ブルガリアルーマニア14日間
今年は勤続25年の年なので休暇が10日連続でもらえる
土日を入れると16連休になる。6月が日が伸びているし気候もいいので各旅行会社から情報を仕入れていた
ロシア旅行社のシベリア鉄道全線は値段も手ごろだし魅力的だが早々と満席になってしまった
シベリア鉄道全線は機会があればということでかねてから行きたかったルーマニアのモルドバの修道に行き先を
変更した。10日ぐらいのツアーだとブカレスト、ソフィア周辺しかいかないのでこれがチャンス
他、毎日新聞旅行のグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンも捨てがたい
今回のブルガリア、ルーマニアはユーラシア旅行社とトラベル世界に絞った。最近ユーラシアは料金が高くイマイチに
なってしまったので初めてトラベル世界を利用した。結果は良かった
帰国後、ワインが送られてきたり添乗員から絵葉書も来た。申し込み時点から細かく連絡の手紙が来たり
現地では昼夜に水がもらえたのでほとんどお金を使わなかった。利用すれば料金jに応じてポイントもつく
少人数でも催行するのでここの旅行会社はお勧めです
6/10、11(日)(月)
ほんとうはカタール航空のはずが関西発トルコ航空になったため羽田―関空ーイスタンブールーブカレストと移動がたくさん
昔はサービスが良かったトルコ航空も中型になりサービスの質も落ちていた
ひざかけとか以前は素敵でもってきちゃった覚えがあるが今回はイマイチ
燃料サーチャージが5万近く上乗せされているのになんとも満足のいかないここ最近の空の旅
関西空港22:30発イスタンブール5時10分着、7時50発ブカレスト9時15着
機内食は揚げだし豆腐、俵ライス、サラダ、インゲンのマリネ、チーズ、クラッカー、アップルケーキ
飛行機後方にマーブルチョコ、おにぎりがある。軽食はスクランブルエック、焼きトマト、フライドポテトフルーツ、チーズ
今回の添乗員は佐藤景子さん(20代)実家はお茶の農園経営と販売。ツアーメンバーは私入れて9名
ほとんど70代のシニアの方。こんなに乗り継ぎが多くついてすぐ観光のハード日程なのにみんなすごいな
空港について出迎えてくれたのは日本語ペラペラのブカレスト在住のカティさん
すぐ両替の案内をされる。通貨はレイ。約1万円両替する。隣の国なのにルーマニアのお金からブルガリアのお金に
両替はできないので使い切るしかない。
お金を両替してシナイアに向かう。途中昼食。いのししの肉のスープとソーセージとキャベツのトマト煮込み、チーズパイ
コーヒーまたは紅茶。今回は修道院や僧院めぐりが中心。キリスト教はカトリック、正教、プロテスタント
カトリックは椅子がありパイプオルガンがあり十字を切るのも左から右肩、正教は椅子が無く立ってのお祈り、
神に届くのは人間の声ということでパイプオルガンではなく讃美歌、アーメンも右から左型
プロテスタントは十字を切らなくイコンもない。日立にはたくさんの教会があるがたぶんプロテスタント??
昼食後13時10分王様のお手伝いの家→ペリショル城(カール1世の子孫のお城)→ペレシェ城へ
1875年〜1883年当時の国王「カロル1世」によって建設されたお城。国王たちの夏の住まいとして使われた
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中庭は見事な石造(カール1世、ライオン等)徒歩で森林浴をしながらシナイア僧院へ
17世紀にワラキア公化タクジノがこの地を訪れたのを記念して建てられた
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シナイア僧院 | 教会入口のフレスコ画 |
観光後ホテルへ。飛行機でよく眠れなかったせいかもう眠い。ホテルはリゾート地で高台にある(パレスホテル)
旅行前はネットで調べたとき気温は24度ぐらいだったがなぜか超暑い
ホテルチエックイン後、希望者は街の散策とのこと。しばらく休憩してロビーにいくと東京在住の加藤さん(76歳)
と私の二人だけ。さすがにみなさんお疲れか。ガイドさんと添乗員さんと4人でスーパーに行く。残念ながら
しまっていた。隣のデパートに行く。ルーマニアではジェロビタールという化粧品が有名なので買いたい旨
伝えるとカティさんが薬局に連れて行ってくれた。同行者の加藤さんも興味あるみたい。日本で購入すると
約1万円。いろいろ種類あるが紫のパッケージのものが最新のよう。約800円でナイトクリームとディクルーム購入
今でも使っているがとっても良い。ジェロビタールは老人再生の意味
夕食は18:30〜19:30ヌードルスープとカワカマスとハーブあえ、フルーツカスタードタルト。この国はスープもデザートも量が多い
あまり動かないのですぐ太ってしまう。ちなみにおいしいはブン(ルーマニア語)
今回はけっこうお水が付いているので別途飲み物代はあまりかからなそうだ。お酒はけっこう安い
お金が減りそうもないなぁ
ルーマニアのお金は表は人が描かれてあり裏は建物や物が描いてある
