不完全Morakod's Memories

「俺様内爆風スランプ」をより完全にすると同時に、
この「爆風Database」をより不完全にする、極々私的な思い出・雑記。

− 爆風スランプとP-MODEL −

爆風スランプとP-MODEL。
一見、接点が有るんだか無いんだかよくわからない2つのバンド。 このWebPageを始めてからいただいたメールを読んでみても、両方を同時に好きだという方はあまりいらっしゃらないみたいです。 んー、そりゃそうかもなぁというのが正直な私の感想(^^;。
私も“爆風や今のほーじんさんが好きな自分”と“P-MODEL&平沢進が好きな自分”とは共存してないもん。 ほーじんwith G.C.S.聴いて「うわぁぁぁぁぁ」となっている時は、平沢さんの曲は聴けない。 聴いても心に入ってこない。逆もまた真なり。気持ち入れ替えるのに、最低1日かかります。ホントに。
私の中では、すごく両極端・相反するもののように認識されてしまっているみたいです。 ほら、甘いお菓子たくさん食べて満足してる後に、すぐに白米は食べられないでしょ?(←..ちょっと違うかも(^^;; )

でも、中野さんと河合さんがP-MODELやヒカシューなど日本のニューウェーブが好きだったことは有名ですよね。 よくインタビューでも好きな音楽として名前を挙げていらっしゃいましたし。

以下は、そんな爆風スランプとP-MODELとの接点話。

●1979年ロックフェスティバル
中野さんと河合さんが浪人生活を送っていた1979年。
年末に行われた内田裕也主催「浅草ロックフェスティバル」に2人で行ったという話は結構有名。 ここで河合さんがべろべろに酔っぱらって、路上に寝て、むちゃくちゃ寒がって、 ゲロまみれのコートを着て家に帰り、お父様に怒られた、という話も結構有名 (TV「今夜は最高」で話してましたよね)。
 
で、私、最近気が付いたんですけど、このイベントにはP-MODELが出演してたんですよね(^^)
この時のパンフレットに、P-MODELが「ヨッパライを見ると激怒する。」だの 「ヨッパライを見ると破滅に追い込みたくなる」だのいろいろ書いていたの読みましたが.....。 河合さん(^^; .....その後いかがですか?
 
 
●P-MODEL的バンド「スーパースランプ」
というわけで、フォーク少年だった中野さんがニューウェーブに目覚めたのは浪人生の時。 大学に入学した後、河合さんとスーパースランプというバンドに参加して音楽活動を始めます。
 
で、以下は“爆風伝説'89”のツアーパンフレットより抜粋
「爆風銃というFUNKバンドとスーパースランプというP-MODEL、ヒカシュー的 音楽をやるバンドがありました。この2体のバンドが合体したのがBAKUFU-SLUMPでした」
.......確か、スーパースランプってミミズやイモ虫の縫いぐるみを着て「尻の穴がかゆいぜー」って歌うバンドでしたよねぇ〜(^^; 「オーケーオーケー(桶を取り出して)おけーー」ってネタをやったり。 んー、P-MODEL的って...。
 
 
●ルーツメドレー
87年頃、ラジオの公録ライブや学園祭で爆風がやっていた「ルーツメドレー」。 メンバーそれぞれの音楽の原点となった曲をメドレーでカバーしていく企画でした。
もちろん末吉さんはグランドファンクレイルロードやキッス、ほーじんさんは平浩二や ラリーグラハムなどを挙げてました。
で、そこでN.W.好きの中野さん・河合さんから出された曲の中の一つが P-MODELの「サンシャイン・シティー」。実は、私がP-MODELの曲を聞いたのはこれが初めて。 ちょこっとだけ挿入されていた「美術館であった人だろ」のイントロ部分のキーボードが印象的でした。 あと、このときは「死人は死んだ」って歌ってんだと信じ込んでました。 なーんて変な歌詞なんだろうと思ってましたよ(^^; なんか「〜あぁあぁあ」言ってるし。
 
この「サンシャイン〜」という曲と「P-MODEL」というバンド名とが、 私の頭の中で結びついたのはこれから数年後のことです。
ちょっとしたきっかけからP-MODELが好きになって、当時再販されたばっかりの1st「IN A MODEL ROOM」 を買って聴いたんですよ。(その時は中野さんがP-好きだったことは忘れてました。)
いきなりこの聞き覚えのある曲が流れてきた時はびっくりしたっけなぁ(笑) 「詩人」だったし。やっぱり「〜あぁあぁあ」言ってるし。

また何か思い出したら書き加えます。


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