刑法 昭和58年度第1問

問  題


 散歩中の甲は、乙が自宅前に鎖でつないでおいた乙の猛犬を見て、いたずら半分に石を投げつけたところ、怒った猛犬が鎖を切って襲いかかってきたので、やむなく隣家丙の居間へ逃げ込んだ。情を知らない丙は、突然、土足で室内へ飛び込んできた甲を見て憤慨し、甲の襟首をつかんで屋外へ突き出したところ、甲は猛犬にかまれて重傷を負った。
 甲、乙及び丙の罪責を論ぜよ。

答  案


一 甲の罪責

1 甲は隣家丙の居間へ逃げ込み、「他人」丙の「住居」にその意思に反して立ち入って、即ち「侵入」しているので、この点住居侵入罪(一三〇条)の構成要件に該当する。

2(1) ところが甲が逃げ込んだのは猛犬の襲撃を避けるためである。そこで緊急避難(三七条一項)として不可罰とならないか。

(2) まず、本件の猛犬襲撃が甲の投石という自招行為によるものであっても「現在の危難」といえるかが問題となる。
 思うに、危難の現在性の要件は、非難行為によって守ろうとする法益と避難行為によって侵害される法益が両立不可能か否かを判断するためのものであるから、法益侵害又はその危険が現に存在しているか差し迫ったものであれば現在の危難ありといえると解する。
 本件では猛犬が襲いかかってきており、身体が侵される危険が現存していたといえる。従って「現在の危難」が認められる。

(3) 丙の居間に逃げ込む行為は猛犬襲撃という危難の回避に向けられた行為であるから、「危難を避けるため」の行為といえる。

(4) また、甲は「やむなく」居間へ逃げ込んだのであり、猛犬襲撃を避けるためには他に方法が無かったのであるから「やむを得ずにした行為」といえる。

(5) さらに、身体を守るために他人の住居権を害する結果となっており、生じた害は住居権侵害、避けようとした害は身体の安全だから、法益の権衡も認められる。

(6) したがって甲には緊急避難(三七条一項)が成立し不可罰となる。

二 乙の罪責について

 犬に切られるような鎖で猛犬をつないでおく行為は人の身体を傷害する実質的な危険を有する行為であり、過失傷害罪(二〇九条)の実行行為といえる。そして鎖が切れ猛犬が甲に重傷を負わせている以上乙は「過失により人を傷害した」と言える。
 また犬に切られるような鎖で猛犬をつなげば人に傷害を与えることは予見できるから乙には過失が認められる。
 したがって乙は過失傷害罪(二〇九条)の責めを負う。

三 丙の罪責について

1 丙が甲の襟首をつかんで屋外に突き出す行為は人に対する有形力の行使であり「暴行」と言える。
 また、丙が甲を外に突き出さなければ甲は重傷を負わなかったのであり、猛犬が待ち受けるところに人を突き出せば負傷するのは社会生活上の敬けんに照らし相当と言えるので、丙の行為と甲の傷害結果との間の因果関係も認められる。さらに、甲が突然飛び込んできたことからすれば、甲が傷害に遭う要因が外にあることは予見可能であったと言える。
 よって丙の行為は傷害罪(二〇四条)の構成要件に該当する。

2 しかし甲は丙の住居権を侵害している者である。そこで正当防衛(三六条一項)が丙に成立し不可罰とならないであろうか。
 この点否定すべきである。なぜなら、甲の侵入行為は緊急避難に当たるが、緊急避難については第三者の法益の保護のためにも認められていること及び法益権衡が要件とされていることから違法性阻却事由と解されるので、甲の侵入行為は「不正の侵害」とは言えなくなるからである。

3 もっとも丙は、甲が猛犬に襲われており、外に猛犬が待ちかまえているという事情を知らなかったのであるから、自らの行為が正当防衛に当たるものと誤信している。この点が丙の故意責任に影響しないか。
 故意とは、一般人ならばその罪の違法性を意識できるだけの事実の認識を言う。なぜなら、故意犯が重く処罰される根拠は(三八条一項)、行為の違法性を意識して行為を取り止めることができたにもかかわらず実行行為に出た点で強い非難が認められるからである。
 正当防衛状況の存在を誤信した場合、一般人は自らの行為が防衛行為ゆえ正当なものと考えるであろうから、その行為を違法と考えて取り止めることは一般人の目からみて期待できない。したがって、そのような場合には故意が認められなくなると解する。したがって、丙には傷害罪の故意は認められない。
 ただ、人が突然飛び込んできたのを見れば、外でその者が危害を加えられることは通常予見できる。したがって、甲の負傷について丙には過失が存在する。
 よって丙は過失傷害罪(二〇九条)の責めを負う。

以 上


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