ペルー旅行記

プロローグ
ペルーのマチュピチュ遺跡には昔から感心があり 初めてガイドブックを購入したのは1988年の地球の歩き方
のフロンテイアである。
しかしながら、ペルー旅行にいつも行こうとすると直前にお流れになることが多かった。
リマの日本大使館人質事件、同行者の急な都合などなど縁が無いなーっと 思っていたがようやく今年実現
できると、とても楽しみにしていた。
南米は費用もそれなりにかかるので、目から血が出るほど働きまくった。。。。
ここで、もしお流れになれば、そのお金はきっとすぐ何かに使ってしまうので
なんとしても行ってしまわねばと..また一から働く気力はもうない 。
出発は期末前の9/15(土)に決まった。しかしまたしても不幸は訪れた。         
歴史に残るであろうNYテロ事件である。9/11(火)のことだ 。
とんでもないことが起こったとは思ったが、旅行は大丈夫だろうと思っていた。
ところが、利用する飛行機はハイジャックでのっとられたアメリカン航空
おまけにシアトル、マイアミと2回もアメリカ本土の乗り換えをしなければならない
空港閉鎖の影響で、ぎりぎりまで飛行機が飛ぶかどうかもわからない。これは一大事だ
毎日毎日同じ映像をテレビの映像は写しつづける。これも一種の洗脳だとは思うが。。。
結果15日(土)は飛行機はシアトルまでは飛んでいたことがインタ−ネットでわかった。
当時、出発2.3日前ごろは我々は決断を迫らていた。行くか延ばすかやめるか….仕事の都合もある。
無理やり15日行ってしまおうか..1ケ月ずらそうか...来週行ってしまおうか悩む悩む
旅行会社は、翌週の手配でも可能という回答をもらった。
アメリカン航空も米国で2度の乗り換えもいやなので、ロス乗り換えのブラジル航空
に変更手配も提案したが、ブラジル航空は依然飛んでいないことがわかった。やはりアメリカンか(ため息)
ペルー行きに関して外野というか周りの友達は大反対、テレビでも報復措置がどうのと
連日連夜そのニュースばかり..うううんこれはちょっとやばいかも
会社のリスク対策のぞいても不要の渡航は控えることとなっている(どうしよう..こっそりいくしかないわね)
翌週にずらすか、翌月にずらすかはアメリカの報復措置しだいだがこればかりは、自分の運と勘に頼るしかない
今行ってしまわないと一生後悔するような気がして、無理やり行くことに決めた。外野の意見よりも、
自分で考えて結論だすのが後悔はしないと思う。
一つしかない命粗末にする気は無いけど、これも性格によるね。慎重派かあたって砕けろ派か
でも、こんな世の中なのでノー天気気分で成田に行く人は少ないとは思うが...
おそるおそる空港に行ってみると、テロの影響か空港はやはり空いていた。
初めて海外旅行に日本のお守りとやらを持っていく(持ってきたのはいいが何に効果があるかわからん)
私たちに死相が出ていないことを祈って!!!いざ出発                 


出発
アメリカン航空シアトル行きはボーイング777なのでパーソナルモニターがついている。
これにはラッキー。機内食はビーフシチュー。朝はデイニッシュでまあまあおいしい。
寝ている間に7,8時間でシアトルに着いたが、いまいち乗り継ぎの仕方がわからない  
あやうくどこへ行くかわからないモノレールに乗りそうになった。危ない危ない
しかし、乗り換えのシアトルーマイアミの飛行機がタイヤの不備で2時間も遅れることになった
マイアミーからペルー行きの飛行機の乗り換え時間は2時間半しかないのでとてもあせる
たった30分で、はたして乗り換えできるであろうか、こういうとき添乗員でもいれば心強いが..
