ポーランド・チエコ・ドイツ紀行8日間
以前、イスラエルの博物館ヤド・バシエムに行ったときに、犠牲になった写真や遺品を見てかなり衝撃を受けた。
それで、ぜひ負の遺産、ポーランドのアウシュビッツ収容所に行きたいと思っていた
でも、各旅行会社パンフレットを見るとかなり高いし(40万くらいする)催行設定も少ない
他のヨーロッパに比べてあまり見所もないしなぁ見に行くことはないかなと思っていた
ある日、毎日新聞を見ると11月22日と12月11日の2回の設定でポーランド、チエコ、ドイツのツアーを見つけた
ものすごい寒いシーズンオフでツアーがあるのでとってもびっくり。値段も20万ぐらい
ここしかチヤンスはないと思い上司に相談したところ、休みをもらえてとってもラッキー
やはり毎日新聞というマイナーな旅行社の募集ということと、季節外れということで11月22日は催行中止だったようだ。成田に着いてみると添乗員はツアー企画者、参加者15人は40代の私、50代、65歳の女性以外
70歳以上で最高齢は84歳(単身参加)だった。私が最年少!!!

12月11日(金)
12時05分、オーストリア航空でウイーンへ
ネットでは、シートが広いとか500mの水のサービスと書いてあったのに、不況のせいかぼろいエアバスだし
シートは狭いし、水もアメニテイのサービスも何もない。おまけにジャンボでないので11時間以上もかかる
以前はヨーロッパは直行だと9時間くらいで行けたのに。。。燃料サーチャージがかかるようになったのに
サービスは悪いしアクセスは不便だし、これじゃ海外旅行離れは仕方ないかなぁ
おまけに阪急の団体が30人も乗っていて満席だった
期待していた機内食はババロア、ソバ、マカロニ、サラダ、パン。ウイーンまでのご飯はまぁまぁ
11時間後、ウイーンについて、OS275でベルリンへ。以前は機内食があったみたいだが、ここも不況のせいか
今はスナックのみ!ちょっとせこいかな。お腹がすいてしまいました
ベルリンに着いたのは夜で、今日はホテルに直行。ガイドさんは在住の日本人の女性
ベルリンのホテルはコンホートリヒテンベルクホテル。なかなかコツがないと鍵が開かないホテルだった
一階にあった自販機の水は2ユーロ(270円)で少々高め。9時半ころとっとと疲れたので寝る

12月12日(土)
朝7時、朝食はパンとヨーグルトとチーズとフルーツの簡単なもの
パンにつけるヘーゼルナッツ入りのチョコレートスプレットがとってもおいしい
最初の観光はベルリンの壁。今はアーテイストによるペイントできれいに描かれている

ブランデブルク門観光
東・西ベルリンの境界にある門で、1945〜90年には東西ドイツ分裂の象徴であった。パリの凱旋(がいせん)門にも比せられる。ベルリン第1区ミッテ(中央)区西端にある。1788〜91年にK・G・ラングハンスによって古典的様式で建築され、門上には当時の名彫刻家シャドーの手になる「4頭立ての古代ローマ戦車を駆る女神」の像を頂いている。第二次世界大戦の戦災を受けたため、1958年にこの女神の像は銅で新たに鋳造された
近くの高級ホテルは、マイケルジャクソンが赤ちゃんを逆さ吊りにしたことで有名なホテル。クリスマス1色!
ベルリン大聖堂見学
王家ゆかりの人々の墓碑などがある。


ベルガモ博物館見学
1930年に開館したベルリンを代表する博物館。中東各地の巨大な古代遺跡を館内にそのまま
移築しており、その目玉はなんといっても古代ギリシアのペルガモンのゼウスの大祭壇。
ヘレニズム期の傑作といわれるギリシャの神々のレリーフで装飾されている
ライオンの装飾レンガが美しいバビロニアのイシュタール門や高さ約10mの巨大なミレトスの
市場門など古代遺跡のスケールと保存状態のよさに圧倒

2階はイスラム,1階はイラク、規模は小さいがさっと見る。案内が聞けるイヤホンを借りて自由行動




きむらやという日本人の経営の店でお買いもの。お菓子の値段がまぁまぁ
バームクーヘンはスパーク鮎川の本堂さんにあげよう
お昼はマッシュルームのスープ、ロールキャベツ、アイスクリーム、ビールは25ユーロ
ドレスデンに向かって出発
途中のコンビニでビール購入。安い!お菓子はきむらやと同じぐらい
ユーロになってから物価高を感じる
ドレスデンのホテルは3階建て。日本人の団体がたくさん
ここでも鍵がなかなかあかない。ドイツのカギはこんなもん
夕食はとってもしょっぱいトマトスープ、黒ビール2.5ユーロ(ジャンボサイズ)
チキンとパスタ、アイスクリームとフルーツポンチ。ドイツのホテルは石鹸とシャンプーが一緒!



