チュニジア旅行記
2003年のクリスマスは、チュニジアのラクダの上で迎えることにした。イブをラクダと過ごすクリスマスも悪くはない。
(T0T)
クリスマス前、はまだどこの方面も料金は安い。20万前後が私の予算。。。
HISでギリシャとチュニジアの2カ国に絞ったが、催行率の高いチュニジアに決めた。
HISはネットやABロードで直接東京に申し込むことが多いが、今回は日立支店に出向いた。
小さいながらも一生懸命応対してくれて今までの中で気持ちよく利用できた支店の1つでもある。
12/20日、エールフランス273 2:35発でパリへ。機内食は魚。けっこうおいしい
パリからチュニジアの乗り換えでは空港で食事券がでたそうだが、この不景気の折、
11月から食事券が無くなってしまったようだ!
ユーロも持っていないのでコーヒーも飲めず3時間はヒマである
7:55〜10:55首都チェニスへ。暑い。スーツケースが出てこない人がいたので入国に手間取る
日本語ができるガイドと聞いていたが、着いてみれば日本語が出来ないガイドと
ツアー人数にはあわない小さな車
最初からトラブルである。どこの国でもそうだが着いて早々の観光は眠いし体力的にもきつい....
初日は定番のカルタゴの遺跡へ
チュニスの郊外にあるカルタゴはフエニキアの王女エリッサにより町が建設されたのが紀元前814年。
この町はカルト.ハダシュトと名づけられた。フエニキア語で新しい町という意味である。
カルタゴは海上貿易や農業を中心に大いに栄えた。しかし度重なるローマとの戦いに敗北し、第3次ポエニ戦争でカルタゴは陥落。そのときのローマ軍による町の破壊ぶりは徹底したもので、廃墟に塩をまいて、人も住めず、作物も出来ないようにしてしまった
一度は住む人もいなくなったカルタゴだが紀元前29年にはローマ都市計画に沿った植民地として復興。2世紀には次々と巨大建造物が造られローマ、アレキサンドリアに続くローマ帝国第3の都市になった。しかし7世紀のアラブの侵入後は北アフリカの中心はケロアンに移された。また近郊チュニスが開発されたこともあり、カルタゴは没落。再び廃墟と化し長い歴史忘れた存在になっていた。
近年は、チュニスの郊外住宅地として開発が進み、海岸沿いの高級住宅地へと変貌した
かつての栄光を物語る遺跡は点在しており、そのほとんどがローマ時代のものだ。
私個人的には、ローマ遺跡は興味がない。
カルタゴという言葉にひかれたのは、遥昔、なかよしというマンガでカルタゴの遺跡を舞台にしたマンガを読んだことがあり
その印象が強烈に残っていたため今回チュニジア行きを決めた理由でもある
ガイドブックにはとても広いと書いてあるが、実際廃墟の遺跡が点在し、
ツアーだったためポイントしか行かないせいか
見ごたえがない。栄えた時代の知識や写真でも見て勉強してくれば、崩れた遺跡でも興味はでるだろう
まず古代カルタゴの中心だったビユルサの丘に行く
ローマによって滅ぼされたフエニキア人によるカルタゴ市の中心があった丘。
ビュルサという名の由来にはフエニキアの王女エリッサ
がこの地に都市を建設しようとした際、現地人から牛の皮(ビユルサ)1枚で覆える範囲の都市しか
譲れないといわれた。
彼女はそれならばと、その皮を切り裂き、細長い紐を作りその紐で土地を囲い領土を獲得した。
現在、丘の頂上には、カルタゴ博物館、サン・ルイ教会がある。どちらもツアーにあり。
サン・ルイ教会は現在の大聖堂は1890年にフランスによって建てられた。
1270年、第8回十字軍遠征に参加し、チュニス包囲線のたた中に没した
フランス国王ルイ9世に捧げられている。
カルタゴ博物館はアフリカ宣教会の神学校を改造した、白い建物が美しい。
アントニヌス共同浴場は海を背景に建てられた広大な公共浴場で、2世紀にローマの5賢帝の一人
アントニヌス・ピウスにより建てられたもの。円柱以外写真スポットがないので、意外とつまらない。
昼食は私の大好きなクスクス。魚とジャガイモ、フルーツ、ピーマンサラダ。疲れているせいかあまり食欲がない
シデイ・ブ・サイトにいく
チュニジアで一番よかった場所。白い壁と青い扉。旅行パンフに載っているままである
小さなお店、鳥かご、観光客までみんな絵になる
