(林芙美子  昭和24年2月、中央公論社)

『・・・空っぽの、良人(おっと)の骨箱を貰ってこのかた、
自分の人生はくるりと変わってしまったのじゃないかと、道子は、それ以来
どろんこの道を歩いて来たことを頭に浮かべる。・・・

カフェーの客引きの女達の出っぱっている武蔵野館の前を通って、ムーランの小舎(こや)
の前まで行くうちに、道子は少しずつ勇気が出て来た。』

沖縄戦で夫を亡くした道子が、残された娘と働きすぎて胸を患う弟、リュウマチの父を養うため
自らの身を売る決心をして、武蔵野館(新宿)の前に立って男を呼び止める瞬間です。

 『「いくら?」と訊かれて道子はとまどいして、幾度も唇に手の甲をあてて笑った。いくら? と訊かれた事は道子と の一夜の値段を聞かれたのだと彼女は気がつくと、腰のあたりがじいんとしびれて来た。夢中で男と歩いた。男は薬臭い匂いをしていた。

 先輩のランちゃんが教えてくれた家へ行った。カフェーの客引きの女達の出っぱっている武蔵野館の前を通って、ムーランの小舎の前まで行くうちに、道子は少しずっ勇気が出て来た。正面の石崖(いしがけ)の上に細い月が出ていたせいか、何だか武者ぶるいするような気もした。

 両側のネオンの光が乾いて光っているなかを、道子は時々凸凹の道につまずきながら歩いた。ひそかに、この無情な月に向って手をあわせてみる。・・・、お互いによく顔を見合っているわけではなかったけれども、寄り添って来る男の外套の手ざわりが時々道子の手の甲にチクチクと痛かった。広いみずうみに出たような、なまぐさい風が崖の上から吹きおろしていた。いろいろな音が耳についた。そしてまた、この崖下の街通りに油臭い匂いもした。あなぐらのような崖下の暗さのなかに地面がゆすぶれる。省線の出入りが四囲を硝子箱のように軋ませている。
 「まだかい?」
 「ええ」
 「旅館なの?」
 「ええ」

 男は立ちどまって、何と云う事もなく後ろの方を振り返った。・・・暗い石崖(いしがけ)が、襤褸(ぼろ)を積み重ねたように見える。道沿いから、歪んだ不規則な石の段段を道子は上って行った。ああそっちかと云ったそぶりで男は急いで後戻りして、道子の後から息をはずませながら石の段々を登って来た。青梅の方へ向う広い街道へ出ると、月がくるりと眼の下のネオンの海の上に高く浮びあがった。

 京王線の電車の路面が木琴の鉄板のように凸凹している。砂風を巻きあげる風。不安な音。下界の街からあがる死の呼声のような物音がごうっと波になって響いてきた。男はほっとしてまた肩を寄せて来る。
 「本当に、いくらやったらいいンだい?」道子はショールで鼻をかくした。
 「私、初めてだから判らないンです」
 「ほう……初めて?嘘つけ!」

 かあっと乳房のあたりがあつくなって、道子は、ビロードのショールで鼻をすすった。「お前は人がよさそうだな・・・・・・」道子は二度ほど小さいくしゃみをしてショールのはじで鼻汁をかんだ。』

 真冬の寒い晩、現在の三越の西側の道路を南に、 当時の武蔵野館、ムーランルージュの前を通って、甲州街道を越え、道子とたった今一緒になった男が肩を並べて歩きます。やがて、道子は旭町(現在の新宿4丁目)のごみごみしたバラック街の旅館へ 、その見知らぬ男と初めての一夜を過ごすために入ります。女中が

 『「ねえ、あンた、貰った?」 と尋ねた。「ううん、まだ」 「さきに貰っとくのよ。ランちゃん、もうさっき来てるわ。今夜、あンた泊り?」 「判らないわ」 「じゃア、泊るようにして、何か飲みものでも註文させなさいよ。――大丈夫よ。蒲団は廊下へ出しといてあげるから、とにかく、貰うものを貰ってさ、泊りかどうか、帳場へ払っとかなくちゃ駄目よ」』・・・

