イスラエル
念願のイスラエルに行って来ました。約10年前にイスラエルに行こうと計画し、地球の歩き方まで購入した
のですが、政情不安になり渡航出来なくなってしまいました。ガイドブックは改定されてはいませんが
最近ではちらほらと旅行会社でも扱うようになってきました。
出発前に銃撃戦があり、まだまだ「どうしてそんなとこに行くの?」という国ですがダビデ王が国を造り
イエスキリストが処刑され、マホメットが天国に昇る夢を見た国であり、世界jをより深く学ぶには良い国です。
今回、ユーラシア、トラベル世界、新日本トラベルと3社を比較しました。微妙に訪れるとこが違いますが
10日はさすがに休みにくい為、コンパクトにまわる8日間のツアーにしました。
8日は紅海のエイラッットには行きません。あと旅費、乗り継ぎもあり正味6日の観光ですが旅費が高い。
今回一番安い料金で約33万。私は一人追加料金かかるので37万。羽田までの旅費や帰りが深夜なので
東京の宿泊費入れれば40万近くになってしまいかなりふところ具合が寒くなってしまった。
安全の為か、現地レストランよりホテルでの夕食がほとんどだったことと、現地英語ガイド、日本語ガイド、
添乗員、ドライバーの4人が我々と同じホテル。4人分の旅費?を若干11人で割るので高くなってしまう
からくりなのですね。若くて体力があって言葉も達者なら現地ガイドのみのツアー探せばもう少し
安くあがるでしょう。
3/8(土)
18時50分羽田空港に集合。ここからは8名が参加。19時55分関西国際空港へ。21時O7分3名合流
し23時05分トルコイスタンブールに向かって出発。機内食は選べず鶏肉グリル、ストロベリームース
チーズ、すし。味付けもまぁまぁで機内食の中ではおいしい。アメニテイも充実。マジックテープ付きの
スリッパは重宝。ひざ掛けもフリースで手触りok。機内は空いていたので二席占領しゆったりできた。
到着前の機内食はオムレツ、ソーセージ、フルーツ、ハッシュポテト。コーヒーがおいしい。
トルコ航空はチエリージュースが置いてある。13時間の飛行時間。
3/9(日)
早朝5:40分。トルコ、イスタンブール乗り継ぎ7:40分TK1184イスラエル出発
9:35イスラエル、テルアビブ、ベングリオン空港に到着。世界一入国が困難といわれてる。
昨年はウズベキスタンやシリアヨルダンに行って薄暗いイメージの空港でイスラエルも
そんなものかなと思っていたが、広々として明るく解放感ある空港で閉鎖的なイメージはない。
しかし入国は困難で私たちは敵対している国のビザ貼ってあるので物凄く入国に時間かかった。
私はあと2年でパスポートきてるので、スタンプ欲しいので特別ノースタンプとは言いませんでした。
入国審査官は私に、パキスタンとイエメンのビザを指差し、もうこの国には入れませんよと親切に
教えてくれた。アルジエリアやリビアは2年後行こうと思っていたのですがひそかにパキスタンは
夏に行こうと思っていたので、パキスタンも入れないと言われて、エッと思ったがスタンプ欲しさに
YESと回答してしまいました。真っ赤に押されたイスラエル入国スタンプ。これで周辺国には
しばらく行くことが出来なくなってしまいました。参加者の桂さんがパキスタン2回入国しているので
別室(取り調べ室)に連れて行かれ1時間も出てこれませんでした。我々はバスで彼女が出てくるのを
まち、ようやく11時過゚ぎ無罪放免となりみんなで観光へ。
今回の英語ガイドはウラさん。ドライバーはフセインさん、通訳はハイフアにイスラエル人の奥さん
をもつコージさん。イスラエルに来て5年目。奥さんとはアメリカで共通の友人を通して知合い結婚
以前コンピューターの仕魔に就いていたがこの仕事に転職。自宅では英語、ヘブライ語で会話のようです。
車窓からは火力発電所が。イスラエルというと内戦が多く、観光事業は遅れているのかなと思っていたが
道路はよく整備され、ところどころには野生の花はさきほこり、その辺の中近東の国々に比べれば
観光客の受け入れ態勢はばっちり。トイレの水はホテル以外でもちゃんと流れるし、ペーパーは
ハートマークのプリントがあるとこもあるし、ホテルは快適だしぜひ沢山の人達に来て自分の目で見て
といいたい。車窓からはバナナの木が沢山あって青いビニールで覆われている。青い状態で出荷する
そうだ。12:15カイザリアへ。
カイザリアはテルアビブの
約40キロ北にある。地中海
に面した美しいところ。クリスチャン
は、偉大な使徒パウロがローマ宣教
に旅立った基地として重要な聖地に
している。もともとはフエニキア人が
住んでいた。ヘデロ王がBC1世紀
になり、港を建設し街になったことで
繁栄していく。街の名前「カイザリア」
はローマ皇帝のカエサルに捧げる為に
つけられた。ローマ劇場から見学。1960年代に発掘され今もコンサート会場に使われる。
直径170Mの半円形の劇場は海からの風向きを計算に入れ舞台の方向が決められていた。
