第1章:初夏のゲーム
第4節:風雲、 3対1面接!
僕たち学生は、用紙に名前を書き込むと、控室でしばらく待たされた。控室の中では、知り合い同士でひそひそと声を忍ばせて話す人と、僕のようにやや緊張した面持ちで、時間がくるのをひたすら待つ人に、分かれていた。控室はかなり大きくて、大会議室のようなところだった。

(大きな部屋だな。こういうところで、全国支店長会議とかを開くんだろうな。僕も、将来、支店長になれたら、こういうところで・・・)

僕は、暇つぶしにそんな妄想をもて遊びながら、時折、腕につけた安物の時計をちらちらと眺めて時間を待った。やがて、30分くらいして、事前に通告されていた説明会の時間になると、控室の中は、誰が号令をかけたわけでもないのに、しーんと静かになった。いやがおうにも高まる緊張感に、僕は少し身を硬くした。そのうち、人事部の担当者らしき職員が、控室の中に入ってくると、きわめて事務的な口調で話し出した。

「本日は、私ども、ヤマト・グループの合同会社説明会にお運びいただき、ありがとうございます。皆さんのうち、エントリーシートをネットで送っていただいた方には、こちらから送付番号をお知らせしてあります。また、エントリーシートを事前に送っていただいていない方には、先ほど整理番号をお知らせしました。この控室には、500番台の方をお集めしていますが、間違いありませんね?これから、その番号ごとに、皆さんをお呼びしますので、別室で私どもの職員から、当グループの事業内容などについてご説明させていただき、それから皆さんとの質疑応答ということになります。なお、すでに、皆さんはご承知とは思いますが、ヤマト・グループでは、持ち株会社ヤマト・ホールディングで、職員の採用を一括して行っており、採用された職員は、傘下のヤマト銀行、東北大同銀行、西国銀行、ヤマト投資銀行、ヤマト信託銀行、ヤマト証券、ヤマト投資信託委託、ヤマト投資顧問、ヤマトカード、ヤマト生命、ヤマト海上火災、ヤマト・ファイナンス、にそれぞれ配属されることになります。それでは、番号をお呼びしますので、呼ばれた方はこちらにおいでください。えー、516番、5 21番、548番、563番、579番、596番、の方、よろしくお願いします」

静寂の中で、番号を呼ばれた学生が、僅かに椅子のきしむ音だけを響かせて、緊張した表情で立ちあがり、職員に導かれて室外に出ていった。もはや控室の中で、声を立てるものは一人もいない。

(番号がかなり飛んでる・・・・さては、コンピューターか何かで、アトランダムの応募者を抽出してるのかな・・・・・)

僕は、自分の順番がくるのをじっと待っていた。手のひらに、じんわりと汗が滲んできて、反対に、口の中はだんだん乾いてくる。そうしている間にも、「呼び出し」は3回ほど行われた。僕は、まだ呼ばれていない。次第に、僕は不安になってきた。

(まさか、僕の番号が、何かの間違いでリストから洩れてしまっている、なんてことはないよな・・・そうだよな、そんなことはないよ、これだけしっかりした組織だからね・・・・・でも、もし、何かのミスがあったとしたら・・・・いやいや、そんなことは起こるない・・・・・でも、万が一のことがあるから、確認だけはしてみようかな・・・・・いや、待てよ。そんなことをして、人事部の職員に「小心者」と思われたら、マイナスなんじゃないかな・・・・実際には、ほんとに小心者なんだけどさ・・・・・いや、今更、そんなふうに自嘲してる場合じゃないだろ!・・・・・とにかく落ち着け!これじゃいかん!)

こういう極限状態の中で、僕の優柔不断さと臆病さは、見事に開花する。いろいろな思いが複雑に錯綜し、憶測が憶測を呼び、さらに不安が増幅されるという、悪循環の歯車が音を立てて全速力で回り始める。こういうとき、必ず、最悪の事態を予想して、みずから不安感を高めてしまうのが、いつもの僕のパターンだ。自分でもわかっているものの、いかんともしがたい。

(とにかく、落ち着かないと! 面接が始まる前からこれじゃ、先が思いやられるなあ。えーと、落ち着くおまじないは、と・・・・)

僕は、こっそりと右手のひらに、左手の人差し指で「の」という文字をかいて飲み込む真似をした。

(・・・・って、「の」じゃないだろ! 「人」だよ、「人」! 一体、なにやってんだ、僕は・・・・・つくづく自分が情けなくなるよな・・・・)