1レオ(単数)表は歴史家、裏は教会(正教)、10レイは画家と彼の生家、5レイは作曲家とアテネ音楽
50レイはパイロットと作った飛行機、100レイは詩人(小説家)と劇場
6/12(火)
朝9時に出発しブラン城に向かう。途中には羊や馬がたくさん放牧されている
10時にブラン城に到着。ブラン城は現在博物館になっている
ブラム・ストーカーのフィクション作品「吸血鬼ドラキュラ」のモデルのお城。実際ドラキュラ=ワラキア公ブラド3世
はここには住んでいなかった。串刺し公として有名ですが現在はルーマニア独立のために戦った英雄として
再評価されている
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城の坂を下りた門の手前にぽんせんべいにチョコレートがかかったお菓子が売っていてこれがとっても
おいしいそうだ。4つ入って70円ぐらいだがどこ探してもなかった。(ぜひおすすめ)
12時昼食。なすと野菜のペースト。これをぱんにのせて食べるといくらでも入ってしまう。名物料理だとか
トマト野菜の炒め物、ロールキャベツとトウモロコシ粉のパン(ポレンタ)焼きドーナツ(パパナシ)
ここではウルスス(熊の意味)のビールが有名。ちょっと頼んでみる。なかなかおいしい
トランシルバニア地方はジャガイモがおいしい
13時55分ブラショフ旧市街観光
ブラショフは中世の街並みを残す古都。町はドイツ商人が建設し、ルーマニア人ハンガリー人の三民族によって
発展してきた
黒の教会は14世紀後半に建立。ハプスブルグの攻撃にあい外壁が黒こげになったことからこの名前がついた
現在はドイツ政府により修復済
14時30分フリータイム。とっても暑いのでふらふらする気もなく有料トイレに入りしばらくベンチに座って
人間ウオッチング。そのあとアイスクリーム屋さんを見つけ購入しカフェで食べた。味はまぁまぁ
薬局にまたまたジェロビタールのクリームが売っていたので買ってはみたがここが一番高かった(千円ぐらい)
待ち合わせのマクドナルドに、お店を散策しながら向かう
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17時30分シギショアラ旧市街入り。ホテルは旧市街にあるのでバスはふもとまでしか行かない
5分ほど坂道を上がると旧市街へ。ホテルももちろんエレベーターがないのでいちいち3階まで上がるのが大変
日没が夜の9時30分ごろで明るい。夕飯まで時間あるので近辺を散策。夜の6時に仕掛け時計がなるというので
行ってはみたがとてもちゃっちい。ガイドのお勧めというか価値観は自分とずれているなって感じた
18時45分夕食。ぱんのうつわに入った豆スープ、チキンと野菜、チョコケーキ。けっこうスープでお腹いっぱい
になる。夜も明るいうちに布団には入ったがパーティをやっていたようでうるさかった
人の少ないリゾート地だがあと3日ほどでにぎやかになるようだ。子供の夏休みが15日から始まり
なんと9/15の3か月もあるという。もちろん宿題は終わる1週間前からとりかかるようで宿題は後回し
は万国共通か
6/13(水)
9時シギショアラ旧市街観光。カトリック教会、音楽学校、新市庁舎、かじやの見張り塔、時計塔
中世武器博物館、見張り塔、山上教会等徒歩で見学。石畳なので少々歩きにくい
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11:05ビエルタンの要塞教会へ。シギショアラから南西に27キロ。世界遺産。1490年に建てられたゴシック式
の要塞で3重の防壁があることで有名。祭壇横の聖器室のドアには19の鍵がかかっており、この鍵は1900年に
開催されたパリ万博で一等賞が贈られた。そのほかお仕置き部屋(離婚しそうな夫婦は1つのものを共有することで仲直りさせる)や見張り塔も必見。この教会。。。人の顔に見えますね
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お昼はサラダ、グヤージュ(ハンガリーの伝統料理)、チーズパイ
がたがた道をひた走り15:30シビウの町へ美術館、新市庁舎、カトリック教会、時計塔、うそつき橋を散策して
地元のスーパーへ。ここで20円ぐらいでホワイトチョコにナッツが入ったものをお土産に大量購入
帰国後、おいしいと評判。紅茶も20円ぐらいと安い。ここでもジエロビタールのクリームが大人気でみんな
買い占めていました。教会内にあるなぞの数字はミサで礼拝者にわかるようにと讃美歌の番号だそうです
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シギショアラの旧市街にもどりドラキュラのモデルになった息子のヴラド・ツェペッシュの生家のレストランで夕食
ホテルのすぐそば。メニューはドラキュラのシチュー、ドラキュラの心臓、ドラキュラの血のかかったアイスクリーム
ヴアンパイアワイン。食後に変装したドラキュラが訪問してきたのにはびっくり!!!!
