もっと書名を大切に


最近のベストセラー・ノンフィクション部門を見ると、「超○○法」といった書名が目につく。

そもそもこのパターンは、野口悠紀雄東大教授が、中公新書収録の著書「超整理法」に用いて、火がついたものだ。最初にこの書名を目にしたとき、シンプルなのに引っかかりのあるうまい書名だなと思った。

しかし、この後に様々な書名でこのパターンを目にし、飽き飽きしている。野口教授の著書に引き続き使われているのはまだしも、他社がそのままパターンをいただいているのは呆れてものを言う気にもならない。

人様の考えたアイディアにのっかるだけのセンスのなさ。これがプロの仕事なのか。編集者はいったい何を考えているのだろう。二番煎じがいったいどれほど人々の心を捉えるのか。一時的に売れても、いつまでも残るような書名ではない。そもそも、「超」ということばの意味が全然ない書が多いではないか。

野口教授にしても同じ。どれほど専門分野で素晴らしい業績があるのか知らないが、自分の専門分野の啓蒙書をそろそろ書いたらどうなのかと思う。パソコンの伝道者で人々の注目を集めたのだから、今度は自分の学問を分かりやすく語ることをして欲しい。今ならきっと多くの人に読んでもらえるはずだ。そのときは、「超経済学」といった書名だけは止めて下さい。それと、「超勉強法」は既に多くの人が語っていることが多いので「超」とは言えないと思います。

私は好きではないが最近の若い世代は「超〜ぢゃん」といった表現をする。そして世の大人たちはことばが汚い、乱れていると言う。でも、良く考えて欲しい。オジサンたちは群をなして芸のない「超○○法」などの本を買っているだろう。そして、そのようなタイトルは他でもない、大人たちがつけていることを忘れているのだろうか。

本の書名とは、その本の内容を、的確に・簡潔に示すものだ。だからこそ編集者や著者は工夫を凝らし、悩むのではないか。それを、他人の書の題名からちょっと拝借してつけているようでは、プロの物書きと編集者として悲しすぎやしませんか・・・



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