イエメン旅行記

イエメン摩天楼紀行(10日)
今回は数ある旅行会社の中でユーラシア旅行会社を利用した.社員教育ができている質の高い会社である
値段が高いが、観光第一でみやげ物屋に連れて行かれない、イヤホンサービスがあるので離れていても観光の説明が聞ける
あらかじめ空港税やチップが含まれているので余計なお金がかからない。出入国カードを作成してもらえるので飛行機でぐっすり眠ることができる、そうめんのサービスがある、ハガキと切手のサービスがある。他ウエットテイッシュ、ミネラルウオーターサービス
ポンズ、しょうゆ和風ドレッシング、ふりかけなど用意してある
安さのみ重視する人には向かない。値段を取るか質をとるかはその人の価値観だが、ユーラシアのサービスが当たり前だと思ってはいけない個人的には価格以上の得るものがあった

1日目
8/13日(金)19:40羽田空港集合
そこで以前HIS チュニジア10日でご一緒だった静岡の首藤さんと偶然再会。しめしあわせたわけでもないのに珍しいことだ。
20:52JALとの共同運航EK6251便羽田発→21:49関西空港着、国際線ターミナルに移動。機内にて関西空港発の人達と合流。23:32JALとの共同運航便EK317便関西空港発→約9時間37分の空の旅→4:05ドバイ空港着。
時差5時間気温34度.朝1番の礼拝の時刻を知らせるアザーンが
聞こえる→6:41EK961便ドバイ発→約2時間30分のフライト→8:05イエメンの首都サナア着。気温20度。思ったより涼しい。時差6時間。少々眠い。
能率の悪い入国審査を済ませやっと入国。現地ガイドはシャーミアーさん。4WD4台で9:08空港発。
9:37タージシバホテルにてチエックインと休息。

2日目
8/14日(土)
11:35タージシバホテル発。サナア市内見学
ノアの息子セムが創設した町マデナートセムとBC2世紀頃から呼ばれまた同じくノアの子孫である
アゼルの町の名前になった。
アラブの時代AD7世紀(聖徳太子が亡くなった頃)からサナアと呼ばれるようになった。
通称世界最古の摩天楼都市、生きた博物館
かつては64本のモスクのミナレットがあり、ミナレットの町ともよばれた。サナアの語源は「人が何かを作る」
の意で、昔から建具屋などの小工業があったので「物を作る町」の意。もう1つは市壁を作ることによって
町の防衛が強固になったので
「作られし町」「強められし町」の意がある。
BC2世紀以降シバ王国の王シャアルアウタル時代、町の反映は市壁により外界から守られ成り立ち
、乳香、香料、絹、奴隷の中継貿易で栄えた。
イエメンの人達はノアの箱舟が漂流したのはサナア郊外のヌクム山(2,600M)だともいう。
人口100万人。旧市街はユネスコの世界遺産1986年で5万人の人が住む。標高2300M。
民族博物館見学。個人的には眠くなるので博物館見学は好きではない。
1962年までこのあたりを統治したイマームヤフヤとその息子のアフマドのパレスで現在では博物館。
昔の学校マドラサの授業風景(紙がなかったので、木でできた板がノートがわり)ジャンビーアのベルト、
ベドウインのサンダルなど革製品、女性の伝統的な顔かくし
(シターラ、ガルクージュ、アバヤ)なども展示されている
女性のアクセサリーはシルバーに珊瑚の装飾。半円形のステンドグラスを入れたカマリア窓は有名。
昔はアラバスター
最上階の部屋はマフラージと呼ばれるくつろぎの間で男性がカートや水タバコを楽しんだ。
屋上からサナアの旧市外のパノラマ
(ヌクム山2,600m、見はりの塔、16世紀のモスク、公衆浴場ハマム
、イマームの別のパレスであった国立博物館など)
イエメンは日干し煉瓦の高層住宅が有名だが、どこもエレベーターがないので、
上まで上がるのが一苦労。暑いし……..