早速カウンターに行って、乗り換え可能か聞いて見ることにした。一応大丈夫そうだが
もし乗り遅れた場合でも、次の乗り継ぎ便は待ってはくれないらしい。ひどいこれだから直行がいいんだよ
そのとき、後ろに座っていたテクノタンクのビジネスマンが声かけてくださり、いろいろアドバイスしてもらった
マイアミ空港は詳しいらしく、到着してから乗り継ぎのところまでわざわざ案内してくれた
おかげでぎりぎりではあったが無事ペルー行きの飛行機に乗ることができた。感謝
シアトルーマイアミ、マイアミーリマとアメリカ国内線はさすがに空いていた。こりゃ赤字だね
もし、ハイジャックにあって、のっとられたら、どうせ死ぬなら犯人と戦うことを心に決めた
機内食はパスタ、サラダ、チョコケーキなど。アメリカン航空の食事は私にはあうらしい
何時間飛行機に乗っていたかわからないが、ようやくリマの空港に早朝到着した。
その日の昼のうちにアレキパに行かなければならないので、
午前中、市内のホテルで休憩する。まったくハードなスケジュールだ。2.3時間寝る
お昼頃再びリマの空港へ行く。お昼はボックスランチ。待合室で食べることにする
トリ肉とジュースとフライドポテトとフルーツが入っていた。ジュ−スは甘い
時間を利用してエアメールを書いた。そうこうしているうちにアレキパに行く時間となる


アレキパ
ほとんどの旅行会社はアレキパ観光を入れているところは少ないと思う
高度は2300mで白い町とよばれ、ペルー第2の都市らしい
街は小さく観光地もあまりないので日本人の姿も見えない
空港に着いて周りの山々が雪に覆われているのには驚いた
出迎えのガイドは英語ガイドなのだが、ゆっくりしゃべってくれるのでまあまあ聞き取れる
観光はどうやら明日からですぐホテルにチエックインした posada del monasterioホテル
サンタカタリーナ修道院の前でコロニアル調のホテル。治安が悪いのかいちいち門に
カギがかけられるのでちょくちょく出歩く度にホテルマンがくるので気がひける。
エレベーターは無いけれど立地条件はいいと思う。荷物整理してまずアルマス広場に見学にいく
道中のみやげもので、毛糸の帽子2つとポンチョを購入
リャマの置物も買った。ポンチョは18ドル、帽子は1つ3ドルだった。多少値切りが通じる。
初日にこんなに買い物していいものかと思ったが、なかなか質も良いし気に入った 。
アルマス広場を観光しながら、戻る途中、薬局で高山病の薬(タブレット)を購入
1つ100¥はするが、どこのお店もバラで売ってくれる CORAMINA−GLUCOSA という
さっそくひとつなめてみるが、あまりおいしくは無い。アレキパも2300mはあるので予防として
なめるに越したことは無い
痛くなってからでも予防でもなめて良いらしい。ただし2時間置くことと、1日10ケまで
ホテル周辺のサンフランシスコ寺院を散策。日曜なのであいていない。静かな町並みだ
地球の歩き方で目つけていた、LAS QUENASで夕飯をと思っていたが閉まっていた 。
ここは地元料理の店だが今回は日曜で休みだった。両替のついでにまたアルマス広場に向かう。
夕飯どきなのでお店の呼び込みが目立つ。ペルー料理で安いよって感じで近づいてきた人がいた。
800¥程度で少々高いと思った。「両替のあとで」といってその場は逃げる。
「あそこも良いけど他の店にしようか」と話し合っているとさっきのにいちゃんが待ち構えていた。
「あんたにはまけたよ」とその店で夕飯を食べることにした EL CERROJO
アルマス広場に面していて2階のテラスから広場がよく見える
地球の歩き方にも紹介はされているがあまり詳しく紹介されていない。
私はセビーチエを頼んだ.代表料理の中のひとつで新鮮な白身魚やイカタコなどを  
紫たまねぎ、香辛料、レモン汁であえ、つけたもの。ようはマリネのようなやつ
途中であきてはきたが、さっぱりした味わいだった
恵美子さんはチヨペ、デ、カマロネス、えびの入ったシチューのようなスープえびと米、ミルクジャガイモ
唐辛子をいれて煮込んだもの。どちらもペルーを代表する料理らしい。18ソルで7,800¥ってとこ
飲み物もこれまたペルーを代表するインカコーラを頼んだ。
黄色いコーラで炭酸はなくなんか妙に甘い飲み物だ。普通のコーラもあるけどペルーの国民的ソフトドリンクらしい

翌日は観光に出発。最初は郊外の渓谷へ。景色がすばらしい。
雪をかぶった山々の景色がなんともいえない。山のむこうにクスコやプ−ノがある。
次はセーターなどの工場見学。そこでは有名なリャマなどが飼育されていた。
毛の質はビクーニャ、カシミア、アルパカの順でリャマは少々ちくちくする
アルパカは1頭で400グラムとれるがビクーニャは200から300グラムしか取れないので高級だ。
売られているコートの手触りも抜群である。
市内に戻って、ラ、コンパーニヤ教会、サンタカタリーナ修道院見学をする。ここの修道院で
1時間見学するが、専門の英語ガイドがしゃべりが早く理解に苦しむ
修道院の当時の家具、かまど、台所用品、部屋が展示されている
暑いしどれみても同じような感じなので飽きてきた。聞き取りにくいし...