12月13日(日)
朝、モーニングモーニングコールが鳴らない。朝食はパンとチーズとトマトときゅうりといった簡単なもの
卵とベーコンはある。ホテルの前には雪が積もっていた!ドレスデンに向かって観光(とっても寒い)
日本から勉強にきてそのまま8年居ついてしまった佐藤さんというガイドさんと待ち合わせ
最初はツヴィンガー宮殿を散策する。ヨーロッパを代表するバロック建築の総本山ともいえる宮殿
強王の名を持つザクセン王アウグスト1世が1709年〜32年にかけて建てたドイツ・バロック
建築の傑作。北側の部分は19世紀にルネッサンス様式で増築された。
内部は絵画館や武器博物館、動物博物館、陶器コレクションなどの博物館になっている
アルテマイスター絵画館はドイツ屈指の美術館としてしられており、ラフアエロの「システィーナのマドンナ」
をはじめ、フェルメール、レンブランド、ブリューゲルなどの巨匠の作品が目白押し


ドレスデン城の君主の行列の壁画を見る。
ドレスデン城は歴代ザクセン公が居城としてきた建物だが、第2次世界大戦の爆撃により多大な
被害を受けた。奇跡的に損壊を免れた「君主の行列」の壁画はザクセン王が行進する勇壮なもので
約2万5千枚のタイルを使っている
雪が降ってきて寒いのでヒルトンホテル内のお土産屋さんを見る。どこもクリスマスの飾り
が売っている。
朝、10時になり、クリスマスマーケットに行く組とアルテマイスター美術館を見る組に分かれる。
マーケット組はガイドさんが引率で絵画組は添乗員。私は絵画館。基本的に自由散策
だから気楽。2階建で細長く広い敷地。人もまばらなのでゆっくり見られる肖像画のフロアは気味悪い
レンブランドとかが置いてある。ユーラシア旅行ではみんなで散策し1枚の絵を説明付きで見学し
あとで自由という観光のしかたが多いがほっとかれるのもまた気楽なもん

お昼は市内レストラン。ヴアイセンビールが2.5ユーロ。ピスナーよりは好み。サラダ、魚、タイ米とヨーグルト
バスでチエコのプラハに向かう。10年ぐらい前は国境超えが大変だったが、EU加盟によりひとつの
国とみなし出入国審査がない。時間の短縮にはなるがパスポートのハンがないのでさびしい
ユーロになっているので物価高だが現地通貨も少々必要
途中のガソリンスタンドでトイレ表示。お土産は高い。通貨はコロナ表示だがユーロも使える
早めにプラハにつく。15時といえど暗くなりつつある。プラハで待ち合わせのガイド沢畠さんは
携帯の番号を添乗員に教えないらしい。ちょっと不満気。日本人だから早めに来てくれると
ありがたいのだが・・・15時15分頃ガイドの沢畠さんが来て無事合流。プラハ城とカレル橋見学
昔来たときは8月の夏。あまり変わってはいない。世界遺産の旧市街は混み合っていた
カレル橋はカレル4世の時代、15世紀初めに完成したゴシック様式の橋。旧市街とマラー。ストラナ
地区を結び、長さ520mの橋の両側の欄干には30体の聖像が並んでいる。橋はたくさんの
観光客が歩いている。日が暮れるというのにさすが観光地
プラハ城は敷地内に旧王宮や宮殿、修道院などが建っている。なかでも圧倒的なのは聖ヴィート大聖堂
高さ96.6mの尖塔を持ち、内部のステンドグラスも美しい

旧市街にあるクリスタルガラスのお店に行く。地球の歩き方にも載っている。ガラスの説明を聞いて
自由。お土産にもらったクリスタルガラスの置物は邪魔だから塩谷さんにあげてしまった
ツアーメイト3人で中央広場から黒い塔があるところまで散策
日も暮れて店も人もたくさんのクリスマスマーケット散策!ツリーがとってもきれい
塩谷さんが現地通貨コロナを持っていたのでやきぐりを購入(300¥)
昨年のツリーナンバー1はウイーンだったが今年はチエコのプラハらしい。合唱団の歌声が聞こえる
18時20分再集合したくさん歩いて現地のビアホールに行く。観光客向けなのか阪急のツアー
客がたくさん。せかくこじんまりしたとこにあるのに一部屋日本人じや興ざめ
無料の黒ビールはおいしかった。アコーデイオン引きはスティービーワンダーの名曲や上を向いて歩こう
を演奏し日本人にうけていた。料理はサラダ、グヤーシュ(ハンガリーの煮込み料理)サイドの黒パンが
ロシアを思起こさせおいしい。共産圏だからあるのかな!関係ないか
アップルパイがシナモンがきいておいしかった。ホテルに着いたらまたまたトラピクスの集団!
たぶんうちらとは同じルートはいかずベーシックのチエコ、ハンガリー、ウイーンの定番コースだと思う