僕は自分の混乱ぶりに、うんざりした。取りあえず、落ち着くために深呼吸して、そろり、と周囲に視線を走らせると、他の学生も、なにやらそわそわして、時計を見たり、天井を睨んで貧乏揺すりをしていたり、はたまた、きょろきょろとあたりを見回したりしていて、みんな落ち着かない様子だ。

(なんだ、みんな同じじゃないか。焦ってるのは僕だけじゃないのか)

こういうきわめて日本人的な思考パターンで、僕は少しだけ、ほっとした。人間、少し落ち着いてくると、自分の置かれた状態を客観的に捉えられるようになるものである。

(うーん、この状況、どこかで見たことがあるような・・・・・なんだっけな?・・・・・・ああ、そうだ!忠臣蔵の最後の浪士切腹の場面だよ。控室に集められた赤穂浪士が、一人一人、幕府の検死役に「大石内蔵助殿!」っていう感じで名前を呼び出されて、切腹の場所に赴く、っていう、あれだよ。あー、いやなことを思い出しちゃったよ。切腹なんて、縁起でもない・・・・でも、まあ、今の僕も、まな板の上の鯉みたいなもんだからなー・・・・)

僕は再び、なんとなく嫌な気分になりかけた。と、そのとき、僕の耳に、異様な物音が聞こえてきた。それは、僕の予想だにしなかったもののようだった。

(・・・・これって・・・・・もしかして・・・・・・寝息か?!・・・・そうだよ、この規則正しい息遣い!寝息だよ、間違いない!一体、誰だ?面接会場の控室で寝る奴なんて?どんな奴なんだろう?)

僕はさっきまでの不安感はどこへやら、好奇心をむくむくと膨らませて、あたりを眺め始めた。寝息の音は、後方から聞こえてくるようだった。僕は、そうっと振り返ってみた。「すー、すー」という寝息の主は、すぐにわかった。周囲の学生たちの視線を一身に集めていたのは、腕組みをして、うな垂れた女の子だった。

(うわー、女の子だよ。度胸あるなあ・・・・・よっぽど肝が座ってるのか、あるいは、とても疲れているのか、どっちかだね。それにしても、僕には、逆立ちしたって真似できないよ。たいしたもんだ)

僕は妙な感心をしながら、その女の子を見つめた。少しだけ色の薄い感じの髪が頬を隠して垂れていて、顔は良く見えないけど、なかなかスタイルの良さそうな子だ。

(ほう、なかなかかわいい子みたいじゃないか。まあ、顔が見えないから、決定的なことはなんとも言えないけどさ。もし、かわいい女の子だったら、そして、一緒にヤマトで働けたら・・・・)

僕だって、男だ。きれいな女の子に興味がないわけじゃない。僕は、不安感などすっかり忘れて、今度はバラ色の妄想を膨らませ始めた。

(まあ、同期だからね。なにかと話す機会も多そうだし、容易にお近付きになれるだろうな。新人でも、そこそこ仕事のできる僕は、やがて慣れない仕事で困っている彼女をさりげなくサポートして、それがきっかけで尊敬されるようになり、やがて一段と親密な関係に・・・・)

なんとも都合の良い展開を考えて、僕は、内心、ニヤリとした。もちろん、表情には微塵も出していないけれど。そんなとき、人事部の職員が再び控室に入ってきた。

「えー、503番、523番、530番、549番、565番、598番の方、よろしくお願いします」

僕の番号が呼ばれた。さすがに、僕は寝息の主のことなど、一瞬のうちに忘れて、張りつめた緊張感を取り戻して、すっくと立ちあがった。部屋の外に出ると、職員はやや声を落として、説明を始めた。

「これから、みなさんには、それぞれ1人ずつ、別々の説明会場に入っていただきます。それでは、えーと、まず598番の、碇さん、あなたは、そこの721番の会場に入ってください」

僕は、強ばった表情のまま、無言でうなずくと、「721」と書かれた会議室の扉をノックした。

「どうぞ」

中から、若い男性の声がした。僕は、ドアを押し開けると、一礼して、部屋の中に入った。ドアを閉めたときになって、僕は部屋の中の構図を始めて認識した。

(おいおい、3対1面接じゃないか・・・・こういうの苦手なんだよな。なんだか、あからさまに、他人と戦っているような感じがして・・・・そのうえ・・・・)