自然の音響システムのお陰で広い劇場隅々にまで音が届く。ローマ梠繧ヘこの劇場で多くの人がライオンと
戦わされた。ローマに抵抗したユダヤ人も殺された。ビザンチン時代の柱、ピラトス宮殿へ。
12時55分十字軍の要塞跡へ。11世紀に建設。敵の侵入を抑える為に直角に曲がるように入り口が
造られている。13時、遺跡の中のイタリアンレストランARESTOにて昼食。
シーザーサラダ、ヤサイサラダ(野菜が豊富なのにはびっくり)焼きたてピザ、パスタ、チョコクロワッサン
ジュースは無料、ミントテイが美味しい。遺跡なので砂埃が入ってきてお皿が常に埃だらけ。
14:05ローマ時代の水道橋へ。ヘデロ王が水の少ないカイザリアに水を引く施設として建設した。2本のうち1本は
農業用に、もう1本はカルメル山から9キロに渡って引かれ飲料水に用いられていた。アーチの上部にある溝に
直径17センチの陶器の管が3本通っていたと考えられる。
車窓よりゴルフ場、今は野生の花が見事な時期なので写真ストップ。アネモネ、アイリス、野生のユリ、ルピナス。
15:55山上の垂訓教会へ
オリーブグリーンのドームをもつ8角形の教会。1930年完成。マタイ伝5章にでてくる
山上の垂訓の8つの句はイエスの思想、教義のもっとも重要な部分が
まとめられたもの。その説教はこの丘でなされたとされ、教会内にはこれらの句が
ラテン語で記されている。また「主の祈り」がまとめられているのも山上の垂訓の一場面
「求めよ、されば与えられん」「狭き門より入れ」などの有名なフレーズもここで生まれた
イエスが12使徒を選んだのもこの丘。
当時のイエスの評判は高く、ガラリア地方だけでなく、ユダヤ地方からも群衆が来た。
それをみたイエスは山に登り、腰をおろし、地上において蔑まれた人々の救いを説い
ている。心の貧しい人々は幸である。天国の国はその人達の国である。
悲しむ人々は幸である。その人達は慰められる。柔和な人々は幸である。
その人達は地を受け継ぐ。このときのイエスの教えは逆説的に書かれていて、悩んでいる人にとっては、その悩み
こそが神の国に入る為の重要な条件になると言った。さらにイエスは日常生活や道徳上の規範をしめしている。
人を殺そうと思ってはいけない。姦淫してはいけない。復讐してはいけない。敵を愛しなさい。よい行いは隠れて
せよ。明日のことを思い悩むな。人を非難してはいけない。求めなさい。そうすれは与えられる。探しなさい。
そうすれば見つかる。神の国には狭き門より入りなさい。偽預言者に気をつけなさい。
イエスが語り終えると、群衆はその言葉が胸の中にどんどん響いていった。さらにイエスは祈り方を群衆に教えた。
「天にいます我らの父よ、願わくば御名の崇められん事を。御国の来たらん
ことを。御意の天のごとく地にも行われんことを。我らの日用の糧を今日も与え給へ。
我らに負債ある者を我らの免した如く、我らの負債をも免し給へ。
我らをこころみに遭わず悪しき者より救い出し給へ」
壁に書かれてる8つの教え
1.幸福なるかな、こころ貧しき者。天国はその人のものなり。
2.幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。
3.幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。
4.幸福なるかな、義に飢え渇く者。その人は渇くことを得ん。
5.幸福なるかな、憐れみある者。その人は憐れみを得ん。
6.幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。
7.幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神に子ととなえられん。
8.幸福なるかな、義の為に責められたる者。天国はその人のものなり。
16:15・FONT
color="#FF0099">カベナウムへ
イエス宣教の本拠地。洗礼を受けてもらったヨハネが
捕らえられるとナザレを去りガラリアのカペナウムに
住み始めたとされる。入り口をはいるとユダヤ教に関する模様など
が浮き彫りにされた石柱や鴨居の一部などが小道の両脇に並べてある
イエスはこの地で病人を癒した。彼は安息日でも人を癒したり
貧しい人を助けたりしたので安息日などの戒律を厳格に守る
ユダヤ教の中で、民衆に驚きと歓喜で迎えられたが
一方で恨みをかい、民衆を扇動するものとして十字架の道に繋がって
いった。一結局カペナウムの人も最後にはイエスを見放す。
17:00・FONT
color="#FF0099">キブツ、ゲノサレ
イエス時代の船、ガラリアボートが発見された。
(1986年)長さ8.2M、幅2.3M、高さ1.2M
17:20ガラリア湖クルーズ
ガラリアボートの博物館横の港からクルーズへ。桟橋には
アーチスト達の鉄のオブジェが並ぶ。今日の天気は
曇りなのでガラリア湖の景色は今ひとつ。
ここでセントピーターズフイッシュという魚がとれる。
