フランスでの休暇


12月21日(日)関西空港からJAL(Japan Air Line)/AF(Air France)共同運行便でフランスへ出発。初めてリムジンバスを利用したのですが、 4F出国フロア−前に到着するのでとっても便利でした。
免税店でも買い物もそれ程なかったのでクレジットカード社のラウンジで時間をつぶす。飛行機はAFの機体(Airbus社 A340-300、乗務員に数人の JALの乗務員が乗務していた。飛行機は定刻より少し早く出発、妻はフランスの雑誌、フランス語のアナウンス、機内食に付いていたカマンベー ルチーズで感動していた。乗客はそれ程多くなく空席が目立ちました。
機内でMr.ビーンが1話放映されていた。これは既に日本で見たので他のストーリーだともっと良かったのに...飛行機は予定より少し早く 現地時間で16時30分頃に着く、パスポートコントロールではパスポートを見ただけで返されたので、後で何時入国したのかが分からなくなって 問題になるのが嫌だたので入国のスタンプを押してと言うと、係員は嫌々押してくれた。飛行機はシャルル・ド・ゴール空港ターミナル2Aに 着いたのですが、オペラ座まで運行しているロワシーバス乗り場が分からずちょっと探しました、結局出口A10の近くにあります。料金は1人 45F(5F値上がりしていました。)途中ワールドカップのメイン競技場をバスから見ました。昨年の同じ頃見たときはまだ工事中で本当に 間に合うのかと心配したものですが...パリ市内で少し渋滞しましたが、オペラ座に着き、当初はSt Lazare(サン・ラザール)駅までタクシーを使うつもり でしたが、渋滞していたので歩く事にしました。途中までし道を覚えていなかったので途中で1度人に聞いたところ迷わず着き予定していたより 早い列車に乗ることが出来ました。そこから列車で2時間程かかってCean(カン)駅に無事到着。ホームには妻の両親とお姉さんが迎えに来てくれて いました。駅から車で1時間程してやっと彼女の実家に着きました。その日は直ぐにベットに行きました。
妻の実家の小さい町の様子です。真ん中に見えるのが市役所でそこで1996年12月結婚式をしました。実家の画像
(1998年1月17日作成)

時差ボケの為、2人共05:00a.mに目が覚めてしまい、お腹が空いたので朝食を取りました。彼女の実家の近くのパン屋さんはとても美味しいのです。 実際にコンクールで賞を取っています。クロワッサン、バケット等安くて日本円で60円ぐらい。最初皆がバケットを手に持って歩いているのを 見た時は本当にびっくりしました。日本の様に紙袋に入れてくれないんです。クロワッサン等の小さいパンは紙袋にいれてくれますが...
クリスマスが近かったので大きな通りはディコレーションがしてあり、夜はとても奇麗でした。パリはもっと立派なのですが...クリスマスイブは 彼女のおばあちゃんとおじさんが来て昼食、夕食を一緒に食べました。私のクリスマスプレゼントは義理の姉(といっても私よりかなり年下なの ですが...)の手編みのセーターでした。ちょっと小さかったのですが、これは多分私が少し太ったからでしょう。(笑)初めての結婚記念日を フランスで祝いました。彼女の家族がミルフィーユを予約しておいてくれました。2人の名前を入れてくれたのですが、私のファーストネームを 漢字で頼んだという事でしたが、結果は読めるものではありませんでした。見本が悪かったのかもしれません。
12月30日、彼女のおばあちゃんが一緒に昼食を食べに行こうということで8人でレストランへごってもらいました。このレストランは 結婚式のディナーを取った場所でした。なんとアペリティフからデザートまで約3時間。みんな良く食べました。シャンペン、ワインをボトルで オーダーしてなんと約2万2千円ぐらいでした。なんとも羨ましい限りです。朝食のパン(紅茶を入れる少し前に撮りました)
12月31日、義姉と彼女と3人でCeanへ行きました。実家の近くのバス停から長距離バスで約1時間で着きます。彼女らの友人らと会い、ウインドー ショッピング等をしました。日本のアニメショップに行ったのですが、ドラゴンボール、Dr.スランプ、名探偵コナン、ブラックジャック、 シティーハンター等がフランス語に訳されており、日本で売られているままの単行本も売られていました。(日本語なのに買うフランス人が いるのでしょうか?)
中国人の経営する食料品店に行き「出前一丁」(香港製)を購入。中国語訛りのフランス語が印象的でした。
帰りのバスの中でAMラジオが流れていたのですが、20:00になるとフランス国歌がながれ、シラク大統領の新年の挨拶がながれました。TV の全CHで放映される事は知っていたのですが、まさかラジオまでとは思いませんでした。
20:30頃帰宅し、遅い夕食と取りました。それから楽しみにしていたMr.ビーンを家族全員でみました。時間帯は21:05〜23:15でした。

