第1章:初夏のゲーム
第4節:火除けと安産
東北新幹線が東京駅を発車してから、しばらくの間、僕は隣席の青年と世間話に興じていたけど、やがてどちらからというまでもなく、会話が途切れたので、僕は面接の事前準備を再開することにした。志望動機、大学で研究してきたこと、自分の長所・短所、金融業界の将来性についての自分の考え、他の企業も選択肢に入れているかどうか、ヤマトと他の企業の双方から内定をもらえた場合にどちらを選ぶか、等々、想定問答の内容を再確認してみたが、とくに答え方を忘れているところもなく、まずまず準備は万全のように思えた。

(あとは、この「あがり性」の性格だけだよなあ・・・・これさえなければ楽勝なんだけど・・・・・)

僕の頭の中に、過去の失敗事例が黒雲のように広がり始めた。

高校生のとき、それなりに成績の良かった僕は、卒業式で答辞を読むことになったが、大勢の人を前にして、極端にあがってしまい、舌がもつれて口が回らなくなり、それで頭の中が真っ白になってしまい、文書をどこまで読んだかわからなくなってしまった。結局、僕は答辞の文面のうち15行ほどを読み飛ばしてしまい、大恥をかいたのだった。あのときも、卒業式の予行演習では、ちゃんと読めたのに、本番でしくじってしまったんだ。

それでも、まだましなほうだった。それは、取りあえず書面を読むことが許されたからであって、手元に何も持たない状態で、パニック状態になると、最悪の事態が出現する。あのときもそうだった。
大学1年の英語の授業のとき、時事問題についてスピーチをすることになり、僕は「中南米諸国の
通貨放棄の影響」というタイトルで、中南米諸国が為替相場の乱高下から解放されるために、自国の通貨を事実上放棄して、米ドルを法定通貨として採用するという動きについてスピーチをした。この動きは急速に広がっていき、今ではアルゼンチンやブラジルといった大国まで、自国内でのドル流通を法的に認めており、その結果として、為替リスクがなくなり、米国からの投資が急増するというメリットを享受している。今や、中南米諸国で流通している紙幣の大半がドルであり、ごく小額の硬貨だけが自国通貨の名称を残していた。それはさておき、そのスピーチのとき、僕は、中南米経済圏のことを指す名称「メルコスル」を度忘れしてしまった。どうしても思い出せず、スピーチが中断してしまうと、もう駄目だった。僕は、顔面も頭中も蒼白になってしまい、体温の急低下を感じつつ、茫然と立ち尽くすだけで、結局、予定していた話の半分も話せなかった。あのときの聴衆、つまり同じクラスの友達から受けた哀れみの視線を思い出すと、今でも、きゅうっと胸が苦しくなってくる。このときも、前夜の練習では、すらすらと話すことができたのに・・・・。

(「ブルペン・エース」なんだよな、僕は・・・・・)

僕は、飛ぶように流れていく車窓に視線を移すと、自嘲気味に軽くため息をついた。「ブルペン・エース」とは、ブルペンでの練習中にはコントロールが良いのに、いざマウンドに上がると全然調子のでないピッチャーのことだ。今回の面接も、また、あの悪夢の再来がないとも限らない。僕は、いてもたってもいられない気分になって、そっとカバンを開けると、今朝、出掛けに母さんが持たせてくれた「秋葉神社」のお守りを見つめた。

(こんなものが役に立つとは思えないけど・・・・でも、今だけは神頼みでもしたい心境だよ・・・・・)

僕はお守りに手を伸ばすと、そっとそれを取り出してみた。小さな真新しいお守りには、金糸で「秋葉神社」と縫い取りされていて、なんとなく効き目のありそうな気がしてくる。それをひっくり返して裏面を見たとき、僕は唖然とした。

(・・・・・「火難除け」・・・・・って、これ、火除けのお守りじゃないか!・・・母さん、またやってくれたな・・・・ちゃんと確かめとくべきだった・・・・・)

そうなのだ。僕の母、ユイは、一見するとしっかり者なのだが、いつも詰めが甘い。父さんや僕のことを大切にしてくれる、良い妻であり母なのであるが、時折、こうした信じられないミスをぶちかましてくれるのだ。僕は一気に脱力感に襲われて、思わず天を仰いだ。

(・・・・・まあ、安産とか商売繁盛の御札でないだけマシだよな・・・・・それに、大学入試のときに父さんから貰ったお守りもあることだし・・・・なんかとなるよな・・・・)