イエメンの人は7Fの家を上り下りしている。みんな足腰が丈夫なのだろう。
13:08から14:05AL−SHAIBANIレストランでランチ
前菜、サラダ、ジャガイモ、ズッキーニの煮込み、
ヤギのスープ(おえっ!!でも知らないで飲んでいたがうまかった)
メインはタイのような白身魚、クレープ、バナナ、マンゴ)
数人で分けるように大皿でもってくるが、食べきれずもったいないなと思う
地元の女性もたくさんきている。一昔前なら女性が公衆食堂に来ることはめったに無かったし
、フアミリールームというカーテン
のある別室で食事していた。黒いアバヤをめくりながら食べていた
とても食べずらそう。ジャージュという白身魚の歯はサメみたい。

14:11〜タリハール広場[自由の意]から徒歩にてサナア旧市街の見学
サナアの旧市街はかつて、東西約1.5KM、南北約1KMの城壁で囲まれていた地域。
かつては5つの城門があったが、現在は唯一イエメン門が残るのみ。
旧市街にはアラビアンナイトの世界が残る。現在でも6,000棟以上の古い家屋、64本のミナレットが建ち並ぶ。
幸福のアラビアは乳香を主とする交易で豊かだった反面、この地方の部族社会においては、
富の分配を巡る抗争が頻発し、人々は摩天楼のような高層家屋を築いて、身を守らざるを得なかった。
5、6階建て、中には8階建ての建物もあり高さ50Mにも及ぶ
主な建材はアドベと呼ばれる日干しレンガだが、土台や1,2F部分は玄武岩が使用されている場合が多い
。これらの建物にお菓子のような印象をあたえているのが、黄土色の壁面に施された化粧漆食の装飾で
日干しレンガの隙間から雨水などが染み込むのを防ぐ為の防水対策であり、さらに不安定な窓の
開口部を固定する役目をしている。部屋の窓が比較的小さいのは、砂埃を防ぎ、他人に覗かれ無い為の知恵。
四角い窓の上部には、ステンドグラスがはめ込まれた
半円形や円形の小窓がついており「カマリア窓」と呼ばれ明り取りの役目を果たす。
最上階はマフラジと呼ばれる部屋でその家の格式を示す為贅をつくして飾り立てたもの
カートパーテイもここで行われる。
バブサバーブ付近から旧市街へ。
イエメンの子供にお尻を触られた(外国人は被害に会う確率が高いそうだ)
旧市街には、野菜、くだもの、カート、水たばこなどの店が建つ
サイラと呼ばれる旧市街の間を走る道路は雨期には川になることもある。現在15のハマムがあるが、
その中の1つハマムスーク、14Cアルアッバスモスク、2004年3月アラブの文化の都である祭りが行われた広場
、ビシュターンと呼ばれる菜園は昔篭城した時の名残。現在はモスクの所有。15Cのアルアフバルモスク
、17Cのベイトサリーと呼ばれる家を散策。
途中GOLDEN DAARホテルのマフラジにて休息。コーラや紅茶のサービスがあり一息
暑いし階段の上り下りで少々疲れた。万歩計つけたらけっこうなカウントになると思う
その後ジャンビーア、ナベ、カマ等のスークを見学するが突然の大嵐のような大雨と雷雨。
ロバのスークを通り抜けアートハウスにたどり着く
(昔のキャラバンサライ)で雨宿り。小雨になったので、再度香辛料スークを見学
しかし再度信じられないような大嵐。近くの店でそれぞれが雨宿りする。道は激流となる。
17:14仕方なくイエメン門より4WDにてホテルに戻る。17:22タージシバホテル着。
19:30中華もどきの夕食。

3日目
8/15(日)8:11タージシバホテル
サナアの郊外は昨日の雨で所々水浸し。まるで川みたい
8:11〜41アルカベル村人口6,000人ワデイダハールに立地するカートを栽培する村を訪れる。
村の子供達がスーラスーラ(写真)カラムカラム(ボールペン)といいながら後をついてくる。
村には数匹のネコがいるが日本でも見かけるような猫だ。
建物の下部は石だが、上はアドベと呼ばれるワラを、混ぜた日干し煉瓦製。毎年雨期の後修復される。
下部が円筒、上部が四角の珍しい建物があるが、これは監視塔で敵の進入やカート泥棒を見張るもの
だったが現在は住居になっている。ワデイとは枯れ川の意味で浮きには突然川になったりする。
9:02〜9:11ロックパレスを遠くから写真撮影。シダーラという民族衣装を着た女性が頭の上に大きな
荷物を乗せて歩いている。ワデイダハールの道も昨日の大雨のためぬかるんでいる。
