不完全Morakod's Memories

「俺様内爆風スランプ」をより完全にすると同時に、
この「爆風Database」をより不完全にする、極々私的な思い出・雑記。

− それから −

「10年も20年もキミのことを思うだろう」って中野さんが歌っていたのが1989年。
もうすぐあれから10年。私「10年後」ってもっとずっとずっと未来のことだと思ってました。
あれから約10年たった現在。 なんだかんだいっても、私はやっぱり「キミ」のことを思いつづけてるみたいです。 高校生だったあの頃の「思い」とは、ちょっと距離も形も変わったけれども。 それでもこんなWebPageを作ってしまうように。

10代だったあの頃、私は爆風が好きでした。力いっぱい好きでした。 メンバーそれぞれがホントに好きでした。 4人同時に疑似恋愛ですよ。まったく、気が多いこと>俺
セクシーなサンちゃん。キュートなパッパちゃん。優しい末吉さん。 そしてただひたすらかっこいいほーじんさん。
まともに男の人を好きになる前に、爆風を好きになってたんですもの。 サッカー部の人気の先輩よりも“爆風ラブ(はぁと)”ですよ。 もちろん定期入れにはフォトグラフですよ。テレビに映りゃあ即ビデオですよ。 靴だってくわえますよ。もー、青春返せって感じ(笑)? (←もちろん冗談ですよ(^^;)

で、今改めて思うのは。
あの頃の私(今より10歳下だった・高校生だった私)が好きだったメンバーは、 ちょうど今の私と同じ歳くらいだったんだよなぁ、ってこと。 今の私と同じ歳だったメンバーが、あの頃の私のような10歳年下のファン (今でいうとコギャルの世代か?)の“力いっぱいの思い”を受け止めて演奏していたということ。

毎月もらうお小遣いを一生懸命ためて、LPやコンサートチケットを買っていた高校生の私。
あの頃のメンバーと同じ歳になった今の私は、自分で稼いだお金で CDを買いなおして改めてあの頃の爆風を聴き返しています。

今の私と同じ歳だった中野さんは、あの頃の私の年代をテーマにした「青春もの」の歌詞をよく書いていました。 音楽評論家などからも、そのテーマが高く評価されていました。 でも。正直いって、私はあの頃はその良さがわかんなかったんですよね。 それよりもシニカルな(ストレートじゃない)社会批判ものや 「終わる恋じゃねえだろ」など、まだ経験したことのないような激しい恋愛ものが好きでした。 「THE TSURAI」とかね。「愛してやるぜベイベー」に憧れてたんでしょうね(^^; 。

でも、いま聴くと「天国列車」とか「ヤシの木かげ」とか「1986年の背泳」とか「狂い咲きピエロ」とか ....もう、切ないんですよ。 昔聴いたときには、なかった感情。まるで新しい曲を聴いたみたいな感覚。 今の私と同じ歳の男が、こういう繊細な詞を書いていたんですよね。あたしゃ、あの頃何をきいていたんだか。 やっぱ「紺の水着」を実際に着ているヤツは、「紺の水着のノルタルジー」はわからないってことなのかなぁ。 (ただ単に私が鈍いだけって話もあるが....)

そして「HIGHLANDER」のころの歌詞。 爆風というメディアを通して、社会問題をあの頃の私たちに教えようとしていた中野さん。 はっきりいって、私は好きになれなかった。どうしてそういう方向にいっちゃうんだろうって不満に思ってた。 でも、今は何となくわかる気がする。 10年分「HIGHLANDER」であることに気づいた中野さんが、何も知らない世代に向けて伝えなければって思った、その気持ち。

あの曲から「20年後」.....ってことは、これから後「10年後」ってこと。 現在のメンバーたちの歳になった私はどうなっているんだろ。 さらに10年歳をとったメンバーたちはどうなっているんだろ。 ただ、やっぱり私は「キミ」の事をどこかで思い続けているんだろうなぁ、ってことだけはわかる。 そうして、また「ああ、10年前、メンバーはこう考えていたのかもなぁ」ってふと思ったりするんだろうなぁ。
最近、私はそんな「それから」を想像しながら、爆風の曲を聴いています。


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