なぜか他のところでとれるのは食用ではないらしい。ボートの中では中国人らしき観光客と一緒。
クルージングの時に通訳のコージさんにイスラエル事情聞いてみた。イスラエルは基本的に共働きが
多いこと、都市部のサラリーマンの手取りが15万〜であること、アパート代は5万と高いので共同で住んでいる
人が多いこと、太陽熱を電気にしていること、民放は2つしかないのでパラボラアンテナつけている家庭が
多いことなどなど。お話しているうちにホリディ.インに18時5分到着。19時30分。ホテルレストランにて夕食。
3/10(月)
朝食のパンケーキは美味い。紅茶はまぁまぁ。8:30ホリディインホテル出発
今はアラブ系の人々が多いナザレに向けて出発する。9:20ナザレ到着
イエスが幼少、青年時代を過ごした町。市場を通り抜けながら9:25受胎告知教会へ
1969年完成。フランシスコ会による教会。
教会の正面には大天使ガブリエルより受胎告知
を受ける聖母マリアの様子と扉にはイエスの
生涯の様子が示される。1Fはヨセフとマリア
が住んでいたとされる洞窟跡、その上に教会
が建てられた。2Fは世界中から集められた
マリア像が並ぶ。中には日本人長谷川路可
作のものがある。ヨセフは大工だったということで
柱や梁が木製に見えるようにコンクリートで似せて
建てられた。
10:00聖ヨセフ教会へ
フランシスコ会により、マリアの夫ヨセフが大工
の仕事をしてたと言われる場所に
建てられた教会。階段を降りて行くとビザンツ時代
の地下の礼拝所、ぶどう酒を造っていたサイロがある
スパイスやお菓子やさんを見てカナに向けて出発。
10時50分カナ到着。お土産屋さんが沢山ある。
10時55分婚礼教会へ
イエス最初の奇跡が行われた所に建つ教会。
あるとき、ガラリア地方の町で結婚式があり、
イエスとマリアは招待されていた。
「ぶどう酒が足りなくなりそうです」とマリアがイエスにささやくと、召使を呼び寄せ並べてあった数個の
大きなかめに水いっぱいに入れ、主賓の元に持っていくように言った。持ってきたぶどう酒を口に含むと
最良のぶどう酒だとわかった主賓は上機嫌で乾杯し花嫁を褒め称える。イエスが水をぶどう酒に
変えた奇跡を目の当たりにしたのは、マリアと弟子達と召使だけだった。この奇跡によりイエスに対する
信仰心は強くなっていった。そういうエピソードがあるせいか、みやげ物屋にはワインが売っている。
みやげ物屋で試飲したワインは値段は手ごろだがとっても甘い。帰りのバスに向かう途中、またまた通訳の
コージさんとお話したが、最近ナイジエリアからの観光客が増えているようだ。キリスト巡礼の為に石油で儲けた
金を国が出すそうです。たくさんのナイジエリア人が教会附近に居ました。イスラエルは大学進学率は高い
ことと、ヘブライ語は子音だけで意味を把握しなければならないので読むのが難しいことなど聞きました。
11:55タプハ、パンと魚の奇跡の教会へ
AD350年から教会が建っていたところに1980年
現在の教会が建設。
あるとき、イエスは弟子達と人里はなれた静かな所
に向かったが何千人もの人々が町や村から出てきて
イエスに付き添った。夕暮れになり、食事のことを心配
した弟子が群衆を解散させることを提案したが
イエスはその必要はないと言う。一人の少年が持っていた
パン5つと魚2匹の入ったかごを持ってこさせそして、
群衆全員に草の上に座るように言った。
イエスはここで2匹の魚と5つのパンで5,000人もの人々を満腹にさせた。このころイエスは病気を癒したり
悪霊を追払ったり大活躍。急速に人々を惹きつけてしまった。会堂の中にはビザンツ時代のモザイクの床が
見事に残っており当時のガラリア地方がまだ緑が豊だったことが良くわかる。
12:15ペテロの首位権の教会へ
4世紀から5世紀に建てられた教会の跡に1943年
フランシスコ会により玄武岩造りの教会が建てられた。
教会内にはここでイエスの弟子となったペテロがイエス
と囲んだ食卓(岩)がある。処刑後復活したイエスは
ここでペテロに天国の鍵を渡す。
この教会の後ろにはガラリア湖がある。近くまで行って
さわってみる。天気がよければ綺麗なのに。
この場所はガラリア湖畔を歩いていたイエスが漁師の
ペテロとアンデレの兄弟に出会ったところ。
12:45KTZE HANACHALにて昼食。
アラブ風前菜は、新宿南口近くのトルコ料理で食べたものとよく似ていて美味しい。メインは
セントピーターズフイッシュ。思ったより大きいがあっさりして飽きのこない味。付け合せはフライドポテト。
ナツメヤシのデザートと小さくて超あまーーい紅茶が出てきた。食後バスで移動。
車窓よりヨルダン川の洗礼所、淡水魚の養殖所、サウル王が戦いで敗れて自害したギルボア山を見る。
14:48 ヨルダン川西岸地区(パレスチナ自事区)入場。道路脇には延々と高圧電流が流れる導線が
張り巡らされ線の下には並行して足跡が消えない特殊な砂が敷き詰められている。常に侵入者が居ないか