9:15〜10:17ロックパレスの見学
奇岩の上に建つパレスで18Cに建設されたもの。1930年代までにイマームヤヒヤの夏の宮殿として
利用された。内部には石器時代のお墓の跡が残る。
入り口には樹齢700年のバオバウの木が妙に景色にマッチしている
ロックパレスは7F建てなので登るのが大変だ。カートパーテイをした「マフラージ」の部屋が2箇所にあり
深さ60Mぐらいの井戸も2箇所ある
最上階にはイマームマヒヤの部屋が再現され女性用、男性用の階段もある。
カマリア窓のステンドグラスを通して入ってくる光が美しい。クローゼットに入るための出し入れの
OKな便利な階段もある。屋上にはイマームヤヒヤが日光浴したイスがある。周囲を見渡すとカート
、無花果、あんずの木が見える
イエメンは緑の豊かな国だ。
10:25〜34グランドキャニオンのようなワデイダハールの上部よりロックパレスのパノラマ。
運転手さんたちがジャンビーアダンスを披露してくれた。並んだり輪になったりする。部族によって
ステップが違うようだ。
11:23〜12:12スーラの見学
岩山(2,700M)の麓にある城壁で囲まれた町。長い間、部族間の争いと多民族支配への抵抗を続けてきた
山岳部族の典型的な形をした町人口12,000人、9Cにサーダのあたりを支配していたイマームアルハアデイ
により建設された町。
16,18Cにはオスマントルコ帝国に抵抗するイマーム政力の根拠地の1つであった。当時には5つの
城門がありアルハデイ門より町の中へ。町の付近には雨水から飲料水を得る為の貯水システムが残る。
現在は家畜とかんがいのために利用されている。建物は石を積み上げただけの
もので、丸型のアラバスターをはめ込んだ窓が特徴。町の中に入ると子供達がボールペンと
写真の一斉攻撃。キリストの名のついたイーサ通り、ダビデの星のマークが残る元ユダヤ人の屋敷
、金曜日のモスクであるジャマカビール(サイードモスク)のミナレットも建物と同じ石を積んだもの。
みやげ物屋がたくさんある。
12:28〜13:29シバームHAMEDDA TOURISMホテルで、ランチ。伝統的な石鍋料理
大皿で来て数人で分ける。パンケーキやジャガイモがおいしい。いつもパンが地べたに、
置かれるので気にはなる
お昼や夕食にミネラルウオーターがでるので飲み物代がかからないのは嬉しい
いつもご飯の量がおおくみんな食べきれないのでもったいないなぁと思う石鍋は思ったほどおいしくはない。
13:25〜46ワデイーアンアイーンのパノラマ見学、13:51〜46
コーカバンの町とイスラムの墓地見学。イスラムは土葬で顔をメッカの方向に向けて埋葬される。
人口5,000人海抜2,600Mコーカバンとシバームは同じ部族の町でシバームは農業と商業担当
、コーカバンは軍事を担当した。お互いに助け合った双子都市。ここを訪れるツアーはメジャーなようで
地球の歩き方に載っている
町の外側には大きい貯水池。入り口はまるで城塞。かつては入り口は一箇所だけだった。
イエメン男性が嗜好品としてかんでいるカートにトライ。現地係員さんがみんなに少しずつ分ける。
苦く、自分はとても合わない。
町には学校の先生を養育する施設もある。
15:00〜21シバームの町見学。
人口15,000人、AD1Cからの町でムハマンドの時代に建設されたグランドモスクも残る。
イエメンにはサナアとタイズにこの時代のモスクがある。
15:54バシヤルサイード村の写真ストップ。
昨日雨で中止になったスークの続きを見学する為、再びイエメン門に向かったが再び雨。
明日よりサナァ泊ではなくなるので、数日後に期待。今日車窓から見えた畑はカート、アワ、小麦の畑
。動物はロバ、羊、鷹
ホテルにてヨーロッパ風の夕食。

4日目
8/16(月)
5:34タージシバホテル発→5:54サナア空港着。なじみの運転手さん達とはここでいったんお別れ。7:55
 IY(イエメン航空)426サナア発→窓から見ると砂漠やあかちゃけた大地一面でこんなところに
人が住めるのだろうか
空港はあるのだろうか??と思いながら9:08〜10:51オマーンとの国境に近いアルゲイダ空港を経由する
出発が遅れたのはどうやらオーバーブッキングがあって、無理やり降ろされた人がいたらしい。
