法学概論 日本国憲法と労働法の関係について
労働法とは、誰でも額に汗して働きさえすれば、よりよい暮らしができるようにする為の、
さまざまな法律のことです。労働法のルーツとなるのは、日本国憲法であり、日本国憲法の基本的人権の
保障までさかのぼります。
日本国憲法は、国民の生存権を保障し、労働者については特に、
国民に労働の権利・義務を定め、健康で人間らしく働くために労働条件を法律で定めています。
まず第22条で「職業選択の自由」が定められており、第27条では、勤労する機会を得るための「勤労権」、
そして第28条で「労働基本権」が定められています
さらに労働者が自主的に労働条件の改善を実現できる手段として、労働三権(団結権.団体交渉権、争議権)
を保障しています。
これらの権利を具体化するため、「労働基準法」「労働組合法」「労働関係
調整法」といういわゆる労働三法を始め、労働者派遣法、男女雇用機会均等法、育児介護休業法職安法、
など関連の労働立法が制定されそれらを総称して労働法と呼びます。
労働法ができた背景に、雇用契約の自由の限界がありました。
近代市民法は、雇用契約についても一般の商品契約と同様に、使用者である企業と労働者を対等な当事者として
契約の自由を認めたことから始まります。
しかし、そこでの取引の対象となっている労働力は、保存や売り惜しみが聞かず、労働者は誰かに雇ってもらわなければ
生活できないうえ、不況による
労働力の過剰などが重なって、企業に買い叩かれることになった。
労働関係に契約の自由を貫くことは、労働者に低賃金、長時間労働
など劣悪な条件を強請することになり、労使間の実質的不平等を拡大することになったのである。
労働者の悲惨な生活状態は、労働運動による強い抵抗を引き起こすとともに、健全な労働力の確保の為にも、
契約の自由を修正して労働者の経済的保護を図るべきだという考えが強まったのです。
しかし、現実の労働実態は、このような憲法上の権利からほど遠く、長時間労働や男女の賃金格差など、
まだまだ国際的に見ても労働条件は劣悪である。
その理由として、労働法をとりまく環境が、大きく変化しているからです。
何よりもまず,労働組合の組織率が低下していることです。かつて5割を超えた労働組合の組織率は20%台にすぎず、
労働者の過半数が働いている100人以下の事業所では、組合組織率はわずか1.6%である。
そして組合のない事業所では、労働者代表について38.6%が使用者の推薦によって選ばれている。
わが国の場合,労働組合はその多くは,企業規模の大きいところにのみ存在し,その組織対象は
正規従業員を中心とするだけに,中小企業の労働者や非正規従業員等の利益を代表するものとしては
機能していません。
今日、雇用形態が多様化し、特にパート、契約社員、派遣、嘱託といった形の非正規雇用労働者、
有期雇用労働者が増大しているからです。
このような雇用形態の労働者が増大しているのは、人件費の節約をめざした使用者の意図によるところが
大であって、労働者側の自主的な選択によるものとはいいがたいのです。
つまり,労働組合はもはや量的にも質的にも労働者全体の利益代表者としての地位も失いつつあるということである。
これは,労働者の団結を承認し,労働生活の改善が図りうると想定した、労働法の前提が崩れつつあります。
1日8時間労働の原則が崩れ、過労死に象徴されるようなわが国の他労働問題は、労働時間の短縮,
パートタイム労働や派遣労働の増大,女性の職場進出にともなう雇用平等やセクシャルハラスメントの問題,
過労死や単身赴任に代表される企業社会での個人の窒息状況,機能不全に陥りつつある労使関係制度のもとで
現在提案されている労基法、派遣法の「改正」は、このような問題を解決するどころか、
さらに労働条件を悪化させ雇用の不安定を増大させるおそれのあるものです。
労働契約期間の上限を3年に延長は短期雇用の労働者を増大し、ますます不安定雇用を促進することになりますし、
時間外労働に関する男女共通の規制は法的拘束力がないばかりか、深夜労働については何らの規制もありません。
元来、労基法をはじめとする労働諸法は、労働者が人間らしく働くための労働条件の最低基準を法律で
定めたものである。
労働者が健康で人間らしく、働き続けることができる労働条件の確立を強く求められるのである。
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