6/14(木)
8:30ホテル出発。いよいよ僧院、修道院めぐりの旅へ。グラフモールに向かう約330キロの旅
ルーマニアは高速もなくあちこちで道路が工事して一方通行なので移動時間がかなりかかる
二時間おきにガソリンスタンドで休憩するので売店でちょこちょこお土産を買う
13時標高1112mの山の上にあるレストランドラキュラ城で昼食。修学旅行か野外学習かたくさんの子供
が来ていた。メニューはトマトスープ、伝統料理ミティティ(豚や羊などのひき肉団子)キャラメルクリームプリン
食後に地下にあるお化け屋敷に。まっ暗闇に浮かぶ棺桶ががたがた、、みんなキャーと叫ぶが
お化け屋敷はこれで終わりではない。油断した帰り道に鉄格子から腕がでて足をつかむので掴まれた人が
絶叫の叫びをしていました。ここに人がいると思うと怖いです・・・・・
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いよいよブコヴィナ地方へ。のどかな田園風景へと景色が変わる。これからめぐる修道院には壁一面に
フレスコ画が描かれている。フレスコ画とは砂と石灰を混合したものを塗布し、壁面を平らにする。黒漆喰
を塗りそのあと白漆喰を塗布。直後乾燥するまでの数時間の間に画家が壁画を乾燥させなければならない
どこでも最後の審判の絵がかいてあり赤い川をはさんで右が天国、左が地獄だが地獄に落ちている人は
トルコ人だとか。当初の予定を変更してホテルに近いフモール修道院へ。ガイドのカティさんによるとここは
あまり壁画が綺麗にのこっていないので写真代を払う価値がないなどと言っていたがとんでもない
とってもお見事の修道院。十分価値があります。中に入ると修道女がお祈りを捧げていました
1530年にモルトヴァ公国のブブイオグ大臣夫妻によって建てられた修道院。壁画は宮廷画家トーマの手に
よって仕上げられた。壁画は南面を除いてはげ落ちて保存状態が悪く判別不能
南側は正教総本山だったコンスタンチノプールの司教セルゲイが626年のペルシャ軍襲来から町を守護した
聖母マリアにささげた24の詩の場面。壁画の基調となる色は東洋産のアカネから色素をとった赤褐色
他の修道院や僧院と違うのは悪魔が売春婦として表現されている点。
17時といえどやはり夏は日が伸びて助かる。これが秋だと真っ暗で写真撮影はほぼ不可能だろう
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5つの修道院の起点となるベストウエスタンブコビナに入るとたくさんの外国人とワールドのツアー客(日本人)
の集団にあった。フモールの修道院はほとんど貸切状態だったのであしたはこの集団にあわないといいな
夕食はバイキングでとってもおいしい。食後20時になっても明るいのでスーパーや薬局、人気のない教会
と近辺を散策。ここで会社のお土産をゲット!!!
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6/15(金)
8時30分ホテル出発。残りの4つの修道院に向かう。どこの修道院も北側の壁は雨風が当たりやすく風化が進んでいる
修道院の入り口はこれから向かうヴォロネッツ以外は、西側である。
それは東方にエルサレムに向かって祭室があり十字架が安置されている為
9:00ヴォロネッツ修道院
領主ステフアン大公の命でわずか4カ月という短期間で1488年に完成させた修道院。
ヨーロッパの中でももっとも美しい修道院の一つといわれ外壁の西側に「最後の審判」があるため
東欧のシスティナ礼拝堂とも呼ばれている。通常教会の入り口はすべて西側を向いていますが
最後の審判を完全に描ききるために聖堂の入り口は西方にはない
壁画は青色がよくつかわれヴオロネッツの青として知られている
東面には聖人伝、南面にはエッサイの樹が描かれている。ほとんど人がいないので貸切状態!!!