やっぱりミイラや骸骨の展示のほうが興味が持てる。昼過ぎに説明が終わりやっと解放
すぐ自由時間となり、郵便局にエアメールだしたあと、その通りにあるマレーシア料理の店にいく。
私はちゃんぽんのようなもの。えみこさんはやきそばもどきを注文した。
日本の食堂のような不陰気でカレーライスが人気あった。味付けも独特でおいしく300¥で食べられるので
驚きである。ここで高山病に聞くといわれるマテ茶(コカ茶)を注文した、
コカの葉のお茶なので文字どうりコカインの原料である。やみつきになるほどおいしいが
日本にもってこれないことが残念。1,2ソルあたり(40¥)で飲める。
アレキパではベビーアルパカのカーデイガンを45ドルぐらいで購入した。
機械あみだがデザインも豊富で他の都市よりは安い。観光地化されていないからであろう
プーノ、クスコでもセーターなどみる機会はあったがアレキパがなんでも安くて良いものがあった。
15時空港に行き、いよいよ高度4000mのプーノへ出発
高山病防止に買った予防飴と日本から持ってきた飴をなめつづけた。
虫歯にならないといいけど,,,




プーノ
フリアカの空港に着いたのもやはり夕方!いい写真がとれないなあ
どんなに空気が薄いのだろうと思っていたがそれほど感じない。深呼吸???             
プーノの街に着いたときはすっかり日が落ちていた。チチカカ湖畔に浮かぶ
5つ星のホテル HOTELLSLA ESTEVES
広いロビーにはコカ茶のポットが二つおいてあり早速飲んでみる
ここでのコカ茶がペルーで飲んだコカ茶の中で一番おいしかった。すこし甘めな気がする
夜、ベルボーイが南十字星を教えてくれた。湖のホテルなので夕飯は必然的にホテルのレストランで食べることになる。探す気もない。アレキパで結構お金使ってしまったので 財布の中身が非常に寂しい。
案の定メニューはコース中心で高め。上がスペイン語下が英語
ようやく「パスタ」の文字発見。ペスカトーレとカルボナーラ23ソル(1,000¥くらい)
を頼む。のびていてあまりおいしくは無い。部屋に戻るとき、ロビーのコカ茶をカラのペットボトルに詰めた
高山病防止の為だが、あとでこれが裏目に出てしまった
夜、ぜんぜん眠れなくてあせった。不眠も高山病の一種と聞いていたので、こりゃ
かかったと思いペットボトルにつめたコカ茶を飲み、飴もなめた。でも一睡もできぬまま朝になってしまった。
きっとコカ茶で予防のはずが、飲みすぎて興奮して眠れなかったのだろう
コカ茶はコカインなので興奮剤が入っている。麻薬中毒患者はこれがやめられないのか。。。。
なにごともやりすぎは禁物だ

9/25(火)朝5時30起床(寝てはいないが)朝はバイキング。パンケーキがおいしかった!
