2016年の救世主 |
03/14/98
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人類補完計画が発動した・・・・・裸のレイに膝枕をされながら、思いをめぐらすシンジ・・・・・
二人の前に立つ渚カヲル・・・・
「再びATフィールドが君や他人を傷つけてもいいのかい?」
「・・・・かまわない・・・・」
シンジの前に立つレイとカヲル。
「でも、僕はもう一度会いたいと思った。その時の気持ちは本当だと思うから・・・・」
その時、シンジは、NERVや2年A組の人々がにこやかに笑っても自分を見つめる姿を、
意識が遠くなる中で、脳裏に描いていた。
が、意識が消える寸前、シンジの脳裏を一瞬、別の画像がよぎった。
シンジは背中に痛みを感じて目を開けた。
いつのまにか松林の中で仰向けに倒れていて、背中が石に当たって痛いのだった。
「・・・・・ここって、どこなんだ・・・・・綾波やカヲル君は・・・アスカは・・・みんなは・・・・」
あたりは静寂に包まれていて、聞こえてくるのは野鳥の声だけ。
「・・・・・こうしていても埒があかないな・・・・・・」
シンジを起き上がるとプラグスーツについた土ほこりを払おうとした。
「・・・・え?・・・・・なぜ?・・・・・なぜなんだ?・・・・・
・・・・・・なぜ、僕は紺色の着物なんか着てるんだ?・・・・・・」
再び意識が混濁しかかったシンジは、よろよろと松の木にすがって立ち上がった。
が、何かが腰と腹にこつこつと当たっている。
思わず下を向いて、たちまち硬直するシンジ。
「うわあああああ・・・・・」
そこにあったのは・・・・藤で編まれた旅行用の行李(鞄)だった。
ご丁寧に、肩のところで体の前後に荷物を振り分ける形にひもがついている。
暫くの間、錯乱した意識の中で、シンジは顔を覆ってうずくまっていた。
「どうなっているんだ?・・・・LCLの中にいたはずなのに・・・・・初号機は・・・・・
・・・・・それに・・・・・アスカ・・・・・・ミサトさん・・・・・
・・・・・もしかして・・・・・これが僕の望んだ世界なの?・・・・・
・・・・・こんなの、やだよ・・・・・・ 」
どの位の間、うずくまって泣いていたのだろう。
やがて、遠くから、静寂の中を誰かが近づいてくる足音が聞こえた。
はっとして顔を上げるシンジ。
「・・・・・・あなた、誰?・・・・・・」
聞き覚えのある、囁きかけるような声に、思わず後ろを振り向いたシンジは絶句した。
「あ、綾波ぃ!・・・・ど、どうして、着物なんか着てるの? それに木の杖なんか持って?」
再会の嬉しさと、事態の展開への疑問が複雑に交じり合って、シンジは思わず大きな声を出した。
その声を聞きつけて、また誰かが、今度は駆け足で近づいてきた。
「姫様っ!! そのような者にかかわりあいになってはなりませぬ!
さっ、先を急ぎましょう!! 急がないと日が暮れてしまいます!!」
きっ、と睨み付けている人物をみた瞬間、シンジは意識を失いそうになった。
「リ、リツコさんじゃないですか?! なんで、そんな格好をしてるんですか?」
シンジの視線の先には、髪を金髪に染めた、着物姿の女性が腕組みをして立ちはだかっている。
(・・・・・まるで・・・・・自治体主催の成人式に出席するヤンキーのおねえちゃんみたいだ・・・・)
金髪の女性はレイの手を引っぱって、向こうへ連れていってしまった。
地面にへたりり込んでしまったシンジに向かって、「・・・無様ね・・・」という捨て台詞を残して。
「駄目だ・・・・なんがなんだか全然わからないよ・・・・もうやだ、もうやだ・・・・」
どれほどの間、松の木の根元に体育座りをしていたのだろう。
今度は、数人の男たちの賑やかな話し声が近づいてきた。
シンジは、再び顔を上げるとよろよろと立ち上がり、松の木の幹を支えにしながら、
声のする方向に向かった。
30メートルほど歩いたとき、突然、松林が途切れ、
直射日光が、暗い林の中から這い出てきたシンジを閃光の如く包み込んだ。
「うわあああああ」
再び絶叫したシンジは、あまりの眩しさに目を抑えて、しゃがみこんだ。
足の裏には、さっきまでの柔らかい湿った土の感触ではなく、硬くてざらざらした何かの
感触が伝わってくる。
その途端、さっきまで聞こえていた足音と話し声は、ぴたりと止まった。
「これこれ、どうなさったかな?」
聞き覚えのある声に、シンジははっとして、目を覆っていた手を顔から離して
声が聞こえてきた方角を見上げた。
「なんじゃ、弥七ではないか?! こんなところで何をしておる?」
シンジが見上げた先には、頭巾をかぶり、やや太い頑丈そうな杖をついた
白髪の老人が立っていた。なぜか左手には詰め将棋の本を持っている。
「誰やおもたら、弥七やないか! 木の枝からでも落ちたんかい?」
シンジが茫然と老人を見上げていると、今度は後ろから、懐かしい妙な関西弁が聞こえてきた。
シンジは間髪を入れずに振り向いた。
頭に手拭い状の頭巾らしきものを被った色黒の若い男が仁王立ちして、シンジを見下ろしている。
あたりはかなり暑いというのに、真っ黒な着物を着ている。
「まったく弥七ともあろう者が木から落ちるとは珍しいねぇ・・・・その決定的瞬間を
この目で見て写真に収めておきたかったよな・・・・しかし、それくらいで泣くとは、
お子様な奴だな・・・・」
色黒の男の隣には、眼鏡を怪しく光らせた若い男が笑いながら立っている。
シンジはもはや発する言葉も無く、無言でゆっくりと首を動かして、あたりを見回した。
(・・・・・もう一人、いた・・・・・・)
老人のすぐ脇に立っている男は、髭を伸ばして、趣味の悪い色眼鏡をかけいる。
そして、無言でシンジをじっと見つめていたが、やがて口元だけを歪めてニヤリと笑った。
「・・・・また会えたんだ・・・・・みんな・・・・もう一度会えたんだ!!」
シンジは弾かれたように立ち上がると、明るい陽光の中で心から笑った。
(・・・・・そうだ!! あのとき、僕は、もう一度、みんなに会いたいと願ったんだ!!・・・・
・・・・・・その思いが通じて、ATフィールドが再生されて、みんな復活したんだ!!・・・・
・・・・でも・・・・・・・あの時、好きだった時代劇番組の一場面が頭をよぎったから・・・・・
・・・・ああっ、きっと、その想いが混ざっちゃって、こんな世界になっちゃったんだ・・・・・
・・・・僕のせいだ、僕のせいだ・・・・・ああああー・・・・・・)
シンジは、今度は一転してうずくまり、「・・・逃げちゃ駄目だ・・・」と呟きはじめた。
そんなシンジの姿を4人の男たちは、怖いものでもみるような顔で眺めていた。
「おい、弥七、なにしとんのや? 木から落ちて、打ちどころ悪かったんちゃうか?
