モロッコ旅行記

モロッコは時期外しても今は20万ぐらいかもしれないが、当時は16万台で行けたと思う
でも最低10日は必要なので土日めいいっぱい使っても6日は年休使うようなので恵まれた環境でないかぎり行きにくい
直行便がなく遠いからかもしれないが、モロッコは観光バスで山脈を越えるのでほとんど移動になってしまう
世界遺産の砦アイドベン、ハッツ、トウや水売りおじさんや大道芸でにぎわうフナ広場、狭い道にひしめくカスバ
そして砂漠の日の出と盛りだくさんではある
この旅行で山岸さん(現高野恵美子さん)と初旅行だが、とても息があい会話も弾んで楽しかった
この旅から彼女とパキスタン、インド、東欧、コスタリカ、イエメン、ペルーと旅が積み重なっていった

11月20日
朝、4時起床。日立発4:50成田行きの高速バスにのる。
KLMオランダ航空AM11:00アムステルダムへ向かう。
現地時間PM3:00空港に着く。
なんとそこでトランジットが6時間あること、外に出られる事を知った。
事前に言ってくれれば、ガイドブックで調べられたのに...
とりあえずぶらぶらする。
1人で参加しているA氏が、つきまとってきた。はげ、デブ、ちびの3拍子
そろっているのもめずらしい。
嫌だったけど相手していたら、ずっとつきまとっていた。嫌な予感。
性格もかなり変!37歳らしい
PM9:00カサブランカへ。深夜着。パンフには夜着ってかいてあったのに
深夜なんて両替も1人しかいないので長蛇の列、ホテルに入るのは
AM3:00ごろかと思っていたら添乗員が代表で両替。効率悪い

11月21日
朝は少し寒い。国連広場で水売りおじさんと写真を撮る。チップがわりにボ−ルペンでok。
ハッサン2世モスクは中に入れない。
トイレはアラブ式と洋式とあるが、洋式は縁が細くおしり乗せたら落ちそうだ。腰をうかしてはいる。
基本的に水の流れはどこも悪い。下痢の人には大変かも。
マラケッシュに向かう。ホテルの売店が気に入る。何度も通う。

11月22日 マラケッシュ観光
クトビアモスク、メナラ離宮、サアデインの墓、バビ−ヤ宮殿をまわる。
昼食後は旧市街観光。迷路みたいで迷いそうだ。3名行方不明者でる。あとで見つかる。香辛料屋に連れて行かれる
ロ−ズクリ−ムとミントテイを購入。やはり割高感あり!
午後の自由行動(夕方)でジャマ.エル.フナ広場に行く
暗いのと時間がないのであまりいい写真撮れない。インタ−ネットで調べたごきぶりホテルを見つける。
水売りおじさんと写真を撮り、同行者の山岸さんは手の甲にへんな(いれずみのようなの)を20DH
で入れてもらう。蛇つかいは客がいなく、立ち止まると芸をするでもなくすかさずチップをねだってきた。
頭にきたので小額やり、写真を撮って立ち去る。
アクロバットもやっていたが少し、ビデオテ−プまわしただけでチップを要求してきた。
フナ広場は世界的に有名だが、芸もそこそこで、がめつさが目だって腹ただしい。
よくオプショナルツア−にある、フアンタジアショ−は夜10:30より食事会場とは離れたグラウンドでやる。寒い。
思ったほどの感動は無い。ご飯のときから歌を披露しているがうるさいだけ。

11月23日 ワルザザ−ドへ。
アトラス山脈を超える。テイシカ峠では雪が積もっていた。ぐねぐねした山道をトイレ休憩しながら超える。
近くの子供たちと写真とると、キャンデイを要求され、集団で襲われ飴を袋ごととられた。
写真撮影やトイレ休憩でバスが止まると、どこからともなく、子供達や物売りが現れる。

午後3時ごろ、世界遺産アイ、ド、ベン、ハットウに行く。
川を渡るようだが、子供たちがチップ目当てに手を引いてくれる。
アラビアのロレンスの世界だ。
ツア−にもよるが、私の参加したこのツア−は、頂上まで上る。
ぜいぜいいいながら、足場の悪いカスバを上る。
景色はサイコ−。ラクダが入る。写真撮影はキャンデイと
ボ−ルペンでOK
日没前、グラウイのカスバに行く。
ホテルはお化け屋敷。店の店員も愛想悪い。
徒歩3分のス−パ−でみやげをたくさん買う
ロ−ズウオ−タ−がここが一番安いと情報くれた大根田さんに感謝

11月24日 カスバめぐり
タウリルト.スク−ラ.カ−ラマグ−ナ.ダデイス、
テイネ−ルのカスバを下車観光
途中のトイレ休憩所でロ−ズクリ−ムを買う。マラケッシュより安い。
昼食はトドラ渓谷のしゃれたレストラン
バスが川を渡っていくのにはびっくり!渓谷もとってもきれい
写真もよくとれた。久しぶりに日本人のツア−にあう。