こんなところで降ろされても..と思う
11:55サユーン着。39度。これから行くアデンのほうが湿気があり暑いと聞く。
また新しい運転手さんと今度はエアコンが効く4WDに分乗していったんホテルへ。
12:11アルハウタパテスホテル着。このあたりの建築材である日干し煉瓦を利用した宮殿風のホテル
12:45ホテルにてランチオニオンスープ、チキンまたはオムレツ、フルーツ
ホテルの周辺はアメリカのグランドキャニオンのようなテーブルマウンテンに囲まれた枯れ川ワデイードアンまたは
ワデイーハダラマートと呼ばれる渓谷になっていて、ナツメヤシのオアシスが60KM先のアラビア海の町
ムッカラまで続く。谷底のほとんどは雨期には川になることもあり、アスフアルトの舗装もすぐダメになってしまう。
14:05アルハジャレイン村
当初はサナアで自由行動のはずだったが、サユーン行きの便の関係で
それがなくなりサユーンで自由行動に変更になった、
しかし旅行会社の計らいで無料で13日コースの見学地であるこの村の観光に連れて行ってもらえることになった。
14:24砂漠のマンハッタンシバーム写真ストップ
砂漠の摩天楼ともいわれこの旅のハイライトでもある
1982年ユネスコの世界遺産。
砂漠の真中に忽然と現れる高層建築の摩天楼。蜃気楼を見たかのような不思議な気持ちになる。
「アラビアからはえもいわれぬ香りが立ち上がっている」紀元前500年頃
ペルシャ王ダレイオス1世が絶賛した香の正体はカンラン科の常緑樹の樹液を固めた「乳香」だった。
当時乳香は最高級の香料として金と同等の価値を持ち古代エジプトの王やローマの皇帝達は宗教儀式や
自身を神聖化するのに用いるため競って乳香を求めた。この乳香の原産地が現在のイエメンやオマーン一帯。
この地方にはシバ王国を筆頭に「古代アラビア王国」が次々と誕生し、乳香によって大きな繁栄を築いた。
そのため当時の人々はこの地を「幸福のアラビア」と呼んだ。これらの王国の中で。紀元後3世紀から
繁栄したのがハドラマウト
王国であり、シバームはその首都だった。
隊商路である「乳香の道」を通じて運ばれる物産品の交貿で町は王国消滅後も栄えその
繁栄は16世紀まで続いた。旧市街は城壁で囲まれた東西500M南北400Mで洪水の度に修復が重ねられた
日干し煉瓦の高層家屋が500棟林立し、5,000人が暮らしている
車窓からはアワ、ナツメヤシ、クローバ、ヘンナ畑
14:27〜33ラクダの群れと出会う。たくさんのラクダは、これから売られてしまうらしい
14:41〜47アッガート村と廃墟→15:40〜15:55
マシャードアリ16Cの成人アリアッタースの墓があり、巡礼地になっている。
家屋の屋上には魔よけのためにアイベックスの角がある。
15:57〜16:02第一回青空トイレ。
道路には5M〜10Mおきに必ずサビールという水場がある。16:12アルハジヤレン村のパノラマ。
16:26〜17:10徒歩にてアルハジャレイン村の見学。人口8,000人、AD1Cからの
断崖にそびえる摩天楼都市。
サウジアラビアの出稼ぎ労働者が多く、町の保存状態も良い。ここは蜂蜜の産地でもあり
買わないけどお店で味見させてもらった。濃厚でおいしい。17:15〜24パノラマ写真をとる。
19:08ホテル着。ホテルにて夕食(ベジタブルスープ、メインはマグロかビーフ、フルーツ)本日最高気温53度。

第5日目
8/17(火)
この日にチエッカーズのくろべぇが亡くなったらしい帰国後一ヶ月以上たって、
お別れ会のニュースを見て初めて知った。
日本を離れているとほんと浦島太郎状態になってしまう
8:20ホテル発→8:25〜36日干し煉瓦を作っているところを見学
この辺の建築材は日干し煉瓦。土とわらと水を混ぜ木の枠で抜いてレンガを3日間乾燥させる。
職人の給料は1日1,000リアル。日干しレンガ1枚10リアル、家を建てるのに1万枚の
日干し煉瓦が必要だそうだ。
9:15〜26聖人アハマドベンイーサの墓見学
11世紀ハドラマウト地方にイスラム教(スンニー派)を布教しこの地で殉教した聖人の墓。
イスラム教意外入場は禁止である
駐車場近くで、黒い民族衣装にナツメヤシで編んだとんがり帽子の女性とヤギの群れと出会う。
女性は写真お断りと隠れてしまった。しかたなしにヤギの群れをパシャリ!