6:30分、モーターボートでチチカカ湖に浮かぶウロス島へいく
20分から30分で小さい島ウロス島に着いた。
トトラという植物のアシを積み重ねてできた浮き島である。
3m積み重ねているだけなので
ところどころ沈んで水がにじんできて少々怖い。よく住んでいられるものだ…
島には教会や学校もありウル族と呼ばれる人たちが魚などとって暮らしている。
子供たちが陽気に我々を受け入れてくれた。
なぜか島に猫がいた。いったいどこからきたのかわからないが
島から出ることはできないでしょう
ここの女性はみんなスカートをはいていて髪の毛もみんな
三つ編みにしているのが特徴
プーノの人たちはいかにもーーっていう格好している人ばかりだった。
日差しが強いのかみんな真っ黒
狭い島をあしの船でもう一つ見学したあと、8時にはホテルに戻ってきた
チチカカ湖は日差しも強く、空気もやはり薄いので過酷に感じた
本日は車で6時間かけてクスコに行く。
トヨタのワゴンなのでいささか山越えには不安がある。電車では10時間かかるらしい。
ほんとうは飛行機でいくはずが、国内線がなくなったので急遽車。でも景色が見れるので私はok
最初のアレキパから予定とおりのスケジュールではないので、クスコでの観光の削除が心配。
お昼はこれまたお弁当。車の中で食べることになりまあ効率はいいけどね...
サンドイッチ(硬くてまずい)ゆでたまご、むきずらいミカン2つと水6時間かけて夕方クスコの町に到着した。
アルマス広場に近い立地条件もいいホテルだがこれまたエレベーターがナイ。
ロビーには直接葉っぱを入れて飲むコカ茶が置いてあった。
HOTEL LOS ANDES DE AMERICAアルマス広場から近い
すこし部屋でゆっくりしてから15時にクスコ周辺の観光に出かける
サントドミンゴ教会
太陽の神殿とよばれ、インカの石組みの精巧さをみることができる
スペイン人がこの宮殿の黄金をすべてもちさったという。なんてひどいやつらだ
上部を壊し土台に教会を立てたが地震に会った際教会は無残にくずれたらしい。土台は残った
サクサイワマン=雷の神殿
要塞、ここはけっこう観光客が多い
この遺跡は巨石を3層に積み重ねてつくられ石組みの技術はぴったりとかみ合う
高さ5M、360tもある巨石が使われているところもある
遺跡は22回のジグザグを描きながら360Mにわたって続く              
プカプカラ
ケチュア語で赤いという意味。赤い要塞。ここは遠くから写真撮影のみ
タンボマチャイ
聖なる泉。沐浴場ここではもう夕方。薄暗くて撮影に不安が..
この水でうがいすると若返ると言われている。若くな-れ(がらがらっ)
ケンコー
ジグザグの意味で祭礼場,夕方なので写真が撮りにくく足場も悪い
12角の石
カミソリの刃も通さない石材建築
ホテルでサービスで夕食がついていた。米の入ったスープ、とり肉、アイスのみ。寂しいいい



マチュピチュ
いよいよ今回の旅のハイライトだ
4時30分起床、5:30ホテル発。6時のマチュピチュ観光高山列車
アウトバゴンにてマチュピチュを目指す
マチュピチュにいく方法はほとんどが旅行会社を通してこのツアー列車
で行くことになる。ローカル電車で行く方法もあるがかなり治安もわるそうだ
でも、長期滞在する人にはいいと思う。
アウトバゴンは夕方15時発なので実質マチュピチュには4時間しかいられない
時間がある人にはやはり1泊することをお勧めする
アウトバゴンの電車はとても新しくキレイで、やはり外国人観光客が多い
日本人の団体も乗っていた。多分近畿ツ−リスト。20人はいた
電車は高地を走るので何度もスイッチバックしながら進んでいく。遅いしかったるい
ペルーの電車はとても遅い。マチュピチュまで車でいけるようになれば良いのになって
思う。みんな一気に行くからある一定の時間ものすごく混むと思う。マチュピチュは遠く不便だ
電車の中は飛行機の機内サービスのようにコカ茶とクロワッサン、フルーツの朝食が配られる
食後にはビデオやガイドブックの販売もやってくる。だれも買う人はいない
列車はクスコの町並みをぬけ、ウルバンバ川とアンデス山脈の景色にかわる
アグアスカリエンテスの駅に着いたのは9時半。15時まで列車は停車している
駅周辺にはお土産屋が建ち並びにぎやかだ
標高2000mぐらいなので4000mのプ−ノにいたときを思えば随分ラク
ここから400mバスでマチュピチュまでいく。電車で降りた観光客がバスに分乗して
イロハ坂のようなくねくねした道を登っていく。外人が多い
30分ほどでマチュピチュに到着。入り口では荷物のあずかり所があるので
上着が邪魔な人はあずけることができる。入り口のトイレは有料。
よくツアーパンフにのっているワイナピチュの眼下に遺跡が見えるビユーポイントは
たくさんの階段を上り下りしなければならない。空気が薄いのでけっこう登るのもきつい
蚊も多くなんと30個所も刺されてしまった。マラリアは心配ないようだが
マチュピチュに行く際には長袖長ズボン、虫除けは必須だと思う。今回民族衣装を着ていたが邪魔になる
ようやくハイライトの現場に行ったが、何かを燃やしているのかガスがかかりよくみえなかった
それでも感動は大きい。時が止まったかのように、いつまでもいられる。足ぶらぶらしながら眺めたいね
失われた空中都市。なぜこのようなところにこういう都市を作ったのか謎は多い。
コンドルを探したが飛んでいなかった。アレキパからコンドルをみるツア−はある
徒歩で下山してマチュピチュの遺跡を巡る。段段畑、コンドルの神殿など..
