刑法 平成4年度第1問

問  題

 甲は、乙に、Aを殺害すれば一、〇〇〇万円の報酬を与えると約束した。そこで、乙がAを殺そうとして日本刀で切り付けたところ、Aは、身をかわしたため、通常であれば二週間で治る程度の創傷を負うにとどまったが、血友病であったため、出血が止まらず、死亡するに至った。甲は、Aが血友病であることを知っていたが、乙は知らなかった。
 甲及び乙の罪責について、自説を述べ、併せて反対説を批判せよ。

答  案

一 乙の罪責

1 乙がAに日本刀で切りつける行為は、死の結果を生ずる蓋然性を有するので、殺人罪(一九九条)の実行行為といえる。
 そして、Aは乙に負わされた傷による出血が止まらず死亡しているので、乙に殺人既遂罪(一九九条)の責めを問うことが考えられる。

2(1) しかし、Aが切りつけられたことにより負ったのは通常であれば二週間で治る程度の創傷に過ぎず、出血が止まらなかったのはAが血友病であるという特殊事情によるものともいえる。そこで、Aの死はAが血友病であったことによるものであり、乙が「殺した」とは言えないのではないか、実行行為と結果との間の因果関係の存否が問題となる。

(2) 思うに、刑法上の因果関係は生じた結果を実行行為に帰せしめることができるのかそれとも他の事情にしか帰せしめられないかを判断するためのものである。そこで、偶然の事情から生じた結果を帰責させないようにするため、条件関係に加えて行為から結果が生じることが一般人の社会生活上の経験に照らして相当といえる場合に因果関係が認められると解する。

(3) では右相当性はいかに判断すべきか。
 思うに、因果関係の存否は、行為と結果の間の結びつきの有無ないし強弱の問題であり、客観的判断になじむものである。
 そこで、本件のように行為時に特殊な事情が介在していた場合には、当該事情も含んだ行為時の全事情を基礎事情として、科学的に見て結果が発生することが相当か否かで因果関係の相当性を判断すべきと解する。

(4) 本件では、血友病の者に対し日本刀で切りつけることが基礎事情となり、同事情を基礎として考えると被害者自身が身をかわしたため大した傷ではなかったということを含めても本件のように出血多量で死亡することは相当な結果といえる。
 よって乙の実行行為とAの死亡との間に因果関係が認められ、乙は殺人既遂罪(一九九条)の責めを負う。

(5) これに対し、因果関係の相当性の有無の判断について、一般人が認識し得た事情及び行為者が特に認識していた事情を基礎事情とすべきとする考え方が存する。この考え方によれば、Aが血友病であることは一般人は認識し得ず行為者乙も認識していないので基礎事情とはできないこととなろう。とすれば人に対し日本刀で切りつけ二週間で治る程度の創傷を負わせることから本件の死が生ずることは相当とは言えず、乙は殺人未遂罪(二〇三条)の責めを負うにとどまるとも考えられる。
 しかし行為者の認識の有無によって因果関係の存否が左右されると言うのは、目をつぶれば世界はなくなるというのと同じで不自然である。また、一般人さえも認識できなかったというのは非難に関わる事情であるから責任の有無には影響を与えるであろうが、因果関係の有無には影響を与えるべきことではない。
 よって右見解は妥当でない。

二 甲の罪責

1 甲は乙に「Aを殺害すれば一〇〇万円の報酬を与える」と約束している。これは乙に殺人罪(一九九条)の範囲を生ぜしめる行為であるから、殺人教唆罪(六一条、一九九条)の実行行為に当たる。

2 甲が乙に右のように約束したので乙はAに日本刀で切りつけたのである。そして乙がAに切りつけた結果Aは死亡した。ゆえに甲の教唆行為とAの死亡との間に条件関係が認められる。
 また人に本当に切りかかるような乙に殺人を条件に報酬を与えることを約束することを基礎に考えると、乙が日本刀で切りつけ、その結果Aが死亡することは相当な結果と言える。
 したがって乙は殺人既遂教唆罪(六一条、一九九条)の責めを負う。

3 この点、因果関係の相当性判断について一般人の知り得た事情及び行為者が特に認識していた事情を基礎とする考え方によっても、甲はAが血友病であることを知っていたのであるから、殺害行為と結果発生との間に相当因果関係が認められることとなろう。
 しかし、甲は乙の行為を通じて間接的に法益侵害をなした者であるところ、直接法益侵害をした乙については因果関係が認められないのに乙の行為を通じて間接的に法益を侵害した甲の行為と結果との間には因果関係が認められるというのは不自然である。
 よって甲に殺人既遂教唆罪の責めを負わせることとなる結論は妥当であるが、理論構成は妥当でない。

以 上


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