10:00〜タリムの見学
人口3万人17世紀〜19世紀にかけてタリムはイスラム教スンニー派の中心地であった。
現在でも町の中には360のモスクが残り、当時神学などを中心とする学問を勉強する
為にたくさんの人が集まった。
アルカーフ宮殿群(ダルエルサラーム)から徒歩にて見学。ものすごく暑い
10:12〜10:57アルアージャ宮殿見学
インドネシアでホテル業などで成功したザイッドロアルカーノ族のパレスであった。インドネシア風の建物。
社会主義の時代の政府が建物を没収し現在は簡単な博物館になっている。もしかして土産物屋さん??
銀で装飾された銃をもってハイポーズ!普通の博物館ではこんなこと出来ない
民族衣装や帽子、銃を勝手にとっては説明そっちのけで記念撮影に夢中になる。
価値ある資材は政府に没収されてしまったのでほとんど何も残っていないのが残念。
魚のスークに行く。
主にサメ、マグロ、肉やでは主にヤギの肉。ヤギは低カロリーなので最近人気のようだ
11:06アルムフダールモスクのミナレット見学
17Cに建設されたミナレットではタリムのシンボルその後図書館の見学。5000冊の蔵書のある図書館で
地図学、天文学、医学、薬学、コーラン、神学などの古い本がある
入り口で荷物を預ける。外は暑いので少しホツ
12:26〜13:39ALAHQAFホテルにてランチ
サラダ、チキン、オムレツ、野菜の煮込み、フルーツ、ハダラマートテイ
暑いので13:54〜15:36ホテルにて休憩。15:46シバームの見学に行く
700年前の家ジャルフームなどシバームの中野町を徒歩で見学。夕方砂漠のマンハッタン
シバームのパノラマ


第6日目
8/18(水)
気温47度。凄く暑い
8:36ホテル発。8:42〜46グルフア村人口3,500人のお墓
見学。埋葬する前にお祈りをする為のモスクもある。イスラム教徒は顔をメッカの方向に向けて土葬する。
アッラーによる最後の審判を信じている。
キリスト教のように聖人の遺体を聖遺物としてバラバラにすることはしない。
復活したときに体がバラバラだと困るからだ。墓石にはコーランの1節、その名前、生まれた日、
死んだ日が書かれている。その他、男性は石1つ、女性は石2つを墓の上に置く習慣がある。
8:57サユーン見学
人口5万人、ハダラマート地方中心地。百万のやしに囲まれた地
旧宮殿前より徒歩でスークへ。乳香や岩塩、カレーパウダーなどの香辛料のスーク、金銀のスーク、胡麻油など.
子供を抱いた女性がお金を恵んでと付きまとう
9:38〜10:25サユーン博物館
18Cからの建築物。1967年までこの付近を支配していたスルタンアルカシーリのパレスだった。
現在は博物館。1Fは考古学博物館、ワデイーハドラマートのRAYBUNで発掘された矢じり
、八百万の神を信仰していた頃の神殿装飾、古代アラビアアルフアベット、イスラムのお説教台
であるミンバルや木製の門や窓などみることが出来る
2Fはハドラマウト地方の生活用品が展示されている。
博物館の近くの御茶屋産でレモンジュースや紅茶で休息。とっても暑いが私はよほどのことがないかぎり
冷たいものは飲まない
11:05〜20ハンドクラフトセンターでナツメヤシのとんがり帽子や古タイヤでできたかごなど自由散策する
11:49〜14:30ALAHOAFホテルにて休息とランチ
スープ、サラダ、野菜のにこみ、キングフイッシュまたはオムレツ、フルーツ、ハドラマートテイ。
とにかく外は暑いの一言
14:34サユーン空港着。ドライバーさんともお別れ。15:32 IY817イエメン航空サユーン発16:18アデン着。
空港に出てみるとサナアで一緒だったドライバーさんが出迎えていた。なんでもサナアから夜6時間かけてきたらしい
首藤さんとなじみのドライバー3号車に乗ってサナアに向けて北上する
外は35度。夕方のアデン市内見学。人口70万人。イエメン第2の都市。イエメン経済の中心地。
旧南イエメンの首都。アデン湾に臨む港湾都市。火山のカルデラが侵食されてできた2つの小半島の上に
発達した為複雑な都市構造をもちいくつかの中心地区から