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10:00モルドヴィツア修道院
壁画には赤色が良く使われている。ステフアン大公の私生児であるペトル・ラレシュ公のために建てられた
「コンスタンチノプールの包囲」がもっとも鮮明に描かれている
東面には聖母子を中心として聖人、天使が並んで描かれている
こうした壁画は聖書を読むことができない農民たちにわかりやすく布教するために描かれたもの
この教会の特徴は聖堂南面に戦闘場面が描かれていることだ。626年のペルシャ軍襲来がモチーフ
キリスト教徒が守る砦はビザンツ帝国の都コンスタンチノプール。海を越えて攻めるのがペルシャ軍
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11時35分イースターエッグの絵付け師の家庭訪問
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小さい筆で模様を描きます。とても繊細。値段は少し高め。お買い求めしたツアー客もいました
13時お昼。チキンスープ、プリジヤーレ(ハンバーグとポテト)サラダ(ヨーグルトドレッシング)イチゴのムース
14時20分スチェヴィツア修道院
自分的にはここが一番の目的。北側に天国の階段の壁画があるから
現在敷地内と修道院の一部が修復中。1581年〜1601年にかけて建設されました。
壁画は1595年〜1596年の間に描かれオリジナルのままに残っている
南側はエッサイの樹の壁画があります
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15時25分マルネジアの工房。お土産屋さんの隣は陶芸教室。地元の小学生でいっぱいでした
16時20分アルボーレ修道院へ
ここはあまり壁画が残っていなくて写真撮影はここのみ中もokそして修復中
ずっと天気に恵まれてきたがここでいきなりのどしゃぶり雨。一気に気温が下がる
この修道院はアルボーレ大将が造った修道院。防壁がありません
聖ヨハネの首切りがテーマ。5つの修道院の中では最も古い。外壁は1503年に描かれ現在はほとんど
はがれています。また内壁には魂を救う神の手も描かれています
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道路はさんで隣は鮮やかなお墓。まるでサンプツァの陽気な墓のようでした。このツアーではいきません
すこし残念
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夜はホテルでまたブッフェ。ついつい食べ過ぎてしまう
6/16(土)
8時ホテルを出発。南へ480キロの大移動。ブドウ畑や車線に馬が走ったりとのどかな田園風景が広がっていた
日程表にはなく、いままでトラベル世界で訪れたことのないポパ博物館へ
Mrポパのコレクションを展示している博物館
たくさんの小学生が見学に来ていました
お面、民族衣装、お金、絵、バッチ、イースターエックなど。なぜか日本のお金がチヤイナと示されたところに
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12時10分BACAUという町で昼食。社会主義の色濃く残る町でした
食事したホテルのレストランは作りがとっても大きくフロントには大きな蛇が買われていた。ルーマニア語
で蛇は(しゃーるぺ)ビーフスープとサワークリーム、キャベツとハムの煮込み料理、チーズパイ、コーヒーか紅茶
17時20分〜50分までガソリンヅタンドで休息。6日働いたら2日休み、2時間走ったら15分、4時間走ったら30分〜
一時間休息とドライバーさんをしっかり法律で守っている国。休憩後とお菓子を購入。
ワサビ味のお菓子がななかなおいしいのでたくさん購入。
18時50分ブカレスト郊外にあるラマダホテルに到着。
19時20分夕食。チーズフライ、サラダ、魚ロールと野菜炒め、フルーツタルト
6/17(日)
8:30ホテル出発。8時38分凱旋門を車窓から。第一次世界大戦の勝利を記念して1919年に建設
昨日までの田園風景や修道院の景色とは違いやはり大都会
8時45分革命広場へ
1989年民主革命の銃撃戦が繰り広げられた場所。旧ルーマニア共産党本部、大学図書館、アテネ音楽堂
が建っている。1989年12月22日故チャウシェスク大統領はこの建物のテラスで大群衆を前に最後の演説
を行いましたが抗議にさえぎられてその直後、屋上からヘリコプターで逃亡。現在労働省になっている
9時 大主教教会
統一広場南西の小高い丘にあるギリシャ正教会。ミサが行われていてとても良い声が響き渡っていました
1650年代にワラキア公の館内に建てられたもの。教会内には聖人ディミトリチ・バサラボフのミイラが
葬られている
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9時55分 国民の館
ここがカメラ撮影料がもっとも高い割にはぜんぜんいい写真のポイントがない
ただのお広間!こんなことならお金とっておかないでお菓子でも買えばよかったと後悔した場所
故チヤウシェスク大統領が日本円でおよそ1500億円をかけて造らせた巨大な宮殿
部屋数は3107室。ワシントンDCにあるアメリカ国防省ペダゴンに次ぐ規模
宮殿を支える大柱は白、赤、黒、ピンクベージュの色をした大理石でルーマニアの国にプライドを
もった故チャウシェスクはほとんどルーマニア原産のもので造らせました
現在は国会議事堂他各政党のオフィスが入居
見学は厳しくグループ単位でまわらなければならず専属のガイドが必要。しかしわれわれにガイドが
つかず結局現地係員のカティさんが説明してくれました
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12時50分 バスでルーマニアからブルガリアへ。橋にBULGARIAという看板がドナウ川の中心にかかっていま
した。
13時25〜ブルガリア国境の町ルセでルーマニアのガイドカティさんとお別れ
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カテイさんはルーマニアのいろいろなころをバスの中で教えてくれました。
小学校は午前中で中学校は午後1時から2時に始まり6時から7時まで授業がある。お昼は家で食べる
大学になると食堂がある。小中高ともそれぞれ4年だそうだ
ブルガリアのガイドさんマリアさんがお出迎え。巻き舌で髪の毛の多い60過ぎのおばちゃん
でもベテラン。中型から大型のバスに乗り換え。40人乗りを9人で使う。贅沢!