僕は、パスケースの中に入っているもう一つのお守りを思い出し、さっそく、パスケースを取り出した。パスケースのお守りには「水天宮」と書かれている。

(そうそう、入試のときには、これを見て、気分を落ち着かせたんだっけ。まあ、精神安定剤みたいなもんだ。でも、ないよりはマシだよ・・・・)

僕はパスケースからお守りを出すと、ズボンのポケットに入れようとしたが、なんとなく、それを裏返してみた。

(・・・・「安産祈願」・・・・・僕はこれ持って受験したのか・・・・)

さすがに僕は苦笑を押さえ切れずに、軽くフッと笑った。おそらく、父さんのことだ。会社の近くのある神社で、取りあえず値段の高そうなお守りを買ったのに違いない。薬じゃないんだから、値段が高ければ効き目が強いってものじゃないのに・・・・。

(ま、それでも合格したんだから、要は気の持ちようか・・・・それにしても、どうして、うちの親はこうなんだろう・・・・買う前に、ちょっと確かめれば済むものを・・・・)

僕は多少、気を取り直しながら、水天宮のお守りをパスケースに戻した。僕の両親は、外ではしっかり者に見られているようだし、とくに父さんは怖い人だと思われているようだ。しかし、家では、この手のたぐいの失敗は、別に珍しくもなんともない。先日も、母さんが七味唐辛子を詰め替えたとき、ビンの中ブタをしっかりと締めていなかったので、父さんが好物の天ぷら蕎麦を食べようとして七味のビンを振ったとき、中ブタがとれて中身が全部出て、蕎麦が真紅に染まってしまったことがあった。父さんは、しばらくの間、とても残念そうな顔で、口の中でぶつぶつ言いながら赤い蕎麦を見つめていたが、やがて意を決したように「時計の針はもとには戻せない。だが、前に進めることはできる」と言うと、七味をよけて箸をつけてしまった。しばらくして、おもむろに顔を上げた父さんは、少し腫れた口で「・・・・辛いな・・・・」とつぶやいて、水を飲みにキッチンへ走ったものだった。僕は、物心ついてこのかた、こういうあきれた「事件」に頻繁に遭遇しているので、あまり驚きはしないけど、その都度、心の中で「この夫婦には気をつけろ」という思いを新たにするのだった。

僕は神頼みをあきらめて、再び想定問答に目を向けようとした。ふと、隣席を見ると、青年はすでに口を半開きにして、心地良さそうに惰眠をむさぼっている。

(理系の奴は良いよな、手に職がついているようなもんだから・・・・)

僕は少しだけ羨望を感じながら、テーブルの上の「大清水」に手を伸ばした。列車はちょうど宇都宮駅に近づいている頃だった。



隣席の青年は、第二新東京駅に着く直前に、ようやく目を覚ましたが、ゆったりと伸びなどして余裕たっぷりの様子だった。そんな彼を横目で見ながら、僕は、とにかく持ってきた資料にひととおり目を通し、取りあえず、「これだけやったんだから、大丈夫さ」と自分に言い聞かせていた。列車が第二新東京駅に着くと、彼は、にっこり笑って「じゃ、お互いにがんばりましょう!」と言うと、さっさと列車から下りて階段の方に向かっていき、雑踏に紛れてしまった。僕は、いつものように、もたもたしていて、座席から中央通路に出るタイミングを逸してしまい、結局、列車から下りられたのは、相当、後だった。ホームは、予想通り、スーツ姿の学生とビジネスマンでごった返していた。

(今は通常国会の会期中だから、一層混んでるのかもしれないな。)

僕は、階段から改札口に向かう人の波に呑まれながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。新幹線の改札口を出ると、すぐにニュー・トレインの改札口に向かう階段に人波が吸い込まれていく。僕も、その人波と一緒に、「環状2号線」に乗ることになった。分都前までは「那須塩原駅」だった、新幹線の第二新東京駅は、騒音対策の観点から、第二新東京市の市街地から少し離れており、市街地に入るためには、このニュー・トレイン、つまり路面電車を利用しなければならない。路面電車というと、少し古臭い感じがするけど、今では、建設費がきわめて安く、小回りが利き、しかも地下鉄と違って外から車内が見えるので比較的治安が良い、という点を評価されて、路面電車は主要大都市では続々と復活している。