チュニジアンブルーと真っ白な壁が映える町。石畳の坂道を歩き、白い壁を見上げると鮮やかな
チュニジアンブルーのドアや窓枠が目に飛び込んでくる。自由時間がもらえたので
有名なカフエ・デ・ナットに向かってみる。世界でもっとも古いカフエらしい。有名作家や芸術家もよく訪れる
カフエの前の階段もローマでいえばスペイン階段のようなもので、腰をおろす観光客の姿も一日中絶えない
今は辞めてしまったが、当時、会社で美術部に入っていて、展覧会の案内のハガキの挿絵を頼まれたとき、
ここのカフエのイラストを描いた記憶がある
ケロアンに向かう。途中サクアンでローマの水道橋を途中下車して見学。ただし季節は12月、
日が短く写真撮影には不向き。カスバホテルに到着。いちおう五つ星らしい
12月22日
ホテルの朝食はゴーカであった。さすが5つ星
ケロアン観光にでる
9世紀に造られたアグラブ朝の貯水池観光。入り口に観光客用のラクダがいるが誰も乗らない
アグラブ朝時代に造られた中世世界では最高技術のもの。現在大小4つが残されているが当時は
14の貯水池がありその頃深刻だった水不足を解消していたという。
現在ある姿は1969年に修復されたものだが今もなお市民の重要な水源になっている
貯水池があるだけで写真撮影以外特に見るものがない。
北アフリカで最古で最大のグランドモスクへ向かう
四方を土色のレンガで強化された要塞を思わせる外壁。ゲートをくぐると大理石が一面に敷き詰められた
中庭がある
中庭を取り囲む回廊は、ビザンチンの遺跡から流用された列柱が重々しく並びローマ遺跡を思い出させる
北側にそびえるミナレットの高さは31.5メートル。3段階に分かれるその最下段は728年に造られイスラム世界で最も古いものだという
シデイ・サバブ霊廟にいく。けっこうしょぼい。モハメッドの同志で聖者、アブ・ザマエル・ベラウイが眠る霊廟
壁、床、天井と至る所に見られる色鮮やかなアラベスク模様は他にはないようだがつまらなかった
スークにいく。どこのスークでも見て歩くのは楽しいものだ。ごちゃごちゃ人ごみやいろいろな匂いが混じっている。日本の観光地の朝市とはまた違う。現地人とすれ違う度に「頑張れ日本」という。他のツアー客が教えたのだろう。どこだったか「おしん」「おしん」といわれた国もあった。最近では「ナカタ」「ナカタ」時代を反映しますねぇ。11:30〜12:00ごろまでブレスレットを1ドルで買うがあとから飾りが1つ壊れているのがあった(涙)
ホテルコンチネンタルで昼食。本当は今日大型バスに変わるはずだったが、バスがこなくてやはり小さいバン
明日は大きいのが来るらしいので狭いのも今日まで。でも長距離移動は辛いね
お昼の客は我々だけ。やはりツアー客専用なのかな。ガイドブックで自分で探したお店のほうが楽しいし
大体はずれはない。
スープ、サラダ、シチューフルーツ、ケーキー、ヨーグルトから選べる。大学芋の間にナツメヤシが入った
お菓子は甘い。
天気を見ると雨が降りそうだ。小さいライトバンの上にスーツケースのっけて移動なので、
シートをかけてスベイドラ観光へ
ローマ遺跡が綺麗。よく残っている。人も少ない。ケロアンの南西約100キロにあるチュニジアに残る
一番新しい遺跡、大廃墟都市スフェトゥラ。
アラブが侵略した最初の都市でもある。
観光後ドズールへ。ホテルはアブナワズドズール。
4つ星だがコテージのようになっている。部屋は広い
。しかし庭のバイキングがイマイチ。とっても寒い。
12月23日、さむーーーーーーーーーーーーーーーーーーい1日。
ホテルのメシがまずい。8:30分ホテル発。4WDが3台来ている。
約1時間かけて駅に向かう。電車は空いていたが
だんだん混んで来る
ソフアではなく板のイスなのでお尻が痛い。
定刻より30分遅れて出発。10:30分のんびり電車は走る。
2箇所渓谷に立ち寄り写真タイム。以前グランドキャニオンを見ているのでそんなに感動はしない。
ぞろぞろと少ない写真タイムの間に人が乗り降りしている。周りの景色がだんだん砂漠になっていくが
ちっとも気温は暑く感じない。11:30セルデイア駅に着く。電車はなんと折り返し。渓谷を見るだけの列車か....