市内レストランで昼食だが野外なのでとっても暑い。ブルガリアも平均気温より4度ほど高いらしく
マリアさんもへとへと
メニューは夏の定番スープ、タラトール(ヨーグルトときゅうりの冷スープ)魚のフライ、洋ナシ
若い添乗員さん(マニュアルしか行動できない)とベテランマリアさんとではなかなか息が合わないように
見えた。
17時15分ヴエリコ・タルノボの職人街散策。ここである程度まで行って自由行動をたくさんとりたい
佐藤添乗員とたくさん説明したいマリアさんと衝突!。ほどほどに散策し自由行動ではバラ製品を購入
ホテルの売店でも素敵なのが売っていたがここが一番安かった。人へのお土産には十分
バラのハンドクリーム(1ユーーロ)リップクリームはココナッツ味がしてイマイチだがここで売っていた
リップバームはほとんどバラのエキス入りで良かった。
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19時30分ホテルにて夕食。きゅうりとトマトのチーズサラダ、ポークとリゾット風ライス、イチゴプリンケーキ
6/18(月)
8時30分ヴェリコ・タルノヴォ観光へ。500年に及ぶトルコの支配から独立した新生ブルガリア王国の首都
として栄えた町
3つの丘を観光。トラペジアの丘は貴族と聖職者の住む丘。昔はスクールもあり現在は大学がある
スヴェタ・ゴラの丘は外国人と商人の住んでいた丘。ツアレヴェッツの丘は新生ブルガリア王宮のあった丘
頂上には大主教区教会がある。上からの眺めは旧市街全体とヤントラ川を見ることができた
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教会の中の宗教画。
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10時10分 アルバナシ村散策へ。この地もトラベル世界で初試みの観光地
第2次ブルガリア王国の時代の屋敷が80ほど残っている街でヴェリコ・タルノヴォから4キロのところにある
36の家が国の文化財に指定。1838年にオスマン朝のスルタンであるスレイマン2世は義理の息子にアルバナシ
を贈り、その所有権は代々の後継者に受け継がれていった。オスマン朝の統冶下にあってアルバナシは税制上
の特権を授けられ村人は有利な条件で商売ができた。職人や商人が美しい屋敷を建てられたのも蓄財が
できたから
聖誕生教会はアルバナシ村で最も古い教会。内部には「運命の車輪」や「イエスの木」などのイコンが埋め尽くされ
ていました。中は撮影付加。でもイコンはとっても綺麗に残っていました
12時 昼食 メニューはマッシュルームのスープ、チキンの煮込み、チョコレートケーキ
14時25分シプカ峠へ。マリアさんのお勧めの水牛のヨーグルトを購入。とっても濃厚で別売りの蜂蜜を買って
かけて食べると一層美味。他のメーカーのもあった
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ひまわり畑を見ながら本当はいかないカザンラクへ。ガイドマリアさんの計らい。ここはばら祭りで有名なとこ
今回は時期が過ぎているので観光地としてはよらないがホテルとスーパーでバラ製品をお買いもの
ヨーグルトのハンドクリームを少々購入し、スーパーでは18個入りのチョコ2つ購入(1箱300円ぐらい)
でもバスの中が暑かったのででろでろになってしまった。バラのジャムも安い。約200円日本で買ったら高いだろうなぁ
19時20分リゾート地ネセバルへ。スペイン、ドイツと海外からたくさんの観光客がきていた
黒海に面したリゾートホテルだがなんとみんなは道路側の部屋だが最上階の海に面した部屋になった
とってもラッキー。朝と夕方の黒海は格別。夕食はもう何から食べていいのだかわからないくらいいっぱい!!!