どこでも写真ポイントにはなるが、ガイドがさっさといってしまうのでゆっくり写真がとれない
ガイドの説明そっちのけで写真撮影していた我々はいやな客であったろう
途中遺跡でころんでしまい右足捻挫してしまった。左足もまだ治っていなかったので
少々あせる。まあ歩けるから大丈夫だろう
2時の出発まで自由行動。すぐ救護室に行ったが高山病の患者がひっきりなしだ
横たわって酸素ボンベつけている患者がいた。私たちは慣れてしまったが
マチュピチュも高地なのでリマから来た観光客にはつらいのだろう
足捻挫したといってもシップもなく、わけのわからない薬を売りつけようとしたので「いいよ」っといって出る
普通病人やけが人がでたらとりあえず手当をという考えがないのか、冷たいペルー人の医者だ。
まあ少々痛いが我慢して、お昼を食べることに。すぐ例の日本人の団体がぞろぞろ来た
早めに食べて大正解。バイキングで食べ物の種類がたくさんあって味もおいしかった
2時にバスに乗り込んで下山する。ところどころカ−ブを曲がったあたりに噂のグットバイボーイにあう
バスより早く崖を駆け下り「グットバーイ」というのだが、まだほんの子どもで見習いなのか
たまに間に合わなくなりそうになり走っている姿が見え、大変だなーって思う
乗客はみんなはははーとかおおおっと歓声を上げる。最後にはしっかりバスにのりこんできて
チップをもらいにまわる。けっこういい商売で、運転手さんも公認なんだなーって思う
駅に行く途中の店でTシャツや人形を買う。途中で迷い3時の電車ぎりぎりに乗り込む
電車の中で足がはれて歩けなくなる。早くクスコに着いてほしいが。電車の中で病人が発生し(たぶん高山病)
4時間もかかってクスコについた。 ホテルに帰る前に薬局でスプレーを21ドル購入。シップは売っていなかった
8時にフオルクローレショーを徒歩で見に行く。足が痛いのでつらいな-今日のスケジュ−ルは..