部屋の中にいたのは、比較的若い男の面接官と、二人の学生だった。

「それでは、3人ともそろったので、説明を始めさせていただきたいと思います。えー、碇シンジ君に、惣流アスカ・ラングレーさん、そして綾波レイさん、ですね?」

そうなのだ。他の二人の学生は女の子だったのだ。僕は、まず右隣の席の女の子をちらりと盗み見た。

(ふーん、赤い髪、碧い目、この子、ハーフなんだな。帰国子女かも・・・・取りあえず語学と押しの強さで勝負っていう、よくありがちなパターンかな・・・・まあ、それなら、僕にも勝算なきにしもあらず、ってとこだけど・・・・)

僕がそんなふうに値踏みした瞬間、その子は、まるで僕の思考を読み取ったかのように、僕の方に顔を向けると、すさまじい殺気を放つ視線を飛ばしてきた。

(おお、こわ! そんな火花が飛びそうな目で僕を見ないでくれよ。別に僕が悪いわけじゃないんだ。これは巡り合わせなんだよ。文句は面接官に言ってくれよ・・・・なんだか、これで僕だけ受かったりしたら、末代までも祟られそうだな・・・・・)

僕は、ギクシャクと音が出そうなくらい、ぎこちなく少しずつ視線をそらしたけど、僕の横顔には相変わらずすさまじいオーラが降り注いでいる。僕は、思わず背筋が寒くなり、その場しのぎに、視線を左隣の席の女の子に向けた。

(なんか見覚えのある顔だな・・・・どこかで会ったことのあるような、ないような・・・・・・ああ!今日、東京駅で見かけた子だよ。そうか、この子もヤマト受けてたんだ・・・・)

僕は、気になっていた女の子に再会できて、ちょっとだけ嬉しくなったが、次の瞬間、彼女は、無表情のまま、それこそ氷のような視線を返してきたかと思うと、プイと顔を背けてしまった。表情も、心持ちだが、険しくなったみたいだ。

(な、なんだよっ! 僕はなんにもしてないじゃないか?! なんで、そんな目で僕を見るんだよ!?もしかして、駅でじろじろと見てたから、ストーカーと間違われたのかも・・・・そんなんじゃないんだよー、誤解しないでくれー!僕はただ見てただけじゃないか・・・・・ひどいよ・・・・)

僕は、面接官には晴れ晴れとした爽やかな表情を見せつつ、心の中では涙目になっていた。見ず知らずの女の子とは言え、ほんのりと好感すら抱いていた子には嫌悪され、もう一人の女の子には敵意をバチバチと示されている、という状況は、どんな男でも、気持ちの良いもんじゃないだろう。とくに相手の女の子が美人ならなおさらだ。さすがに、もう僕には二人の女の子をじっくりと観察する余裕はなかったけど、他の二人も、きっと面接官には、とびっきりの表情をみせているに違いない。

(客観的にみても、二人ともかなりの美人だからな。僕は少し不利かも・・・・いや、圧倒的に不利な状況だよ、これは。女性はいいよなあ。たぶん、能力的に同列なら、間違いなく美人が有利だよ。それにひきかえ、僕は、風采も上がらないし、弁は立たないし、上がり性だし、臆病だし、いいとこないもんなあ・・・・・)

僕は、輝かんばかり美貌に微笑みを浮かべている女の子と、賢そうな白皙の横顔にやや余裕すら感じられる女の子の間で、ひとり劣等感に苛まれて、暗くうつむいていた。

(ああ、なんて巡り合わせが悪いんだ。よりによって、美人二人と一緒の面接なんて・・・・やっぱり火除けや安産のお札だったから、駄目だったんだよ。あの親たちを信じた僕が浅はかだった・・・・)

僕はスーツのポケットに入っている二つのお守りを思い出して、それこそ天を仰いでため息をつきたいような、暗澹たる気分になった。家に帰って文句を言っても、どうせ母はホホホッと笑いながら「あら、違ってたかしら」と悪びれもせずに言うに決まってるし、父に至っては、新聞から視線を上げようともせず、「入念に準備をしていれば、神仏に頼る必要などない。苦しいときの神頼み、などという都合の良いことを考える方が悪い」と、一刀両断に切り捨てるに違いない。父に「だったら自分もお守りなんて買ってこなきゃいいじゃないか!」と反論しても、父は唇の端をフッと歪めつつ、「人のせいにしても何も解決せん。責任転嫁は時間の浪費だ」と軽くかわされてしまうのがオチだ。

(いつでもそうなんだ。21になった今でも、僕は父さんを論破することはできないし、母さんには半人前扱いされている。このままじゃ、いつまで経っても、僕は「ネルフ百貨店の人事部長の息子」のままかもしれないんだ。父さんを超えられる日なんて、永久に来ないかもしれないんだ・・・・周りの友達は、みんな成長していくのに、僕だけ子供のままなんだ・・・・・)