砂嵐が吹いている。私たちは片道下車。他の客を乗せて電車は走る。トイレはボットンでした。
数分さびしい道をとぼとぼ行くとなんと
4WDが待っていた。約1時間タルメザの廃墟を上から眺める。昔洪水で流れた町の1つ。
お昼もこの町で。コテージになっていてシャワーやお風呂は外にある。泊まるのはちょっと遠慮したい。
昼食の内容は野菜のスープ、はるまき、チキン&じゃがいも、オレンジ。その後タルメザの滝を見に行く。
小さいお土産屋さんがたくさん
グランド・カスカドと呼ばれるこの滝は実際そんなに大きくは無い。次はシェビカの廃墟の町をトレッキング。
けっこうアップダウンがあるが、楽しいし景色はすばらしい。やっとバスが来たので大きいバスに乗る。
さすがに乗り心地がいい
そのまま塩湖のショット.エル.ジェリドに行く。塩がつんであって浅い湖
湖以外何も無い。そのままホテルへ。その途中のスーパーでチョコレート20個を
お土産用として購入。ホテルエル.ムラディは4つ星だが、広く快適。ベット
以外、ソフアが二つもある。食事はバイキングでおいしい。
12月24日(ドゥーズ)
今日はクリスマスイブである。朝6時起床。パジャマの上に3枚くらい重ね着をする。6:30分ロビー集合。歩いて10分のところにラクダ乗り場がある
チュニジアの砂漠ってモロッコの日の出とは違い、オアシスの中をラクダに乗って
日の出を見る感じ。モロッコの方が砂漠をがんがん行く
私の前をラクダの群れが通る。これが私たちがのるラクダだと思う
1人1頭で2頭1組、「ごぼごぼごぼ」とラクダが鳴いている。ラクダの鳴き声は
初めてきいたがおかしいやら気味悪いやら...