構成されている。その歴史は古くBC7〜5Cアウサンという古代王国に仕え、海のシルクロードの時代に
東西貿易の重要な中継地点として繁栄しイギリスの支配の後、1967年アラブ発の社会主義政権の首都になった。
17:20〜31アイダールモスク13Cの聖人アイダルーズのお墓がある17Cのモスク見学17:36〜52アデンタンク見学
シバ女王の水瓶と呼ばれる岩で作られた18の貯水槽で1854年英国人サルーンバルトによって発掘された
17:58〜18:13ランボーハウス見学。15歳から19歳までという限られた時期の詩作だけで
フランス文学史に燃焼と輝く詩人。彼はその才能で周囲を感嘆させ、時に困惑させ身近すぎた
青年時代をそよ風のように駆け抜けた。天才か悪魔か生き急いだ早熟の詩人アルチュールランボー。
彼が輝いたバルデイー商会の建物はランボーホテルになっている。
18:20アデンホテル着。ホテルにて夕食。

第7日目
8/19(木)
8:05アデンホテル発。アデンの港に行く。朝から活気がある。サメがたくさん取れている
外国人が珍しいのか気軽に写真に収まってくれる
他はアジ、イカ、キングフイッシュ、カニなどが取れているとても活気がある市場
8:23クレーター地区にあるスルタンアブデリーパレス経由8:29蚊等3アデンゲート見学
アデンのカギとも呼ばれクレーターエイリア中心に入る唯一の出入り口で昔関所があった。
トンネルは社会主義の頃ソ連唯一造ったもの。ゴールドモーアビーチからエレフアントベイを眺める。
名前の通り象に似ている。海水浴もできるようだがアバヤに身を包んだ女性はなかなか泳ぎには
、これないだろうなぁ。
8:55〜9:07アデン港。1919年4月29日から密船が発着。WELE COME TOADENの看板が掲げてある。
19C〜20Cフリーポート(免税港)として栄え、石油が発見されてからますます重要視され
第2のドバイを目指しているとか?
11:00〜11:20アルバフイミ温泉岩石砂漠の中のアオシスになんと温泉が!
とても熱い。リウマチに効く。入浴料100リアル。温泉に手を入れようとしたところ
ぬかるみにはまり靴の中までどろどろになってしまった。11:34〜38国境跡
1990年5月20日に南北イエメンが統一されるまでの国境地点。バリケードやフエンスは残っていない。
12:53〜14:40タイズシャムサンホテルでランチ
サラダ、スープ、チキンまたはオムレツ、へんなプリン。その正体はピスタチオとアーモンド入りのケーキ。
とっても甘いが全部平らげてしまった
タイズの観光に行く。タイズは人口60万人。イエメン第3の都市。標高1500M、
1948年〜62年イマームアハメドが首都とした町。15:49までザビル山の3000M付近からのパノラマを楽しむ。
花売りの少年達が近寄ってくる。周りは段段畑(カートとアワ)ばかりだ。
15:59〜16:06タイズ高級住宅街。オスマントルコ時代の城壁、街を囲む城壁の跡
16:27アシャラフイヤモスク見学
14Cラスリード朝のアルアジラフ墓があるモスクで2本のミナレットが特徴。18:00までスークの見学。
多少自由行動があったので首藤さんと喫茶店に行ってみた。狭いつくりでローカルな感じ。
やはり我々が女性であるので奥のカーテンで仕切られた場所に案内されたがカーテンを上にあげてくれた
。珍しそうに注目されている。喉が渇いたのでペプシを3本注文する。1本30円ぐらい。
現地人体験が少し出来たので満足。
カビール門をへて、歩いてホテルへ。
夕食まで時間があるのでホテル近くのアバヤ専門店で現地の民族衣装を買いに行く
1件目はなかなかいいデザインだったがなかなか値段が下がらないので断念
違う店にいく。三軒目?でやる気のなさそうなお店にたどり着く。
店員はなかなかフレンドリー。ここはいけるかも
現地人は黒いドレスにスカーフ、目だけだすマスクの3セット。なかなか値段交渉がうまくいかない。
カラーのスカーフをおまけにしてもらい相手の値段で購入する
1時間ぐらい粘ったが、なかなかいい値段で購入できたと思う
20:00夕食。スープ、サラダ、魚か牛かオムレツ、プリン