もいちど、なんかぶつけたら、もとに戻るかもしれんよって、パチキかましたろか?」
「パチキとは、無茶をしおる」
「そんなこと言ったって、ご隠居、弥七の奴、完全に切れちまってますよ。このまま
私たちの旅についてこれますかね? ここはひとつ荒療治を・・・・あるいはこの機会を
逃しては、一生・・・(弥七を殴ることなんてできないよな・・・・)」
老人をみながら、さも楽しそうに腕まくりをする眼鏡の男。
「・・・・弥七・・・・ついてくるなら来い・・・・来ないなら帰れ・・・・」
どこからか座卓を持ち出してきて、その前に座って、口の前で手を組みあわせている
男が、シンジに向かって冷たく言い放つ。
「みんな、弥七弥七ってなんなんだよ!? 僕は、初号機パイロット、碇シンジだ!!」
シンジは4人を見渡しながら、はっきりとした声で叫んだ。
が、4人は一斉に怯えた表情で、後ずさりを始めた。
「こら、あかん!! 完全にイカレとる・・・・」
「弥七がいなくとも、私がいれば・・・・・ふっ、問題ない・・・・」
「これは本当に打ちどころが悪かったようじゃな。自分の名前すら覚えていないうえに
しごいてくれと言っておる・・・・」
「副司令、なに言ってるんですか? 僕ですよ、碇シンジです!! しごいてくれなんて
言ってませんよ!! 初号機って言ったんです!!」
「それを早く言いなさい。お前は字が下手だから、さすがにやらなかったのじゃが・・・
そんなに欲しかったのか、書号が・・・・そうじゃな・・・・風斎とでも名乗るがよかろう・・・」
「書号? なんだ、それは、冬月?」
「なんや、お前、またご隠居を呼び捨てにしとんな!! 一体、なに様のつもりじゃい?」
「どうやら弥七は、俗に言う記憶喪失というもののようじゃなぁ・・・・」
白髪の老人は色黒の男を制止し、腰をかがめると、シンジに向かって語り掛けた。
「おぬしの名前は?」
「碇シンジです」
「それみなさい。自分の名前すら忘れておる。きっと強く頭を打ったせいで、記憶を失ったんじゃ・・・」
黒い着物を着た男がシンジの顔を覗き込んだ。
「やい、お前の名前は弥七や!! もう忘れたらあかんで! ったく、手間の掛かる・・・・」
「みんなの名前が分かるかい?」
今度は眼鏡を怪しく光らせた男が、大きな乾板写真機を構えながら、シンジに近寄ってきた。
「えっと、君はケンスケだろ。それにトウジ、副司令、そして・・・父さん・・・」
一同は深い嘆息を一斉に洩らした。
「これはいけませんなぁ・・・・仕方ありません。このまま旅を続けて、長崎まで足を伸ばして
オランダ医術の医師にみせてみましょう。これ、弥七、心配は要らんぞ。安心しなさい」
老人は、白い髭をなでながらシンジにむかって優しく微笑んだ。
「ときに、私の名は冬月光圀。前の水戸藩主、副将軍、中納言じゃったが、今はこうして諸国を旅歩く
越後のちりめん問屋の隠居「光右衛門」ということになっておる。前の中納言なんで、一応、みんなは
黄門さまと呼んでおるが、決して人前で、そんなふうに呼んではならんぞ! よいな!?」
「わしの名前はな、鈴原助三郎や! みんな「助さん」ゆうとるわ。ま、よろしくたのむわ!!」
「僕の名前は、相田格之進だよ。えーと、趣味は、長崎渡りの写真機で写真を撮ることさ。
ああ、僕のことは、「格さん」って呼んでくれよ」
そして、最後に、黒い髭を生やした人相の悪い男が、色眼鏡を指でずり上げながら近寄ってきた。
「・・・・・なんだ、その姿は?・・・・弥七、お前には失望した・・・・これでは冬月を守れない
ではないか・・・」
助三郎が拳固を振り上げて、その男に近寄ってくる。
「おい!! また、お前、ご隠居を呼び捨てにしとんな!! 何度言ったら、わかるんや!!」
格之進が笑いながらシンジに説明する。
「こいつはね、もともとは江戸でスリをやってたんだけど、お前が説教して更正させて、水戸の
ご隠居のところに連れてきたんだ。基本的には、雑用係って位置づけなんだけど、なんかいつも
あんなふうに威張っててねえ・・・・ご隠居のことも、何度言い聞かせても、「冬月」って
呼び捨てにするし・・・・あ、そうそう、名前ね、「うっかり八兵衛」っていうんだ・・・」
シンジは、内心、暗い笑いがこみ上げてきていた。
(・・・・・そうか、わかったぞ!!・・・・この世界では、父さんが、あの3枚目で、よく
食い過ぎで腹を壊す「うっかり八兵衛」なんだ!! この世界、なかなかいいかもしれないぞ!!)