見張りの車が通るらしい。緑の多い土地なのにきな臭いイメージをもたれてしまうのはとても残念。
15:00世界最古の都市エリコ附近を通過。治安の関係で現在は入れない。
15:45 クムランへ。風が出てきて寒い。帽子を飛ばされそうになった
死海西北部から1キロ。クムランに人が住み始めたのは紀元前8世紀
頃だと言われている。紀元前2世紀の終わりにはユダヤ教の一派が
共同生活を始めた。この教団は禁欲的な宗教団体で、ユダヤ教の伝統
や習慣を重んじた修道生活をしていたらしい。
1947年 羊を探していた遊牧民の少年が洞窟の中からつぼを発見する。
中には皮にかかれた旧約聖書の写本があった。「死海写本」
約600を越える巻物は古ヘブライ語とギリシャ語、アラム語でかかれ紀元前2世紀のものと考えられている。
紀元前130年頃には数千人いた人々もローマ軍とユダヤ戦争の時代に滅び、巻物だけが残された。
現在エルサレムのイスラエル博物館にある死海写本館に展示されている。
17時30分ホットハミドバーホテルに到着。死海の目の前のホテルで周辺にもリゾートホテルが建ち並ぶ。
近くにはショッピングセンターとマクドナルドがある。ここで絵葉書を出す。3/23ほぼ2週間で日本到着。
夕食後添乗員さんと数人で歩いてショッピングセンターへ。そこでアボガドとアロエのハンドクリームをお土産に
大量に購入する。安売り品で約150円くらい。死海石鹸も購入。ヨルダンで死海石鹸を買ったときは1個200円
くらいだったのにイスラエルは物価が高くちゃちい箱でも400円はする。ハガキも100円で切手180円もするので
一人にエアメールだすと300円にもなってしまうのでレジで返品してしまった。貰ったほうも300円の価値に
見えないのでハガキだすより物あげる事にした。翌日のエステを申し込む。泥パック。しかし受け付けが
しまっているので希望の時間にできるかがわからない。約50ドル〜。翌日わかるそうだ。ほとんど全員の女性が
申し込んでいた。ここのホテルの夕食のアイスクリームは美味しかった。
3/11(火)
8時30分ホテル発、8時50分マサダに到着。朝早いのに沢山の人がいた。まずビデオを見てからロープーエー
で山頂に。ロープーエー使わないで蛇の道というくねくねした道を使ってあがる事も可能。
マサダはローマ軍に追いつめられた最後のユダヤ人が篭城した要塞。
マサダは紀元前100年頃に大祭司イエホナータンがこの地形を利用して造り
その後、ヘデロ王がもとの建物を強化増築し豪華な冬の宮殿を建てた。
巨大な貯水槽、食糧庫、サウナ設備、西の宮殿、山の北面にぶらさがるように
して建てられた北の宮殿は当時の建物跡。
後70年になるとエルサレムの神殿がローマ軍に破壊され次々と町がローマ帝国下
となった。マサダもその標的とされ、ローマのシルバ将軍がその指揮をとった。
彼はマサダの弱点が西の壁にあることに気付き、まず8つの駐屯所を置いて
マサダを取り囲み、西側の壁に土を盛り登り易くしてついに扉に火をはなった。
ヘデロ王は敗北を覚悟し生き残り奴隷になるより自決の道を選んだ。自殺は
殺人より悪の為、選ばれた10人が他の人々を殺していったという悲しい歴史がある。
まずマサダの模型を見ながらマサダの歴史と存在意義を熱く語る。我々は近くの石に腰をおろし耳を傾けるが
ちやっかりただ聞きしている外国人も数人いた。@ここの建物の石材採掘場、A北の模型と景色のいいところ見学
B兵士の部屋には貴重なフレスコ画が壁に残っている。
C食糧貯蔵庫は壁に漆喰が塗ってある為オリーブオイルなども保存できるようになっていた。
コージさんに何か作って暮らしていたのか質問してみると羊やヤギをかって生活していたらしい。
D貯水システムへ行く。エルサレムにある山に降った雨水が洪水のように流れてくる為、その道を利用し貯める
Eヘデロ王が使っていた北の神殿。下には神殿の見張り塔や下にはローマ軍駐屯所。
Fローマ式浴場へ。中庭にはモザイクが残されていた。サウナは西の風を利用したカマで炊いた熱を床下にはわせ
丸天井にすることで水滴の落下まで防いだ。G10人の選ばれし人の名前が書かれた石板が発見されたところ
Hユダヤの沐浴場、人々が御祈りを捧げるシナゴーク、住居跡、ローマ軍によって造られた坂道、3〜4世紀に
できた教会。西の宮殿等見学し30分の自由行動。南の方面を散策し、売店で絵葉書を購入。ホテル近くの
ショッピングセンターよりは安い。再びロープーウエーで下山。貸切状態。降りてみるとフレッシュジュースの売店が。
みんなはオレンジを購入していたが私はストロベリーとバナナのミックス。約4ドル。なかなかねっとりして
くせになりそうな味。とっても美味しい。12時ホテル近くのSODOMS APPLEにて昼食。
スープ、魚のフライかパスタかピザの選択とフルーツ。ピザを頼んだがトマトの味が薄く大きいのですぐ飽きてしまう
パスタも少しわけて頂いたがイマイチ。ホテルに戻りエステがみんなばらばらの時間であることが判明