「・・・・かりさん、あの、いかりさん! 大丈夫ですか?」

暗い思考ループにはまり込んで行きかけたとき、僕は面接官の呼び声で我に返った。

「うは、は、はいっっ!」

僕は居眠りをしていた学生が教師に指されたときのように、とっさに明らかに場違いな大声を出してしまった。僕の素っ頓狂な声を聞いて、右隣の碧い眼の女の子は馬鹿にしたような視線を向けてくるし、左隣の女の子は、今度は哀れむような視線に変わっている。面接官も、「オイオイ、しっかりせいよ・・・」っていう表情を露骨に示している。

(っあー、もう駄目だあ! 完全に「コイツ、アホや」って思われてる! )

僕は羞恥心に身を焦がしつつ、脇の下に冷たい汗をみるみるうちに湧き出させていた。それから後は、もう自分でも何を聞かれて、どう答えたのかもわからないほど、僕は気が動転して、完全に頭に血が上ってしまっていた。一方、隣席の女の子たちは、弁舌爽やかに自分の研究成果を堂々と論じてみせたり(これは主に碧い眼の女の子だった)、あるいは面接官の意地悪な質問に対して、論説の矛盾点や事実誤認を淡々と指摘して、面接官を完全に沈黙させたり(これはショートカットの女の子だ)、まさに獅子奮迅、縦横無尽の活躍ぶりだった。それだけに、僕は、ますます影が薄いような感じになってしまっていた。僕は、許されるものなら、この場から走って逃げ出したいような、そんな切ない気持ちで、ぽつん、と二人の間に座っていた。隣席で、丁々発止と繰り広げられている論戦すら、どこか遠い国から風向きによって響いてくる砲声のように、自分とはまるで無縁のものみたいに感じられる。会議室は、夏の午後の陽射しに埋められて、銀砂を散りばめたように明るいのに、僕には深海の底みたいに、暗くて寒かった。

そんなこんなで、30分くらい経ったとき、僕が最も恐れていた事態が現実のものとなった。

「えー、それじゃ、せっかくですので、お三方でディスカッションをして頂けませんか?お題は、今後、日本が外交関係を強化していくべき国はどこか、です。どうぞ、ご自由に発言なさってください」

(もはや万事休すだ・・・・僕はコテンパンにやっつけられる・・・・・ヤマト・グループ、短い夢だった・・・・・どうせ、これで終わりなら、なんか荒唐無稽な珍説でも言ってやろうか・・・・・一寸の虫にも五分の魂だ・・・・)

まず、予想されたように惣流さんが口火を切った。

「私は、中国だと思います。中国は、わが国の隣国であるうえ、ユーロエリアを除けば、世界第2位のたGDPを擁する経済大国です。このように地政学的および経済的に重要なパートナーですから、今後は、より一層、友好関係を深めていくべきだと思います」

彼女は、すばやく頭の中で組み立てた論説を、自信を滲ませた声で、一気にまくし立てると、ちらり、と僕を一瞥した。僕には「どう?私の論説に反駁できる? ざっとこんなもんよ!」という声が聞こえたような感じがした。

次に綾波さんが涼やかな声音で淡々と語り始めた。

「中国は確かに重要なパートナーです。しかしながら、東シナ海や南シナ海では海軍力を強化して、最近では初の国産空母を就航させるなど、軍拡を進めているのも事実です。そのうえ、周辺国との領土問題を抱えていて、しかも相手が油断すると、たちまち施設を無断で構築して実効支配を強めたりする行動も目立っています。ですから、私は、従来どおり、米国との友好関係を強化するべきだと思います。」

彼女は相手の心を見透かすような、透き通った視線で面接官を見つめながら、相変わらず無表情な声で自説を述べ終えると、少しムッとした表情の惣流さんを正面から見据えた。もう二人とも、僕のことなど、まったく眼中にないみたいだ。

いよいよ僕の番だ。僕は手の震えを隠すために、拳を堅く握り、一世一代の大芝居を打ってやろうと、少し胸を張ると、両隣の二人の女の子を悠然と見渡し、おもむろに口を開いた。