何度かラクダに乗る機会は多いが、相変わらず乗り降りは難しい。
日の出を見に、キャラバンの群れが続く。とっても寒い。
砂漠というより土なので、硬く持って帰るのには苦労する
いつもフイルムケースに入れて、帰国後100¥ショプで可愛い
小ビンに移し変えるのだが..あっという間に日が登る。あっけない
またラクダにのって引き返す。ラクダはお行儀よく座って我々を
待っていてくれた。
7:50ホテルに到着。朝食後、マトマタに行く途中、ベルベル人の村
(ある一部屋)にいく。お母さんと子供2人、黒猫と小さい犬が
たくさんいる。その家はトイレとシャワーが外。小屋にはヤギなどがいる。
洞窟のようになっている家の穴それぞれに
ベットルームや台所がある。手作りパンとミントテイをご馳走になる。
パンは素朴な味だがとてもおいしい。モロッコやチュニジアでは
よくミントテイが有名で小さいガラスのコップにたくさん砂糖が入っている。慣れてしまえば癖になり、
今でも時々懐かしくなる。
お昼はスターウオーズの撮影の行われた穴居レストランでとる。たまごはるまき、牛肉のクスクス、
甘いお菓子。ここで砂絵のビンを6本5Dで購入。今日は風が強く、なんとフエリーが欠航。
遠回りしてジェルバ島に行く。13:05〜115:42長距離走って島と本島を結ぶ橋までやっと来た。
えんえんと時間をかけて島にはきたがこれといったリゾートでもないし、観光地もそんなにない。
結局夕方1箇所と陶器のみやげ物だけ。観光ルートに入れるほどでもないが、一般のツアーにはこの島には
行かないものが多い。私たちはまず観光として、ユダヤ教で最も古いラ・グリバのシナゴークに行く。
中の撮影代として1D取られる。中に入るのに帽子やスカーフが必要。夕方なのでかなり寒い。
陶器の店でラクダのポット2.5Dで購入。逆さに水を入れてひっくり返しても水の出ないマジックポット。
ホテルに18時ころ着く。しかし本日はクリスマスデイナーのため人も多いしイベントもあり、夕食が22時ころまでかかった。
サラダ、スープ、チキンパイ、シャーベット、ターキー、ブッシュ.ド.ノエル、紅茶。サービスが遅い割にめしがまずい。
日本でクリスマスケーキでも食べていたほうがまし。あぁあぁ今年は食べ損ねた。
私はせっかちなのでさっさと食べてささと寝たいものだから、のんびりと出てくる海外ツアーの夕食自体だめ
とくにクリスマスだか特別だかしらないが料理出てくるまで遅い。でも外国人てのんびり楽しんでいるのよね
そういうの見習わないといけないのかな
12月25日
ホテルは水はけが悪い。朝の化粧時には迷惑。外の風が強い8:00ホテル発。約20分でスークに到着。
スークなのに活気がない
あまり値段まけないし、どうぞお帰りくださいと強気の姿勢。気に入らない...プンプン!9:30スークを出る。
スフアックス市内の3つ星ホテルでマトン料理。ミックスサラダ、マトンとポテト、オレンジと洋ナシ30分ぐらいで
食べ終わる。エルジェムのコロッセオが17時で閉まるので急いでいく。最初は博物館見学。
ローマ時代の精巧なモザイクが見ることができる。小さい規模。そこから数分で円形闘技場に着く。
ローマのコロッセオのようにすばらしい。夕日にもとっても映える。
地下にも行けて、そこは動物が待機していた場所らしい。
まぁ闘牛場のようなもの。一人旅だと地下見学は怖いかも...
ホテルにむかう。スースに着いたのは18時頃。
海沿いのホテル「エル.ハナ」4つ星らしいが狭い。
らくだに乗った砂漠のホテルのほうが綺麗だった
19時ホテル出発。地中海という意味のレストランへ行く。
当日はクリスマス。日本はイブが盛り上がるが海外は今日が本番だ。
ハルマキのアラカルト、サラダ、魚、アイス、ミントテイ。
22:00ホテルに着く。お土産調達に近くのスーパーに行く。
チョコレート5Dとカプチーノ、カレンダーを購入。
あとで気が付いたがガイドブックには4つ星となっているが
実際ホテルの壁を見ると3つ星だった(やっぱり)
近くのお店でラクダのぬいぐるみを購入。気に入ったがツーリスト価格。
12月26日メデイナ(市場のようなもの)に行く。9:10〜10:00.あまりにぎやかではない。