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6/19(火)ネセバル観光へ
ネセバルは4000年以上前に細長い入口の地峡によって大陸とつながった半島の上に築かれた
その地形のおかげで異なる文明による征服から逃れてきました。1983年には世界遺産に登録
19世紀の末はギリシャ人の漁民、ワイン生産者の住む小さな村。20世紀からは1925年の住民交換
によってギリシャ人が追放されブルガリアのリゾート地としての開発が始まった
ネセバルにさまざまな教会が残っているのはオスマン朝の政策がキリスト教に寛大だった為
8時38分徒歩で教会めぐり
@聖ヨハネアリトゥルゲドス教会
A聖ステフアン教会
11世紀〜12世紀に建てられた教会でフレスコ画が見事
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B聖パントクラトール教会
卍型の彫刻や青陶のはめこみなどの装飾が独特。第二次ブルガリア帝国のアレクサンダール冶政下の
14世紀に建てられた教会
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C小さな聖ヨハネ教会
D聖スパス教会
E聖ミカエルとガブリエル教会
F聖パラスケバ教会
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G聖ソフィア教会
旧市街の中心にありミトロポリスカ通りを直進したところにある。ネセバル最古の教会で5世紀後半から6世紀
前半のビザンツ帝国時代に建設された
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H聖母マリア(入場)
すこしフリータイムになったので、海のほうに行ってみる。聖ソフィア教会を左手に進むとバラ製品のお店がある
ここが一番品揃えもいいし保管状態も万全。なによりお店の人が寄ってこないのでじっくりみれた
ラベンダーやヨーグルトのハンドクリームやリップバーム、そしてメンズ品もあり。ここでも買い物たくさんした
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観光の途中で大きな黒いリボンをつけた家があった。聞いてみると喪中という意味。玄関には写真も
飾ってあった
12時30分 迷いながらソゾポルで昼食。マリアさんもこの辺は詳しくない??
黒海の見える素敵なレストラン。ロシア人の子供たちも修学旅行で賑わっていました
メニューはお魚のスープ、さばのトマト煮込み、ヨーグルト(外の木にあった実のソースがけ)
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ソゾポル観光へ
「魂の救い」という意味。紀元前12世紀にギリシャ人によって開拓された
13時30分 またまた徒歩で散策
18-19世紀の旧宅
教会と要塞の遺跡
半地下式の教会
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聖キリル・ト・メドジ教会(聖ヨハネの遺骨があった)隣では発掘がおこなわれていました。キリル・トメドジ
はキリル文字を作った人
観光後、またリゾートホテルへ。けっこう食事がいいから居心地いい
バスの運転士さんは山の中のリラ僧院の近くに自宅があるので海が珍しいのか夕食前に海水浴に行ってしまった
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6/20(水)この日の気温は33度。けっこう暑い
8時30分ネセバルのホテルを出発。12時55分プロブディブ到着。けっこう長距離の移動だ
ブルガリア第二の町
13時05分 旧市街までひたすら歩いて昼食。トマトスープ、ひき肉とジャガイモを焼いたムサカ、スイカ
食後徒歩で観光へ。暑いし石畳だし体力消耗するので日傘をさす
地域民族博物館見学
旧市街の豪邸の中でもひときわ美しいのがイスタンブール出身のハジ・ゲオルギが1847年に建てた屋敷
バロック様式と民族復興様式がミックスされた建築様式で黒を基調とした外壁に描かれた花模様が目を引く
トルコ豪商クユムジオグルの屋敷だったが、今は内部に民族衣装、生活必需品が展示
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聖コンスタンチン・エレナ教会
キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝と母エレナに敬意を表して建てられた。起源は4世紀
遠くからでも目立つ緑色の鐘桜をもつ教会。中には巨匠ザハリ・ゾクラフの手によるイコンもある
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ローマ劇場。石の照り返しでとっても暑い
当時は500人収容でき、今は野外劇場として使われている
