鬼太鼓[オンデコ]
Onidaiko[Ondeko]

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雌鬼


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Copyright 1996 川崎喜一


鬼太鼓とは

 佐渡の鬼太鼓は約500年前佐渡に伝わったものといわれ、能の舞に各地の
特色ある洗練された太鼓と独特の振り付けがされ、現在の鬼太鼓の形が完成
されたものであります。島全体では120組はあると言われています。
鬼太鼓は悪魔を払い、商売繁盛、五穀豊穣を祈って
神社の祭礼に奉納されるものであります。

一口に鬼太鼓と申しましても各村々により、鬼だけのもの獅子を加えたもの
巫女や猿あるいは豆まきを組み合わせたもの等、実に千差万別で
それぞれの持ち味を生かしております。

また、太鼓の打ち方は「しだら打ち」と申しまして淒まじい形相をした
鬼が裏太鼓に合わせて身を震わせ髪を振り乱し必死に太鼓を打つ
姿は凄絶、真に迫るものがあります。


羽吉鬼太鼓について [両津市大字羽吉]

羽吉鬼太鼓は毎年6月15日、出羽の羽黒山の流れをくむ羽黒神社の祭礼に、
新潟県の無形文化財に指定されている「流鏑馬」と共に奉納され、
更に家内安全、子孫繁栄、商売繁盛、五穀豊穣を願って
早朝から夜中までかかって各家々を門付けしてまわります。

[羽吉鬼太鼓組]

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羽黒神社の流鏑馬
新潟県指定無形民族文化財


3年前の流鏑馬射手平成5年流鏑馬射手


 羽黒神社 流鏑馬

6月15日、羽黒神社例大祭で、「やぶさめ」が古式に即して行なわれました。 同神社のやぶさめは、二頭の馬を走らせ、馬上から的に矢を射ることで家内安全、五穀豊穣などを祈願する神事で、昭和四十年四月に県無形民族文化財に指定されました。一時期諸般の事情で中断されていましたが、三年前に十年ぶりに復活、以後三年ごとに 行われることになりました。当日、梅津字馬場のやぶさめ式場には勇壮なやぶさめを一目見ようとたくさんの見物客が集まり、矢が的に当たるたびに拍手と歓声が沸き起こりました。


 古式通り四日間おこもり

 羽黒神社のやぶさめは、古式が忠実に伝承されており、祭礼の三日前から準備を始めます。六月十二日の夕方、羽吉集落の関係者により大のぼりが立てられ ます。この日は約六十人が集まり、神社前の道を挟んで、高さ約二十メートルある二本ののぼりが立てられました。のぼりが立て終わるころ、神社前の行屋とよばれる建物で、射手、馬方、塩振り、行屋賄人らが神官のお払いを受け、おこもりの準備をします。十五日の本祭までおこもりし、その間、海水と清水で斎戒沐浴(心身を清めること)をしながら、やぶさめに使う弓や矢、頭に乗せる華笠な どをを作ります。海水での沐浴は、夜長の浜といわれる羽黒川河口の海岸で行われ、十三日は三十回、十四日は九十回、十五日は百二十回の海水を浴びなければ ならないことになっています。塩振りは、馬の駆ける道を清めるため、竹の筒に海水を入れて持ち帰ります。夜長の浜のすぐそばに夜長馬場という地名がありますが、昔はそこでもやぶさめがおこなわれていました。


 馬上から力強く矢を放つ

 六月十五日の祭礼では、朝早くから集落の青年たちが鬼太鼓を舞い、各戸を回ります。羽黒神社では午後一時ころから人寄せ太鼓がたたかれ、みこし渡御の準備が始まります。このみこしはかなり大きく、江戸のころは北陸道一と言われました。「慶長の時代の物」午後三時になると、みこしは大勢の男衆に担がれ、 やぶさめが行われる式場へ運ばれます。羽黒神社の石段は約四百段あり、おさが り太鼓の調子に合わせ、「ちょうさよ、ちょうさよ」と声を合わせ歩を進めます。みこしが所定の位置(お旅所)に着くと、馬上の射手がみこしの前で弓の弦を 強く引き放ち「天下泰平、五穀豊穣、家内安全」と祈願し、やぶさめが始まります。塩振りが早朝の沐浴で夜長の浜からくんできた海水を、杉の葉に浸して馬場にまき道を清めると、裃に袴、華笠姿の射手が、馬上から九十cm四方の的に向かって矢を放ちます。その勇壮な姿に、大勢の見物客から盛んな拍手が送られます。やぶさめが終わると、みこしは再び男衆らによって神社まで担がれます。長い石段を上り、みこしが無事奉納されると、担ぎ手たちは手を取り合って喜び、 歓声をあげます。このころ辺りは夕やみが迫り、祭を終えた人々が家路につくと 、羽黒神社例大祭は幕を閉じます。

「広報 りょうつ '96/7月号より 引用」

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川崎喜一