12月14日(月)
このホテルは共産圏の名残でばかでかく、従業員が少なく、働きも悪い
電気切れているのでつけてといってもつけてくれない。どうせ同じ給料ならやらないほうがマシ
ってかんじ。朝食もサラダ、パン、オカズのテーブルがそれぞれ離れていて取りに行くのも大変
効率が悪い。朝、オモロウツに向かって出発。12時前に着く。ガイドは大学を出た若い人
街全体はこじんまりしていて、他に日本人団体客なんかはいない。大学や教会を見る。
ホルニー広場の中央に4面に時計がついた尖塔とゴシック様式の張り出し窓の付いた
チャペルをもつ大きい市庁舎が建っている。15世紀に創建されたゴシックおよびルネッサンス式
の建物。毎正午になると仕掛け時計が動き出す

聖ヴアーツ教会に行く。ネオゴシック様式の2本の尖塔がこちらに迫ってくるように見える
天に向かって100mもの高さにそびえる塔は迫力!

ランチに行く。たっぷりのコンソメスープ、お肉とフライドポテト、デザートと紅茶。チエコのビールを頼む
2ユーロでたっぷり。昔もチエコが一番物価が安かった。14時30分チエコからポーランドに向かう
19時までの間、ロングドライブ。ここでも雪雪雪。ポーランドは新しそうなビルがたくさんあって
近代的。道が雪で凍っている。市内のレストランまで10分ほど歩く
レストランは小さく狭い。マカロニ入りのシチュースープ、豚肉のフライとサラダとアイスクリーム、ミネラルウオーター
がサービス。また少し歩いてバスに戻る。ホテルは昨日とうってかわって小さいホテル
ドライヤーがない!!!少し現地通貨に換える

12月15日(火)
ホテルの朝食はまぁまぁ!クロワッサン、チョコパンがおいしい。日本語を静岡で2年、広島で1年勉強した
ポーランド人のガイドとともにクラクフ市内観光。ヴァベル城→大学→中央広場に行く
ヴアベル城門脇には18世紀末、3国分割に対して反乱を起こしたポーランドの英雄タデウシ・コチュシコ
の像が建っている。城に行く道は雪で凍っていて危ない。城門をくぐると3つの礼拝堂をもつ聖堂
がある。1320年にゴシック様式で着工されてから数世紀にわたってルネッサンス様式や
バロック式様式が加えられ建設されたもの。18世紀まで歴代ポーランド王の戴冠式が行われた



クリスマスマーケットで30分フリーだが、あまりほしいものがない。クリスマスの飾りつけがいっぱい


聖マリア教会見学後、レストランへ。マッシュルームスープ、白身魚のフライ、クリームパイ。今日のお昼はまぁまぁ
ホットワイン8ズオティ(320¥)頼むが薬みたいでむせてしまいいまいち。昼食後1時間かけて
アウシュビッツ収容所へ。アウシュビッツはドイツ語。ポーランドではオシフィエンチムという名前で通っている
アウシュビッツ収容所ができた1940年当初は、収容所はポーランド人中心だったが、その後、捕虜になった
ソ連兵、ジプシー、その他の国からの収容者が増えていったよう。まだ70年しかたっていない頃の話!
1942年からはヒトラーによる、ユダヤ人問題最終的解決の一環として、ドイツ占領下の国々の
ユダヤ系市民を大量虐殺する場所となっていった犠牲者は28か国の110万人以上と言われている
アウシュビッツ収容所は1945年1月ソ連兵によって解放される。
NHKでは脱走に成功した人が紹介されていた。最近亡くなったようだが。
博物館は、冬なので私たちのツアーがグループでは最後。閑散としている。閉店にならないうちに売店で
ポストカードや本を購入。本当は展示物は撮ってはいけないのだが、他に観光客もいないし
特別に許可が出て博物館内、写真撮影OKになった。とってもラッキー
冬は15時から日が暮れ始め16時には日没になるので周りの収容所を撮影するのが困難
銃殺の壁や焼却炉外部が撮影難しい。
収容所跡にはすべての収容者たちがくぐった働けば自由になるという文字を掲げた門があり、収容者
たちが作らされたもので「B」の文字が逆さまなのはせめてもの抵抗の証という説がある
囚人棟は28棟あり最大で2万8千人も収容されていたという。4,5号棟は大量虐殺の証拠が展示
4号収容所内は資料や写真。5号棟がナチスが連行した人々から没収した主なき衣類、靴、トランク、
メガネの山、義手義足の山、髪の毛の山(絨毯に使われた)、ガス缶の山。まさしく負の遺産
どんな気持ちで、いつ訪れるかわからない死の恐怖を過ごしていたのだろう!いろいろと想像してしまう。
「死のブロック」といわれる11号棟は内部までほぼ当時のままの姿をとどめている
目のあたりにすると言葉も出なくなる。ガス、銃殺、窒息、餓死。脱走者がいると連帯責任のようだ
窒息の牢や立ち牢、餓死室は3日で亡くなったそうだ。ガスや銃殺で一瞬とどちらがよいだろう
騙されて列車に乗せられ、着いた途端ガス室行きか労働に振り分けられる。当時のユダヤ人
の魂の叫びが聞こえてきそうだ。ガス室や焼却炉内部まで入り撮影することができた