 『「泊ってもいいのかい?」 道子はほっとして手の甲を唇のところへ持って行って微笑した。男は馬鹿に気に入った様子で、道子の手を握った。汗ばんだあたたかい手の感触が、道子には哀しい気持だった。「お金を帳場へ持って行かなくちゃいけないンですけど……」  男はああそうかいと云った表情で、・・・』

 100円札を一枚ずつ数えて10枚を道子に渡します。道子は帳場にそのうちの600円を 払い、洗面所で、

 『道子はハンドバッグから百円札を出して、四枚数えた。そして、ふっと舌をぺろりと出した。涙が出そうだった。厠の小窓を開けて冷たい空気を吸った。あらゆる思い出がざっと流れ込んで来るような一瞬であった。・・・汚ない窓枠に両手をかけて、そこへあごをのせて、冷たい空気を吸いながら道子はさめざめと泣いた。

 戦死した良人の事をわざと考えてみる。こうした事は仕方がないと思った。そんな事をしなくても、何か他にする仕事はあるだろう……と耳もとで良人がささやくような気がした。他にいい仕事があるかもしれないけれども、私にはもうそうした仕事を探す勇気もないのよ、と云ってみる。父の顔や笑子(娘)の顔、勘次(弟)の顔が絵のように瞼の中でくるくる舞っている。・・・』

 道子は『三月九日の下町空襲の夜本所石原町の家を焼かれて以来、転々と六回も家を変って、いまでは四谷荒木町にある西洋洗濯屋の二階の一間を借りて住んで』います。26歳 。恋愛結婚で式も挙げずに結ばれた夫は昭和18年に出征しました。『貴方が戦死なすったら、私は笑子と二人でおあとをしたってきっと死にます』と手紙に書きます。その夫は昭和20年に沖縄で戦死をしました。

 『川崎の工場に学徒動員で行っていた』弟の勘次は『ひたむきな祖国愛を燃やして、寝るにも起きるにも額に巻いた鉢巻を取る事もなく』働いた結果、胸を患って『どうせ死ぬならここにいる』 『本当に卵買って来てね。』とねだります。

 『「気長にのんびりし てるのよ。若いンだから、そのうちぐんぐんよくなるわ。 寒くなれば躯の調子が出てくるンだッてね。生きていなく ちゃア……」 「死にゃアしないよ。死ぬ気はないンだよッ」 勘次はせせら笑いのような微笑で姉の方を見る。道子はぞ っとして病人の蒼い顔を盗み見るのだ。』

 陸軍大佐まで行った父は昭和の初めに退役し、夫が戦死と同時に『リューマチスで動けなくな』って、 廊下のこわれた籐椅子にだまって座っている生活です。やがて恩給もなくなって

 『部屋じゅうに、父 と弟の専用のおまるの臭気が、クレゾオルの匂いと一緒に 鼻をさすほど匂う。やりきれない気持だった。どうにかな らないものかと思う。』 道子は父と弟の看病をしながら、『このみじめな生活様式を変えない事には自分も笑子も生きてはいけないのだと、 道子は弟の死を必死になって願う気持だった。』 

 『夫の出征まぎわに生まれたので籍を入れて貰った』一人娘の笑子は夫の『空っぽの骨壺の中に、無邪気に花をいれて遊んでい』ます。

 この三人と同居して、道子一人で編み物の内職をしたり、洋裁店の外交員に雇われたりして、三人を養っています。 そして、自分も胸を病んでいるのでした。進駐軍のレッドクロスに勤めますが、そのためか半年で止めます。そうした時、保険会社でラン子に出会って『夜の女になるてっとりばやい職業をすすめ』られたのでした。道子は 迷い迷いこの道をたどり、やがて秋口には小金が貯まるようになり、自分の身体で稼いだ紙幣を良人の骨箱へしまいます。

