷風を約10時間浴びていた。(最後の数時間は席を換わった。)というわけで風邪をひいてしまったらしい。窓を閉めても”暑くてたまらん。”とか言って対面のロバキン(その人民はロバに似てる。キンは諸葛亮の兄・諸葛謹=ショカツキンがロバに似ていたことから。)中国人が窓を開けてしまう。
さて今日の観光目的地は古隆中。(古隆中は劉備が三顧の礼をとり諸葛亮を訪ねた時に、隆中対といって諸葛亮が天下三分の計を説いた場所。いわゆる諸葛亮が隠居していた場所。)
ホテルからそんなに時間がかからないから10:00に目覚ましをセット。体もだるいしよく寝るかということで12:00から行動開始。
まずご飯を食べよう!おかしい。どこの店も昼時というのにほとんど人がいない。食事を済ませた後気付いた。何故か俺の時計は約2時間進んでいたのだ!充分睡眠をとったつもりが、なんてこったい!
1人新彊時間(新彊時間は北京時間と2時間の時差がある。新彊時間は公的な場合には使われない。例えばバスの発車時間ね。)で行動していたわけだ。
隆中まではバスで。ちゃんと”隆中に行くか?”と確認したのに、ずいぶん手前のところで降ろされた。それを2回もやられ最後はまた歩き。歩きながら1人吠えるわたわた。
今日は30〜40分歩いただけだけど、なにぶん風邪をひいている。最後は全身がしびれて観光どころではなかった。中には武侯祠や諸葛亮の草蘆など見応えのあるものばかりだったけど、初めいくつもりだった檀渓(劉備が荊州時代に蔡ボウ(荊州の牧=長官・劉表の配下)に襲われた時、名馬テキロに乗って飛び越えた場所。)はリタイア。
この体では北京に18時間硬座で帰るとやられてしまう。いろいろ考えた結果、
A.硬座で無座でなく席があったらジョウハン→鄭州→北京と乗り継いで9時間、9時間で行く。
B.ジョウハン始発洛陽行きがあるから、洛陽までなら確実に座れるので洛陽まで行き、その後北京行きに乗りかえる。とにかくどんな電車に乗っても3時間耐えれば大人数が下車する鄭州に着くからそこからは座れる。
B.の方が確実に”座れる”わけだけど、少し時間のロスをしてしまう。
いわば魏延の”長安まで一気に仕掛ける作戦”→A
か、諸葛亮の岐山まで出て、そこから着実に長安陥落をねらう作戦→Bのちらかというわけ。
(このわけわからん引用は「三国演義」を参照してね。)ここでBを選択したわたわた。
ここでの最低条件は鄭州まで無座ではないこと。しかし切符売りの処理能力があまりにも低すぎて(時間、行き先、列車名、を一気に伝えると、どれか一つずつ理解できなかった…。)またまたキレたわたわた。
”とにかく票を買ってやる!”の一心で無座を買ってしまった…。
今日は最悪コンディション。午後は寝ることにしたけど、体全体が暑く、ひどい頭痛で寝ることさえできない。晩飯はぬき。明日出発は本当なら中止したいよ〜!
エグエグ度:348
ワクワク度:8
ジョウハン→鄭州:硬座火車学生票(32元)
火車駅建設費(3元)
バス(1元+5元+4元)
臥龍飯店(30元)
早飯:肉絲炒飯(5元)
コーラ(3元+3.5元)
アイス(1.5元)
古隆中(20元+保険費1元)
武侯祠(5元)
計:114元
8月15日[ジョウハン(湖北省)→鄭州(河南省)]
[鄭州]:発展度A−/ここまでの発展度でなぜかマック、ケンタ無し。治安は最低。
今日も火車。鄭州まで9.5時間(実際は10時間かかった。)
遂に来た!いや来てしまった…。無座の恐怖が。火車に乗って早速席探し。絶対人がいないと思える席でも”有人!”と言って座らせようとしない。またキレたわたわた。
”おまえらにこびてまで座ってられるかぁ!”立つこと8時間。でもそんなに辛くはない。いわばランナーズハイと同じ現象かな。(よくわからんけど。)
立ってる間に俺の敗れたズボンを見て危険人物視した係員に無理矢理学生証をもぎとられた。やはり人権の面では後進国の中国。(その時はまたまたマジギレして壁を思いっきり殴ってたけど…。) 鄭州、夜の21:00着。
最後の最後で同屋が。しかも中国人。彼は山東省・煙台の人。今の中国人の洪水の事情(知ってると思うけど、この時期中国の湖北辺りはすごい洪水だった。)や中国の各地の様子を教えてくれた。やっぱり人民は友達になると最高だ!