ハリッサ(香辛料)を1Dで購入。最初ケロアンという都市で購入したときよりも包装がしっかりしている。
ここのメデイナはけっこう安い。
でも商売根性はなし。いつもつかえる手のボールペンの物物交換も通用しない。入り口近くの値段がついた
ギフトショップのほうが綺麗だし、値段がついているのでいい。お昼はチェニスへ。
初日に来たレストランに再訪。利用客はまたしても我々だけ。
ツナサラダ、スパゲテイ、七面鳥とポテト、飲み物は旅行会社のサービス。ビールを気前よく頼む。しかし味が薄い。
ワインのおこぼれを同じツアー客からいただいたが、さっぱりしておいしかった。モザイクが美しいバルドー博物館へ。
3F建て。いろいろなモザイクが見れる3Fにはブロンズ象がある。ホテルはイマイチ。ここで2連泊はきついよなぁ。
19:30分ベリーダンス見学に出発。料理はサラダ、エビ、シャーベット、魚、フルーツ、紅茶。
4人の音楽隊はステキな背広を着てデイナーを盛り上げてくれているが客が我々だけのもさびしい
観光客用のショーでなく地元の人が見るショーが見たいなぁ。やはり団体旅行はメリットは多いが、日本人向けや
観光向けはなんかうそ臭くて旅をだまされた?というか偽者の感性を身につきそうで嫌である。ダンサーは一人。
一生懸命踊っているがあまりみんな関心ないようだ。ホテル23時着。
12月27日
6:30分起床、8時出発。ホテルがしょぼいからあまり期待してはいなかたが、予想以上に寂しい朝食。
パンのみ。せめてハムやチーズぐらいあってもいいよね。炭水化物のみ
ドゥッガへ2時間のバスの旅。北アフリカ最大のヌミデイア・ローマ・ビザンチン複合遺跡で、アフリカにある
ローマ時代の遺跡の中でも特に保存状態が良いと言われている。
かつてはヌミデイア王国の都市で、カルタゴの強い影響下にあった。
しかし、その後ローマに占領され、ビザンチン帝国によって再興された。チュニジアの征服の歴史みることができる。
劇場、キャピトル、リニキア浴場、トイレとか約1時間半かけて見学
11:45出発。ホテルドウガ(2つ星)で昼食。卵焼き、七面鳥、アイス
ブラ.レジアにむけて出発。
世界でも珍しい地下住居の遺跡を見ることができる
ブラ.レジアはローマに併合される前はヌミデイア王国の首都だったところ。ヌメデイア王国とは現在のチュニジア
北西部からアルジエリアにかけて領土を持っていたベルベル系民族国家で、長い間カルタゴの勢力範囲に入っていた。
この都市は農業と貿易の中心都市とし
て、ハドリアヌス帝の時代に栄光の絶頂期を迎える。市はビザンチン時代以降に没落し、その後は人がこの都市に
戻ることは無かった。
大地震の影響で地上に大建物があまり無い為地味である。この地方は夏の暑さが特に厳しい為、当時の人々は
夏は涼しい地下に、冬季は1階に移って暮らすといった工夫をしていた。
他のローマ都市同様、上下水道も完備している。
地下のパティオには噴水も置かれており、床は色鮮やかなモザイクで飾られている
人の気配が無い。地元の子供達が遊んでいる。我々だけが観光客。写真撮影の時人が、入らないのでいいや
今日はみやげ物屋がなかった。そろそろ買い物がしたいなぁ。
15:45遺跡発。ホテル到着18:30分
チュニジア1周の旅は移動が多くて疲れる。限られた日数で数多くの世界遺産見るのにはしかたないのか
滞在型は圧倒的に外国人が多いが、まとまったバカンスを取る習慣や理解の無い日本人は勤めているうちは強行日程もある程度割り切らなきゃいけないね。
最終日
8時起床。遅めの朝食を食べる。9時30分ホテル出発。今日は自由行動だ。かねてから地球の歩き方で調べていたエステ体験しに、徒歩でオリエンタルホテルに行く。迷いながらやっと見つけたが、なんと廃業していた。最新のガイドブック見てたのに。それも5つ星がつぶれるなんて。少し戻って、エル・ハナホテルへ向かう
ここでもマッサージやハマムは無かった。
私たちが泊まってるホテルは立地条件も悪いし、近くにこれといった観光地はない。
よってメデイナをゆっくり散策することにした。ようはほんとに時間つぶし....