 『 「死にたくはないね。親爺より早く 死ぬなンてないよ。ねえ、新聞を見たらピンポン療法って あるンだッてね。肺の中ヘピンポン状の球を入れて狭くす るといいンだって、そンな手術は随分金がかかるんだろう な……」 「へえ、そんなのが出来るの?」 勘次は光った眼色で、ぐっと道子の顔を見た。

 「ねえ、姉さんのあの金俺に貸さないか?」 ヘッ、道子はあかくなった。骨箱にかくしてある金をどうして知っているンだろう……。「俺、手術 してよくなったら、働いて返すよ。俺、生きたいンだよ。 死にたくない、このまま死にたくはないンだよ……」涙が 枕にあふれている。

 「手術するッて、あれだけじゃ足りッ こないわよ。二三日を生きて行くのがせいぜいよ。そンな 事して、もしも手術が悪くて駄目になるよりは、美味いも の食べて養生した方がいいわ」 「腹いっぱい食わしちゃく れないじゃないかッ……親爺がみんなかくしこんで食って るンだよ。あの糞爺が……俺に早く死ねって云うンだよ。 一杯の茶も俺にはけちんぼして飲ましちゃくれない。誰に 頼って俺は養生すればいいんだい? 笑子だけだよ、自分 のものを分けてくれるのは……それでも病気がうつるから、 そばへ行っちゃいけないと姉さんが子供に教えてるじゃア ないかよ。俺、みんなに病気うつしてやるッ」 

 道子は汗で 汚れた勘次のものを廊下に放り出して、「何云ってるのさ、 あンたは……私が、いったいどうして皆を毎日食わしてる のか知ってるの? ええ? 辛い思いをして働いてるの判ンないのかい? 私はね、笑子を連れて、ここから逃げ出 す事だって出来るのよ。私はお前達に甘いンだ。甘いンだ ッ! 鬼になれない。どうしても鬼にはなれない気持を、 お前だって判ってくれないかねッ。

 お前はお前のそうした 不運な運命なンだよ。私だっていまにお前みたいに寝つく にきまってる。きまってるからやぶれかぶれで汚れた商売 してンだよ。私に食ってかかるより戦争を呪うがいいやッ。 義兄さんだって死んじまったじゃないか。私に何の責任が あるンだい? 卵食いたいの、蜜柑買って来いの、林檎買 って来いのッ、みんな姉さん何とかしてやってるじゃない のッ……工場へ行って、馬鹿正直に働くからそンな病気に とりつかれたのさ。お前がへまなンだよ。ね、お前、姉さ んの云うとおり、療養所でも何処へでも行っておくれよ。』

 林芙美子の第二次世界大戦に対するとらえ方が会話の端々に伺えます。「骨」は戦後2年間の空白を埋めるように書かれた短編の一つです。親、弟、夫、義理の兄、 物語の構成員全てが戦争のあをりを受けて、覆い被さるように道子の現在をつくっています。それに対する道子の精一杯の言い分です。

 戦争のメカニズム、反戦論、反省、言い訳一切無しに、「馬鹿正直」 「へま」 と怒りをぶつけるところに林芙美子のこの戦争への対処があります。その後始末を身体を売ることによって果たさなければならないようにする設定の恐ろしさが、高踏的 な戦争責任追及より激しい迫りをみせます。

 弟の勘次は12月にはいったある雨の朝亡くなります。

 『父は勘次の死んでいるのを知らなかったが、七歳の笑子が、冷たくなっている勘次の死を知った。道子が泊りで戻って来たのは十時頃であった。枕元には父の心づかいで、水のはいった茶碗と、割箸のさきに白い裂を巻い
たのが置いてあった。「亡くなったの?」 道子はへたへたと勘次の枕もとに坐り、紫色の汚れた風呂敷を死者の顔から取った。すっかり死相に変った弟の顔をじいっと眺めているうちに、道子は、笑いが咽喉もとにこみあげて来た。殆ど叫ぶような声を挙げて、道子は弟の胸をゆすぶった。』