街道の脇の杉林から、2人の男女が近づいてきた。
「おっと、俺達を忘れてもらっちゃ困るぜ!! なぁ、葛城?」
「ちょっとぉ、なれなれしく触んないでよ!!」
黄門は笑いながら二人を指差した。
「あれはな、お前の下で働いておる忍びの者じゃよ。薬売りの男の方が飛猿、こいつは女好きで
困っとるんじゃがね・・・三味線を抱えている女の方が葛城お由美、色仕掛けで情報をとるのが
うまいんじゃよ。それに生まれつきの大酒飲みじゃから、芸者に化けて、代官屋敷に潜入したり
することも可能なんじゃ」
「弥七親分が、こんなになっちまって、ほんとに残念ですよ、あはははは」
「ちょっと、あんた、全然、心配してないみたいじゃない!? 親分、逃げちゃ駄目よ、
目の前の現実からも、そして八兵衛からも・・・・」
「え? やっぱり僕はここでも、父さん、じゃなくて八兵衛には弱い立場なんですか?」
「うーん、ちょっちねぇ・・・・なぜか八兵衛、親分にばっかり、ねちねち絡んでいくのよね・・・
本当は、そんなことできる立場じゃないんだけど、ほんと不思議よね・・・・・」
「世の中、不思議だらけってもんさ・・・・」
いつのまにか懐からスイカを取り出した飛猿が、汁を飛ばして豪快にスイカを頬ばっている。
こうして7人は一団となって街道を宿場に向かって歩きはじめた。
街道を暫く歩いていくと、向こう側から、さっきの若い娘と、シンジに向かって「無様ね」と
言い捨てた女が、血相を変えて走ってきた。
「お願いでございます!! 私ども仔細あって悪党に追われている身でございます!!
そこの旅のお方、どうかお助けを!!」
金髪の女は、なぜか黄門ではなく、八兵衛に向かって頼み込みはじめた。
(・・・・・この人、リツコさんに違いないよな・・・・・ちょっと試してみよう・・・・)
シンジは、金髪の女の背後に回ると、「にゃおーん」とネコの鳴き真似をした。
「あっ、ネコ!? どこ、どこにいるの?! 出てらっしゃい!!」
途端に金髪の女は、目を血走らせて辺りを見回しはじめた。
(・・・・・やっぱりリツコさんだよ、この人・・・・でも、この世界では白衣着てないな・・・・)
シンジは、誰かが脇腹を突付くのを感じて振り返った。
「・・・・・どうして、そういうこと言うの?・・・・・」
蒼い髪に澄んだ紅い瞳の少女が、シンジをじっと見つめている。
(・・・・・綾波・・・・また会えたね・・・・希望、だったよね・・・・)
シンジは懐かしい気持ちに満たされて、少女を暖かく見つめた。
「姫様っ、また、そのような者に関わり合いになってはなりませぬっ!!」
いつのまにか正気を取り戻した金髪の女が、再びシンジの前に立ちはだかった。
「・・・・どいてくれる・・・・」
蒼い髪の少女が、金髪の女にそう呟いた時、道の向こう側に土煙が上がり、
だらしない着物の着方をした若い男が二人現れた。
「やいやいやいっ、ここで見つけたが百年目だ! パターン青だ!!」
「中途半端な攻撃では、泣きをみるだけだぞ!! いっそ白旗でも掲げるか?」
二人の男のうちのひとりは、髪が短く眼鏡を掛け、なぜか袂に絵草子を入れており、
もう一人は長髪で、なぜか背中に三味線を背負っている。
(・・・・あっ、青葉さんと日向さんだっ!!・・・・)
シンジは、この、いかにも弱そうな、ならず者たちを見つめた。
「ほっほっほ、無茶をしおる・・・・助さん、格さん、やっておしまいなさい!」
黄門の指示を受けて、助三郎と格之進は、ならず者たちに飛びかかった。
が、実際に飛びかかったのは助三郎だけで、格之進は少し離れたところで、助三郎とならず者たちの
戦い振りを一心に写真に収めている。
「ええいっ、パチキかましたるっ!! おいっ!! お前も少しは闘わんかい!! 」
助三郎は一方的にぼかぼかと殴られながら、格之進を睨み付けた。
「いや、僕は頭脳労働専門だからね。水戸に記録を送らなきゃいけないし・・・いやはや忙しい忙しい」
「むむむ、相手はかなり手強いようじゃの・・・弥七、は、まだ無理じゃの・・・飛猿、加勢しなさい」
助三郎の惨状に頭を抱えた黄門は、さっきからスイカを豪快に頬張っている飛猿を振り返った。
「助三郎の敗北と格之進の傍観・・・これは水戸のご家老たちが黙っちゃいませんぜ・・・」
「ごちやごちや言うとらんで、はよ助けぇや!!」
「助さん、君には君にしかできないことがある。今、君にできることをやりたまえ。
せいぜい後悔のないように、な」
何やかんやと理由をつけて働こうとしない飛猿。
蒼い髪の少女は、そんな飛猿をみて呟く。
「そうやって、嫌なことから逃げているのね・・・・」
見かねて、葛城お由美が飛び出そうとしたとき、街道の脇から鼻歌が聞こえてきた。
(こっ、この歌は!?)