水彩画2枚、絵皿、コップ等購入。すこし戻ってグランドモスクに向かう。けっこう入場代や写真撮影料は高い。
なかに入ってみても見学スペースが狭く、写真はほとんどとれない。
出口に自称ガイドがいて、景色のいいところに案内すると言ってきた。よくあるパターンはあとから法外なガイド料を
取られるのが、おきまりなので自然に警戒はするが、景色のいいところという甘い言葉に理性は負けてしまった
怪しい迷路をどんどん連れて行かれ、もう右も左もわからない。途中で放り出されたらここは何処、
私は誰の世界なので自分の強運と相手を信じて前に進むしかない。
どこかのみやげ物屋の屋上に連れて行かれる。さきほどのモスクがよく見える場所ではないか。
どこから見ても絵になり、夢中でシャッターを押した。自称ガイドは実は香水屋であとから連れて行かれたが
既に買ったといったらあっさりひいてくれた。人間はいい人らしい。せっかくだからいろいろ匂いをかいできた。
ボールペン2本と飴をプレゼントしたらものすごく喜んでくれた。
昼食は地球の歩き方に載っているお店にしたエル・ハナホテルから2本行ったとこを曲がると小さなレストランがある。
そこはメニューがアラビア語とフランス語。さっぱり読めない。ボーイを呼ぶが英語が通じない。
私は肉が嫌いなのでそれは避けたい
最後の手段でノートを取り出し、鳥、牛、羊の絵を描きx印をして、大きい魚の絵を描いた。
そうしたらボーイは理解してくれた
いちおうサカナのクスクスを頼む。モロッコでも食べたが私はクスクスが好物である。けっこうおいしい。
3.8Dぐらい。コーラは0.5D。2次会??はすぐ近くのオープンカフエでココアを頼む。
人を眺めながらのお茶タイムはいいものだ。
けっこうおいしい。ウエーターが持ってきたときにお金を払う。ガイドブックを見ると市内に電車が走っている
遠出は勇気がないが、近くに駅もあることがわかったので、一駅でも電車体験してみようということにした
いちおう体験として残るでしょ。バルセロナ駅まで徒歩で行くが、キップの売っている場所がわからない
サッカーの試合の後か若者男性の集団に聞いてみる。30Dだそうだ。バスのロータリーというか
中央広場でキップを購入。
2駅だけの少旅行。でもドキドキする。電車からの景色は普段なんでもなくても新鮮にうつる。
駅を降りてまたとぼとぼ歩いて、チュニジアの動物園に行く。夕方なのにけっこう人がいて入場券売り場で長蛇の列
日本では動物園や遊園地はどんどん廃業か老朽化が進んで、年末、夏休み、など特別なイベントがないかぎり
混雑はない。デイズニーランドがもはや日本の遊園地の定番となってしまったるからであろう
400D(40¥)あまり大きい動物はいない。16時ごろ帰りがてらスーパーに行き、お土産を購入。
頼まれていたハリッサは種類が多くチューブやビンを買う。ミントテイ2つ。ウエハウス6個購入。
ホテルに戻ると、同じツアー客も各自帰ってきてるところだった。
いろいろ買ったのでスーツケースを詰めなおす。手荷物が重い17時ホテル出発。パリ経由で帰国する。
いつものことだが、わたしが一生懸命買って来たお土産は誰にも喜ばれない
免税店は高いので旅慣れるとスーパーで他人の土産は済ませてしまう
いちおう年休を使って旅行いくので、手ぶらで帰国というわけには行かない。
私が行くとこはあまり観光地化されていないせいか
土産は充実していない。チョコレートも見た目あやしい..でも安いので大量購入しみんなに配る。
でも心から喜ばれたことは無い。
毎度のことだが悲しいのう...
たまには先進国にでもいくか...(おわり)
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