「僕は、お二人の意見とはまったく違います。米国とは、通商関係は強まっていますが、知的所有権戦略などでは真っ向から対立する相手ですし、ソフトウエアの開発などでは、わが国は米国に後れをとっています。米国とは協調していくべきですが、いつまでも米国べったりでは、わが国はいつまで経っても、「偉大なる二番手」のままです。中国についても、貿易や現地生産など、経済関係は着実に強まっていますし、地理的にも重視すべき隣国です。しかし、彼らは、わが国を追い上げる立場です。気を許せば、呑み込まれてしまいますし、日本近海での海軍の行動にも警戒が必要です。ですから、僕は、これからわが国が重視すべきパートナーは、インドだと思います。インドは、米国とはあまり親密ではありませんし、中国とは国境問題を抱えています。さらに、インドは、わが国のシーレーンの横っ腹を制する位置にあるうえ、強大な海軍力も持っています。そのうえ、インドは、今や世界有数のソフトウエア生産国ではないですか。ソフト開発が弱い、わが国にとっては、低廉かつ良質なソフトを提供してくれる重要なパートナーだと思います」

僕は今までの惰弱ぶりがまるで嘘のように、ハッタリをかましつつ、わざと低い落ち着いた声で、ゆっくりと話した。こんなに僕が自信たっぷりに、しかも長々と自説を展開できたのには、当然ながら、ウラがある。実は、これは他人の受け売りなのだ。大学の同じクラスに、インドと中国からの留学生がいて、ふとした折りに彼らが喧嘩になったとき、周りの聴衆を味方につけようとして、インドからの留学生が大演説をぶったことがあった。僕は、とっさに、その要点だけをパクッて、厚顔無恥にも、まるで自分がたった今考え出したかのようなしたり顔で開陳したわけだ。

(同級生にインド人がいて、助かったよ。ほんと運が良かった・・・・・しかし、まあ、面接にくる奴の10人のうち5人は中国、3人は米国って答えるだろうな。あとは、韓国とかユーロエリアとか言う人もいるだろうけど、インドなんて答えたのは僕ぐらいだろうな・・・・・これで完璧に僕は変わり者に区分されたわけだ・・・・ま、彼女たちに一矢報いただけで十分だよ。ほら、二人とも、びっくりした顔してるよ!)

僕はもはや合格はあきらめていた。ただ、やられっ放しだった二人の女の子たちの度肝を抜いて、しばし黙らせることに成功しただけで、痛快だった。実際、惣流さんは、眉間にしわを寄せて「はあ?コイツ、何言ってるの?!」という呆気に取られた顔で固まっていたし、綾波さんは、初めて表情らしい表情をあらわにして、目を大きく見開いて、何度も瞼を瞬かせていた。僕はというと、「してやったり!」という爽快感と、「・・・・終わった・・・・」という玉砕感を一遍に味わっていた。

(・・・・明日から、大阪へ行って住共四井でも回ってみようかな・・・・ま、明日のことは、今夜、ゆっくり考えるとしよう。とにかく、一刻も早く、こんなところからはオサラバしないとな・・・・・そうだ。ここ終わったら、すぐに母さんに電話して、今晩は好物のカレーにしてもらおう。明日から、暑い関西だからな、栄養つけとかなきゃ・・・・・)

僕の心は、はや今晩のメニューに飛んでいた。こういう、あきらめが良すぎる点が、僕の最大の短所なのかもしれないし、「完全に駄目だ」と思い知ったときに気持ちの切り替えが早いという点は、僕の唯一の長所かもしれない。まあ、単に開き直ってるだけかもしれないけど。

面接官も、僕の「インド発言」には、さすがに引いているようだった。会議室の中には、時ならぬ静寂が漂い、さっきまではまったく聞こえなかった、外の道路のバスの警笛までかすかに聞き取ることができた。時間にして、10秒程度の沈黙は、僕にとっては長く長く、まるで永遠に続くかのように思えた。やがて、呪縛から解き放たれたように、あるいは悪夢から覚めたように、面接官も二人の女の子も、我に返った。

「インドですかあ、こりゃあ、実にユニークなご意見ですねえ、あはははは、いや失礼!それにしても大胆な発想だ」

さっきまで四角四面な問答を続けてきた面接官は、ひどく愉快そうに破顔一笑した。二人の女の子も、最前までの刺々しい対立ムードはどこへやら、お互いに顔を見合わせて、苦笑いしている。僕が苦し紛れに放った荒唐無稽な一打は、会議室の雰囲気を急にフランクなものに変えてしまったようだった。

「それでは、今日のところはこれくらいにしましょう。今夜、私どもからご連絡があれば、明日以降、引き続き職位の高い者に会っていただきますが、電話がなけれは、ご縁がなかったといことで・・・・」

面接官の「定番の締め言葉」を、僕はどこか遠くで聞きながら、なぜか寒々と澄み切った冬の青空を、脳裏に思い浮かべていた。
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