 『・・・隣の部屋の、魚の闇をしている細君が、廊下からそっとおくやみに来てくれた。「夜中に、何だか唸ってなさったけどね。いつものことだと、ついうっかりしましてねえ、どうもとんだ事でしたねえ……」 道子は初めて、勘次の孤独なりんじゅうを哀れむ思いだった。誰にも愛されない短い一生が不憫でならなかった。それでも、父の世話で胸に手を組ませて貰っているのが痛々しく、道子は放心して、勘次の胸の両手をしっかり握ってやった。』

 『雨がびしょびしょ降っている。どうせ骨箱にある金は、弟の為に使うように出来ていたのだと、道子は、良人の骨箱を茶箪笥の上からおろして蓋をあけた。赤い泥の上にさまざまな道を通って来た汚れた紙幣が折り重なってはいっていた。』

 『医者の診断書や、区役所の手続きも済んで、リヤカアで粗末な勘次の寝棺が落合の焼場へ運び去られたのは、勘次が亡くなって四日目であった。四畳半の部屋が広々として来た。水溜りをまたぎながらリヤカアが路地を抜けて行くのを洗濯屋の看板の前に立って道子は笑子と二人で見送った。』

 『道子にとって死は他愛のないものであり、馬鹿々々しくさえあった。ほろびるものはずんずん無力なままにこの世から消えて行くのだ。それしか自分達のような人問の解決の道はない。棺を送ったその夜も、道子は街に出た。誰が悪いのかも解らないままに道子は只現実の中に歩む。運命が悪いのだろうか? この様に生れあわせた運命が意地悪くせめぎたてて来るのであろうか。美しい、光った自動車を見たり、毛皮の外套をまとった幸福そうな女を見ると、道子は肌にトゲを刺されたようなたまらない嫉妬を感じた。

 あのような世界がある。あのみじめな戦争をとおって来てもくたばらない一つの階級が道子には不思議でならない。自分の良人は何処にもいない。そして何処からも絶対に戻っては来ない。もうすぐクリスマスが来る。』

 『棺を焼場に送って三日目に、道子は笑子を連れて落合の火葬場に行った。勘次の骨は三等で焼いて貰って、もうちゃんと骨壷におさまっていた。小春日のぽかぽかする焼跡のバラックの街を、道子は胸に骨壼を抱いて歩いた。笑子は歩きながら、近所の誰かに教わったのであろう我が主エス、我を愛すと讃美歌をうたって歩いている。

 長い間の疲労で、道子はぐらぐらする頭の痛さを我慢している。案外、骨壷は重かった。一台の粗末な乳母車が、畳屋の前に置き忘れられている。道子はくるりと笑子の手を引いて細い路地の中へはいって行った。焼場の煙突が思いがけなく近く、十字架のようににゅつと正面に大きく見えた。太い煙突からは石油色の煙が青い空に立ちのぼっている。ふっと、道子は、父の死は何時頃であろうかと思った。』

新宿のまちなか、四谷荒木町、上落合の火葬場 を舞台として書かれた短編。
新宿区一枚の地図にそのすべてがたどれます。

『 厠でハンドバッグから百円札を4枚出して、舌をぺろりと出した
すっかり死相に変った弟の顔をじいっと眺めているうちに、道子は、笑いが咽喉もとにこみあげて・・・
父の死は何時頃であろうかと思った。』

様々に解釈されるであろう猛烈な心理描写があります。
新宿を上から眺めて「骨」を思う時、都市のきしむ音が聞こえるようでした。
『』内は新潮日本文学22 林芙美子集から引用しました。
(2003.11.30.記)

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