シンジは身を堅くした。
首の折れた石地蔵にまたがって、「小諸馬子歌」を鼻歌で歌っていた虚無僧は、
シンジをまっすぐにみつめているようだった。
「歌はいいねぇ・・・馬商人が産み出した文化の極みだよ・・・そうは思わないかい?」
(・・・・・やっぱり・・・・で、でも、こんな辛気臭いカヲル君なんて、いやだよぉ・・・・・)
「あんた、何言ってんのよっ!! うちの親分から離れなさいよっ!!」
怪しげな虚無僧が弥七に近寄ってきたのを見て、お由美は虚無僧の前に立ちふさがる。
「君の心は名刀正宗のように強靭だね・・・好意に値しないよ」
「あんた、自分が何言ってるか、分かってるの?」
「ふっ、嫌いってことさ」
「ぬわにぃーっ!! 別にあんたに嫌われたって、別にこまりゃあしないわよっ!!」
そう叫ぶが早いか、お由美は手裏剣を虚無僧に投げつける。
「無駄なことを・・・・君たち、水戸人は命を粗末にするね・・・・僕には分からないよ・・・・
僕にとって、生は死より一億倍も価値が高いからね・・・・」
虚無僧が微笑みながら手をかざすと、見事に手裏剣は何かに跳ね返される。
「こっ、これは!! 妖術使い!!」
シンジ以外の者たちは、一斉に怯えた表情に変わる。
(・・・・やれやれ、カヲル君は、こっちの世界でもATフィールドを使えるのか・・・・)
シンジは別に驚きもせずに、冷静に虚無僧を見つめていた。
そんなシンジに向かって、虚無僧はにこりと微笑むと、じりじりと近寄ってきた。
「弥七君、僕は君と出会うために、甲賀に生まれてきたんだよ」
シンジは咄嗟に首をひねる。
「カヲル君、君が何を言ってるのか、僕にはわからないよ」
「僕たち甲賀に生まれたものを、君たち伊賀忍者は、甲賀者と呼んでいるね。
生き残るのは、君たち伊賀者と僕たち甲賀者のどちらかなんだ」
虚無僧は被っていた編み笠を脱ぐと、銀色の髪をかきあげて微笑んだ。
「今日は邪魔者が多いから、決着は次までお預けだね」
そう言うと、虚無僧は懐に手を入れて、何かを探し始めた。
しかし、虚無僧は探し物が見つからないらしく、必死になって着物のあちこちに手を入れて
ひっかきまわしていたが、とうとうバツが悪そうに微笑んだ。
「煙幕玉を落としてしまったらしいよ。このままだとかっこよく立ち去れないね。
君の持っている煙幕玉を投げつけてくれないかい?」
(・・・・なんか間抜けな忍者だなぁ・・・・・・)
シンジは半ばあきれながらも、たもとに手を入れ、煙幕玉を取り出した。
そんな様子を見て、虚無僧は目を輝かした。
「・・・・さあ、僕を消してくれ!!・・・・」
仕方なく、シンジは煙幕玉を虚無僧の足元めがけて力いっぱい投げつけた。
ぐしゃっ!! ぽちゃん!!
何か妙に湿った、いやな音が聞こえた。
煙幕が薄れてみると、街道の脇のどぶの中に、虚無僧が泣きそうな顔で立っていた。
そして、その傍らには、たった今、踏み潰されたばかりの馬糞が点在していた。
黄門一行は静寂の中で茫然として立っていたが、やがて格之進が大声で笑いはじめた。
「さては、馬糞をぐしゃっと踏んだために滑って、どぶの中にぼちゃんと落っこちたという
ことかい?! あーあ、みっともないね。勝てない喧嘩するのはバカだね!!」
八兵衛が眼鏡を指で押し上げながら、口の端を歪めてニヤリと笑う。
「ふっ、何事にもイレギュラーはつきものだ。修正は可能だぞ」
一斉に爆笑する黄門一行。
虚無僧は半泣きになると、大声で叫んだ。
「さあ、おいで、甲賀の分身、風魔の忍び!!」
どこからともなく土煙を上げて赤犬が現れ、シンジに向かって飛びかかってくる。
「うわあっ、な、なんだよ、これっ! い、いたっ!!」
噛み付いてくる赤犬を必死で防ぎながら、シンジは立ち去ろうとしている虚無僧を追いかける。
虚無僧を追っているうちに、田園の中に入り込んでしまったシンジは、
虚無僧が田んぼの上を滑るように動いて、あぜ道の果てに建っている馬頭観音堂に向かうのを見た。
自動ドアのように開く観音堂の扉。
助三郎を殴り付けていたならず者のうち、長髪の方が叫ぶ。
「あっ、俺たちのねぐらに入ってくぞっ! ヘブンズドアが開いていくっ!!」
(・・・・・もしかして・・・・・あの観音堂ってターミナルドグマのことなのか?・・・・・)
シンジは、とっさに走り出していた。
(・・・・あの中には、きっと磔にされた巨人がいるんだ・・・・・カヲル君と接触したら大変だ!)
しかし、観音堂の中でシンジが目にしたのは、独身男の汚れた衣類から発せられる臭気に
失神して泡を吹いている銀髪の虚無僧の哀れな姿だった。
「あーあ、だから入らないほうが良かったのに・・・・。失神して、下手すると三途の川を渡っちゃう
こともあるから、俺たちは、ここの観音堂の扉をヘブンズドアって呼んでるのに・・・・」
ようやく駆け付けてきた眼鏡をかけたならず者が呟く。
(そういえば、さっきもいまも、確かに「ヘブンズドア」って言ってるよな・・・・・・
・・・・・この時代、英語なんてみんな知らないはずなのに・・・・・・あっ、これも、
あのときに僕がいろんなことを考えたから、2015年のことと時代劇が
ごっちゃになっちゃったせいなのかも・・・・ああああ・・・・・・・)
シンジは、思わず頭を抱える。
「弥七、なにをやっておるんじゃ? そろそろ先を急ぐといたすぞ!!
