刑法 昭和48年度第2問

問  題


  甲は、休日の朝、勤務先の自動車を無断借用して旅行に出かけ、夕方帰る途中、運転を誤って通行人乙をはね、重傷を負わせた。甲は、乙を病院に運ぶつもりでいったんは車を止めたが、そんなことをすると自動車の無断借用までわかってしまうと考えなおし、乙が死んでくれれば好都合と思い、乙を現場に放置して逃走し、自動車を勤務先のガレージに返しておいた。なお、乙は、甲の逃走後、現場を通りかかった丙に助けられ、病院に運ばれて一命をとりとめた。甲の罪責を論ぜよ(道路交通法違反の点は除く)。

答  案


一1甲が勤務先の自動車を無断借用する行為について、「他人の財物」を「窃取」したものとして窃盗罪(二三五条)が成立しないか。

2 本件では甲は勤務先の自動車を自分の所有物としようとしたのではなく、無断借用したにすぎない。つまり甲は自動車を返す意思がある。そこで、不可罰の使用窃盗とならないかが問題となる。
  この点、判例は、窃盗と不可罰な使用窃盗とを、不法領得の意思、即ち権利者を排除しそのものの所有権者として振る舞い、そのものの経済的用法に従って利用・処分する意思の有無で区別しようとしてきた。この意思の有無を厳格に判断すれば、無断借用の意思しかない甲には所有権者として振る舞う意思が認められないので、窃盗罪には当たらないこととなりそうである。
  しかし判例は、自動車の一時使用の事例についてはほぼ例外なく窃盗罪の成立を認めている。そしてこのように解するに際し判例は、実質的には権利者の利用が排除された程度や価値減耗の程度といった客観的要素を重視している。
  このように利用可能性の侵害の程度といった客観的要素をもって不可罰な使用窃盗と可罰的な窃盗を区別する判例の態度は妥当なものと思われる。なぜなら、物を観念的に所有していることよりも物を実際に支配して利用・処分することができることが重要なものと考えられる現代においては、窃盗罪の処罰根拠は観念的な所有権を侵害したことのみならず、実際の利用可能性を害したという点にも求められるべきであり、一時使用が不可罰となるのも利用可能性の侵害の程度が僅かだからである。とすれば、さらにすすめて、理論上も、所有権者として振る舞う意思の有無でなく客観的な占有侵害の度合いに区別の基準を求めるべきである。
  本件では甲は休日に会社の車を利用しており、利用可能性の侵害の程度は一見低そうである。しかし自動車という物の価値の高さや朝から夕方まで旅行に使っており、いざというときに会社が利用することを不可能にしていた点からすれば、可罰的占有侵害があるといえる。
  よって窃盗罪が成立する。

二 甲が運転を誤って乙をはね、重傷を負わせた点については、自動車運転という「業務」上必要な注意を怠って人を負傷させたといえるので、業務上過失致傷罪(二一一条前段)が成立する。

三1 さらに甲は、乙が死んでくれれば好都合と思い、乙を放置して逃走している。「死んでくれれば好都合」というのは、重傷を負っている人間について考えている本件では死亡についての蓋然性を認識しているものと考えられる。では甲に殺人未遂罪(二〇三条)が成立しないか。「放置して逃走」という不作為が「殺」す行為と言えるかが問題となる。
   思うに、作為犯が処罰される根拠は、法益侵害へと至る因果の流れの起点を自ら設定することにより、その因果の流れを支配していたという点にある。そこで、不作為が作為と同視されるためには、不作為をした者が結果へと向かう因果の流れを支配していたこと、即ち法益を排他的に支配したことが必要と解する。また、因果の流れを自ら設定したのと同様の帰責性、具体的には自己の意思に基づく行為によって排他的支配を設定したことや法令・契約上法益を保護すべき地位にあることが必要であると解する。
   本件では甲は車を止めただけで、乙の生命を排他的支配下に置いたわけではない。よって殺す行為をしたとは言えない。判例も、被害者を自らの車内に乗せて車内で死なせた場合にはじめた殺人罪を認めており、本件のような場合には殺人行為を認めないと思われる。

 2 それでは保護責任者遺棄罪(二一八条)はどうか。甲が保護責任者といえるか否か問題となる。
   思うに保護責任があると言えるためには、やはり要保護者の生命・身体を排他的に支配したと言える必要がある。本件では前述のように排他的支配を設定するに至らないので、甲は保護責任者とならない。判例も一旦車に乗せて暫く走った後に解放した事案になって初めて保護責任者遺棄致死罪を認めている。

四 甲には窃盗罪(二三五条)と業務上過失致傷罪(二一一条)が成立し両者は併合罪(四五条)となる。

以 上


法律のページトップページリンク集