しかたない。私は3時55分ぐらい。2時半に水着に着替えて集合。死海浮遊体験。
昨年の夏に引き続き、死海浮遊は2度目なので他の人よりは早く水に浮かぶの慣れたが、やはり新聞をもって
の写真撮影だとどうしてもバランスが崩れてしまう。ヨルダンでは湖面に泥があり救って肌に塗ることが
できたがイスタエル側では湖面は塩の塊だった。夏はフライパンで焼かれるほどの暑さだったが3月上旬
はまだまだ水が冷たい。さんざん遊んだ跡はホテル内にある温水プールへ。ここも塩が含まれるらしくぷかぷか
浮かんでいた。時間になったのでエステのある部屋に行く。温水プールのある奥のボイラー室みたいな薄暗い
部屋。綺麗な明るい部屋で花に囲まれ数人でエステする癒しの間を期待していたが
ドア開けっ放しの5つくらいの部屋に担当のおばちゃんが一人で対応しているという感じ。ハダカになるよう指示
され、手術台のようなベットに寝かされ、脚と腕に泥をぬったくられる。蓑虫のようにラッピングされ暗いボイラー
室に20分はほっとかれる。終わるとシャワーを浴びで泥を落としハイ終了というあっけなもの。
内容うんぬんよりもここの場所でドロパックをしたということが大事なのか・・・・・・
他メニューは
硫黄温泉20分(50シエケル)ドロパック(190)泥と海草(210)泥とクリーム(210)泥とオイル(210)
日本円で5,000円ぐらいだがすすめ出来ず。指圧、タイ式マッサージ、アロマオイル浴、足マッサージ
顔全体トリートメント、アロマオイルと頭部マッサージと種類は多い。しかし一人で対応とかのものだと
仲良い人と必ずしもいっしょに出来るとは限らない。夕食まで時間あったので昨日行ったショッピングセンター
にハンドクリームと石鹸の追加を買いに行く。19時ホテルにて夕食。
3/12(水)
8:05ホテル発。車窓から綺麗な死海を眺めながらオリーブ山へ。9時35分オリーブ山につくが
物凄い観光客でごった返していた。
エスサレム旧市街を一望でき、山の下にはユダヤ人墓地が広がる。ユダヤ教徒は最後の審判がここで
行われると信じている為、この墓地はそのときを待っているということ(有料)
ツアーメイトの桂さんがナイスビユーポイントを探して案内してくれた。
アーモンドの満開の花とそこから見える岩のドームだった
10:05
ゲネセマネ園と万国民の教会へ。ゲネセマネとは油しぼりの意味。今も昔も
オリーブの木が植えられていたため当時からオリーブの加工が行われていた
と考えられる。イエスが好んで祈りを捧げた場所。
最後の晩餐の後、イエスと弟子達は賛美歌を歌い、祈りを捧げるためにゲッセマネ
の園に向かう。オリーブ山で、イエスは弟子達に、彼らが皆、自分を見捨てる
ことを告げた。弟子の一人ペデロは「私は決して見捨てることはありません」と
いいはった。イエスは彼に「夜が明け、鶏がなく前に、あなたは3度、私のこと
は知らないというだろう」と言い渡した。しかしペデロをはじめ皆、そんなこと
はないと強く否定する。イエスはゲネセマネの園で弟子達に待つように言いつけ、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ
だけ連れてさらに園の奥へ進んだ。イエスは地面にうつぶせになり、悲しみに打ちひしがれ、神に全身全霊で
祈った。近づく死に耐えようとイエスが苦闘し、神に祈っている間、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人は眠り込んでいた
という。イエスはその度に叱り、3度も起さなければならなかった。万国民の教会は1924年に建立。募金
により造られたもの。教会内が暗いのは最後に御祈りしたのが夜だったから。別名苦悶教会。
10:35鶏鳴教会(大祭司カパヤ邸)
地下にイエスが一晩過ごした牢獄がある。翌日総督ピラト邸に連れて行かれた
2000年前のゲネセマネに続く階段があり行ったり来たりして楽しむ。
ここは最高法での裁判の様子をうかがっていた女中や中庭にいた人たちから
「イエスと一緒にいた人ではないか」と言われ「そんな人は知らない」と3度
答えてしまう。その直後にニワトリが鳴き、イエスの予告は的中する。
ペトロは後悔し激しく泣いたという。その後イエスはペテロに首位権
(天国への鍵)を授けるとき、「私を3度愛するか」と訪ねた。
11:15 最後の晩餐の部屋。イエスが弟子達と最後の晩餐をとった所。殺風景な場所
一同が食事をしている時に、イエスが賛美歌の祈りを唱えて、パンを裂き、弟子たちにこういった。
「取って食べなさい。これは私の体である」そしてぶどう酒に感謝の祈りを捧げ、杯を回して言った。
「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される私の血、
契約の血である」「ここに座っているあなた方のうちの一人が、私を裏切ろうとしている」
弟子達は驚きうろたえた。それは誰かと訪ねると、イエスはパンをちぎってユダに手渡した。