11月25日
個人的に楽しみなメズ−カの砂漠
4:15起床、30分後出発!夏でなくてよかった。夏だったら3時起床かな
4WDに6人ぐらいで、分乗。マラケシュで買ったねずみ男の衣装を着て乗り込む
暗い砂漠の道なき道をひた走る事1時間砂漠の入り口に着く。
ラクダの群れがきちんと並んで我々を迎えてくれた。
寝起きで機嫌が悪く、ぎゃあぎゃあないてるのもいたり、
乗車拒否で逃げるらくだもいた。
乗ったとたん、らくだがころんで怪我した人もいた。
なんでもらくだの歯が手にあたったらしい...
らくだに乗らない人は歩いて、乗る人はのって(片道30分以内)
2人のりで往復150DH(一人)。
去年は100だったらしい。1.5倍の値上げだが、個人的にはらくだおすすめ。
砂漠は足とられるし
最後の砂の山は、らくだの人も降りて登らければならず山は半端でなくきつい。
途中まででもらくだで行くと楽。
山登りは男女関係なく、現地ガイドがいつのまにかつく。
最初は断る人もいるが結局みんなガイドにひかれて、日の出ポイントを目指す羽目になる。
山岸さんは体調くずしているので遅れをとる。7:05分日の出。
砂漠の朝はものすごく寒い。
ババシャツ、パジャマ、Tシャツ、セ−タ−、ジュラバ、
ホッカイロの万全の態勢で望んだ。
それでもてが寒いので手袋はもっていったほうがいいです。
帰りもらくだと現地人とともにきた道を戻る。
チップ要求のほかにアンモナイトやロ−ズドサハラを売りつける。
買う気のない事いうと意外にあっさり。現地人はテント暮らし
。フランス語を話す。
英語も少々できるのでコミュニケ−ションはとれる。
帰る途中自然のアンモナイトがある広場に立ち寄る。
9時ホテル着。遅い朝食を食べる。今度はアンモナシトの工場へ行く。
見学後、アンモナイトの店へ
1日かけて古都フエズに向かう

11月26日 フエズ市内観光
ここで、日本語を話せる現地ガイドがつく。なんかあやしい
砂漠できたジュラバを山岸さんと着ていたので、いくらで購入かきかれた。
フアテマの手のペンダントもしていたのですが、肌に悪いとけちつけられた。
あとで思い返してみると、後に民族衣装の店や銀製品の店につれてかれたので
いくらでふっかけようとおもっていたのかも知れない。
ム−ライイドリス廟、カラウインモスク等ガイドブックにのっているところを狭い旧市街を歩きながら観光。
革染色場をみる。入る時生のミントをもらう、大根田さんはぜったい臭いのでマスクが必要と教えられたが
風がないせいか思ったほど臭くない。はとのふんをつかってるそうだからふだんは臭いと思う。
併設されている店はまけない。安くない。
旧市街は満ちが狭く、迷路みたいで、あちこちロバがすれ違う。細い道ではロバが輸送手段だ。
10時30分ごろから1時ごろまでジュ−タン屋につれていかれる。
25万.12万と買っている人もいるが興味無い人はまったく興味ない。
自由行動にしてほしかった。ジュ−タン屋の行く場で昼食。
そこからの旧市街のながめはサイコ−です。
午後、友達の家でお茶にしょうといわれる。
みんな何か売りつけられると思ってびくびく。
ミントテイの実演と歌で結局5DHとられた。
銀製品の店につれていかれる。とっても高い。
でも気に入ったのがあって皿を購入する。
続いて民族衣装の店へ、ジュラバが300−1000DH
旅行会社で案内する店はみな高い。
いきたくもない店に3点もいき観光がおろそか
ホテルに戻るのも遅くなる

11月27日
昨日行けなかった陶器の学校と店に行く。
土産物ばかりでうんざり。時間を決めてもだらだらなので、今日も時間ずれそうだ
ロ−マ遺跡に似たボリビスの遺跡に行く。風邪が強く寒い。
1時間30分ぐらい見学する。昼食後メクネスに行く。自由時間が少しあってス−クに行くが
これといってみやげはなし。ラバドにむかう。ついた頃は日がおちてたのでハッサンの塔
モハメット5世廟は暗くて、観光も駆け足。
ずっとだらだらだったので、カサブランカについたのは8時すぎ。
すぐ夕飯だったので、バ−カサブランカには行けない。300−400キロのバスの移動はきつい

11月28日
朝3:45起床7時30アムステルダムへ、帰りのトランジットは2時間成田へ。帰国

旅の後の感想
レ−ト
1DH=10 。3年前14。今が行きどき
トイレットペ−パ−
多少は必要だが、紙があるところが増えてきている。トイレはものすごく汚い
病気
半分の人数は病気になってたみたいだが、季節も11月ですごしやすかったしみんな元気だった
マスク いらなかった
変な男
初日から、ちびでぶはげにつきまとわれて、一層山岸さんとの友情が深まる(アイコンタクトで気持ち通じる)
いつも後ろに入るし、かってにビデオ撮影するし、みんなに嫌われていた。
若い人ばかりにつきまとわって、嫌われているの自覚していない。
写真には勝手に入ってくるし、顔みるのも嫌でした。
結婚しているらしい。むううう
今回利用した旅行会社(新日本トラベル)
時間を決めないで、写真撮影するので、だらだらし、いつもホテル到着が遅れる。
行きたくも無い、絨毯、革製品、銀製品、民族衣装の店によられ、長い時間拘束され自由時間が無くなり、
時間がもったいなかった。
現地ガイドがいかにもマ−ジン目当てっていう感じ
食事がス−プ、パン、メイン、フル−ツのみ。それはないでしょ。お腹がすいて毎日大変でした。
朝は毎日パン、コ−ヒ−のみ。
ホテルもまともにお湯出るところすくなく暖房きかずすごく寒いくさいし、おばけがでるよう。
96年に大和田さんが行った時より、はるかに質は落ちてるとおもう。
(私の勝手な想像)
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