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なにわ修習記

2000年1月 家庭裁判所修習編

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1月25日(火)

 今日は家裁修習最後の日だ。

 午前中は少年事件ケース研究。実際の事件の事例を題材にした演習だ。

 具体的事例を基にいくつかの設問が出され、修習生はあらかじめ回答を提出している。アトランダムに質問されるのでかなり緊張した。

 午後は懇談会と修了式。家裁修習は本当に短かったが、聞いていたよりはずっと興味深いものだった。


1月24日(月)

 今日は朝起きたら気分が悪い。前日から悪寒を感じていたのがなかなかひかないのだ。しばらく休むことにして、午前中は休む旨を裁判所に連絡する。

 午後から出席。午後は遺産分割についての講義だ。遺産分割の調停は、普通の家事の調停と異なり特殊な点がある。それは、所詮は財産を巡る争いだという点である。まあ、それまでの遺恨が相続を機に表に出てどろどろするという点はあるので、一概に財産上の争いと同一視することは妥当でない面もあり、そういう面からも家庭裁判所での調停、審判という手続によることになっているのだろう。しかし、遺産分割については、大阪では委員会調停よりもむしろ単独調停が積極的に活用されているし、また、当事者双方が相席する方式がとられることが多い。これは、遺産分割が、身内関係を巡る争いというよりはむしろ財産を巡る争いの一種という面を強く持つことによると、講義では説明されていた。

 いよいよ明日で家裁修習も最後。心してかからなければ。


1月21日(金)

 今日は少年事件の審判の傍聴だ。

 朝1件目は試験観察になった。2件目は、試験観察期間が開けた少年に対する不処分の決定。こうやって試験観察の結果が出るというのは、傍目から見てもうれしいものである。

 3件目は同種非行を何度も繰り返していることもあって、少年院行きとなった。少年院行きを告げるに当たっては、裁判官も、少年を諭すような口調で、少年院に行って教育を受けた方がいいことを、繰り返し暗示し、最後に少年院送致を告げるという形をとっていた。それだけ少年院送致は少年にとって重い処分なのだ。少年も、少年院送致にはしないでほしいと何度となく哀願していたが、これまでの「実績」がものをいってしまったようである。

 しかし、この日で少年事件の審判を見るのは2回目で、計8件の少年審判を傍聴させてもらったのだが、ほんと、少年については、周りの悪い環境からどのようにして親たちが少年を守るのか、その意欲と能力が重要だという印象を受けた。10代後半にもなれば親の責任をおいそれと問うのはどうかとも思うが、14,15歳の少年などは、本当にまだ子どもなのだから、1人前に扱うのはいいとしても、何でも放任というのはいかがなものだろうかという感を強く受けた。また、親とのそりが合わない子どもが、外に出て自分をかまってくれる友達や先輩の影響で悪事に染まっていくというのも何件か見た。親子関係が悪いからと行って必ず悪事に走るわけではないだろうが、親自身の生き方が子どもの生き方に影響を与えるっていうことであり、自分の生き方を考えるに当たって子どもへの影響をも考えねばならない、親って因果な存在だなぁなどとも感じた。


1月20日(木)

 今日は、家庭裁判所調査官による少年の調査を見学した。

 調査官による調査というのは、心理学などの専門的知識を有する調査官が、少年や保護者などから事件の様子や、少年の態度(反省の様子など)、環境などについて事情を聴取するものだ。

 午前中と午後で異なる、計2名の調査官の調査を見せていただいたのだが、調査のやり方ってほんと調査官によって区々だなあって思う。少年への接し方一つとっても、いろいろ説く人と、それほど説教はしない人がいるし・・。


2000年1月14日(金)

 今日は家事の修習で、審判の様子を見学した。午前中は氏の変更や名の変更の審判ばかり。

 氏の変更や名の変更には原則として裁判所の許可が必要とされる。今までの氏や名と別の氏名を使おうとする人の中には、とりあえず許可を得て、それから新しい氏名を使い始めようとする人がいる。しかしそれはやめた方がいい。裁判所で氏や名の変更が認められるためには、原則として、新しい氏や名を一定期間以上使った実績が必要とされているからだ。

 今日午前中に立ち会わせてもらった事情聴取(裁判官による審判の前に、参与委員による面接がある。)でも、これから使おうとする氏名への変更を求めてきた人がいたが、使用実績がないということで、 申し立てを取り下げさせられていた。

 ちなみに、結婚によって姓が変わった人は、離婚の時、婚姻時に使っていた姓(現行法上は、夫又は妻の姓)をそのまま使い続けることにすることができる。子どもと自分の姓が異なるのは不都合だとか、婚姻時の仕事上の都合とかを考えてのことである。では、その後、やはり元の結婚前の姓がいいといって、姓の変更を申し立てたとき、変更は認められるか。

 この際に問題になるのが使用実績と定着度である。離婚後間もない時期であれば、まだ婚姻時の姓が定着していないということで、元の姓に戻すことはおおむね認められる。しかし、年数が経ってからだと、婚姻時の姓が自分の姓として定着していたとして、元の姓に戻すことは認められなくなるのだ。元の姓に戻そうとすれば、元の姓の使用実績を新たにつくる必要がある。例えば、家の表札を結婚前の姓にして、郵便も元の姓で届くようにする、などしてである。この場合に限らず、姓の変更については、変更しようとする姓(変更後の姓)の使用実績を積む必要があるのだ。戸籍上の変更は実態を追認するという形をとって初めて認められるのが原則なのだ。

 ところが、普通の人びとはそんな意識は希薄のようである。まず戸籍上の姓を変えてから使い始めようとする人もいる。まあ、戸籍できちんと変更してから新しい姓を使い始めよう、という意識は分からないでもない。でも、実際の運用は、まず使用実績ありき、なのだ。このギャップを国民が知るようにすることも、弁護士や裁判所の重要な役割だろう。

 ところで、離婚したときに元の姓を選んだ人がその後結婚前の姓に戻すことは、一般の姓の変更の場合に比べ認められやすい。これは、結婚前の使用実績が考慮されることもあるのだが、法務省の考え方として、人の本来の姓は生まれたときの姓で、結婚によって姓が変わるのは便宜的なものにすぎない、ということがあるようなのだ。生まれに縛り付けられるという考え方はどうかとは思うが、この考え方を押し進めていけば、夫婦は必ずしも同じ姓である必然性はないということになるので、興味深い(本来の姓はその人が生まれたときに与えられた姓ということだから。)。


検察修習1999年12月

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