ダビデ王の墓へ行く。男性女性別見学。。男性は紙製のキッパ(帽子)着用。
日本語ガイドとコージさん組と添乗員さんと現地ガイドと我々と2組に分かれて説明を受けた。
11:50mandarinにて昼食。コーンスープ。フライドチキン、チキンとビーフの炒め物、チャーハン、オレンジ
コージさんはガイドの職業がら良く来るのでオーナーとフレンドリーに握手していた。
アメリカにいた時に現在の奥さんと知合い結婚。3人の子持ち。家ではイスラエル料理なので
中華料理は日本の味に近いから嬉しいらしい。現在ハイフアにお住まい。5年前に現在のガイドに転職。
だらだら食事しているとお客さん
いっぱい来たからもう帰れのような
そぶりされたので、とりあえず
下に行く。バスを待っている間
近くのフアーストフード店を冷やかし
けっこうお客さんいるようでピタという
パンにたっぷりのお肉や野菜を
つめて500円ぐらい。そんなに安く
はないが食べてる人、持ち帰り両方
ともたくさんいた。
13:00ヘロデ門から旧市街に入る。13:15ヴィア・ドロローサ悲しみの道をたっぷりめぐる。
@死刑宣告。現在は小学校になっているためか沢山の子供とすれ違う
兵士はイエスを連行し、服を剥ぎ取り、紫の服を着せられいばらの冠を乗せ「ユダヤ人の王万歳」
とあざけりながら、殴ったり、唾を吐き、陵辱の限りを尽くした。
A十字架を背負わされ歩きはじめる。いばらの冠をつけられ鞭打ちされた。
Bイエス最初に倒れる。C聖母マリアとイエスが出会う。Dイエス手をついて休む。シモンが代わりに
十字架を担ぐ。Eベロニカがイエスの顔をハンカチで拭く。Fイエス2度目に倒れる。
G涙する娘達に「私のために泣くのではなく家族のために泣きなさい」と諭す
Hイエス最後(3度目)に倒れる。
聖墳墓教会にてイエス服を脱がされ十字架に釘付けにされる。十字架が建てられた穴が残る
十字架より降ろされる。石板がありここで降ろされ香料を塗り亜麻布で体をくるみ、墓に納められる。
お墓は行列で40分待ち。休憩で喫茶店に行く。紅茶を頼んだがただのリプトン紅茶。
粗末なカフエにしては3ドルもとるし、イスラエルはほんと物価が高い。
15:25セキユリテイチエックを受けながらユダヤ地区とカルドー通りを抜けて嘆きの壁へ。沢山の人が御祈り
をしている。男性が左、女性が右側。黒い帽子に黒いマントのユダヤ教の男性をこっそり写真に収めようと
してもなかなかすれ違わずシャッターチャンスを逃す。もともとユダヤ教は偶像崇拝禁止なのでカメラを露骨に
向けると嫌な顔される場合あるので要注意。嘆きの壁の石の隙間に詰まっているのは人々の悲願を記した
紙切れ。夜になると壁の石にたまった夜露が、涙を流しているユダヤ人の姿を映しているかのようで嘆きの
壁と呼ばれるようになった。1948年からはヨルダンの管理下になりユダヤ人はこの壁に近づくことが出来なかった
1967年6月7日、6日間戦争後は自由に祈ることが出来るようになった。壁の高さは21m
17時ホテル到着。19時夕食。夕食後、数人で周囲を散策。スーパーで
チョコレートを購入。けっこういい値段がする。ほぼ現地通貨使いきり
ノボテルホテルの隣のホテルの売店には沢山のアジア人観光客で
ごった返していた。みんなアクセサリー等購入していた。
3/13(木)終日エルサレム観光。8時ホテル発。8時20分、旧市街到着
糞門カラセキユリティを通って中に入る。現在旧市街を囲んでいる城壁は1537年
〜41年にかけて、この地を支配していたオスマン朝のスライマーン1世により再建
されたもの。城壁の長さは約4メートル、ほぼ正方形に近い形で高さは平均10〜
12メートル。土台にはいろいろな石が使われている。
第一神殿時代のは大きくあら削りの石が、オスマン朝時代のものは小さくのみで
削られた石が使われている。入場した糞門は嘆きの壁に行くのにもっとも近い門で
町の汚物がこの門を通って捨てられていたことからつけられた。
門から神殿の丘へ。旧市街の南東、古くはソロモン神殿があった場所とされ
ダビデが神の契約の箱を置いたところとも言われている。現在の神殿跡はヘロデ王により紀元前20年に建てられた
もので2000年前にはイエスも頻繁に訪れた。第一神殿、ソロモン王による。BC585年バビロニアにより破壊
第二神殿バビロン捕囚後、再建(BC535)BC37年、ヘロデ王により修復と拡張されている。
AD70年ローマ帝国により破壊。AD7C、イスラムがエルサレムを占領,AD1099年十字軍により聖都奪還
AD12C再びイスラムの支配下となる。アルアクサ寺院は灰色のドームを持つモスクで預言者ムハマンドが
昇天した地とされている。地震等で破壊と修復を繰り返しており現在も修復作業は続いている。
本日は結婚式があるようで、お花とか会場準備がされている。考古学者のインタビューも行われていた。
いよいよ岩のドームへ。残念ながら中に入ることは出来ない。ワイロがあればいれてくれるという話も...