周辺はかわいい建物の家がたくさんあった
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聖母教会
ピンク色の珍しい教会
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ジュマヤ広場、ジュマヤ・ジャミ教会(イスラム寺院)
ジャミはイスラム教の意味
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ホテルへ
メインストリートにはカフエや服屋さんが立ち並んでいてホテル隣には大きな公園がある
ここでも自由時間があったが暑いし行くとこもない。こんなところではなされても少々困る
教会に涼みに行く人もいたが、私は加藤さんを誘ってカフェへ。あまり冷えていないスプライトを注文
150円ぐらいで少々お高め
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トイレ休憩してまたまた観光へ繰り出す
16時35分 バチコヴォ僧院へ
リラの僧院に次ぐ規模で1083年グルジア出身の二人の兄弟により建設された
11世紀からある小さな棟では皇帝の等身大の肖像が見られる
3つある教会堂にはどれもたくさんのイコンが飾られて美しい
19時30分夕食。サラダ、ケバブ、キュフテ(ひき肉のハンバーグ)、トルコアイス
6/21(日)34度の真夏日
8時30分プロヴディブのホテル出発
海沿いのリゾート地から一転、緑の多い山間を登っていく
12時05分コチェリノボという町でコウノトリの写真ストップ
12時40分リラの僧院近くのレストランで昼食
豆のスープ、川でとれたますの塩焼き、添乗員さんの持ってきた醤油やお箸で食べるといっそう美味
ヨーグルト
ドライバーさんの家はリラ僧院の側なので道中お孫さん「カティ」くん6歳と久々の再開
おじいさんの運転してきた我々のバスに乗り込んで一緒にリラの僧院へ
ドライバーさんの名前もカティさん。おじいさんの名を受け継ぐのがブルガリアの伝統
ドライバーさんは60歳過ぎにはぜんぜん見えなくて、かっこよくて素敵。ブルガリアはシニアになっても元気で
働く人が多い
13時50分 リラ僧院へ
1983年世界遺産登録。ブルガリア正教の総本山。10世紀イヴアン・リルスキーという僧が隠居の地として
住んだのが始まり。14世紀になるとブルガリアの宗教、文化の中心として栄え、オスマントルコに占領され
ていた時代にも、ブルガリアの伝統を伝える重要な文化財が守り抜かれました
ブルガリアは約500年にわたってオスマン朝の支配下にはいるがこの間、キリスト教の信仰はもちろん
ブルガリア語の書物を読むことも制限されていたが、この僧院だけはそれが黙認されていた
往時には約360の房に全国から僧が集い寝起きしていたという
当時の建物は一部を残して焼失してしまい現在の建物は19世紀に再建されたもの
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@聖母誕生教会
鮮やかに残るフレスコ画が綺麗
4階建ての外陣に囲まれ敷地内の中央に建っているのが聖母誕生教会
アーケードいっぱいに描かれたフレスコ画は36の聖書の場面やこの地方のそれぞれの時代の様子が
色鮮やかに描かれている。これは民族復興期催行のイコン画家といわれるザハリ・ゾグラフを含む
当時を代表する画家が無償で描いた。
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A歴史博物館
ラフアエロの十字架が目玉
高さ50センチほどの木製の十字架には140の聖書の場面が彫りこまれ登場人物は1500人12年の歳月
をかけて完成した時は僧ラフアエロの視力はすっかり失われていたという
他イコンや古い聖書などが展示されている。
B僧房
手前には大きな見習いの僧の部屋が
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Cフレリヨの塔
火災を免れたまま残っている
自由時間にはマリアさんお勧めのあげドーナツ屋へドーナツはメキッツアという。約25円(やすーーーい)
彼女はいつも2つ注文して砂糖をたくさんかけるようだ。でもカロリー高そうだし私はいいや
現地の家族ずれとテーブルを一緒にし、子供からチャイニーズ?と聞かれてしまった(T0T)
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疲れた人はバスにのり下山、私と数人は道沿いに建つお土産屋さんを冷やかしながら下山
ハチミツやジャムがたくさん売っていたが炎天下なので品質は良くないと感じた
18時50分 ホテル到着。パーテイが行われてたため急遽別室で夕食
教は加藤さんの76歳の誕生日なのでささやかながらお祝い。
夕食のメニューはサラダ、ひき肉ソーセージのうずまき、アイスクリーム
6/22(金)
9時半ホテル出発。この日の最高気温はなんと38度!