料理はバイキングでショーを見ながら食べる。ショーは2部制で最初は踊り、次は演奏で
演奏はレベルが高いショーだと思った。
料理は普通。バイキングは一見いいが特別おいしいものはないように思える
ペル−は米の入ったス−プがどこでも飲めるがここもまあまあおいしかった
プリンも美味。テ−ブルには日本の国旗もあった。本日は客が少ないので早くショ−は終わった



ピサックの市場
9月27日 9時出発。高地にもなれたのか最近ぐっすり寝られるようになり
気分もいい。ただ捻挫の足がはれてしまった。今日はあんまり歩けない
ペルーで怪我すると結構たいへんだ。遺跡は多くかなり歩く足場も悪い。
ピサック市は火、木、日曜にたつ市場。びっしりと露店が並ぶ
食料品など日用品もあるがほとんど観光客ようの店ばかりならんでいる
ここで財布、楽器、カセットテープを購入値引きがあまりきかないが物はいい
しあわせの牛のお守りもみつけ購入した(あまりかわいくない)
周囲散策するだけでも飽きなくて、あっという間に出発の時間がきてしまう

オリャンタイタンボにいく
インカ帝国時代の要塞。この場所にいくパッケ−ジツア−は少ない
段段畑の脇の300段の階段を登ったところに6個の巨石の建造物がある
とてもじゃないが足場の悪い階段を捻挫した足では登れず一人で下界でお留守番することに.無念
暇なので周辺の遺跡をゆっくりと観光し、外人観光客に声かけてはシャッターを押してもらっていた
お昼はクスコに戻る途中のオープンテラスのレストラン。風が強くナプキンや料理皿いろいろなものがとばされそう
フオルクオーレショー付のバイキング。だれも聞いちゃいない。しかしここの料理はまずかった
緑のスパゲテイもサラダも何もかも。ペルーの紫じゃがいもとサツマイモチップスはだけは美味
デザートがお代わり自由でなく一回きりというのも不満だった。
4時にホテルに着いたので、暗くならないうちに恵美子さんと市内観光に行く
アルマス広場を目指して博物館、カテドラル、ラコンパーニャ教会など無料のところを見学する
なにかお土産を買えるスーパーをさがしてもいっこうに見当たらない。
そこに露店のお菓子売りを発見。
チョコレートが0.5ソルで買える。ひとつ30〜40¥で買える
急遽義理みやげはここで買うことに決定。30個も40個も買うのでお店の人はホクホクであろう
会社の土産も買ったことで大満足、途中恵美子さんがチユロスを買った。
少し分けてもらう。甘くておいしい!!!夕飯は日本人鈴木さんの経営のPUCARAく
アルマス広場に面している。意外と外国人観光客も多く来ていた。
恵美子さんはニンニクのスープとコロッケ、私はポテトグラタンを頼んだ。
味付けが変わっていておいしい。二人で26ソルまあ1,000¥ぐらいだが
さっきチョコレートを大量購入してお金がないので、高く感じてしまったが
どの料理も安いと思う。種類も豊富、メニューに写真もある。

ナスカ
9/28日4時45起床、5時45分出発ナスカへは9時30のフライトである
クスコからリマにいったん行って(約1時間)そのまま空港を出ずに(空港税がかかる為)係員にスーツケース
を預け、チケットを受け取りセスナにのり、イカに向かう。いよいよナスカの地上絵観光だ
リマで小雨が降っていたのでお天気がとても心配。ガイドはむこうはいつも晴れているとは言っていたが…
飛行機は10人乗りで、イカで乗り換えずこのままナスカに行くようだ。座席によって窓際で無い場合見にくいので
写真やビデオを撮ろうとしたら窓際に座るのがいいと思う。座席番号はあってないようなもの
しかしセスナがものすごく揺れる。パイロットがたどたどしい日本語で「イヌイヌ、ハネノシタ」
「ミギ、ヒダリハネノシタ」とはいうけれど、消えかかっている地上絵はなかなか見つけにくく
見つけたときにはシャッターチャンスを逃していたというのが現状(とほほ)
地上絵は荒されて、いろいろ線が混じっていて絵が判りにくくなかなか写真とれなかった
30分ほどてナスカの地上絵観光は終わってしまった。物たりない。これで5万円??高いんでないかい??
昼食まで空港の施設で日本で放送していた世界遺産のビデオを見せられる。昼食へはバスで向かう
イカ市内のホテルで昼食。プールもあり、リゾ−ト風。ナスカ関係のみやげものも売っている。石に興味がひかれる
サラダはバイキング、アスパラが大きい。メインは肉や魚を選べる。まあまあ魚はおいしい
昼食後はイカの博物館見学。脳外科手術もプレインカ時代から行われていたらしく
頭蓋骨の手術後の展示やミイラがあり楽しめた。ここはエアコンドル社の社員の英語ガイド
ナスカの地上絵,昼食、博物館観光は一環してアエロコンドル社の社員が面倒を見てくれる。言葉は英語
よくナスカの地上絵は旅行会社で含まれているのは少ない。オプショナルツアーがほとんど420ドルで高め
マチュピチュでもそうだがナスカ、マチュピチュとも時間がある人にはゆっくりしてほしい
セスナからではなく地上から地上絵を見ることも出来る。観光方法は幾らでもあるが時間の限られてる
私たちには無理である。今回はあまり日本人観光客はいなかった。私たちの飛行機ともう1機
約、本日は20人ぐらいの参加か…あとは外人がほんの少し.