内部に岩がありその岩からムハマンドが昇天したとされ、そこから岩のドームとされている。ドームの
黄金はヨルダンのフセイン国王の贈り物。日本人旅行者がちやっかりうちのガイドの説明を盗み聞きしていた。
再び、嘆きの壁を訪れる。毎週月、木、土に行われる「バルーミツバ」と呼ばれる成人式が行われていて昨日より
沢山の人が来ていた。13歳になった男の子の儀式。一人の男の子を10人の聖人でとり行う。土は安息日
だから、月木は市場の日で各地から人々が集まるから行われる。儀式ではラララ〜という声で祝福する。
9時50分南の壁考古学博物園へ(オフエル考古学ガーデン)へ
西の壁南部にはアーチ式の巨大階段があった。その辺に店が並び、生贄を買って南のほうへ移動。
下の沐浴場でお清めし神殿の大階段へという順番で当時はお参りしていた。
お昼まで時間があったので、再び岩のドームの写真タイム。杏子の花が綺麗でした。
お昼は日本食料理「さくら」イスラエルに日本食のお店があるのも
信じられない。観光客も多くはないし、日本食がこんな中近東で
はやっているとも思わないので採算が取れるのかと思ってしまう。
従業員は外人。まず4品の酢の物や和え物をみんなでつまむ
日本の味になかなか近いがきゅうりとか野菜の切り方は特徴的。
日本茶やお味噌汁がでるのはなかなか本格的。メインは幕の内おべんとう
シャケのあんかけは微妙な味付け。さっぱり塩焼きのほうがなんぼかうまい
餃子は中国の毒入り餃子事件の後だけに食べるのも....てんぷら
はまぁまぁ。でも久しぶりのお米は疲れを癒すしバイキングばっかりの単調な
食事のアクセントにはなった。日本人ガイドのコージさんも満足そう。
あまりお客さんが入っていなかったが、日本からのツアー客向けのお店なのかな?
デザートはオレンジとイチゴ。13時20分。ヤド・バシエムへ。ここも自分の中では
メインの行きたかった場所。ヤド・バシエムとは記念と記憶の意味。
大きな博物館と広い敷地の庭がある。専用のイヤホンを渡される。少々肌寒い。
ここはナチスドイツに虐殺された600万人のユダヤ人たちを慰霊する目的で建てられた
建物正面の30mにある円柱には忘れるなという意味のヘブライ語が刻まれている
歴史博物館は縦長で右左交互の部屋にジグザクに観光する順番になっている。
虐殺(ホロコースト」に関する写真や切り抜き、洋服や靴などの遺品など
シナゴークから没収した燭台やアウシュビッツの様子など数え切れないほどの展示
がある。一番びっくりしたのは大量の死体をブルドーザーで穴に埋める8ミリフイルムが
流れていたこと。映画ではなく70年前の現実に思わずクギ付けになった。ガイドは世界中のユダヤ人が
汽車で集められ収容所に集められガスで殺されたと説明受けた。私の友達は若い人、同年代問わず地元の
キリスト大を出ている人がいて、宗教の時間は必須。よって私よりイスラエルのことキリストのことは詳しい
人が多い。その中で帰国後聞いたことだが、ユダヤ人はだまされてアウシュビッツに連れてこられシャワー
が浴びれると思って服を脱ぎハンドルを回したところガスが出て殺されたのだと聞かされびっくりした。
保健所で犬が殺されるようなイメージで虐殺されたと思いきや、シャワーだとだまされて殺されていたのだ。
宗教の授業のときにビデオでみたそうな。現地ガイドより詳しいキリスト大卒の友達には改めてびっくりした。
他の友達もキブツとかナザレとかイエスにまつわるキーワードを良く知ってる人が回りに沢山居る。
ツアー客の桂さんはよくネットで調べてるようで、ヒトラーは実は「江原」さんみたいな予知能力というか予言的な
力があったらしく、異教徒の存在が自分を滅ぼすという恐怖心がなければああいう惨殺はしなかったろうという
もともとヒトラーはロマンチストで最後は女性と心中している。周りの取り巻きに踊らされたというとこもあるが。
子供博物館の内部は薄暗くて一面鏡になっており蝋燭がともる中スピーカーから流れてくるのは犠牲になった
子供たちの名前。360度遺品の写真に囲まれ、次々と流れてくる名前を聞くと胸が痛む。
「負」の世界遺産のアウシュビッツの収容所をぜひ、近いうちに訪れたい。そして悲惨な現実を目をそむけずに
見て来たい。庭園にが杉原千畝やオスカーシンドラーなど命を救った外国人もいてその人々の
偉業を称え植えられた木々が沢山ある。
15時25分イスラエル博物館へ。博物館が外とは思わず薄着なので寒い寒い
エルサレム第二神殿時代の模型
嘆きの壁がどの辺にあるかがわかる
死海写本館へ行く。クムランで見学した
洞窟から発見された死海写本のレプリカ
や本物の一部が展示。ペンは竹や山羊
の角、インクは自然の草木、果物を使用
死海文書は一般にイエスが生まれる少し
前の時代の文書だと考えられている。
死海文書を書き写した宗教的共同体の
メンバーは砂漠で自給自足の生活を
送っていた禁欲的な共同体で厳格な規則を持っていた。死海文書の多くの若者達がイエスの初期の信徒ににた
信仰をもっていたことが明らかになっている。寒い一日が終わりホテルへ。
3/14(金)
10時30分TK1185でイスタンブールに行く。空港の売店はなかなか品揃えがありイスラエルの写真のチョコが
何個か買うと1つおまけというセールをしていた。セサミクッキーだというお菓子を購入したが待合室で食べて見たら
和菓子のお干菓子のようにぼさぼさしているやつだった。あまり美味しくない。同じツアーの人におすそ分け...