このままでは日が暮れてしまう」
冬月黄門の声で顔を上げたシンジは、黄門の後ろで八兵衛が一心不乱に供物の団子を
むさぼり食っているのを見た。
再び、シンジの心の中に、暗い喜びが湧き上がる。
(・・・・・父さん・・・・なんて無様な姿なんだ・・・・・・ふっ、ここの世界も悪くないな・・・・)
シンジの視線の先を追ってふりかえった黄門は、団子を貪り食った挙げ句、喉に詰まらせて
目を白黒させている八兵衛の背中を杖で容赦なく打ち据える。
「これっ、八兵衛!! しっかりいたせ!!」
ようやく団子が喉を通過した八兵衛は、胸をなで下ろしながら呟く。
「ふっ、シナリオ通りだ。問題ない・・・・」
虚無僧をしばり上げているならず者たちを後に残して、黄門一行と旅の女二人はその場を
離れた。
「ときに、娘さんや。あんたがたには、何か仔細があるようじゃが、この爺に話して
いただけませんかの? 何かお役に立てることがあるかもしれませんからな」
蒼い髪の少女は、黄門をじっと見つめた。
「・・・・・・いい・・・・爺さんは役立たず・・・・・爺さんはお払い箱・・・・・」
「姫様、そんなことをおっしゃってはいけませんっ!!」
なぜか乳母らしい金髪の女性が少女を不必要なほど強くたしなめる。
「どうもすみませぬ。実は、この方は松本藩の苓姫さま、私は乳母の赤木でございます。
藩政乗っ取りを企む家老一派の罪を、水戸の御老公様に訴え出ようとして、
ここまで参ったのですが、家老の差し金で街道筋のならず者たちが私たちを襲って
まいるのでございます。」
「ほっほっほ、それはお困りのようじゃの。実はな、わしがその水戸の隠居じゃよ。
それではこれから松本藩に乗り込むと致しますかな。皆の者、異存はなかろうな?」
誰も異存を唱えるものはいないが、乳母は心配そうに黄門に尋ねた。
「これだけの人数で、刺客を防げるのでしょうか? 」
黄門が答えようとしたとき、横から割り込んできた八兵衛がニヤリと笑った。
「・・・・そのための弥七です・・・・・」
(・・・・また僕かよ・・・・・やれやれ・・・・・・)
ひとり暗い表情のシンジを交えて、一行はのろのろと街道を歩きはじめた。
しばらく歩くと、宿場の入り口の木戸が見えてきた。
なにやら木戸の近くに群集が集まっている。
「これはただ事ではありませんな・・・・飛猿、ちょっと見てきてくれんか?・・・・」
さっきから行き交う娘たちに色目を使っていた飛猿は、黄門の声に露骨に面倒くさそうな
顔をした。
「・・・・・葛城・・・・真実はいつも君とともにある・・・・つまり君が行った方が
真実を正確に把握できるということだ・・・・」
「あんた、また、怠けようとしてるのねっ!! ったく、あんたみたいのと付き合ってたなんて、
あたしの一生の恥だわ!!」
たちまち機嫌が悪くなり、飛猿を睨み付けなから、懐から徳利を取り出して
ラッパ飲みを始めるお由美。
「飛猿君、そろそろ行った方がいいわよ。こわーいお姉さんが睨んでるから・・・・」
乳母からも言われて、仕方なく飛猿はぶつぶつと口の中で文句を言いながら、
群集の中に紛れ込んだ。
「やいやいやいっ!! お前、まだ旅篭(はたご)続けてたのかよっ? こんなぼろ旅篭なんて
誰も泊りゃしねえんだよっ!! 俺たち勢伶屋の客引きの邪魔だから、とっととどっかへ
行きやがれいっ!!」
「あんたバカぁ? こーんな人相悪い客引きのいる旅篭なんかに泊るお客がいるわけ
ないじゃないのっ!! 旅のみなさん、お宿なら、この美貌の天才少女の経営する「江庭弐号館」へ
どうぞぉっ!!」
群集の前では、01と染め抜かれた着物を着た若い男と、紅い着物に赤い髪の少女が口論していた。
「あーあ、今日も江庭弐号館の明日香お嬢さま、勢伶屋の紀伊右衛門の手下に商売の邪魔されてるよ」
「でも、勢伶屋はお代官の万田さまと仲が良いからなぁ・・・・」
群集は、少女に同情的だが、若い男にひと睨みされると、首をすくめて、その場をこそこそと
立ち去ってしまつた。
一部始終を目撃した飛猿は、黄門のところに戻ってきた。
「ご隠居、どうやらこの宿場では旅篭同士での争いがあるようですぜ。なにやら若い娘がひとりで
がんばってるみたいで、これは何やら仔細がありそうです」
飛猿が黄門に報告しているのを聞いて、助三郎と格之進は互いに顔を見合わせた。
「なんやと、わ、若い娘? ほほう、それはなにやら事情がありそうやな?!」
「そ、そうだね! 困っている少女を放って置いて逃げたら、マタンキついとんのかって
世間から批判を受けそうだねぇ・・・」
なぜか顔が赤らんでいる二人だった。
一行が宿場に入っていくと、たちまち若い男と少女が駆け寄ってきた。
「おっ、これは大店(おおだな)のご隠居さんですねっ!! 手前ども勢伶屋は、
安価な量産型料理と名物の槍まんじゅうでおもてなし致しますよ。こーんな、ぼろ旅篭の
弐号舘なんかに泊ったら、たちまち食中毒で入院ですぜ」
「はんっ、こっちはねぇ、長崎から職人を招いて、本場の独逸料理を食べさせるのよっ!!
