徳富蘆花旧宅

明治の文豪で、居住した家がそのままに残っているのは、本当に少ないようです。
少ないながら、その一つに「徳富蘆花」の旧宅があります。

現在の姿を確かめるため、世田谷の「蘆花恒春園」まで出かけてみました。
東京都立公園(昭和13年に未亡人愛子夫人が東京都に寄贈)になっているだけに
手入れもよく、当時の面影がよく残されていました。

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 最近では、ほとんど関心が持たれない明治の作家達ですが、徳富蘆花は国木田独歩と並んで、武蔵野と深い縁があります。というのも、独歩は渋谷、蘆花は世田谷と、今では、すっかり都市化が進み、ほとんどが市街地となった地域に、ほぼ同じ時代に住み、自然を介して意気投合する数少ない仲間同士でした。

 そして、その世界を、ありのままに讃え、愛し、描いて、当時はそこが武蔵野そのものであったことを目に見えるように伝えてくれます。また、武蔵野とは何かを、感じ、考える原点ともいうべき証を提示してくれます。約100年前の話です。

setagayahodou2.jpg (11116 バイト)   京王線芦花公園駅を降りて、案内表示に導かれるまま20分ほど歩きます。途中の歩道は地形や松の木などを上手に活かし、独特の雰囲気をかもしています。世田谷区のまちづくりの豊かさでしょう。

「蘆花恒春園」はこんもりとした公園の中にあります。

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明治40年代、世田谷一帯は点々と雑木林があり、麦畑や野菜畑がゆるい丘に広がって
風が吹くと土が舞う景観でした。
その頃の雑木も大木になっていました。
 

 蘆花がここに住んだのは、1907(明治40)年2月27日から、1927(昭和2)年9月8日、60才で死去するまでの20年間とされます。東京府下北多摩郡千歳村粕谷356番地(現在の世田谷区)が当時の地番です。

 年譜を追うと、
 1898(明治31)年 31才 代表作「不如帰」(ほととぎす)を国民新聞に連載。 
 1900(明治33)年 33才「自然と人生」を刊行、文筆家となる。
 1906(明治39)年 39才 ロシアにトルストイを訪問。
 1907(明治40)年 40才 世田谷に移住
 となります。

 ロシア行きは、長年のあこがれであったトルストイが田園生活をしていたヤースナヤ・ポリヤーナでの面会で、一週間ほど滞在しました。日露戦争の見解について激論したと伝えられますが、共に水泳をしたり、文学を論じたりして充実した日々を過ごしたようです。

 その中で、片や日清・日露戦争と軍備拡張の日本の世相、片や、トルストイの晴耕雨読、土との生活に影響を受けたといわれます。それが引き金になったのでしょうか、蘆花は、帰国後半年も経たずに、永住の地として千歳村を選び、青山から転居して、この家に住んだとされます。

 不思議に思いませんか? 独歩はツルゲーネフに、蘆花はトルストイにと、共にロシアの作家に共鳴しています。この時代の空気だったんでしょうか? 加えて、二人とも、ロシアの白樺林に魅せられ、独歩は武蔵野を「落葉林」と言い、蘆花は「雑木林」と表現し、相次いで創作を発表しています。

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 蘆花は、「自然と人生」の中の「自然に対する五分時」―雑木林―でこういいます。

 『余は斯(こ)の雑木林を愛す。
 木は楢(なら)、櫟(くぬぎ)、榛(はん)、櫨(はじ)など、猶(なお)多かるべし。大木稀にして、多くは切株より族生せる若木なり。下ばへは大抵奇麗(きれい)に払ひあり。稀に赤松黒松の挺然林(ていぜんりん)より秀でて翆蓋(すいがい)を碧空に翳(かざ)すあり。
 霜落ちて、大根ひく頃は、一林の黄葉錦してまた楓林(ふうりん)を羨まず。
 ・・・
 春来たりて、淡褐、淡緑、淡紅、淡紫、嫩黄(どんこう)など和(やわら)かなる色の限りを尽くせる新芽をつくる時は、何ぞ独り桜花に狂せむや。
 青葉の頃其林中に入りて見よ。葉々日を帯びて、緑玉、碧玉、頭上に蓋を綴れば、吾面も青く、もし仮睡(うたたね)せば夢又緑ならむ。
 ・・・ 』(講談社 日本現代文学全集 徳富蘆花 p313-314)
 
 まるで、木々の種類と共に、現在行われている「萌芽更新」事業(雑木林の再生のために、大きくなり過ぎた木を切って、切り株から新芽を生えさせる)を見るようです。また、春が来たときの、この淡い色を狭山丘陵に求めて歩きましたが、その区別は難しく、まして、嫩黄(どんこう)などという字は見当も付きませんでした。淡い黄色とどこが違うのでしょ
う・・・? 蘆花の眼差しを恐ろしく思った次第です。

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蘆花が20年住んだ母屋です。

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