12時45分イスタンブール着。飛行機は夜なので現地ガイドさんが市内観光に連れて行ってくれた。
イスタンブールの印象はイスラエルからきたせいか都会という感じ。他の地域は行ったことないがイスタンブール
はもういいかなって感じの印象、交通渋滞が激しいしみんな勝手にゴミを捨てる。ショーウインドーのマネキン
が着ている洋服もなんかセンス悪い。まずガイドが小さい魚市場に連れてきてくれた。
お魚をはさんだパンが有名らしい。焼きたての小さいお魚を味見する。うんなかなか美味い
メインのブルーモスクに行く。無料で中に入れるらしい。イスラエルにトルコ観光無料がついてほんとお得
私はトルコははじめてだがほとんどの人はリピーターだった(さすが)ここでイスラムにはまったという人
も聞くがイスタンブール見る限りでは洗練されちゃってると言うか....イマイチ興味が湧かない
靴を脱いでモスクへ。沢山の子供たちがすれ違う。すりに気をつけてというジエスチャーをしてくれた。
外ではやはり名物のアゲパンが売っていた。トルコは有名な食べ物が沢山あるのだなぁ・・・・
そしてグランドバザールで自由時間。けっこう広い。桂さん筆頭に数人で散策。10年前は綺麗な絵皿が
1枚1ドルだったが現在は10倍の値段になっている。ここで有名なのは粉末のアップルテイでいたるところ
においてある。ガイドが最初にすすめてくれたお店が一番良心的かなと思いながらあちこち散策
3,4ドルでアップルテイは購入できる。いろいろ見た挙句やはり待合場所から出たとこの店が値段も
書いてあり良心的。帰国後のんだが物凄く甘いインスタントアップルテイ。自分で飲んでしまったが
人にあげてしまった。アダムとイブのイラストでパッケージはなかなかオシャレだったんだけど。
仮眠用のホテルに到着。私の階は屋根裏部屋でエルベーターが途中までしかない。
部屋も屋根裏なので圧迫感がある。あとで聞いたら他の人は広い部屋もあったとか
高い一人部屋料金だしてああいう部屋はないだろうと思う。添乗員さんがくれたインスタントおにぎりで小腹を
満たし、一,2時間仮眠を取る。21時眠い目をこすりながら空港へ。イスタンブール23時45発関西空港行きで
大阪へ向かう。隣の人がとってもデブで大きい人だったので堀田さんの隣の席を移動.....
3/15(土)
17時45分関西国際空港着。東京行きにはまだ時間があったので堀田さんと桂さんと3人でお買い物をして
空港内レストランで関西風お好み焼きを食べる。まってる間にパスポートのスタンプを見せ合う
みんないろいろな国にいっている。パキスタンやイラン行ったというとへんな人扱いを受けていたが
なんのその自分は普通と思えてくる。イランやパキスタンのスタンプはみんな持っている!!!!!
お好み焼きはなかなか美味しかった。22時15分羽田着。23時大井町のアワーズイン阪急に到着
13階の大露天風呂で長旅の疲れを癒し就寝ZZZZZZZ
3/16(日)
ホテルで、ゆっくりのんびり朝食を味わい、東京駅発9時30分日立行きの高速バスへ乗り込む。空いている
13時頃寮に着く。日本航空のサービスで関西から1000円でスーツケース送れたので身軽で帰ってきたが
寮に着くと同時にスーツケースも到着。いそいで洗濯とみやげ物整理とスーツケースの片付けしてたら
16時。いそいそと九日ぶりに徒歩2分の「スパーク鮎川」へボディコンバットをやりに。
時差ぼけと体力消耗&久々の日本語?で右!左!と運動神経が反応してくれないと思い後ろのほうでちんたら
やろうと、沢山の人ごみにまぎれて並んでいたが、時間がきて入るときに本堂先生「お帰り〜」と見つかり
後ろに陣取ろうとしたら、いつのまにか前に追いやられ、全力疾走〜ヘロヘロ(3,4日時差ぼけでよろよろ)
拉致や誘拐に備えていっぱい運動してきたせいか、体力がついたのかなぁけっこう元気で会社とジム行けた。
海外旅行もいいけど、毎日の日常もなかなかたのしいもんだ。
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