特別にあんたたちを泊らせてあげるから、感謝しなさいよっ!!」
勢伶屋の若い男の低姿勢に比べて、顧客相手に腰に手を当てて仁王立ちして応対し、
あまつさえ、はるかに年長の黄門に指を突きつけている、赤い髪の少女の姿に
黄門一行は絶句する。
(・・・・・こら、あかんわ・・・・・こない性格の悪い娘のところなんぞ誰も泊らへんで・・・・)
助三郎は、やれやれと首を横に振った。
そのとき、強い風が吹き、助三郎の頭巾が飛ばされて少女の足元に転がった。
次の瞬間、少女のすらりと伸びた美しい脚は、助三郎の頭巾を力いっぱい踏みつけていた。
「なんや、こらぁ! なんするんや!! 」
切れたわらじを履き替えていて、一行から少し遅れて駆け付けてきたシンジは、
その様子を眺めて驚愕する。
(・・・・あ、アスカっ!!・・・・)
「あ、あのっ、ご、ご隠居っ、こっ、ここに泊りましょう!! な、なんか事情あるみたいだし・・・」
シンジの大声に振り返った黄門は、露骨に嫌そうな顔をしていた。
「そりゃぁ、飛猿からも報告を受けてるから、なんか仔細があるのはわかっておるが・・・・
どうして、わしには面倒なことばかりが押し付けられるんじゃ? こんな礼儀知らずの娘のために・・・・
たまには悪い奴のところで、旨い料理でも食べて楽をしたってよいではないか・・・・」
口の中でぶつぶつと文句を言う黄門に向かって、八兵衛がニヤリと笑いかける。
「・・・・・冬月、勢伶屋に泊るのか?・・・・さしづめ、勢伶屋は臆病者の楽園だな・・・・」
八兵衛の言葉を聞いて顔色を変える黄門。
「何度言うたらわかるんや!! ご隠居のこと、呼び捨てにするんやないて、あれほど言うたのに
まだわからんのか!?」
助三郎は渾身の力を込めて八兵衛を殴り付ける。
「うっ・・・・も、問題・・・・ある・・・・」
八兵衛はこぶをつくってうずくまる。
「ま、まあ、その辺で許してやんなさい。まあ、こうなったのも何かの縁じゃ。仕方ない、
この娘のところに泊るとするかの・・・・・案内を頼みますよ、お嬢さんや」
黄門は渋々ながら赤い髪の少女に頼み込む。
「なに辛気臭い顔してんのよ!! うちの旅篭に泊れるのよ!! もっと嬉しそうな顔しなさいよ!!
それにねっ、アタシには、ちゃーんと「明日香」って名前があるのよ!! お嬢さん、お嬢さんって
気安く呼ばないでよねっ!! わかった!?」
再び明日香に指をびしっとつきつけられ、黄門はますます不愉快な表情に変わる。
「こーんなしけた人たちに比べて、アタシの旅篭の良さをわかったくれたのは飛猿さんだけねっ。
だから、みんなにここに泊るように進言してくれたんでしょ?」
いつのまにか傍に近寄ってきていた明日香に抱きつかれて、飛猿は満更でもない表情。
「ま、まあな。俺は、いいものをいいと見抜けるからな・・・・ははっ・・・ははははは」
一行の冷たい視線、とくにお由美の厳しい視線を浴びて、飛猿は冷や汗を流す。
飛猿に抱きつきながら、一行の顔ぶれを見回していた明日香は、シンジと目が合うと、
何かを感じたように、ほんの少しだけ表情を変え、じっと見つめた。
そして、すっと飛猿から離れると、一行の前に仁王立ちした。
「さってと、じゃ、これから案内するから、ついてきなさいよっ!!」
一行は明らかに気の進まない表情で、刑場に向かって引かれる罪人のような
暗澹たる表情で、ぞろぞろと歩き出した。
「な、なんや、この宿はっ!?」
助三郎が素っ頓狂な大声を上げる。
「こっ、これは、ひどい・・・・・」
弥七とお由美と姫を除く全員が目を覆ってしゃがみこんでしまった。
「・・・・・ちょっち散らかってるわね・・・・・」
平然として呟くお由美。
「・・・・・いらないモノがいっぱい・・・・・」
平然と呟くのは苓姫。
(・・・・・はは・・・・ミサトさんや綾波の家よりは汚れてないや・・・・・)
シンジは心の中でほっと安堵のため息を洩らす。
「なによっ、みんなしてひどいひどいって!! アタシはこれでもきちんとやってるのよっ!!」
明日香は今にもつかみ掛かりそうな顔で一行を睨み付ける。
「・・・・どうしたの、明日香・・・おや、お客さんですか? よくいらっしゃいました。
こんな店においで頂いて本当に申し訳ありません。あまりにも、ふ、不潔・・・でしょ?・・・」
明日香の怒声を聞いて、店の奥から、寝間着を着てやつれた顔つきの娘が現れた。
「ね、姉さん!! 起きちゃ駄目でしょ!! お医者さまも、そう言ってたじゃないの!!」
「お前にばかり迷惑かけてすまないねぇ・・・・私がこんな体じゃなかったら・・・・」
「姉さん、それは言わない約束でしょ!!」
手を取り合って、しばし見つめ合う明日香とその姉。
(ああっ、これはマヤさんだ・・・・しかし・・・・やつれた姿も、か、かわいい・・・・)
頬を紅潮させてマヤを眺めているシンジを、明日香が睨み付ける。
「アンタ、なにいやらしい顔つきでマヤ姉さんをみてるのよっ!! そんなとこにぼうっと
突っ立ってないで、掃除でも手伝いなさいよっ!!」
「え、ど、どうして、客の僕が掃除なんかしなきゃいけないの?・・・なんか変だよ、それって・・・」
「うっさいわねぇ!! つべこべ言わないで働かないと、叩き出すわよ!!」
(・・・・・ここでも、僕はアスカにこき使われる立場なのか・・・・・・)
泣きそうな顔でシンジは、一行を見回すが、みんな目を反らしてしまう。
ただひとり、苓姫だけはシンジを見つめたあと、明日香に視線を移した。
「・・・・・私なら、もっと綺麗にできるのに・・・・・」
「な、なによっ、この人形みたいな女はっ!? アタシより綺麗にできるですって!?