9時55分、ボヤナ教会へ
新しいフレスコ画で有名。世界遺産登録
10分以内に8人まで入場可能な場所なのに、うちらは添乗員いれて11名、説明もかるーく時間オーバーで
何度も監視の人から注意され挙句の果てに説明途中で追い出されてしまった。現地ガイドさんのマリアさんが
だいぶ長い時間説教されていた(言葉はわからなくても文句言われていることぐらい感じる)
建立は10世紀後半から11世紀初頭、13世紀半ば、19世紀半ばと三段階に分けることができる
もっとも最古の部分は交差ヴォールト式の教会で十字架状の支えが作りつけられています
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10時55分国立博物館
ブルガリア全土から集められた先史から現代までの歴史を語る展示品が所蔵されています
その数68満点以上
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13時20分
レストランで昼食。イタリアンス−プ、チキンとポテト、エクレアが8個、けっこうこれが美味しかった
EURO SPORTS大会でテニスやラグビーを放送していました
14時35分ソフィア市内観光
聖アレクサンドル・ネフスキー修道院
5000人を収容するブルガリアで最も美しいといわれる寺院
高さ60Mの金色のドームを始め12のドームからなる。ネオ・ビザンツ様式の建物
この寺院はブルガリア独立のきっかけとなった露土戦争で戦死した約20万人のロシア兵を慰霊する目的
で建立され1882年に着工してから40年の歳月をかけて完成した
内部装飾で目を見張るのはメノウ、大理石をふんだんに使った精巧なモザイク画を覆う壁画。
大理石はブラジル、エジプト、イタリアからはるばると運ばれてきた。ドームの頂上からつり下げられた巨大
シャンデリアは圧巻。3つある祭壇は中央がロシア、右がブルガリア、左が他のスラブ諸国に捧げられたもの
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アレクサンダー・ネフスキー寺院 | 解放者記念像 |
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聖ソフィア教会
赤いレンガの美しい教会。6世紀にユスティニアス帝が建てた教会。ビザンツ様式とロマネスク様式の初期
キリスト教堂で首都ソフイアの名はここに由来する。オスマン支配下にあった時代にはイスラム寺院として使用
されていた。その後地震などで建物は破壊され1900年以降になって復元された
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聖ニコライ・ロシア教会
1913年にロシアの外交官セモントフスキ・クリロの命により聖ニコライを祀るために建てられた教会
ロシアとブルガリアでは同じ正教とはいっても宗派が違うため自らの宗教上のアイデンティティを
守るために建立を思い立ったという。
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中国系のカフェでお茶タイム。レモネードを注文
昨夜ホテルでお湯が出なかった部屋が多かったのでお詫びにとトラベル世界さんのほうで出してもらえました
私の部屋は無事お湯がでました(冬でなくてラッキー)その後自由時間
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マリアさんがバラのクリームのお店に連れて行ってくれました。ここが3レヴアのハンドクリームを2レヴァに
まけてくれたので大量に購入し現地通貨を綺麗に使ってしまいました
その後自由行動で、シェラトンホテル近くの聖ゲオルギ教会へ。
4世紀にローマ帝国によって建立されて以来長い歴史を今に伝える貴重な建物である
内部の壁や天井には10〜14世紀に描かれた宗教がが見られる
ったんロビーに帰ってきたが時間があったので個人的に聖ネデリア教会にも行く。宗教画が美しかった
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聖ゲオルギ教会 | セルディカの遺跡 |
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聖ネデリャ教会 | |
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バーニャ・バシ・ジャーミヤ | 聖ペトカ地下教会 |
シエラトンホテルのロビーに集まってみんなで徒歩で夕食へ
ワイン(白)か(赤)、チーズの入ったピーマン、米とズッキーニーをくるんだブドウの葉っぱ、大きなポークと
ポテト、ティラミス。社会主義系の大きく殺風景のホテルというか夕食会場。申し訳ないがどれもおいしく
ありませんでした。
ソフジア発22時5分イスタンブールへ
6/23(土)
イスタンブール24時50分発
しかしバスがそれぞれ違う場所についたため、添乗員を含め私たち5人は残りの人たちをしきりに
待っていた。でもボーディングの時間が迫っていたので最後には長い長いターミナルへの道を5人で
ダッシュ。ここで足の悪い人がいたら大変でした
もう私たちが飛行機のるのほんと最後で他の5人はすでに機内にいたので安堵
関西着18時、そこから羽田へ。20時50分東京駅から日立駅の高速バスで一路茨城へ
常陸多賀駅深夜1時半ごろ、タクシーで自宅へ
長い長い帰り道でした
(おまけ)
ガイドさんのマリアさんから聞いたブルガリアについてのお話
結婚は籍を入れない人が多い。47%の子供は未婚の子
9千頭もいる野良犬が問題となっている。集団で人を襲う
動物愛護団体から寄付があるのにいつのまにかそのお金が消えてしまう
喫煙率が高い。約37%EU平均より10%高い。レストランでは喫煙禁止(6/1)より
ブルガリアの国技はレスリング。社会主義のころは新体操が強かった
当時の選手が今は指導者
もっとも幸せな国はデンマーク、ブルガリアではあまり幸せではないと考えている157カ国中147番目
電車の無賃乗車は罰金が高い。電車は1レバなのに罰金は20レバ
都市ガスがないのでガスを買いたいときは自前で買う
おわり
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