刑法 平成8年度第1問

問  題

 甲及び乙は、友人Aに対して、二人で殴る蹴るの暴行を加え、傷害を負わせた。甲及び乙は、Aを甲のアパートに連れて行き、傷の手当てをしていたが、Aが次第に高熱を発し、意識もうろうの状態になったため、Aが死亡するかもしれないと思ったものの、発覚を恐れ、放置しておくこととした。しかし、その後、乙は、Aがかわいそうになり、甲の外出中にAを近くの病院に運び込み、看護婦に引き渡した。ところが、当時、その病院の医師が、たまたま外出中であったため、手遅れとなり、Aは、甲及び乙の暴行による内臓の損傷が原因で死亡してしまった。
 甲及び乙の罪責を論ぜよ。

答  案

一 甲及び乙には、Aに対して暴行を加え、傷害を負わせている点で、傷害罪の共同正犯(六〇条、二〇四条)が成立する。

二1 その後甲と乙は、彼らが「死亡するかもしれない」と認識するほどに容態の悪化したAを甲のアパートに放置しておくこととしている。そしてAは最終的に死亡している。そこで、甲乙に殺人罪の共同正犯(六〇条、一九九条)は成立しないだろうか。

2(1) この点、「放置」という不作為が「殺した」と言えるのか、殺す行為は通常作為によってなされることから問題となる。
   思うに、人を殺した場合に殺人罪として処断されるのは、人の生命を大切にせよという規範に反したからである。とすれば、不作為であっても人の生命を大切にしなかったと評価できれば「人を殺した」と言えると解する。

(2) そして、不作為により人の生命を大切にしなかったと評価できるためには(ア)人の生命を救う作為義務を負う者が(イ)作為可能性のある場合にした不作為であることが必要と解する。なぜなら、救助を行い得た者は観念的には多数存在することから、犯罪の成立範囲を明確にするために一定の義務を負う者の不作為のみが犯罪となる必要があるし((ア))、法は不可能を要求するものではないからである((イ))。

(3) では甲及び乙にAを救う作為義務はあるか。
   思うに、刑法の謙抑性に鑑みれば、人を救う義務が課されるのは、そのものに作為義務を課さなければ生命保護を図れない場合、即ち危機に瀕した被害者の生命を行為者が排他的に支配している場合に限られるべきである。さらに、偶然に他人の生命を排他的支配下に収めた者が不作為の殺人罪に問われるのは不都合であるから、自己の意思に基づく行為により生命を排他的に支配した場合か、当該被害者の生命を保護すべき社会的地位又は身分関係を有していたことが必要と解する。裁判例にも、自らせっかんして負傷させた従業員を自宅内に放置し死なせた行為につき、せっかんした上で救助を引き受け支配領域内に置いたことを理由に殺人罪を認めたものがあり、自らの意思に基づき排他的支配下に置いたことを重視していると考えられる。
   本件ではAは意識もうろうとして甲乙両名から見ても死ぬかも知れないと思われる状況だったのであるから、Aの生命は危機に瀕している。また、甲乙はAを甲のアパートに連れて行っており、自己の意思に基づく行為によりAの生命を排他的に支配している。よって甲乙に作為義務が認められる。

(4) 本件では病院が近くにあったのだから、作為可能性も認められる。

(5) したがって甲乙がAを放置した行為はAを殺す行為と言える。

3 甲乙がAをすぐ病院に連れて行けばAが手遅れになることもなくAは十中八、九助かったであろう。また、病院から医師が外出していることは必ずしもめずらしくないことであることからすれば、Aの死亡は偶然の事情により生じたものとは言えない。したがって、放置行為と死の結果との間の因果関係も認められる。

4 甲乙はAが死ぬかも知れないと考えていたので、故意(三八条一項)も認められる。

5 したがって甲及び乙には殺人罪の共同正犯(六〇条、一九九条)が成立する。

三 もっとも、乙はAを近くの病院に運び込み看護婦に引き渡している。これは通常であれば結果発生を防止するに十分な行為ゆえ、乙に中止犯(四三条但書)の成立を認め得ないか。
  この点、四三条但書は同条本文を承けており、犯罪が未遂の場合を前提としているので、結果が発生している本件では中止犯の規定は適用されない。
  では四三条但書を準用できないか。
  思うに、中止犯の刑の必要的減免の根拠は、(ア)通常なら結果を発生させるに至るのに自ら途中で止めたことが一般人から「よくぞ止めた」と評価され責任非難が弱まること及び(イ)結果を起こさずに済ませたことに恩賞を与えることで法益保護を図ろうとした点にある。とすれば、本件のように結果が発生した場合には、結果を発生させるに至った以上非難も弱まらないし、恩典を与える必要もない。よって、四三条但書は準用されない。病院に連れて行った点は情状及び量刑で考慮すれば足りる。

四 以上から甲乙には傷害罪の共同正犯(六〇条、二〇四条)及び殺人罪の共同正犯(六〇条、一九九条)が成立するが、Aの身体を害したことはAの生命を害したことに含まれるので、包括して殺人罪の共同正犯(六〇条、一九九条)の責めを負うものと解する。

以 上


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