四 満洲第七二五〇部隊に配属

 

 後続の隊列が入り終わると、部隊副官と称する中尉が壇上に立ち、「これより部隊編成をする」と所要の指示があり、大阪から同行した同僚達は、次々と呼び出され隊列を離れて、夫々の所属中隊の隊列に加わって行った。私は第六中隊に配属となった。中隊長は、安保中尉と紹介された。気に留めていた留寿都村出身の梶君は第二中隊に、又豊浦町出身の小西君は第四中隊に配属となったことだけは確認できたが、そのあとは顔を合わせることもなく離れ、これで暫くは会うことがないと思った。

 部隊編成が終了すると、副官から部隊長の紹介があり、部隊長小西大佐が壇上に立ち、当部隊は、「電信第四連隊、通称満洲第七二五〇部隊」と呼称すると前置きして、我々初年兵の士気を鼓舞する訓示を受け承わる。私も愈々兵士の一員に加わったことを心底自覚させられた。当部隊が六個中隊編成の通信部隊であることで、自分が此処まで連れてこられたことを納得した。それにしても、このような辺境の地に、通信部隊を置く必要があるのだろうかと不審にさえ思えた。

 この場で、中隊内部の班編成も終わり、各中隊は、次々と兵舎に向けて将校集会所を出て行った。第六中隊は五班に編成され、その場で直ぐ各班長の指揮下に入った。私は第二班に配属され、班長はたまたま大阪から引率の指揮を執っていた松尾伍長であった。輸送中から顔を見知っていたので、気分的にホッとした。第一班の槌本軍曹を先頭に将校集会所を出ると、放牧地を思わせる広い営庭が広がり、中隊毎に長い兵舎が建ち並び、兵舎の窓灯りが、入隊して来る我々初年兵を待っているように見えた。兵舎は中隊順で、第六中隊は末端の兵舎に入った。兵舎の造りは厩舎を思わせる風景そのものであった。

 班長の先導で兵舎の中央廊下を奥に進み、今夜から起居が始まる内務班に入った。中央廊下を挟んで左右に二段寝台が、九尺程の床を挟んで向き合って並んでいる。それは、かって見たことのある土方の飯場を連想させるものであった。内務班の入口で背伸びしながら、兵舎の造りを見ていた私の目に、ふと三人の古年兵の姿が入った。二人は一等兵で、他の一人は円筒形の大きなペチカを背にして、われわれを凝視するように立っている上等兵であった。

 古年兵の二人が手分けして、我々同僚の氏名を読み上げ、各自が今夜から起居する寝台の位置が決められた。私にはペチカ側の左手中程の寝台が割当てられた。古年兵の指示で直ちに外套を脱いで、自分の寝台の前のテーブルに向き合って整列すると、下士官室から出てきた松尾班長が、改めて自己紹介をした後、お前達の面倒を見てくれる古年兵を紹介するとまえおきして、「成田上等兵、菅原一等兵、坂本一等兵」と三人が紹介された。そのあとすぐ二人の古年兵が、寝台の前にある長い飯台で、手際よく飯の盛り付けが始まった。丼に盛られた麦飯と野菜を無造作に切り込んだ味噌汁、それに僅かばかりのおかずであった。なるほど、これがかねて先輩から聞いていた一膳飯かと凝視した。盛り付けが終わると、菅原一等兵と坂本一等兵は、盛り付けに洩れがないか、食卓を一巡するように目をやり、着席を促し、菅原一等兵の合図で食事に入った。軍隊の飯は、早喰いでなければならないと聞いていたので、私もそのことを念頭に、同僚の箸の運びに目をやりながら食べた。やはり早喰いを心得ているとみえ、私より先に箸を置いた者が五人程いた。

 食後の片付けが終わり、古年兵の指示で寝台作りをする。袋状に出来上がった寝台に入り、消灯になったのは十一時を過ぎていた。私も目を閉じ、「遂に満州まで来てしまったな」と小さな溜め息をついた。そうして真狩村を出てから、僅かな時間のなかで、次々と起きた大きな変化に順を追って思いやる。薄目に開くと、中央廊下から洩れてくる裸電球の薄明かりの下で、同僚達も静かに目を閉じていた。果たして寝ついているのだろうかと疑った。私も疲れが全身を覆い眠む気を誘い、いつとはなしに寝入った。

 翌朝六時、「起床」の声で一斉に飛び起きた。「点呼を行うから直ちに営庭に集合せよ」との声がかかる。昨夜脱いで枕許においてあった軍服を引き寄せ、手早く身に付けようと焦る。ボタンをかけながら、軍靴に足を突っ込む、なかにはボタンをかけながら中央廊下を走る者もいた。非常呼集でもないのに、毎朝この状態が繰り返されるのかと思いつつ、私も先を競って走った。営庭に出てみると、内務班毎に隊列が組まれ、それぞれが次々と加わっていった。

 整列が終わってみると、私の整列順位はかなり前の方に位置していた。初めて受ける朝の点呼である。前方に中隊長以下、中隊全員の上官が居並ぶ中で点呼が行われた。中隊長が指揮台に立ち、昨夜の訓示を補うように、我々初年兵の士気を鼓舞してから、隷下の士官等を隊付将校、池田少尉、柳少尉、永瀬少尉、川井見習士官、人事係小林准尉、庶務係松沢軍曹、被服係常法寺軍曹、兵器係辻軍曹、金子伍長、陣営具係長原軍曹、自動車係上野伍長、馬係北川軍曹、菅原伍長と、次々顔ぶれが紹介された。中隊の内部組織が、すこし分かった様な気がした。その後、川井見習士官の指揮で、天突き運動と呼称する運動、脚を屈折しながら両手拳を上に突き挙げる運動を数十回繰り返した。酷寒の北満の朝、息づかいの荒くなった兵士の吐く白い息が隊列の中を漂っていた。

 点呼が終わって内務班に帰り、飯上げ当番が決められ、他の者は内務班の掃除と各自の寝具等整理に取りかかった。朝食が終わった後、古年兵の指示で、一斉に被服受領に出かけて、新たに軍服、防寒外套等の支給があった。そして各自で支給された衣服の員数を確かめた後、夫々が白糸で支給品のすべてに自分の名前をカタカナ書きで縫い入れた。針仕事には、殆ど経験の無い我々にはこれは大仕事であった。互いに手伝い合ってやっと仕上げた。次に衣服、下着の整理整頓の仕方を実技で教わる。衣服等はすべて軍隊特有の呼称用語があり、それを教わりつつ折りたたむことになった。最初に、大阪で支給された外套から始めた。次に軍服、下着の順に、四〇センチ位の正方形に、折り目正しくたたみこむ。そして枕許にある「手箱」と呼ぶ私物入れ箱の脇に添わせて積み重ね、「手箱の蓋」を前面に当て、垂直になるように積重ねを修正するのである。私も出来上がりを見て、我ながら良い出来映えと満足し、よもや軍律厳しい全くゆとりのない内務班生活の中で、整理整頓の美を教わろうとは思わなかった。

 入隊二日目は、こうして各自の身の回りのことと、中隊兵舎の内外施設を見聞するなどして夜を迎えた。一昼夜を過ごしたせいか、初年兵の我々にも少しばかり心の動揺が収まりつつあった。未だ互いに寝台の両袖にいる戦友とは、満足に言葉を交わすいとますらなかったので、古年兵の目を気にしながら、小声で出身地など手短じかに聞き合った。軍隊生活とは、二四時間厳しい規律と監視のなかにあることを身に沁みて自覚した。