TV雑誌の番組欄によると、

でした。最後に放映されたストーリーはイギリスのTV会社名(LWT:London Weekend TV)でかなり昔の様で、MR.Beanも若くて台詞が多かった です。ところでMr.Beanのガールフレンド役はMatilda Zieglerという女優さんがやっています。「まじめにやってよクリスマスで出ている メガネをかけたブロンドの女性です。彼女は他のストーリーでエキストラとしても度々登場しているようです。
新年のカウントダウンをし、キスをしあって新年を祝ってベットへ...クレイジーホース等のちょっとセクシーな番組があったのですが、 妻は見せてくれず、おとなしく寝ました。
(1998年1月25日作成)
元旦は良い天気でしたが、その後5日程は強風がすごく大荒れの天候でした。イギリスやフランスの1部で家屋破壊等の被害が出たようですが、 我々はじっとしていました。その後再び彼女の親類・友人達と会う忙しい日々でした。結局買い物をゆっくりする暇もなく、最後の週末に服を 少し買い、スーパーでお土産等を買おうとしたのですが、彼女がばったり昔の先生にあったのでそこで長いおしゃべりの開始。結局私だけで 殆どの買い物をすませました。
1月6日がカトリックのお祭り「御公現の祝日」。東方の王様達によるイエス・キリストの礼拝を祝う日です。一般家庭ではこの夜、親しい 人達が集まって、La galette des rois(王様のガレット)というお菓子(ケーキ)を食べます。このお菓子の中には陶製の小さな人形が 入れられており、切り分けた時この人形が入っているお菓子に当たった人がその日の王様(女王様)になります。店では紙製の王冠と一緒に 売られています。実際は1月6日のお祭りですが、実際は元旦以降親戚・友人宅を訪れるとこのお菓子が出てきます。
新年の我々へのプレゼントは義理の母作成のクロスステッチ刺繍でした。50cm x 40cmの作品で我々の結婚記念日が入っていました。 作品を見る(ちょっと写りが悪いですが)
義理の母は夜、よく敷物を編んでいました。義理の姉は手編みのセーターを編んでいました。義理の兄(実際は私の方がかなり年上です) と義理の父はLive Steam(ミニSLで実際に動くもの)や蒸気機関のミニチュアに興味がありいつも自宅の工作室で色々作っていました。 彼は昨年SLの模型(鉄製)を作成しました。作品を見る
1月になってだいぶフランスでの生活リズムに慣れ、Le nain Jauneと言われるトランプゲームルールへをしたり、 モノポリ(フランス版)をやったりして楽しみました。Le nain Jauneはフランス語しか分からない義理の母、祖母としたので自分にとって 良いフランス語の勉強になりました。モノポリについてはパリの有名なストリート名があり、いつもシャンゼリゼ通りを買ってしまいました。 鉄道についてはパリの駅名が記載されていました。そこで思ったのですが、今度はモノポリ(日本版)を持って行こうと思いました。
(1998年1月31日作成)
とうとうフランス最後の日、朝5時30分すぎに起き、スーツケースのパッキングを始める。彼女が昨年日本に持っていけなかった服や本等を 入れまくったので、スーツケース(特大)はもうこれ以上入らないぐらい膨らんでいる。多分一度開けたらもう閉まらない状態。その他にボストンバックが 3つ(彼女の服が詰っている)になってしまいました。フランスに行くときは荷物がとても少なかったのですが...
朝7時すぎCean駅発St. Lazare(パリ)行きのノンストップの列車に乗る。列車は混んでいて空いている席がなかったのでずっと立っていました。 9時すぎにパリに着き、オペラ座のアメリカンエクスプレス前のLoissyバス乗り場へ、それ程遠くなかったのですが、荷物が多くて移動は大変 でした。9時30分発のバスに乗ることができました。空港に行く途中フランスワールドカップのメイン競技場を見ることが出来ました。
出発の3時間以上に空港に着いたので、空港の表示板にはにはフライトの情報しか表示されていなかったのですが、以前この時間でもチエックイン 出来たことを思い出し、ちょっと歩くとちゃんとカウンターが空いていました。問題無くチックインできたのですが、スーツケースの重さが なんと36.3 kgあったにはびっくりしました。
少しは空港の免税店で土産物買い物出来ると思ったのですが、以前よりだいぶ良くなったといいつつ、やっぱり他の空港と比べると質、量共に 劣りますね...ただ、食べ物、飲み物の免税店ではちゃんと日本語のプレートがあり、ちょっと探していると店員が"May I help you?"と 来るのにはまいりましたが...
帰りの便はほぼ満席でした。機内映画(ジュディー・フォスターの”コンタクト”とメル・ギブソンの映画の2本立て)が割とおもしろかったので 全然寝ませんでした。彼女もコンタクトを見たので、行きに比べると睡眠時間が少なかったのが原因なのか、戻ってきてから時差ぼけには なりませんでした。
機内で気がついたのですが、行きはシベリア、ロシア上空を経由して行ったのですが、帰りはモンゴル、中国を経由して朝鮮半島の西側を経由 し、倉敷上空を通過して戻ってきました。現在、中国上空通過出来るようになったのですね?
パスポートコントロール、通関も特に待たずにOKでした。ただ、機内でもアナウンスあったのですが、西アジア・アフリカ経由で帰国した 旅行者にはアンケートの提出が義務付けられていました。(どうも、アフリカへ旅行したヨーロッパ人が脳が犯される奇病で死亡したのが原因 らしいです。)
帰りもリムジンバスで帰ったのですが、なんと我々を含めて7人でした。殆ど貸し切り状態でした。
- Fin- (1998年2月7日作成)


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