働けば自由になるという看板            バラック

                            ガス室と労働の振り分け

毒ガス

袋つめされた髪の毛                    カバン

毒ガスの缶                      切り取られた髪の毛

眼鏡                          義足



銃殺の壁                          収容所内部

餓死の部屋                       立ち牢

ガス室                          焼却炉
スケジュールには入っていないがビルケナウ収容所も見学する。もうまっくらで明かりはないが引きこみ線路
とかそのままに残っている。なんかもういろいろ想像して胸がいっぱいになる
アウシュビッツには難関のポーランド語での試験を突破した中谷剛さんというガイドがいるらしく添乗員
が日本に居る時に予約を入れようとしたがあいにく休みの日でした。
たくさん本を出しているようなのであとで機会があれば読んでみたい
また、1時間半かけてホテルに戻ってくる。19時ホテルで夕食。カッテチーズのグリーンサラダ、ぎょうざ(まんとう)
みたいな料理とアイスクリーム3つ。全体的に量が量が多い。

12月16日(水)
本日から列車のダイヤが変わり日程表より30分遅れる。売店でベーグルみたいなパンを購入1.3ズロッチ
あとで列車の中で食べたらおいしかった。
時間通り列車が来た。5番ホームで1等だから一番前。6人のコンパートメント。スーツケースが入らなく外に出す
6人のコンパートメントは一人参加の女性同士仲良く!
車内販売のコーヒーは5ズローチ。食堂車があるので最年長の小西さんと行ってコーヒーをごちそうになる
小西さんは昔海軍にいたようで戦後外語大に入り会社勤めを得て現在84歳。奥さんは認知症で
老人ホームとか。小西さんは84歳にも関わらず一人で参加したくさん歩けるし腰も曲がっていないし
ボケていないし大したものだ。自分が80歳過ぎて一人で海外行く自信はない!列車の中で
いろいろなお話をして過ごす



約3時間の旅でワルシャワに着く。けっこう都会!でも寒くて雪がちらついている
まずはレストラン。すっぱいスープに肉団子となますとトマトと芥子の実のケーキ。あまりおいしくはない
ワジンキ公園を観光する。広い!広場にはショパンの像があり1926年に建てられたもの。公園は
18世紀にポーランド最後の王、スタニワフ・アウグスト・ポニャトスキの命によって、1766年から30年
もの歳月を費やして造営された。公園内の池の脇に建ち、水面にその優美な姿を投げかけている
ワジエンキ宮殿は王の夏の離宮として建てられたものだ。王の死後はロシアに売却され1918年ポーランド
独立時には国家所有、第2次世界大戦でナチスドイツに占領された際、ワジエンキ宮殿の美術品は
ドイツに持ち去られ、1944年には放火され内部は破壊されてしまったが、現在は修復されている
宮殿では国立博物館の分館として17世紀〜18世紀の美術品を展示している。


湖は氷が張っていてカモだかなんだかわからない鳥がいる。宮殿内部は係員がやはり
共産主義の名残で時間がこないと開けないと、融通が利かない。内部の美術品を見学し街へ
旧市街に着くころはすっかり暗くなってしまいました。クリスマスマーケット、キュリー夫人の生家を見る
16時には暗くなりガイドブックにのっているようなパステルカラーの街並みの撮影は難しい




キューリー夫人の生家は現在は博物館として公開。ポロニウムやラジウムといった放射性元素の
発見により1903年、夫とともにノーベル物理学賞を受賞した。1911年にはラジウムの分離に
対してノーベル化学賞を受賞
いったんホテルにチエックインし18時に市内レストランに行き民族ダンスを見学する
しょっぱい魚のマリネ、パン、グヤージュ、じゃがいも、ケーキ。ワルシャワのホテルが一番まとも!


12月17日(木)
ワルシャワ11時5分発オーストリア航空にてウイーンへ。空港でモーツアルトチョコを
購入。意外と高くはない。14時10分成田へ
12月18日(金)
朝9時30分のはずが、乗り継ぎ便待っていたおかげで遅れて到着。午後、日立へ

おわり