それじゃ、あたしが綺麗にできてないみたいじゃないの?! むうーっ、腹が立つわねっ!!
バカ弥七、さっさと働きなさいよ!! アタシは傷つけられたプライドは10倍にして
返すんだからっ!! 」
(あ、綾波・・・・・余計なことを・・・・・)
シンジは、苓姫を恨めしそうな顔で眺めるが、姫はまったく動じない。
「・・・・・そう・・・・じゃ、そうすれば・・・・・・」
(そ、それはないだろ!! 綾波ぃぃぃぃ!!)
心の叫びもむなしく、明日香に引きずられていくシンジ。
2時間後、宿は見違えるように整頓され、黄門たちの部屋ではシンジがくたびれ果てて倒れていた。
「・・・・弥七、よくやったな・・・・・・」
八兵衛の声にも、もはや反応する力も無いシンジであった。
「さあさあ、お客さん。夕食の支度ができましたよ。お熱いうちにどうぞ」
行灯(あんどん)に灯がともって、しばらくすると、黄門たちの部屋に夕食が運ばれてきた。
運んできたのは、頬にそばかすのある娘だ。
(・・・・・委員長か・・・・・ここでも料理とつながりが深いんだなぁ・・・・・・)
シンジは妙なことに感心する。
「・・・・何?・・・・・・」
姫が鯉の刺し身を指差して、乳母に不思議そうな表情で尋ねる。
「ああ、これは、刺し身の一種でございますよ。姫様は、お城では、このような下賎な食べ物は
召し上がっていらっしゃいませんでしたからね。ほほほほ」
黙って聞いていた八兵衛がぼそっと呟く。
「・・・・・・それは鮎だ・・・・・度忘れということもあるだろう。人は忘れることに
よって生きて行ける・・・・・」
「そんなはずはないわ!! まさか・・・・」
食い物にうるさい八兵衛の指摘を受けて、乳母はあわてて刺し身を一口食べてみる。
「・・・・・・うそつき・・・・・・」
乳母ににらまれた八兵衛は聞こえない振りをしている。
「さ、こんな変なひとはほうっておいて、姫様、お刺し身を召し上がってごらんなさいませ。
下賎な食べ物ですが、なかなかおいしゅうございますよ」
乳母にすすめられた姫は、刺し身を箸で小さくちぎって口に入れる。
「・・・・・・血の臭いのする鯉の刺し身・・・・・」
すぐに箸をおいてしまう姫。
(・・・・・綾波、肉とか魚とかだめだったよな・・・・・)
そう思いながら、シンジも刺し身に箸をつける。
「うっ、なんだよ、これ・・・・血抜きが失敗してるじゃないか・・・・・」
無理矢理、お茶で流し込んで再び箸を持とうとして、シンジは箸から何かが匂うのに
気がついた。
「・・・・・とれないや、血の匂い・・・・・」
その傍らでは、八兵衛が5杯目のご飯をたいらげた後、苦しそうな顔で横たわっている。
「どうしたんじゃ? なんじゃ、また食いすぎか・・・・なんでお前はいつもいつも
具合が悪くなるまで飯を食ってしまうんじゃ? まるで、わしが普段、きちんと飯を
食わせておらんみたいではないか? まったく恥をかかせおって・・・・・」
不愉快そうな黄門に向かって、八兵衛は苦しい息の下から答える。
「・・・・・ふっ、まさにシナリオ通りだ・・・・」
苦しそうに転げ回る八兵衛の姿を一瞥して、姫が囁くように呟く。
「・・・・・もう、駄目なのね・・・・・・」
「ほんとや、こいつ、もうあかんかもしれませんぜ!!」
助三郎の声に、一行が八兵衛のまわりに集まってくる。
八兵衛は蒼ざめた顔で黄門をみつめる。
「・・・・・冬月先生・・・・あとを頼みます・・・・」
「・・・・・閻魔大王によろしくな・・・・・」
八兵衛ががっくりと頭を垂れたとき、部屋の障子ががらりと開いて、明日香が顔を見せた。
「バカ弥七!! お風呂、湧いてないじゃない!! なにやってんのよ!!」
どかどかと部屋の中に入ってきた明日香は、横たわっている八兵衛の腹を容赦なく踏みつけながら
シンジの方に近寄ってくる。
「ぐわっ!!」
飯を吐き出して蘇生した八兵衛をものともせず、明日香はシンジの耳を引っ張って連れていってしまった。
連れ出されたシンジは、風呂場の外で火炊き番をやらされている。
「ばばんば、ばんばんばん・・・・・・歯、磨いたかいっ?!・・・・」
風呂の中では、明日香がなぜかドリフターズの「湯煙り旅情」を歌っている。
(・・・・・なんで僕がこんな役なんだよ・・・・いつもこういう役は八兵衛って、相場が
決まってるじゃないか・・・・ひどいよ、こんなの・・・・)
そのうえシンジは薪の煙でむせて、思わず涙ぐんでしまう。
シンジが、背後に人の気配を感じて振り返ると、姫が浴衣を着て立っていた。
「・・・・・何泣いてるの?・・・・・」
すすで顔じゅう真っ黒になったシンジは、当たり前の質問に少々茫然としながら、
それでも相手が綾波なので、涙と鼻水を垂らしながら、優しく答える。
「・・・・・煙でむせて苦しいんだよ・・・・お風呂たてたことが無いからわからないんだね・・・・」
