家族の戦後体制が持っていた3つの特徴

家族の戦後体制が持っていた3つの特徴とは、女性の主婦化、近代家族が階層を越え大衆化した
再生産平等主義、人口学的移行期世代、つまり多産多死世代から、多産少死世代へ移行時期の
家族形成が主役。以上この3つがあげられます。

まず一つ目の戦後の特徴、女性の「主婦化」ですが、正確には「専業主婦化」であります
戦前までは、専業主婦というのはごく一部で、女性もみな農村や自営で働いていました
「主婦化」したといわれる理由は、高度経済成長期(昭和31年から44年頃)に伴い産業構造が転換し、
農業や自営業者を中心とする社会からサラリーマンを中心とする家庭の増加したことです。
それにより、農業にしろ、商業にしろ仕事は家族で分担するのが普通だったのに男性は
外へ働きにいくのが当たり前になってしまった。
当時の男女の役割分担政策は、「男」は会社で仕事、女は家庭で家事と子供の教育という考えで
そのため年金制度、配偶者控除などで専業主婦家族を優遇しました。
団魂時代の人たちは、ウーマンリブの時代に青春を過ごし、自己主張の強い、行動力のある人々
というイメージですが、実は最も家事、育児に専念した世代なのです。
その世代は結婚しても友達のような夫婦、ニューフアミリーをつくったといわれる世代
で、理念やイメージでは男女平等ですが、実際は一部のリベラルな人しか実践はできなかったのです。
社会状況が整っていなかったし、社会進出を拒む規制や慣習があったからです。つまり戦後という時代は、
主婦であることが強い規範性を持っていたということです
おまけに、「主婦になるのが良いのだ」と言う価値観までもついてきたのです。
「女性は主婦であるべきだ」「女性は家事、育児を第一の仕事にすべきだ」という規範が大衆化したのです。

二つ目の特徴の再生産平等主義とは、みんなが結婚して子供を2,3人産むのが当たり前という社会です。
昭和一桁の戦後生まれの女性達は適齢期(24歳前後)に一斉に結婚し、家庭に入り子供が2,3人いる
家庭を作るのが当たり前という時代だったのです。いわゆる「画一化」です。
それは、出生コーホート(世代)別既婚女性の出生児数の表に現れています
落合恵美子著「21世紀家族へ」新版、有斐選書、P55
それにより女性の就業率も下がり、同時に出生児数も戦後第一次出生率の低下となりました。
「画一化」の理由として産業構造の変化で、子供の価値が変わったからなのです
農業社会では子供は生産財でしたが、サラリーマン社会では消費財なのです。
子供が消費財になって、教育費や住宅費の高騰な減らす条件が強くても、出生率が二人より
下がらなかったのは、それが良いのだと言う規範の力があったからなのです
つまり再生産平等主義とは画一的なライフコースを歩み、画一的な家庭を強制すること
なのです
この主婦化と少子化により、子離れ後の人生が延びたことで、何か物足りなくなって
不満を抱く「思秋期」と言われる社会現象、母と子が密着しすぎている
「母子癒着」などの問題が出てきたのも特徴です。
他にも家電品の普及(昭和45年までに3種の神器が普及)により、女性の自由時間
の増加により、子供達の教育に力が注がれていったのも特徴です。

3つ目の特徴は、団魂世代は、人口学的に特殊条件を抱えていた世代で、
家制度と訣別しないままの核家族化が進んだことです。核家族が進んでも、
きょうだいが多かった為、親族ネットワークが今日よりも強かったことも、このころの特徴です。
戦後近代化が進み、多産多死型から多産少死型へ社会人口の転換がありました。
戦後日本の高度経済成長も、この団魂世代の人口学的条件があったからです。
団魂世代の人たちが、結婚して家庭を作るのが支流だった時代は、田舎で長男夫婦が親と同居したら、
次男や娘達は都会で安心して核家族世帯を作っていきました。きょうだいが多かったことが、
核家族世帯が増えた理由でもあります
人口移行期、核家族化しながらも、3世代同居の理想を持ちつづけたこと、つまり
家制度と両立する核家族の進展は、直系家族制をとっている日本の特徴文化的要因と
人口的特殊条件があったからです。「家族の戦後体制」の時代の日本家族は
「近代家族」ではあったものの人口学的条件の与えた、きょうだいネットワークにより
核家族の弱点とされる孤立性や脱弱性から守られていたのである

よって、家族の戦後体制の特徴は簡単に言い換えれば、高度成長と家族の変化→専業主婦化、
大衆消費社会と家族の変化→子供の消費化、少子化、核家族化、家制度の崩壊である

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