僕がニュー・トレインに乗ったときには、もう座席はすべて埋まっていたので、僕は吊革につかまりながら、明るい陽光に包まれた新首都を眺めていた。やがて、列車が動き出すと、まず駅前の中低層の商業ビルや雑居ビルが見え、やがて、ビルの高さがどんどん高くなっていき、高層ビルが林立する都心部が見え始めた。内閣庁、内務省本局、財政省、外交省、経済省、司法省といった官庁が次々と視界に現れた後、やがて大きなガラス張りの2つのドームを持つ国会議事堂と、ひときわ広い敷地の真ん中に立つ8階建ての首相官邸が見えてきた。その近くには、衆参両院の議員宿舎や市町村会館などが立ち並んでいるが、ある一角だけは建物は建っておらず、やや広い公園になっている。

(あの騒動も、もう5年も前のことになるんだなあ・・・・まだ僕が高校生のときだったよな・・・・)

僕は、この都市中心部に潤いを与えている大きな公園の緑を見つめながら、ぼんやりと5年前のことを思い出していた。もともと、ここには国土整備省、郵便公社、国民福祉省、文教省、自治庁、農務省といった現業系の官庁が建つことなっていた。しかし、5年前の「遷都」の際、東京都などの猛反対や、「財政難にもかかわらず、すでに立て替えてしまった新しい合同庁舎ビルを無駄にするのか」というマスコミの批判も受けたりして、結局、政府はいわゆる政策官庁だけを引き連れて、第二新東京市に移り、現業系の官庁は「当分の間」、東京都千代田区に残ることとなり、当初の「遷都計画」は「分都」という形にならざるを得なかった。その名残りが、この公園なのである。さらに、この第二新東京市は、地理的には栃木県内にあるけど、行政区分上は「東京都」に属している、いわば「飛び地」なのである。これも、「遷都」に強く反対していた東京都への配慮から決められたものだった。

僕がそんな回想に浸っているうちに、列車は官庁街を抜けて、商業地区に差し掛かり始めた。日本を代表する大手企業の本社やシティ・ホテルが建ち並ぶ間を、ニュー・トレインはややスピードを落として走り抜けていく。やがて、車窓に、やや黒みがかった高層ビルが現れてきた。道路を挟んで、やや小振りの高層ビルが向き合って建っている。

(あれが、たぶんヤマトの本社だ。向き合って建ってるのが、住共四井の東京営業部だろう・・・・・ついに来たんだ・・・・・やるぞ!・・・・・)

僕は、天にそびえるような威容を誇っているヤマト・グループの本社ビルを見つめながら、無意識のうちに表情をぎゅっと引き締めた。吊革をつかむ手が、じんわりと少し汗ばんでくるのがわかる。ニュー・トレインが、ヤマト本社のすぐ前の停留所に停車すると、かなりたくさんの乗客が乗降口に向かい、当然、僕もその中にいた。ニュー・トレインから下りると、午後のまばゆい光が僕を包んだ。そさの光の中を、僕はヤマト本社に向かって、少し急ぎ足で歩いていった。周りには、同じようなスーツ姿の学生がたくさん歩いている。ようやくビルに辿り着くと、すでに受付のところには、学生が5〜6人立っており、人事担当者らしい人から説明を受けていた。

「就職説明会は、15階の会議室で行われます。学生の皆さんは、まずA会議室に入り、受付でご自分のお名前を書かれた後、しばらくお待ちください」

受付から少し離れたところにエレベーターがあり、僕を含めて7人の学生がそれに乗り込んだ。エレベーターの中では、誰も口をきかないだけでなく、一種異様な緊張感がみなぎっている。

(エレベーターって、ただでさえ見知らぬ人同士が接近して乗るから、緊張しやすいのに、同乗している相手が、みんな自分のライバルっていうことだと、なおさら緊迫感が高まるよなあ・・・・・)

僕はエレベーターの扉の上に設置されている階数表示板をじっと見つめながら、早く15階に達することを願わずにはいられなかった。15階に着いて、ようやくエレベーターから下りると、僕は溜めていた息を吐き出すように、ふう、と軽くため息をついた。エレベーターホールにも、やはり人事担当者らしい人がいて、僕たちは待機室に案内された。

「えー、エントリーシートをインターネットで送った方は、こちらの用紙にお名前と送付番号を書き込んでください。万一、そうでない方がおられましたら、あちらの用紙に所要事項を記載してください」

僕は、エントリー・シートをネットで送っていたので、ごく簡単な用紙を配られた。その用紙に、僕は「碇シンジ」という名前を書き込んだ。
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