7日目
8/20(金)
朝、早速民族衣装を着て、ロビーにいく。けっこうフロントでは好評だ。運転手さんも大喜び。でもとっても暑い
7:05タージシャムサンホテル出発。7:29〜52アルジャネットモスク見学
本日はイエメンにイスラム教が布教されて1400年ラジャブの祭りの為モスクの周辺には
市が立っている。ここのモスクはイエメンの古いモスク3つのうちの1つらしい。
ムハマンドの時代のもの。650年建設
8:24〜34サイヤニ峠着。標高2300Mしたの法にはアルカイダ村(基地の意味)今日は峠の観光が多いらしい。
アバヤを着て次々といい写真が撮れそうだ。8:45〜51アンネイハアルハマル峠2400Mイエメンの名物
段段畑が見える。9:30分病院前よりジブラの町を徒歩で見学。坂が多く交通量が多い。
11世紀にアルワ女王(スーヒー王国)により港が置かれた古い町。海抜2200M人口2万人。
町の中には32のモスクがある。アルグッパのモスクアルワ女王宮殿。360の部屋があったが現在は廃墟。
アルワ女王のモスク、2本のミナレト(赤と白)が特徴。スークはとっても活気がある。
10:56〜11:16イッブの町見学。人口40万人。海抜1600M高水量1500ミリ。
緑も多く通称緑のアラビアと呼ばれた。アルジャラリアモスク、アルアセデイアモスク、カートや
床屋のある旧市街をぐるっと一周する。今日は金曜日なので子供達はどこでもおしゃれしている。
11:40〜12:50ALAMERAHレストランにてランチ。完全なイエメン料理。メインはチキンまたはオムレツ。
13:2515Cのオスマントルコ時代の城壁と段段畑。スマラ峠2400M、キターブのカートスーク、
ヤスラ峠2700Mを見学しながら夕方サナアのイエメン門に着く。初日と翌日雨で中断したスークを見学する。
胡麻油はラクダがひいている
スパイスマーケット、キャラバンサライア屋上よりサナアの旧市街のパンPラマ。よくみると民家の屋上にヤギや兎、
小動物が飼われている。ペットではなく食料らしい。
サナアのパノラマは何処から見てもすばらしい。今回の旅のメインが日干し煉瓦のパノラマだったから。
ムハマンド時代のグランドモスクを見学し、しばし自由時間となる。イエメン門の
近くの屋外喫茶店で首藤さんとい3人で紅茶を頼む。杯30¥ぐらい
甘い紅茶。店員さんらしき人が持ってきてくれた。外のベンチで一休みしながら
紅茶をすする。ここでも女の人が喫茶店でお茶するのが珍しいのかじろじろ見られた
イエメンでの夕日をお茶しながらのんびり楽しむ
イエメンの旅もここで終了。明日はドバイに向けての移動日である

翌朝8:05ホテルを出発。9:30サナア空港に到着。
現地時間14時ごろドバイ国際空港に着陸した。日本へ帰る便が深夜なのでドバイの
半日フリータイムはホテル休息みたいなもの。観光したくても日中は暑くて歩けないらしい。
やはり空港をでるとフライパンで焼かれてるような感じがする
飛行機の時間は深夜2:30発。ホテル発は23:30である。どうしようか迷っていたら
希望者は添乗員さんが実費でドバイ市内を案内してくれるとのこと。
希望者は16:30にロビー集合。とても助かる。ホテルでタクシー代ほど両替する
まずはアブラと呼ばれる渡し船にみんなで乗る。外はとても熱い。
乗り込んで船が動き出すと、船員がお金を集めて回る。片道50フィルズ
対岸では小さなスークがありしばし自由時間。そこでイランで買いそびれたコーラン
目覚ましと出会う。なかなか時間の関係で値切れないが3つほど購入した
また船で戻り今度はタクシーに乗って市内の大きいスークへ。私と恵美子さんと
首藤さんは添乗員さんと行きも帰りも一緒だったので精神的に安心だった。
ホテルに帰って近くのスーパーで夕食を購入
ドバイは大都会でこれといった観光地が近くにはない。夕方になっても気温はなかなか
下がらないが、なかなかいい所だと思った。また機会があれば来たいものである



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