刑法 平成6年度第2問

問  題

 甲は、無賃乗車をしようと決意し、乙が運転するタクシーを停車させ、乗車後、乙に対し、A地点までの運転を依頼したので、乙はタクシーを発車させた。同地点の一キロメートル手前に来た時、甲は、逃走するため、「ちょっと電話をかけたい。」と言って停車を指示したので、乙はこれに従って停車した。甲は、タクシーから降りて付近の電話ボックスの方に向かったが、挙動に不審を持った乙が追いかけてきたので運賃の支払いを免れるため、乙を殴り倒して気絶させた。甲は、更に売上金を奪おうと考え、タクシーの中から五万円を持ち出して逃走した。
 甲の罪責を論ぜよ。

答  案


一 甲が、乙の運転するタクシーを停車させ乗車後A地点まで運転を依頼した点について、タクシー乗車の利益についての詐欺罪(二四六条二項)が成立しないか。
  無賃乗車をしようと決意しながらその決意を秘してタクシーに乗り込む行為は乙を「欺」く行為といえる。タクシーを停車させ運転を依頼する行為は通常、運転手に、依頼者は運賃を支払う意思があると思わせるものだからである。
  右の欺く行為により乙はタクシーを発車させている、つまり乙は甲が運賃支払い意思をもっているという錯誤に陥ってタクシー輸送という財産上の利益を甲に与えている。
  よって甲に詐欺利得罪(二四六条二項)が成立する。

二 甲が逃走するために乙に停車を指示する行為は、甲が代金支払いを逃れようとしてやったものであることから、詐欺利得罪(二四六条二項)の実行の着手が認められないか。停車指示行為が「人を欺」く行為といえるかが問題となる。
  思うに、詐欺利得罪は、欺罔行為により人を錯誤に陥らせ、財産的処分行為をさせることにより財産上不法に利益を得る罪である。そこで、「欺」く行為とは処分行為に向けられた行為である必要がある。
  そして、財産的処分行為と認められるためには、処分意思に基づく行為であることを要する。処分意思に基づかない行為により利益が移転した場合に詐欺罪が成立するとなると、利益窃盗と詐欺罪の区別が不明確となるからである。
  本件では、目的地点にまだ到達していない時点で「ちょっと電話をかけたい」と言われた乙は、目的地に到達していない以上未だ運賃を請求することができずに甲の帰りを待つしかないのである。つまり乙には社会通念上選択の余地がないのであり、乙が甲を一時降ろさせる行為は処分意思に基づく行為とは言えない。
  よって甲の停車指示行為も財産的処分行為に向けたものとはいえず、この点については甲に詐欺利得未遂罪は成立しない。

三1 では、運賃の支払いを免れるため乙を殴り倒して気絶させた行為について強盗致傷罪(二四〇条前段)が成立しないか。

 2 強盗と言えるためには、財物強取または財産上の利益の取得に向けた暴行をなす必要がある。では、乙を殴り倒して逃げることにより財産上の利益を得るといえるのだろうか。
   この点、利益の移転を明確化すべく、被害者の処分行為の存在が利益の移転には必要とする見解もある。しかし強盗罪は被害者の反抗を抑圧する犯罪であるから、被害者の処分行為を必要とするのは右のような強盗罪の罪質に合わず適当でない。本件のような債務免脱の事例では、支払請求を著しく困難になるような事情があれば利益の移転が認められると解する。本件では、甲は乙にとって一見のタクシー客にすぎないから、一度逃げれば支払を請求することは著しく困難となる。したがって、殴り倒して逃げることにより財産上の利益の取得が認めれられる。
   よって甲の殴打は財産上の利益取得に向けられた暴行といえる。
   したがって、甲は「強盗」といえる。

 3 甲は乙を殴り倒して気絶させており、乙の生理的機能に障害を与えている。すなわち、「強盗」として人を「傷害」している。

 4 よって甲に強盗致傷罪が成立する。

四 甲は乙が気絶したのに乗じて売上金五万円を奪っているが、この点については強盗罪は成立しない。五万円については、奪取に向けた暴行・脅迫が認められないからである。
  ただ、乙は気絶しているとはいえ売上金に事実上の支配を及ぼしているから、甲が売上金を奪う行為については窃盗罪(二三五条)が成立する。

五 以上から、甲には詐欺罪(二四六条二項)、強盗傷害罪(二四〇条前段)及び窃盗罪(二三五条)が成立する。詐欺利得罪と強盗致傷罪は、輸送の利益とその代金という表裏一体をなす経済的利益の取得に向けられたものであるから、詐欺利得罪は重い強盗傷害罪に吸収される。強盗致傷罪と窃盗罪は併合罪(四五条)となる。

以 上


法律のページトップページリンク集