今回の日本人の旅行者は男女とも一人旅の人が多いようにみえた。たくましいなあ
博物館見学後は砂漠とオアシス観光。ペルーに砂漠があるなんてちょっとびっくり
今回セスナ乗る前に酔い止めをのんだせいかものすごく眠い。帰りのセスナではバク睡!!!
夕方6時にリマの空港に着く。今日は朝の4時起きで飛行機に乗りっぱなしだったのでとても疲れた
おまけにこれからリマーマイアミーシアトルーナリタとまたまた乗らないといけない。飛行機は深夜発
マイアミ行きは夜の11時。待つのも長いし疲れる。ここの空港はチエックインが厳重で
いろいろ質問されたり、カバンの中身も見られてしまった。カメラケ−スまで開けられてビックリ
今回は乗り継ぎもなんとか間に合った。飛行機の中ではたいへん疲れていてずっと寝ていたので機内食
食べそこなったりもした。起きたころにはもう通りすぎていた。貧乏症なのでだされたものはすべて食べたいね
金曜の朝から飛行機乗りっぱなしで成田に着いたのは日曜の4時半、日立には夜の9時着
次の日から会社にいけるかどうか自信ない。期末決算の仕事が山済みだろう
時差は16時間、季節は逆、常人ならとっくに事切れている。だが元気に働きにでれた
しかし悪夢はまだ終わっていなかった。帰国後4日たって、旅行会社から
同行者の中で赤痢患者が発生したとか!すぐ日立保健所からFAXがきて検便検査とか
ここで自分が赤痢だったら隔離されると思うとうかうか外出も出来ない。週明けメ−ル入っていて
今症状でなければいいとのこと!ああよかった。波乱万丈のペル−だったがまだマラリアの心配は残っている


気が付いたこと
@ペルーは朝晩の気温差が激しい
朝はセーター着ないといけないくらい寒いが日中は日差しも強く暑い
Aマチュピチュは蚊が多い。肌を出さないように
Bペルーはしっぷが無いので何かのときに持っていっったほうがいい
C血糖値あげるため飴をなめましょう。チョコレ−トは炭水化物なのでXとか
Dコカ茶は興奮するのでほどほどに。日本に持ち込みは厳禁。テイ−パックで売られているやつも
E高山病予防に暴飲暴食は止める.水分を多く取るため水を日本から持っていったほうが安全。赤痢防止のため
F意外と空港税やチップがお金かかる
空港税はなんと25ドル、国内空港税も1回5ドルで4,5回利用した
荷物運びのポーター、枕銭、その都度ガイドが変わるので変わるたびにチップ
そうこうしているうちに1万は軽くかかる
南米は旅費が高い上にその後の経費までもかかる
レストランでも10から20%料金にチップ上乗せする
Gセーターやカーデガンはアレキパが断然質がいい
H食事は安くておいしいので食事がないツアーを選んで自分で探してたべるのもいいともう
I南米は乗り換えが必須、時間に遅れても待ってはくれないので極力乗り換えの少ないル−トでいったほうが
Jペル−行きは8日だとチチカカ湖がない。9日だと違いはリマの観光があるかアレキパ観光か
クスコ周辺の遺跡が含まれるか、オリャンタイタンボなど..その違いなのでパンフを確認し
どこをはずせないかで決まる。私たちはリマ観光はなかった。博物館がメインだったから
だいたいのツア−はリマ観光がある。私たちはクスコ周辺の遺跡に絞っていたので
今回のようにいきなり高地のプ−ノにいくル−トになってしまったが..
K観光地、みやげ物屋、ほとんど英語は通じない。スペイン語オンリ−で苦労した
現地人は通じなくても積極的に話し掛けて来る
動物を抱いた子供がお金ほしさに写真とってとあちこちで言われる。1ソルくらい
働く苦労を知らずラクにお金稼ぐことには反対だが民族衣装きているので記念に..と思う人はいいかなって思う

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