明日朝6:44発北京行きの切符をゲット。明日は遂に北京に帰る。早く皆と一緒に食事がしたいぜ!
エグエグ度:88
ワクワク度:24
鄭州→北京:硬座火車学生票(41.5元)
中南大酒店(30元)
午飯:ジャージャン面(2.5元)
晩飯:タマゴチャーハン(6元)
ジュース(2元)
計:82元
8月16日 [鄭州(河南省)→北京(直轄市)]
最後の火車はずっと半椅子状態。でも北京に帰れる喜びで苦しくはない。
午後16:00北京着。やっと北京に戻ってきた!うれしいのはあたりまえだけど、”終っちゃった…。”っていう寂しさも半分。帰ってからまずすること。それは宿探し…。
エグエグ度:42
ワクワク度:99
バス(1元+0.8元)
計:1.8元
<歴史の旅編まとめ>
こういう旅は絶対マニアックになってしまう。特に三国志が好きな俺はマニアックを追求しがち。
チベットや新彊はその地に行くまで辛かったけど、今回は都市までは簡単に行けるけどその後が大変。ほとんど何もないに等しい情報をもとにただひたすら探す…。でも発見した時の感動は忘れられない。姜維故里を見つけた時の全身をほとばしるあの電流。耐えて耐えて爆発!今回はこういった旅だったかな。
総費用:4705.7元/1日平均:123.8元/ホテル費1日平均:24.3元
〜まとめ〜
旅をしてて俺だけ日本人には見られなかった。理由は黒すぎるのとバンダナをしていること、そしてやせてるため彫りが深いと見られたこと。
よく言われたのが新彊人、アラブ人(新彊で)、広東人、香港人、そして香港明星・ジャッキーチュン(カンフーのジャッキー・チェンじゃないよ)。そんなに俺って日本人に見えない?
今回の旅は一人旅とはいっても、長い間仲間がいたから全然寂しさは感じなかったな。
中国人(少数民族も含めて)にもいろいろ助けられたし。騙されたこともあったけど、そういうことは旅にはつきもの。今では楽しい思い出。
神大さんいわく”バックパッカーは確かに人種が違うけど、そんなにすごいとは思わないなぁ。今は金さえあればなんでもできるし…。”この意見には半分賛成で半分反対。
確かに今はお金さえあればどこへでも行ける。かつて秘境といわれたチベットも飛行機でひとっ飛び。でも”やろう!”という気がない人はどんなにお金があってもそういう旅はしないもの。
例えば”地獄のラサ行きバス”だって苦しい、辛いとは言ってるけど、実際無理矢理乗せられれば誰だって耐えられるはず。(まぁ、死んだ人もいるみたいだけど。)ようはその人の気持ち次第だよね。
和尚いわく”こういう旅はきっかけが全て。君だって僕のようなバックパッカーと出会って次は各国をまわってるかもしれない。大事なのはそのきっかけをいかせるかどうかだな。”この意見は素晴らしいと思う。
俺は彼らの勇気を尊敬してるけど、彼らに言わせると”もし言葉ができればもっと旅が楽しくなる。”らしい。その点、語学を学びに中国に来てる留学生もちゃんときっかけをいかしてると言ってた。
最後に小町いわく”私はお金がなくなったら、ふらりと帰ります。どこに行くかとかはっきり決めてないし。気ままな旅が一番。”旅は移動ばかりでは楽しくないね。
最後の方は北京に帰ることを考慮して移動ばかり。強行軍だと体も壊すし、ゆっくり名所も見れない。やっぱり旅は気ままにやるのが一番さ!というわけでほんとにいろんなことが今回の旅。
今度は違う国にも行ってみようかな。でもこんな旅はそう何度もできるものではないし。次の目的。それはゆっくりみつけよう!。