「・・・・・そう・・・・・私は何もできないから・・・・・・」
「・・・・・自分は何もできないなんて、そんな悲しいこと言うなよ・・・・・」
シンジは、涙と鼻水とすすで、顔に南方部族の祭礼化粧のように複雑な紋様をこしらえ
ながら、姫をみつめる。
「・・・・・ごめんなさい・・・・こんなとき、どんな顔して良いか、わからないの・・・・」
一瞬、当惑した表情をみせた姫は、辛そうに俯く。
「・・・・・笑えばいいと思うよ・・・・・」
次の瞬間、何かが爆発した。
「どわっーはっはっはっはー!! ひっーひひひー、く、苦しい・・・・」
世間知らずな姫は、シンジの言葉を真に受けて、宿場中に響くような大声で
転げまわりながら爆笑していた。
(・・・・・こ、こんなはずじゃなかったのに・・・・・)
がっくりと肩を落としたシンジは、姫に背を向けて再び黙々と薪をかまどに投げ込みはじめた。
(・・・・・ヤシマ作戦の時には、見る者を虜にするようなかわいらしい微笑みを
みせてくれたのに・・・・なんで、この世界では、こんなふうに僕はひどいめにあってるんだよっ?!
テレビでは、弥七はいつも良いところで登場して、お茶の間の視線を釘づけにしておいて、
窮地に陥っている黄門たちを助け出す、いいとこどりのヒーローのはずなのに・・・・・)
まだ含み笑いを洩らしながら、姫が遠ざかっていく。
やがて、風呂場の中も静かになった。
(・・・・アスカ、もう上がったんだ・・・・誰も入っていないんだな・・・・・)
「みんな、僕にやさしくしてよっ!!」
感情が爆発してしまったシンジは、思わず叫んでしまい、はっと我にかえって、
あたりをきょときょとと見回す。
(・・・・良かった・・・・誰も聞いてなかったみたいだ・・・・)
と、その時、ガラリと窓が開いた。
「・・・・・私とひとつのお風呂に入らない?・・・・それはとてもとても気持ちのいいことよ・・・・」
さすがに胸までは見えないものの、シンジは容易に「それ」を空想して鼻血をほとばしらせる。
「サービスしちゃうわよん!!」
シンジはついに意識を失った。
そんなシンジの姿を植木の陰から覗いている2つの影があった。
「・・・・・15年ぶりだね・・・・・覗きなんかするのは・・・・」
「ああ、間違いない。犯罪だ・・・・しかし・・・弥七、なぜ、そこで失神する?
・・・・・お前には失望した・・・・・」
背後に人の気配を感じて振り返った八兵衛と黄門は、明日香の踵が頭上に落ちてくるのを
なすすべもなく眺めていた。
翌朝、朝食のあと、頭に包帯を巻いた黄門が一行を呼び集めた。
「実はな、ここの女将(おかみ)のマヤさんに聞いたんじゃが、ここの宿場では
勢伶屋が代官と組んで傍若無人の振る舞いをして、この宿に嫌がらせの限りを
尽くして廃業に追い込もうしているそうじゃ・・・・・ここは一肌脱いでみては
どうじゃろうか・・・・ついては、この宿を盛り立てるような妙案はないかのう?・・・・」
一同が首をひねって考え込んでいると、八兵衛がすっくと立ちあがり、口の端だけ
歪めてニヤリと笑った。
「・・・・・この宿場には名産品がない・・・・・だから、この宿で何か名産品を
考え出せば良い・・・・私は、団子が良いと思う・・・・・」
珍しくまともな八兵衛の意見に、驚きながらもうなづく一同。
「・・・・・名産品か・・・・・だが、団子はありふれておるな・・・・・・すぐに模倣されて
競争が激しくなってしまう・・・・・八兵衛、団子にこだわり過ぎじゃな・・・・」
そんな黄門の言葉にも顔色一つ変えずに、膳の上で両手を組んで口元を隠している八兵衛。
「・・・・・今はそれでいい・・・・・これまで誰も食べたことの無いような団子を
開発すれば良い・・・・反対する理由はないだろう?・・・・・」
「しかし・・・・」
なおも渋る黄門に向かって、八兵衛は趣味の悪い色眼鏡をずりあげる。
「・・・・冬月、俺と一緒に人類の新しい団子を創ってみないか?・・・・・」
言い切った八兵衛の後頭部に助三郎の蹴りが炸裂する。
「まだわからんのか!? あれほど呼び捨てにすんな言うたのに!!」
ゆっくりと畳みに沈み込んでいく八兵衛を眺めながら、黄門は顔を歪める。
「・・・・いやな男だ・・・・・」
不意に宿の外が騒がしくなった。
一行が障子を開けて、外を覗くと、代官所の手の者によって宿はびっしりと取り囲まれていた。
唖然としていると、階下から明日香が駆け上がってきた。
「こんなの、インチキっ!!」
明日香が叫んだとき、一同は、宿場の向かいの山に、大文字焼きのように「続」という文字が
薪で形作られているのに気づいた。
明日香が茫然として呟く。
「水戸黄門シリーズ・・・・完成していたの?・・・・」
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